第5話 学生時代~友人

ルビは体力がないのであまり外出はしない。しても近くのコーヒーショップか、花屋か、電車で2駅行ったところの中央公園かだった。


 ただ、虚弱体質のルビを見て、知人たちは「運動しなさい」と口を揃えたように言うから、ルビはそれが意識に埋め込まれて「歩かなきゃ」と時々思う。

 そこでルビが運動スペースとして選んだのが「ショッピングモール」である。


 太陽の下を長々と歩くと日差しで気分が悪くなるし、汗をかくことが嫌いなルビだったから、夏場の外は地獄なのだ。だから空調が完備されたショッピングモールは、最高のトレーニングジムとなる。


 そこには本屋もあるし大好きな猫が売られているペットショップもある。コーヒーショプはたくさんあり、中には分煙スペースを設けた店もある。

またあまり興味はないが、自立した女としてはみすぼらしい格好はできないので、定期的に服を購入する必要もあり、そのためのブティックは数えきれないほどもある。


 ルビは決して芸術家肌の作家ではなく、一般の女性が好みそうな可愛い雑貨や、男なら顔をしかめるような強い芳香を放つアロマ石鹸などが売られている店も好きだ。ルビは学生時代に流行に「乗り遅れた」だけであり、天才と奇人の中間にいる芸術家のように浮世離れした感覚の持ち主ではなかった。




 ルビには高校生のときに”親友”がいた。

 親友はルビと同じように文学が好きで、おとなしい目立たない女の子「真美」だった。


 2人はいつも教室の死角でひっそりと会話した。ルビと真美は文章を書くのも好きで、2人で「連作小説」を作り遊んでいた。日毎にノートを交換し、前日にどちらかが書いた小説をもう片方が受け継いでストーリーを編み込んでいく。


 そしておとなしい2人はよくいじめられた。

「暗い」ということだけが理由だが、自我が芽生え始める思春期の集団にはよくあることなのかもしれない。 ただ、2人揃っていじめられるので、心に受ける傷はそれほど大きくはなく、いじめそのものを思い悩むことはなかった。



 ところがある日、真美が突然スカートを短くして髪を薄っすらと茶色く染めて登校してきた。だからといって2人はいつもどおり会話をしたが、徐々に真美はメイクをしたり、私服が派手になったりし始め、だんだんと距離を感じるようになった。


 真美は以前までルビとしか話をしなかったが、自分たち2人をいじめていたグループの女の子達と話をしているのを見つけたときには、自分に何か不吉な未来がやってくる前兆のように感じた。

 自分を包んでいる周囲の空気がグニャッと歪んだ気がし、そして教室の匂いが化学物質の発する強い刺激臭のように感じられ、鼻を突いた。


 いつしか連作小説は休止し、ルビは1人でいる時間が長くなっていった。

 



「ねえ、ルビ!明日彩奈たちと一緒に街に新しくできた服屋さんに見に行くんだけど、一緒に行こうよ!」


 しばらく言葉を交わしていなかった真美が突然ルビの前に立ってそういった。


 ルビには目の前にいる真美が、別人のように感じる。

以前真美のことを自分の分身のように感じていたが、今では嫌な臭いをを体中から発散する別の動物のように見えた。


 そこに立っていたのはよく知る真美ではなく、今はじめて出会った人のようにルビを緊張させた。



「彩奈」とはルビと真美をいじめていた首謀者だ。真美は最近そのグループで遊ぶようになっていた。


「うん、ありがと。でも止めとかな」


 ルビは自分が小さく、そして真美が大きく感じられた。


「……なんで?」


悲しそうな声でいう真美の言葉には、どこか絶望の意味合いが含まれているようにルビには思えた。


「……」


 その日からルビは完全なる孤独になった。


 真美が止めているのか、彩奈のグループからいじめられることはなかったが、いじめ以上にルビの心は静かな打撃を受け続けることになる。

 学校にいる間、時間の流れが感じられずミニチュアのジオグラフィーの中にいるようだった。


 学校を休みがちになり、修学旅行ですら参加しなかった。真美は時々ルビに話しかけようとする素振りを見せたが、ルビにそれを受け入れる余裕はなかった。事前に察知して言葉をかけられないように距離を置いた。



――ルビは以前の3倍小説を書くようになり、パソコンを父に買ってもらってからは執筆量はさらに増えることになった。大学は3流レベルだがなんとか合格し、さらに文学の勉強をしようとしたが、そこは知的・創造的なものを排除するような場所だった。高校時代と同じような生活が場所を変えて再現されているだけの抜け殻の時間が続く。


 その頃父と祖母を相次いで亡くすことになるが、そのときすでにルビは身内の死に涙も流せないくらい不感症になっていた。


 ブティックに足を踏み入れると、真美のことを思い出すことがある。そのとき記憶に甦る真美はすでに髪を染めてメイクをしている。

 たんなる好みなのか、それとも高校時代の真美がどんどんきらびやかに変貌していったことがトラウマになっているのか分からないが、明るい色を本能的に避けるのがルビのセンスとして定着した。



 なんだか息苦しくなりブティックを出て、本屋に行く。

 別にどうにもならないのだが、とりあえず自分の契約している出版社のコーナーで自分の作品を手に取ってみるのがいつもの習慣だ。


 ルビはインターネットも多様するが、本屋には特別な思いがあった。高校時代、孤独のルビを助けてくれたのも近所の本屋だった。



 ルビは真美のことを思い出すとき、いつも心に天秤ばかりを持ち出す。


(あのとき真美の誘いを受け入れていれば、私は小説家にはなっていない……)


(小説家になっていなければ、私もオシャレな服を着て彼氏ができて……)


 と、真美の誘いを選んだときの自分を想像してみるのだった。



 その「もし」の先にある空想の未来の重さを左手に感じ、右手で棚から抜き出した本を手に乗せて比べてみるのだった。

本は1冊で十分な日もあったし、3冊全部を持っても足りない日もあった。


 写真集、アートブック、雑誌、小説のコーナーを渡り歩いて何も買わずに本屋を出る。ルビは少し疲れていたので、タバコの分煙スペースがあるコーヒーショップに行くために、エスカレーターに乗り1階に降りる。



――1回のコーヒーショップに行き着くまでにいつも立ち寄るペットショップがある。人気のある店なので、店頭のガラスケースの前には人だかりができている。手前には柴犬やらトイプードルやら、パグなどの子犬がいて、それを覗き込む客たちの顔はどれも柔らかだ。


 犬もかわいいが、ルビは猫好きだった。

 部屋に置く小さな小物や文具なども猫のデザインのものが多かった。

ただ、ルビはペットを責任持って飼い続ける自身がなく、せっかくペットOKのマンションを契約したのに、今だに飼っていなかった。猫に対する願望は、ユーチューブにアップされている猫たちの人気動画を見ることでさらに強いものとなっていた。



 そのペットショップは店員に営業ノルマでもあるのか、よく客に話しかけてくる。


「好きな子いたら言ってくださいね。抱っこできますので」


 お決まりの文句を5~6人いる店員のすべてが口にした。

 ルビは何度も声をかけられているが、「抱いたら終わり」と自覚していた。


ルビは眠るときに抱きまくらを使うがその枕も猫のデザインだ。


(せっかく抱きまくらで願望を誤魔化しているのに、本物を抱いてしまったら確実に衝動買いするに決まっている……)


 だからこれまで店員に何度も勧められたが、やんわりと交わし続けてきたのだった。



ただその日は違った。


 ルビに話しかけてきたのは、いかにも新人の若い女性店員で、首から吊るした従業員カードには「研修中」と書いてあった。細く小さな新人店員は、おどおどしながらルビに近づき「こ、この子、か、可愛いですよね……」と詰まりながらセリフを言った。


 新人店員は無理やり引きつった笑顔を作っていたが、目には不安と焦りと恥ずかしさが混在した光が見える。

危うい生命感を放つ彼女に、ルビは学生時代の自分が心霊写真のようにダブって見えた。


「私にちょっと懐いてるみたいで……」


 三毛の模様のスコティッシュフォールドは、極端にまん丸い顔をしている。思わず顔がほころんだルビの表情を読み取り、新人店員はすかさず持っていた鍵をショーケースに突っ込んだ。

 仕事のできる店員ならば、必ず「抱っこしてみますか?」と断りを入れるとろだが、新人店員は余裕がなくそれを端折ってしまったらしい。


「抱っこしてみますか?」→→→「いえ、また今度にします」


 これがルビの断りの常套句だったのだが、もう三毛猫は店員に抱えられ、ルビの胸まで差し出されていた。店員は客の手をアルコール消毒することまで忘れてしまっている。



 ルビはほとんど反射神経的に腕を広げ、三毛猫を抱いてしまった。

 不安定で頼りなく、生暖かくて心臓の鼓動だけがする小さな三毛猫は、ルビの顔を見上げて「みゃーみゃー」と何かを訴えてきている。


 あまりの不安定さにルビは腰を落とし、”落っことす”という最悪の事態に備える。

店員も並んで座り「あれ?この子私にしか懐かないんですけどね?」と、営業トークなのか本音なのか分からない言葉を発する。


(そんなこと言わないで……私ヤバイ……!)


 ルビの心はグラグラと揺れ始めている。


 三毛猫はルビのニットのセーターに爪をかけ、どんどんと頭の方に登り始め、ついに後頭部の首元に落ち着いてしまった。

首から伝わる三毛猫の温もりと小さな震え、みゃーみゃーと鳴くか細い声とチクチクする爪の感触は、ルビの脳中枢に即座にインプットされた。


「首が好きなんですよね、この子」


 という新人店員の言葉を聞いて、二人で笑った。


 ルビの思考回路は猫を買ってしまったときのトイレや餌入れや、部屋の掃除や、支払いのカードや、餌やキャットタワーや……デジタル的なハイスピードであらゆるパターンをはじき出している。


 「買うかorやめるか」は、もうルビ自身にも決められない状態にまで陥っていた。



 ふと、首の猫の体重が軽くなり、猫が墜落しそうになり驚いたが、店員が手を添えて助けていた。

 店員はもう一度ルビに三毛猫を差し出そうとしたが、その一瞬でルビは心を決め、猫を押し返す素振りをした。


新人店員はニコニコしながら「そうですか、じゃ、いつでも会いに来てくださいね」と、いくぶんさっきより緊張の和らいだ口調で言った。


「ごめんなさい……」


と言い残すと、ルビは小走りに店を出ていった。

 そのままルビはコーヒーを飲むのも忘れて駅に向かって小走りに急いだ。


帰宅途中、ルビは2分おきに三毛猫を思い出し、部屋にたどり着くとベッドに飛び込んで抱きまくらに愛撫しながらスヤスヤと眠り込んでしまった。

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