幸せな旅


『ダンザ、交代ですよ』


「……ん、ああ」


 その言葉で目を覚ますダンザ、現在二人は安息地と呼ばれる比較的敵対生物ミュータントの少ない領域で休息を取っていた。もっとも、こういったポイントで休息を取るアラクネも少なく無く、同時にそんなアラクネを狙うアバドンも居るために絶対安心とは言えないのだが……それでも危険性で言うなら幾分かマシという物だろう。


 食事もコックピット内部でキューブ型の保存食と水を飲み、トイレもコックピット内部の吸い取り式の物を使って座席で眠るのだ。全てがその狭い空間の中で事足りるというのは良くも有り、又悪くもある。


『寝てました?』


「少しな……もう少しリリィも寝てても良いぞ?」


 なんとも器用な事ではあるのだが、ダンザは睡眠を取りながらでも周囲警戒を行い続ける事が出来る。気配や殺気の感知範囲が並外れており、事実睡眠中のダンザに何か敵意を抱くと即座に飛び起きて対応する程だ。


 リリィはそれを知っている為に特に何も言わないが、他のアラクネからすればサボっているようにも見えるので、あまり良くは思われないだろう。


『いえ、もう十分休憩できましたから』


 三時間程度の睡眠ではあるが、二人交代で行えば六時間になる為に、それなりの足止めになると考えたダンザは少し考える素振りを見せる。


「なら、出発しようか」


 ジンクスという物がある。最初の回収が上手く行くと、暫くは上手く行くと言う物でありアラクネ達の間では通説である。無論事実としてそのような事は実際には無いのだが、ダンザとしてはリリィの初仕事にケチをつけるのもどうかと考えたのだ。ならば行動は常に早い方が良いだろう。


 それに今回の回収ポイントは他の都市からも比較的近い位置にある。つまり他のアラクネに回収される可能性も高いのだ。


『ダンザ、三時間眠る約束です』


「いや、だが…」


『約束です』


 しかし、リリィはそれを許さなかった。彼女に強く出られるとダンザも嫌とは言えない。惚れた弱みという奴なのだろう。


「………わかった」


『こんな時だからこそ、しっかり休んでおいてくださいね?』


「ああ、おやすみ」


 そう言って、ダンザは一瞬で眠りの中へと落ちていくのだった。



 目を瞑ると何時でも眠りに落ちる事が出来る。それは最早特技と言っても良い程だ、なにせ定期的に立ったまま寝て体力を回復する事すら可能なのだから。


 最後にマトモに眠ったのは何年前だろうか?俺はあの日からリリィに心を囚われ続けている。


 あの日、俺が偶然見つけた少女。愛しい少女。婚姻を結んだ少女。


 彼女と共にある為に、自らのリソースを全て使い果たすと決めたのだ。ゴミの如くに死のうが、それは俺の力が足りなかったというだけの事。


 あの日から俺は眠る間も惜しんで自らを鍛えた。不可能だと思う事を訓練した、不可能だと言われた事を可能にした、それでも……未だ彼女の背を触れる事だけで手一杯だ。


 常人の評価などどうでも良い、この世界でただ一つ彼女と共に並び立てるのならば他の何も必要無い。彼女がどう思っていようと別に良い、彼女が他の誰かを愛したのだとしても俺は彼女を愛し続ける。


 彼女の為に…自分の為に前へ進め、そう何度も俺の細胞が叫ぶのだ。


 俺は世界で最高の幸せを手に入れた、この世で最も尊い彼女と並ぶ権利を手に入れた。代わりの他の全てを捨てた、彼女は…そんな俺を受け入れてくれた。


『約束、です……共に生きて、共に死にましょう』


 彼女の指に手作りの指輪を嵌めた時の事を覚えている、彼女は優しく微笑んで……。


『愛してくれて、ありがとう』


 そんな事を言って、俺を抱きしめて微笑んだ。


 世界が彼女を愛さずとも俺は彼女を愛し続けよう、彼女が俺を愛さずとも俺は彼女を愛し続けよう。


 惚れた弱みという奴だ。我ながら鳥肌が立つ程気色が悪い妄言だと思うが……愛は自由だから仕方ない。


『オ・キ・テ』


 ふわふわと夢の世界を揺蕩っていると……不意に、そんな言葉が聞こえたような気がした。



「……おはよう」


『おはようございます、後一時間ありますよ?』


「いや、十分寝たさ」


 時刻は早朝…というべきか夜と言うべきか少々悩む夜中の四時。背伸びしながら機体の調子を確認するダンザを見るに、もう出発する事は確定事項のようだ。


 各機器のステータスを何時も通りに3度確認していると、ダンザは偶然その異変に気づいた。


「………!?」


 ダンザはポーターのアイカメラを狙撃用に切り替えて宇宙を仰ぎ見る、通常なら見逃していたであろう重力の数値異常の原因が空にあると睨んだからだ。


「リリィ、ドロップの推定地表到着時刻はどうなってる」


『今日の朝8時頃の筈ですが……?』


「昨日の出発前に天文台で確認されたデータだよな?」


『はい、どうしたんですか?』


 ダンザの意図を汲みかねて首を傾げるリリィであったが、ダンザの機体が指を刺した方向を見て……その発言の意図を察した。


 リリィが望遠レンズで捉えたのは、空から降る夜空に輝くほうき星のような光。それは見紛う事無くドロップである。まだ数時間は余裕があるだろうが、想定時間よりも格段に早く視認出来る状態になっていた。


『嘘……なんでこんなに早くドロップが!?』


「推定落下位置が同じ、目的と別のドロップって事は無い筈だ。嫌な……いや、良い予感がする。燃焼効率を無視して120kmで急ぐぞ」


『了解!』


 2機体とも即座にブーストに火を灯して加速を始める、鬼が出るか蛇が出るか…なんにせよ此処でアレを拾って帰らないと言う選択肢が無い以上は、急ぐのが道理と言う物である。


 砂漠での移動時速は基本的に時速60km前後が良いとされる。それは周囲警戒という面から見た際にある程度安全マージンを残した移動速度だからだ。


 現状その2倍の速度での進行。新人である2人であれば本来避けて通るべきなのだが、それでも2人はその天才的な技量と驚異的な努力を持ってそれらを押し通すだけの実力があった。


「2km先」


『了解』


 その言葉だけで2人の意思疎通が完了する。地面の中に潜んでいる"砂喰い"と呼ばれるミュータントの精確な位置を、既にこの距離からダンザは認識したのだ。


 互いに移動ルートを何度も機体同士でリンクさせつつ、安全かつ精確なルートを2人で割り出して行く。その移動速度と正確性においては既に一流と言っても良いだろう、とはいえあくまでも2人それぞれの知識と経験を総動員して合わせて一流なので一人一人はまだまだ二流と言った所である。


 だが……。


「っ!」


 仮に"一流"であったとしても、容易く死ぬのが荒野の砂漠の日常だ。


『ダンザ!?』


 突如地面から現れた肉の柱がダンザの機体を飲み込んだ。だが、次の瞬間肉の柱は大穴を開けて血肉を撒き散らし、その穴からダンザのポーターが飛び出る。


「問題ない」


 確かに、一流であっても死ぬ事はあるだろう。だが、戦闘という1点においてこの2人は双方共が"超一流"と言って良い。それこそ弾丸が保つ限りはミュータント如きでどうこう出来る腕前では無いのだ。


 事前に奇襲の気配を察知したダンザは、レールガンのチャージを行いながら、その"砂喰い"と呼ばれる超大型のワームのようなミュータントに敢えて食われる事で、ダメージを与えづらい硬い外皮からでは無く内部から大ダメージを与えたのだ。


「アレを撒き餌にして安全に突っ切る」


 その言葉と同時に、砂喰いの内部で燃焼グレネードと遅延信管がセットされたミサイルが炸裂して、悲鳴のような甲高い鳴き声と血肉を撒き散らしのたうち回る巨体。だが、その巨体に見合った生命力は未だその生命を繋いでいる。


 その30を超える丸く黒い瞳とセンサーピット…熱源探知器官がダンザのポーターを捉え、恨みを返さんとばかりにその巨体を再び大地より隆起させた。


 だが、この荒野は弱みを見せた存在に何処までも辛辣だ。先の砂喰いの悲鳴と血の香に誘われて、砂漠の死神が砂の中より現れた。


『ダンザ!』


「加速する!巻き込まれたらひとたまりもないぞ!」


 砂漠の大地から、それが顔を出す。


 象嵌鮫ゾウガンザメ。砂中を泳ぎ、鮫に非常に酷似したフォルムと顔つきから鮫の名を関しているが、実際にはもっと悍ましい生物である。


 血の匂いに敏感であり、怪我をした獲物を見つけると傷口に食いつき獲物と一時的に融合して止血し、その上で全ての体液やエネルギーを根こそぎ奪い衰弱させる。砂漠の荒野に生きる生物にとって、最悪の部類に入るミュータントだ。

 

 融合される側は神経に激痛が走り、されど死ねないという地獄のような状況が続き、さらには獲物が死亡する直前に融合を解除して一片残らず食い尽くす様は砂漠の拷問屋等と揶揄される程だ。


 ちなみにこの象嵌鮫はポーターの出す機械音等を嫌っているのと、あまり小さな獲物は狙わない傾向がある為に、アラクネやアバドンにとってはある意味守護天使とも言える存在である。エンブレムとして人気が高かったり、実際に救われた人は換金出来ないタイプの大物のミュータント等を彼等に与える等といった事を行ったりもしている。


 ……まぁ、空腹にした象嵌鮫の稚魚に人を食わせる拷問なんかも存在している為に、一概に良い印象ばかりでは無いのだが。そういった意味で良くも悪くも人類にとってはワープシーフと並んで数少ない共生できるミュータントと言えるだろう。


 尚、群れで来る上に獲物を襲う時は近くに居る物も見境無しなので、現れても遠くから眺める程度にしておかなければ普通に巻き込まれる。巻き込まれれば機体諸共死にかねないので要注意なのだ。


『うへー……とんでもない光景ですね』


 リリィが振り向きながら、象嵌鮫ゾウガンザメに群がられている砂喰いを見て思わずそうつぶやく。


「ああ、自然の雄大さと生命力を感じる光景だ」


 しみじみとした声でそう呟くダンザになんとも言えない表情を向けるリリィ。


『ダンザの事……時々分からなくなります』


「互いになんでも知ってるよりは良いさ」


『その……私は、なんでも知ってる方が良い……です』


 リリィが照れながらつぶやいた言葉にダンザは嗜虐心を刺激されたのか悪い笑みを浮かべた。


「俺はリリィの事をなんでも知ってるぞ?本人が知らない事でも…例えば足の付け根にある黒子とか」


『えっ!?嘘っ!?』


 見える筈も無いのに自分の股を思わず覗き込むリリィに、ついにダンザが笑いを堪え切れず機体の速度を上げた。


「……クク、嘘だ、リリィに黒子は無い」


『……だーんーざー!!!貴方時々凄いイジワルです!このっ!このっ!!』


 脚部にマウントされているハンドガンを取り出してダンザのポーターに弾丸を放つリリィ。尚、もっとも装甲の分厚い所に上手く当てている為に貫通する事は無い。


「ちょっ、待て!撃つのはダメだろ!?あっ衝撃でシステム一部不具合出た!?」


『えっ、嘘っ!?ごめんなさ……』


「まぁ嘘なんだけどな」


『ダンザ!!貴方のそういう所嫌いじゃないけど好きじゃないです!!!』


 クスクス笑いながら疾走するダンザに、再びハンドガンを発砲するリリィ。ちなみに派手に遊んでいるが、これは後方で"砂喰い"が悲鳴を上げている為に出来る事だ。


 砂喰いはこのあたりの食物連鎖の最上位に立つ存在だ。事実、ダンザが負わせた怪我が無ければ象嵌鮫ゾウガンザメも、文字通り歯が立たない装甲を持ち合わせている。


 その砂喰いが致命傷を受けて悲鳴を上げているという事は、それ以上に強い存在が其処に居ると言う事になり……正常な判断が行えるミュータントであれば大急ぎで逃げ出すだろう。


 それこそダンザ達がはしゃいでいても、無視する程度には異常事態であり危険に敏感という事なのだろう。





 散々はしゃぎながらイチャついて1時間程移動した所、ようやくドロップの投下ポイントに到達した2人。先程とは打って変わって大真面目な顔つきで、その周囲を注意深く探りながらポーターを歩ませている。


「……リリィ」


『はい、恐らく周囲に敵はいません』


 だけど、ポーターに銃を降ろさせるような真似はしない。


「俺が回収する、周囲警戒を」


『了解』


 ダンザがメインウェポンである40mmキャノンをリリィのポーターに手渡すと、ゆっくりとコンテナに近づいてセンサーを使いトラップの類いが無い事を確認する。地雷が仕掛けてあって持ち上げた瞬間にドカン!という事も無くは無いのだ、慎重に行くに越した事は無い。


「トラップ無し、回収する」


 安全を確認した後、コンテナを背にしてポーターの腰を落とすダンザ。するとポーターの装甲の一部が外れ落ち、コンテナにドッキングするとそのままダンザのポーターの背中のウェポンマウントに接続された。


「見たことの無いコンテナの色だな……落下が予定より早かったのも何か関係あるのか?」


『色は錆鉄御納戸色ですね、私の記憶が間違いで無ければこの色が落ちてきた事は無かったと思われます』


 聞き覚えの無い色に思わずダンザが首をかしげた。


「錆鉄…なんて?」


錆鉄御納戸色さびてつおなんどいろですよ?』


「そんな色あるの…?」


『コレがそうなんですってば』


「ええ……?」


 再び首を傾げるダンザ、未だ周囲が薄暗くて光が見え辛いのもあるが…。


「ねずみ色じゃダメなのか?」


『ねずみ色はもっと暗いですよ?』


「……そうなのか」


『そうなんです』


 このまま問答していても詮無き事と思ったのか、とりあえず形だけは納得してポーターを立ち上げるダンザ。彼としてはねずみ色でいいじゃないかと思っているが、実際の所より精確なのはリリィである。


「所で、推進剤の残りは?」


『60kmでの移動ならここから拠点まで後2往復ぐらいできるぐらいの余裕でしょうか?やはりこの機体で長距離任務は向きませんね』


 その言葉に少し考える素振りを見せるダンザ。純粋に直線距離で4日程の距離しか移動出来ないのはアラクネにとって死活問題とも言えるだろう。


「アバドン機は燃費が悪いのは承知してたが…次は少し無理言って防衛隊と機体変えて貰った方が良いかもしれない」


『機体自体は扱いやすくて気に入ってはいるんですけどね、増槽つけてこれじゃちょっと長距離移動には向かないです。いっそ増槽全部蒼の推進剤にしても良いかもしれないですね』


「その当たりもデータを取れて良かったと思おう。さて……帰るまでが仕事だ、残り半分気を抜かずに行くぞ」


『了解』


 そうして……街を目指すダンザとリリィ。






 思い返してみれば、この短な旅こそが…彼等にとって本当の意味での最後の魂の休息だったのかもしれない。


 ――――――――待ち受ける悲劇を、彼等はまだ知る由もない。

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