一つの終わり
時間遡行の装置は完成した。
随分と肥大化してしまった部品を目的の座標に合わせて設置し、着々と準備を整えていく。
「……本当に良いのかい?」
不安げな声色で問うてくるエルフィに力強く頷く。そんな俺の手には一つの箱が握られており。それが過去へ飛ばされる手筈だ。それはつまり――
「君はこの世界に留まることになるんだよ?」
何も、それに限られた話じゃない。もしかしたら、過去が変わることで現在にも変化が及ぶかもしれない。
「そんな、不確かな事に……」
段々と声のトーンを落としていく。
時間遡行の研究は成功したが、それでも現時点で過去へ送れるのはこの小さな箱くらい。人一人送るのには相応のエネルギーを要する。今回かき集められた魔力では、限界があったのだ。
「もっと研究を続ければ、もしかしたら……」
「それは散々話し合っただろ?」
時間が過ぎれば過ぎるほど必要なエネルギーは増加していく。このタイミングを逃せば、もしかしたら二度とチャンスは来ないかもしれない。
「それで……残された君はどうするんだい?」
俺は少々ビックリした。
多分、初めて泣きそうなエルフィを見た。
「……残されたりされてたまるか。俺達は時間さえ操ったんだ。魔女の呪いを壊すくらい、なんてことないだろ」
そう、時間遡行の研究を終えれば今度は死霊術の研究である。きっと出来るに違いない。そんな根拠のない自信があった。俺としては納得の行く弁明だったが、まだエルフィの表情には陰りがある。
「それにエルフィと余生を楽しむってのも、悪くない」
息をのむ少女は、やがて不適な笑みを浮かべると、
「……楽しむだって? また研究尽くしじゃないか」
迷いは晴れたみたいだ。
装置の組み立ても終わった。
後は、この箱を遥か過去に送るだけ。
エルフィが見守る中、俺は精一杯の願いを、希望を、期待をそこに注いだ。
――きっと世界を守れ。
*
今日も屋敷は平和だが、ダンジョンが発見され村が発展していくにつれ、周囲の環境は急速な変化を遂げている。その内都市にでもなってしまうのかもしれない。
外の喧騒と隔絶された広間では、だらしないメロディーが奏でられていた。相変わらず俺はピアノを引き続けている。さっき言ったように周辺の環境は目まぐるしく変わるが、俺は外に出れないし負わされる義務もない。要するに暇なのだ。
「?」
ふと目に写った、黒い箱。
こんなものあっただろうか。
クレイグかレティシアのいたずらだろうか。
なんにせよ、手に取ってみる。
すべすべしたそれは――
「うわっ、なッ?!」
唐突に形を崩して動き出し顔面へと迫った。
右の眼孔を抉るような劇痛。いや、事実抉られたみたいだ。右側は暗闇。何も見えない。
やがて、その黒い箱は役目を終えたと言わんばかりに、床にくたびれた。
右目が治癒されるのが早すぎるかと思ったが、違う。これは俺の目じゃない。
――そんな馬鹿な。
この体は自分のものでないと拒絶反応が起こる。例を上げれば、この体は採血は出来ない。体外からの異物は排斥されるのだ。
つまり、これは俺の目だ。
続いて眼球が熱を帯びる。
目が燃えるように熱くなり。
途端に流れ込む見たことがない筈の様々な光景。
感覚や音や匂い、感情という情報は一切、入ってこない。だが決壊したダムみたいに雪崩れ込んでくる膨大な、絶望の情景。
未だ混乱の最中だが、やがて俺の頬を伝う物があった。
ポツリと涙が零れた。
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