第18話 留守を任された亜友未

優喜が地獄で十王と謁見をしていた頃――――――――私は、誰もいない幽世の“タルタロス”に独りでいた。毎週土曜日はどの国もライブビューイングを行っていないため、そこに死者は一人もいない。

ただし、翌日の日曜日はイギリスの“タルタロス”がライブビューイングを行う関係で、ゲートの付近にはまだ天国にも地獄にも逝っていない死者達がたむろしている。

従業員わたしらは一部の死者達には“スタッフ”と認識されているため、彼らがたむろしているであろうゲートにはほとんど顔を出すことはないのが現状だ。

 はたして、日本のスタジオは営業を再開できるのかしらね…

そんな事を考えながら、私は大きなため息をつく。

スクリーンがある“タルタロス”内の壁には、簡易的に修復された作業跡が残っている。東京にある“タルタロス”は一時的に閉店をしているが、他の国のスタジオまで休みにする訳にはいかないため、金曜日に行うアメリカのスタジオでのライブビューイングは予定通り実施しているというのが現状だ。

「本当にもう…」

独りで考え事をしている関係で、余計に溜息が出てしまう。

先日のライブビューイングで、ボーカルの男が死者達を冒涜するような台詞ことばをはき捨てたが、当人も違法薬物を使用していて逮捕されたからもう“タルタロス”に来る事はない。しかし、そんな厄介な客だったと気が付かずにスタジオの出入りをさせていた己の事を考えると、私は後悔の念でいっぱいだった。

 “従業員わたしらが悪い”と十王うえから責められる事はないでしょうけど、やっぱり凹むわね…

スクリーンの近くにある機材席にたどり着いた私は、考え事をしながら機材の近くにある椅子に座り込む。

普段だったら、その隣にはたかし君か風花ちゃんのいずれかが一緒にいて、隣で仕事をしている。視線を横に向けると、どうしてもそんな二人の背中が私の視界に映り込んでしまうのであった。無論、視えそうな姿は幻で、今現在彼らはこの場にはいないのである。

そうして機材席に座りながら、私は“タルタロス”が休みに入る前に交わしたチャットの事を思い出していた。


『皆さん、お疲れ様です。零崎です。先日の暴言騒動によって、近日中に十王へ呼び出されて地獄へ赴く事になります。また、地獄あちらの事務局員からの言伝で、沙汰が下るまで東京の“タルタロス”は営業をお休みにします。皆さんには面倒をかけますが、宜しくお願い致します』

スマートフォンやパソコンで閲覧ができるチャットの中でも、私達東京の従業員だけが閲覧できるグループチャットより、優喜からのメッセージが送られてくる。

『お疲れ様です。それって、既にスタジオ利用が決定している利用者ユーザーについては、どうするんですか?』

すると、1・2分後くらいにたかし君からのメッセージがスマートフォンの液晶に表示される。

『公式ホームページに、わたしが謝罪文の記載を行います。また、それに伴い近隣のスタジオやカラオケボックスで場所を確保してもらえるかの確認も、わたしの方で行う予定です』

『営業再開するのは、いつぐらいになりそうですか?』

『現在、未定です』

優喜のメッセージとほぼ同時に風花ちゃんからのメッセージが受信され、またすぐに優喜かれによる返信が届いていた。

 即答をしたのを見ると、優喜も少し焦っているのかしら…?

チャットによる会話を見ていた私は、不意にそんな事を考えていたのである。

『いずれにせよ百合君と櫻間さんは、このスタジオがお休み期間である内に、別のアルバイト先も軽く検討しておくことをお勧めしておきます』

1分が経過したくらいに、優喜によるメッセージが届く。

そして、それが瞬きを1・2回してすぐに“既読3”という表記が画面上に表示される。おそらく私を含め、アルバイトの二人もスマートフォンかパソコンのいずれかの画面を開いていたままだった事によって、今のような事象が起きたのだろう。

「…やめとくか」

この時私は、不意にその場で呟く。

この優喜によるメッセージの後に私も一言書こうと思ったが、スマートフォンで文字を打とうとした指は、その場で動きを止めていた。“これ以上色々告げると、優喜かれも疲れるだろう”と一瞬考えた事が関係しているのであろう。

こういったやり取りがチャット上で交わされ、その翌々日よりスタジオの臨時休業が始まったのであった。



「あら…?」

チャットでやり取りしていた日を思い出していた私の視界に、スマートフォンからメッセージ受信の通知が表示される。

私や優喜が使用しているスマートフォンは、地獄にいる役人と繋がるようになっている所謂”仕事用“の代物だ。そのため、今のようにスタジオがお休みに入っている今は、アルバイトであるたかし君達からのメッセージ受信以外で通知が来る事は、ほとんどない。

しかしそこには、久しぶりに見る人物からのメッセージが表示されていたのである。

そして、その内容を確認した私は、すぐにスタジオの裏口の方へ足を進めるのであった。


「久しぶりだな、日本の阿傍羅刹」

「久しぶりね、阿防夜叉」

裏口から外へ出ると、そこには長い銀髪を持つ青年が立っていた。

私のスマートフォンにメッセージを入れてきたのは、この銀髪の青年だったのである。因みに、阿傍羅刹や阿防夜叉とは、日本人で云うところの地獄にて亡者を責め立てる獄卒の別称である。

私が末若すえわか 亜友未あゆみという名前を取得するまでは、彼のように名前のない獄卒だったため、獄卒同士の会話では自分達の別称である阿傍羅刹や阿防夜叉で呼び合う事が多いのが現状だ。

「今日は、どういった用件で?」

「十王様直属の役人共からの命にて、お前が働くという“タルタロス”を監査等の目的で此度は参った。故に、葦原中国あしはらのなかつくに(=日本の古代神話上における呼び名)にあるスタジオへ案内してもらえるか?」

「成程。そういう用件こと…ね」

阿防夜叉が幽世ここのタルタロスへ赴いた用件を尋ねると、納得のいう答えが返ってくる。

今目の前にいる青年が日本の事を、葦原あしはらの中つ国という旧い呼び名で呼ぶのは、おそらく彼自身がかなり古い時代から獄卒をやっていたからだと、優喜から聞いた事があった。

 監査が来たという事は…

私はこの時、今後起こるであろう出来事の概要を予測していた。

しかし、今私がすべき事は、目の前にいる阿防夜叉を現世の“タルタロス”に連れて行く事だ。そして同時に、現在スタジオの留守は私が頼まれているため、自分の業務を投げ出すわけにもいかない。

「…わかったわ。日本のスタジオに連れて行くから…。私の後から、ついてきて」

「…承知」

相手にそう伝えると、阿防夜叉は一瞬だけ間があいたが、すぐに承知をしてくれた。

そうして二人の獄卒は、今は人一人としていない現世の“タルタロス”へ向かう事になるのである。

また、この“監査”が終わって阿防夜叉が帰った後くらいに、優喜が地獄より帰還するのであった。

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