第13話 約束

「すみません……10ヶ月くらい前にそちらのショールームに入った、三毛のスコティッシュフォールドって、もう売れちゃいましたよね?いたらだいぶ大きくなってると思うんですけど」


 ゴタゴタの中で見に行くことを止めてしまった、あのペットショップの三毛のことをルビはここ最近しょっちゅう思い出すようになっていた。あの首の上に巻き付いた猫の腹の体温、小さな引っかかる爪と、折れそうに柔らかい前足の感覚が今でもしょっちゅう甦ってくるのだった。


 ルビは取り憑かれたように執筆し、数ヶ月前と比べても遥かに進化した作品の出来栄えを実感していた。

 睡眠薬も向精神薬も断ち切り、睡眠時間は格段に減ってしまったが、体調は回復している。自分でもこのエネルギーがどこから湧いてくるのか理解できなかったが、ルビは細胞全体が活性化したように健康になっていった。


「ああ、はいはい!それが売れ残っちゃってまだいるんですよ!(笑)ちょっと性格がキツくなっちゃってね!ハハハッ!」


 電話で対応した店員は、少し呆れるような口調で笑いながらそう言った。


「じゃあ、今から買いに行くので、キープしてもらっていいですか?」


 まるで、生き別れた子供とこれから再開する母親のように、ルビの心は踊った。



 事前に連絡をしているのだから、ルビに「走る理由」は全くなかったが、バタンバタンと音を立てながら部屋を走って身支度を整え、近所迷惑なほど大きな音を立て、ドアを閉めて廊下を走った。


 ルビは、飛び乗ったタクシーの運転手がルームミラーごしにこちらをチラチラ覗いているのに気づいた。

 それが自分がニタニタと笑っていることが原因だとわかり、表情を落ち着かせようと苦心した。

 

 気分が心地よく焦り、そして目にはあの小さな三毛が浮かんでいる。


(もうずいぶん大きくなっているんだろうな)


 また少し笑顔になったことに気づき、背筋を伸ばして座り直した。



   ***


「ああ、やっぱりそうだったんですね!」


 店に飛ぶように入り、電話したことをその辺の店員に伝えると、奥からあのときの新人店員が出てきて大きな声を上げた。


「はい、やっと飼えるようになったんで!」


 ルビも新人店員の勢いに負けず声を張り上げる。



「私の接客第一号だったので、印象に残っているんですよ。あの後も何度かお見えになってましたよね?”彼女”はこちらです……」


 と、ショーケースの一番端にルビを誘導して手で示した。店の一番奥に位置するショーケースは、いわゆる「売れ残り組」の所定の場所である。



 そこには丸々と太り大人になった三毛のスコティッシュフォールドが、ふてぶてしい顔つきで鎮座している。

 体は大きくなったが、間違いなくあの三毛だということがルビにははっきりと分かった。


 三毛は動かずじっとルビを鏡越しに睨んでいる。店員が鍵を突っ込み抵抗する三毛を取り出すと、伸び切った体は驚くほど大きかった。


「凶暴になっちゃって、噛むんですよ。それで売れ残っちゃって……ハハ(笑)」


 指を強く噛まれながら店員がルビの前に三毛を差し出すと、ミャーミャーッ!!と意味ありげな鳴き声を発する。


「あれ?これ多分お客さんのこと覚えてますね?」


 ルビは嬉しくなり三毛を受け取ると、ずっしりと重い。最初に抱いたときと比べるとまるで”別人”である。 三毛はあのときのようにルビの首に向かってよじ上り、そこでさらに大きな鳴き声を発する。


「ミャーッ!ミャーッ!ミャーッ!」


「やっぱり覚えてますよ!お客さんのこと……」


 ルビにはその鳴き声が「なんであの時放って帰ったんだよ!!」という訴えに思えた。


「この子連れて帰ります!!」



 予防接種や追跡チップやその他飼い方の説明や手続きがあり、猫を一匹買うのにこんなにもすることがあるのか?とルビは驚いた。


 エサ入れやハーネス、ケージやキャットタワーも一度に購入し、それは後日配達してもらうことにした。リュック型のキャットバッグを購入し、そこに三毛を入れて店を出たときにはすでに日は落ち、街は夜の顔を見せていた。


 ルビは肩に感じる三毛の重みの分だけ幸福感を感じた。リュックは背面に丸い穴があり、そこが透明になって三毛の顔が見える。まるで宇宙船の中から猫が外を覗いている格好だ。道行く若い女性の注目を浴び「かわいい!」という歓声を上げ、スマホで撮影する者もいた。



 タクシーに乗り込むと、やっとゆっくり三毛を見ることができた。運転手に気を使ってリュックから出さなかった。

目を合わせるとリュックの窓越しに頭を擦り付けてくる仕草に気が狂いそうになる。



――タクシーが到着したのは、あの居酒屋だった。


 引き戸を引いて中に入ると、懐かしいアルコールと肉が焼ける匂いが一気にルビの嗅覚を刺激し、腹がぎゅーっと鳴った。10席ほどのスタンドテーブルはすでに半数ほど客で埋まっていて、その間を縫うようにドスドスとカウンターに向かって歩く。


「すみません!」


 相変わらず大きな背中のマスターに、声を張り上げると、あの強面の顔が健在であることが確認できた。

 店主はぐっと眉に力を入れて、凄むようにこういった。


「おう、まだ1年経ってねえぞ」


 ルビは10ヶ月前のあの日がつい昨日のことのように思え、そして吹き出しそうになった。店主の無愛想なリアクションはまさに彼らしく、そしてその対応を心の何処かで期待していたのだった。


「カツ丼ください!ウーロン茶と!」


 子供が大人を屁理屈で大人をとっちめるように少し意地悪く言うと、店主は仕方なさそうな表情を浮かべて背を向ける。



 ほんとうは久しぶりに一杯やりたいところだった。

 店中に充満する”飲み屋の臭気”は、酒飲みのスイッチを強く刺激した。なんとかうまい言い訳をして酒を注文できないかと思案したが、いい方法を思いつく前に店主がかつ丼を持って奥から店内に出てきてしまった。


 乱暴にテーブルにカツ丼を起き、ルビの顔をじっと見つめる……。


 ルビは検閲を受ける囚人のように店主に顔を向け、そして自信満々な笑みを浮かべる。


店主は不機嫌そうな表情をしているが、納得し何度か頷いた。



(どうやら試験にパスしたようね)


 ルビは笑いを堪えながらそう思った。



 店主は振り返って歩き出そうとしたとき、びくっと何かに気づき、もう一度こちらを振り返った。


「――!」


 ルビは信じられない光景を目にした。


 それはあの店主が別人のように表情をほころばせ、テーブルに置いた三毛をじっと見ていたのである。


「お~~!猫ちゃんか!!」


 これまで見たことも聞いたこともない店主の言葉と表情に、ルビは絶句した……。


(完全なミスマッチだ)


 店主は三毛のいるリュックに近づき、ファスナーを勝手に開けて手を突っ込んだが、三毛は「フーッ!」という威嚇をし臨戦態勢に入る。


「イテッ!!!」


 店主の大きな悲鳴に店中の客が注目した。


「コイツ!凶暴なやつだな~~」


 猫にしてやられた店主を見て、ルビも店中の客も爆笑した。


「オヤジ!猫にやられちまったな!ハハハッ!」


 店中の常連客にからかわれ店主は悔しそうに鼻息を吐いたが、すぐにまた気味の悪い笑顔に戻り、今度は窓越しに三毛にアプローチを試みる。


「そうか、そうか、そんな怒らんでもいいだろう」


 ルビは目の前の信じられない光景におかしさが収まらず、彼女の人生の中でも一番の大きな声を上げた。



「名前なんていうのかな?」


 半ば赤ちゃん言葉で店主が言う。


「ミケです」


 そういえば名前を考えていなかったが、とっさに思いついて店主に伝えた。


「そうか、ミケちゃんは女の子かな?」


「はい」


 店主は何度かミケにアプローチを試みたが、やはり引っかかれるだけだった。店主はそれでも笑顔をたたえ、ルビの方を見ずにこういった。



「気の強い奴だな……お前と一緒だ」


 店主はまたいつもの図太い声色に戻りそう言うと、諦めて奥に行ってしまった。



 ルビはポカンと口を開けた。


 店主が今言った言葉に軽い衝撃を受けたのだった。


 か細く不安定で虚弱体質なルビに対して、店主は「気が強い」と感じていたのだ。あの修羅場をくくり抜けてきたような人間が、自分をそんなふうに思っているとは……。



 居酒屋でカツ丼を食べたのは初めてだったが、とてつもなく美味しい味にルビは感動した。まるで若い肉体労働者のように、ガツガツと一気に丼を空にしてしまった。

 ウーロン茶を飲んだ頃には、酒への欲求も半減していた。長くいると酒への欲求がぶり返す。長いは無用だとルビはミケの入ったリュックを背負った。


 店主に勘定を伝え、レジの方に歩く。


「ドラッグもやめてるようだな……800円だ」


 レジを打ちながら、図太い声で店主が言う。


「はい!」


 まるで店主の子分のような口調で元気に答え、ポーチから本一冊の本を出しその上に千円札を乗せて睨むような表情を作った。



 本は単行本化された『美しいヌーベル』だった。


「これ、あの助けてもらった日の後に書いた作品です」


 店主は本を受け取ると表紙をじっと見つめ、そして千円をルビに返し「今日はおごりだ」と無愛想に言った。


 ルビは無言で深くお辞儀をし、ドアに向かうと、店主もレジから出てきてルビのあとを歩いた。


(そうだった、いつも送ってくれてたんだっけ……)


 ルビは懐かしい地元に帰ったときのような感覚がこみ上げてきた。ルビは、店主が後ろでミケにまたちょっかいをかけていることに気づき、手に口をやって少し笑った。



 店主はいつもの50メートル歩いたところのドラッグストアの前まで来るとピタリと止まる。

 ルビはそれに背中で気づき、振り返って深くお辞儀をした。



 振り返り歩きだすと、しばらくして図太い声がする。


「おい!あと4ヶ月だぞ、禁酒!わかったな!!」


 周囲の人がそのどすの利いた声に驚き、2人を見つめた。

 おそらくみなこの2人が親子だと思ったに違いない。ルビと店主はそんな雰囲気を漂わせていた。



「はい!」


 振り向いたルビは店主に、白い歯を見せて笑顔を送った。





―― 完 ――

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