第11話 音と想いを受けて

始まりの音は、一瞬だった。

8本の楽器が32分音符による連続した音を一瞬でかき鳴らし、気が付けばオーボエやクラリネットが不規則だが、交互にもとれる音を出していた。

これは…

わたしは、自分の仕事をやりつつも、彼女達の演奏に聞き入っていた。

楽器が8つしかないにも関わらず、一つのオーケストラを聴いているような重厚感たっぷりの演奏――――――――――――言葉で言い表すとしたら、その一言に尽きるだろう。幽世むこう死者達かんきゃくたちも、曲の始まりに対して驚いたかもしれないが、そこから先は食い入るように聴き入っていた。

オーボエについて行くような形で所謂“裏メロ”を奏でるフルート。クラリネットとサックスが同時に同じ音を吹いた暁には、今にも地面が揺れそうなぐらいの旋律が生まれる。また、今回ライブビューイングを行っている彼女達のグループでは、クラリネットはB♭クラと通称で呼ばれている最も一般的なクラリネットが、3人いる。これらの楽器は一緒だが1st・2nd・3rdという形で3つのパートに分かれ、音の高音・中低音・低音を担っているのだ。もちろん、楽器が同じため、ここぞという時には全く同じ音を出す事もある。

これはサックスにも当てはまる話であり、アルトサックスは高音木管(=クラリネット・フルート・オーボエ等の音が高い木管楽器のこと)と似たような旋律も担当する一方で、淡々と吹く伴奏の役割も担っている。これを、テナー・バリトンサックスと異なる楽器にて音が低くなっている。クラリネットと違って全く同じ楽器ではないが、この音の高さが異なることから、クラリネットのみ。もしくはサックスのみのアンサンブルにて同じ音を出す奏法は時折見られるのである。

 東郷様達によるライブビューイングが決まった際、アンサンブルの事をある程度調べておいてよかったみたいですね…

わたしは、手を動かしながらそのような事を考えていた。

後にわたしがインターネットで調べて知る事となるが、この“水墨画三景にみる白と黒の陰翳”を作曲した内藤友樹氏によると、彼のスタジオにはとある水墨画が飾られていて、それは見る角度や陰翳。はたまた墨の風化や紙の劣化により、様々な表情が投映されているらしい。彼は、この状態をも作家が意図的に描きバランスを取っているように感じたという。そして、水墨画において日本古来の技法や文化の中に、多種多様な色彩を感じ西洋の美を受けたことから作曲したのが、“水墨画三景にみる白と黒の陰翳”だという。

 人間ではないわれわれには、あまり感じる事のない感覚ものですが…。そう思うと、人間も捨てた者ではないかもしれませんね…

わたしは、瞳を細めながら演奏する彼女達を見据える。

これまで人間の魂とやり取りをした事は過去にあったが、そのほとんどが一方的であり、人間達かれらを傷つける目的でしか接した事がなかった。それ以前に、「人間は欲望まみれで己の事しか考えない」と教えられていた事もあり、元々人間に対してあまり良い存在とは考えていなかったのである。

しかし、こうやって人型を取る事に成功し、現世で生活できるようになったのも――――――――一重に多くの人間が奏でる“音”に出逢うために用意された道ではないかという、そんな感覚をこの演奏で感じていたのである。

アクセントの入った音の駆けあがりを、東郷様を含むクラリネット奏者は高速で指を動かし音を出している。そして、一度全部の音がブツッとテレビが突然消えたようになくなると、その後の旋律は曲の速さも非常にゆっくりとなり、最初の部分とは明らかに違う曲調へと突入し始めていた。

 さて、幽世あちらにいらっしゃる、ご友人は…

一方で、聴いている死者達かんきゃくらの方はどうしているかと思ったわたしは、モニターに視線を移す。

因みに、ライヴビューイング開始前に東郷様とお話していたのは、“個人名は告げないが、死んでしまった友人に向けて演奏する意味もあるため、その子に向けてMCで想いを伝えたい”という話だったのだ。

名前を伏せたのは、魂のみの存在になったとはいえ、該当する相手がタルタロスにいたら、そのご友人は不本意な注目を浴びてしまうため、それを防ぐ意味が込められている。

人間は死ぬと、魂がある期間だけ肉体に留まった後、火葬や土葬といった形で埋葬される事で肉体から魂が離れ、幽世あちらへと向かうのだ。

ただし、死者の魂がどのくらいの期間を経てタルタロスにたどり着くかは個人差があるため、場合によってはこの月曜日に間に合わない可能性も十分にありえる。そのため、開演前に幽世むこうのタルタロスで末若さんに現れたら連絡をするよう、ライブビューイング開始前に指示を出していた。これが、ここまでの顛末の実情であった。

 ギリギリではありましたが…。結果として、成功という事でしょうか…

わたしはそんな事を考えながら、モニターの向うに見える女子高生達を見つめていたのである。



「圧巻…」

曲が終わった際、最初に出た台詞ことばが、今の一言だ。

1曲目である“水墨画三景にみる白と黒の陰翳〜木管八重奏のためのⅡ”が終わり、現在は次の曲に移っているが、私は1曲目の余韻の中にいたのである。

「1曲目…すごく、音の厚みが深くて良かったですよね!」

「えぇ、そうね…」

すると、私の気持ちを代弁するかのように、風花ちゃんが曲を聴いた感想を述べていた。

それを聞いて我に返った私は、分身の術を通し、会場の状態を観察する。

「あれ…?」

気が付くと、ある少女の姿がない事に、私は気が付く。

その少女とは、優喜から姿を確認するように指示を受けていた少女――――――――――今演奏している女子高生達かのじょらの友人であった舟久保ふなくぼ優果ゆかである。

「風花ちゃん…ちょっと、この場を頼んでもいいかしら?」

「大丈夫ですが…。何かあったんですか?」

私が、真剣な表情を浮かべながら確認すると、案の定風花ちゃんからも疑問形で返されてしまう。

「例の少女が、見当たらなくてね。ほら、彼女はライブビューイングの開演直前にたどり着いただろうから、きっと看板をしっかり確認してない可能性があるのよね」

「成程…。じゃあ、直接感想の紙を渡しに行くという事で大丈夫ですか?」

「えぇ!そう思ってくれて、大丈夫よ!」

「わかりました!では、こちらは任せてください!」

「ありがと」

私が最もな返答をすると、風花ちゃんは一応納得してくれた。

そうして分身を頼りに、私は件の少女を探しにスタジオ裏口から外へと飛び出すのであった。


「ねぇ…そこの貴女!!」

姿を確認した私は、舟久保ふなくぼ優果ゆかに声をかける。

ゲート付近にいた彼女の瞳には、一筋の涙が浮かんでいた。

「えっと…。私に何か…?」

突然声をかけられたため、その理由が判らない少女は少し困惑していた。

困惑した表情を目にした私は、その場で溜息をつきながら口を開く。

「多分、時間ギリギリだったから看板を読んでないかもしれないけど…。この“タルタロス”でライブビューイングを鑑賞したからには、お代の代わりに演奏を聴いた感想をこの葉っぱの形をした紙に書いて提出するの。…できるわよね?」

「感想…」

私から紙を受け取った少女は、その用紙を見つめながらポツリと呟く。

「書かなくては…駄目…なの?」

「…そうね。拒否することも一応は出来るけど、それ相応の危険リスクを伴うわ。地獄で魂をすりつぶされたくなければ、書いた方が無難ね」

私は、少女の問いに対して、少し遠まわしな言い方で答える。

 看板に書かれた“危険リスク”の全容を伝えるのは禁止されているけど…。このくらいだったら多分、大丈夫よね…

私は少し冷や汗をかきながら、相手の返答を待つ。

「えっと…。感想書く場合、鉛筆といった書く文房具ものは…?」

「あぁ!それに関しては大丈夫!」

今の問いを聞いた私は、看板にも書かれている事を伝える。

「文房具がなくても、その紙の場合…。“曲を聴いた感想”と口にしてから感じた事を心の中で読み上げれば、その内容が紙に自動入力できる仕組みになっているので…!」

「そう…なんですね。わかりました…」

私が説明すると、舟久保ふなくぼ優果ゆかは納得したのか、首を縦に頷いていた。

その後、私達の間で数分ほどの沈黙が続く。

「…曲を聴いた感想…」

無論、その沈黙を最初に破ったのは、舟久保ふなくぼ優果ゆか台詞ことばだった。

そうして彼女が両手で感想用紙を持ちながら瞳を閉じていると、紙に光が発生して彼女が感じた感想ことが書き込まれていく。そして、全てを書き込んだ後、彼女は閉じていた黒い瞳を開く。

「これ…このまま、お姉さんに渡しても大丈夫…ですか?」

舟久保ふなくぼ優果ゆかは、私を見上げながら問いかけて来る。

それに対し、私は数秒だけ間をとってから答える。

「本当は所定の場所に入れてから出てほしかったけど…まぁ、いいわ。今回は、私の方で預かるわね」

そう告げた後、私は左手を差し出す。

「ありがとう…」

私にお礼を述べた少女の表情は、最初と比べて少しだけ笑顔が垣間見える。

笑顔を浮かべた少女は、私に感想用紙を手渡す。その後、ゆっくりとゲートをくぐっていく。そうして旅立とうとしている彼女は、振り向きざまにこう告げる。

「薫ちゃんや沙央里ちゃんに…。逢う機会があったら、伝えておいてほしい事があります」

「…それは一体、どんな事?」

涙と笑顔の両方を浮かべた彼女に対し、私は問いかける。

「“ありがとう”…と」

「……伝えられたら、そう伝えておくわ」

私がを細めながら答えると、彼女はフッと穏やかな笑みを浮かべていた。

そして、高校の制服をはじめ、姿が次第に見えなくなり―――――――――最終的に火の玉となった舟久保ふなくぼ優果ゆかは、ゲートの先に見える三途の川へと歩き出すのである。

 …優喜に確認して、大丈夫そうだったら伝えようかしら…

私は、その火の玉が見えなくなるまで、考え事をしながら見守っていたのである。

また、所定の位置に戻す前に、一度だけ私はその感想を読ませてもらった。その内容とは、こうだ。

“「私達は貴女の分も頑張るから、安心して逝ってね」と曲を通じて背中を押してくれているような感覚を覚え、とても嬉しかった”

私はその時、こう思った。「ライブビューイングを行う事で、死者達は“生の音”を聴く事はできないが、それでも音楽は人に感動を与える力がある」と――――――――――


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