一つの終わり

 時間遡行の装置は完成した。

 随分と肥大化してしまった部品を目的の座標に合わせて設置し、着々と準備を整えていく。


「……本当に良いのかい?」


 不安げな声色で問うてくるエルフィに力強く頷く。そんな俺の手には一つの箱が握られており。それが過去へ飛ばされる手筈だ。それはつまり――


「君はこの世界に留まることになるんだよ?」


 何も、それに限られた話じゃない。もしかしたら、過去が変わることで現在にも変化が及ぶかもしれない。


「そんな、不確かな事に……」


 段々と声のトーンを落としていく。

 時間遡行の研究は成功したが、それでも現時点で過去へ送れるのはこの小さな箱くらい。人一人送るのには相応のエネルギーを要する。今回かき集められた魔力では、限界があったのだ。


「もっと研究を続ければ、もしかしたら……」


「それは散々話し合っただろ?」


 時間が過ぎれば過ぎるほど必要なエネルギーは増加していく。このタイミングを逃せば、もしかしたら二度とチャンスは来ないかもしれない。


「それで……残された君はどうするんだい?」


 俺は少々ビックリした。

 多分、初めて泣きそうなエルフィを見た。

 

「……残されたりされてたまるか。俺達は時間さえ操ったんだ。魔女の呪いを壊すくらい、なんてことないだろ」


 そう、時間遡行の研究を終えれば今度は死霊術の研究である。きっと出来るに違いない。そんな根拠のない自信があった。俺としては納得の行く弁明だったが、まだエルフィの表情には陰りがある。


「それにエルフィと余生を楽しむってのも、悪くない」


 息をのむ少女は、やがて不適な笑みを浮かべると、


「……楽しむだって? また研究尽くしじゃないか」


 迷いは晴れたみたいだ。

 装置の組み立ても終わった。

 後は、この箱を遥か過去に送るだけ。


 エルフィが見守る中、俺は精一杯の願いを、希望を、期待をそこに注いだ。


 ――きっと世界を守れ。





 今日も屋敷は平和だが、ダンジョンが発見され村が発展していくにつれ、周囲の環境は急速な変化を遂げている。その内都市にでもなってしまうのかもしれない。


 外の喧騒と隔絶された広間では、だらしないメロディーが奏でられていた。相変わらず俺はピアノを引き続けている。さっき言ったように周辺の環境は目まぐるしく変わるが、俺は外に出れないし負わされる義務もない。要するに暇なのだ。


「?」


 ふと目に写った、黒い箱。

 こんなものあっただろうか。

 クレイグかレティシアのいたずらだろうか。


 なんにせよ、手に取ってみる。

 すべすべしたそれは――


「うわっ、なッ?!」


 唐突に形を崩して動き出し顔面へと迫った。

 右の眼孔を抉るような劇痛。いや、事実抉られたみたいだ。右側は暗闇。何も見えない。


 やがて、その黒い箱は役目を終えたと言わんばかりに、床にくたびれた。


 右目が治癒されるのが早すぎるかと思ったが、違う。これは俺の目じゃない。


 ――そんな馬鹿な。


 この体は自分のものでないと拒絶反応が起こる。例を上げれば、この体は採血は出来ない。体外からの異物は排斥されるのだ。


 つまり、これは俺の目だ。

 

 続いて眼球が熱を帯びる。

 目が燃えるように熱くなり。

 途端に流れ込む見たことがない筈の様々な光景。

 

 感覚や音や匂い、感情という情報は一切、入ってこない。だが決壊したダムみたいに雪崩れ込んでくる膨大な、絶望の情景。


 未だ混乱の最中だが、やがて俺の頬を伝う物があった。


 ポツリと涙が零れた。

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