【2号車】煩悩の子(その2)~「零落者への道」

【3】

 この10年間、人生の重要な岐路に立った時は、努力と根性で何とか要望を叶えてきた。――そんなもやし君ではあったが、彼は恋愛については、悲しくなるくらいに恵まれなかった。近付きたいと思う女性に奇跡的に上手く近付けたとしても、結局は長続きしなかった。そして、彼の日常は、概して孤独なものだった。


 社会人になってから、関西の都会で一人暮らしを始めて、そろそろ5年目に入った頃のことだった。彼は、単身生活での寂しさを紛らわすために夜の歓楽街で女遊びをすることを覚えて、やがて放蕩の味を知るようになった。人生のどこかで一旦この味を覚えてしまうと、さらに言えば、意志の力が弱っているような人間が一旦そのような状態に陥ってしまうと、これはもう、やめようにもやめられない。

 いわゆる「やめたくてもやめられない脳」による負のスパイラルに一旦陥ってしまうと、それは容易に抜け出すことのままならない悪循環となって、やがては無間地獄むけんじごくへと落ちてしまうのである。症状自体については薬物依存症の患者とほぼ同様なことが起きているものと言える。この「人生のアリジゴク」の具体的な事例については、被験者たちの間には複数の類型が存在するとはいえ、このような状況に陥ってしまうこと自体については、「人間の弱さや愚かさ」といったものの典型であると言えるだろう。


 ところで、あの真面目で努力家な好青年だったはずの彼は、今やすっかり嗜癖しへきに取り憑かれた身となってしまい、それによって生活費に占める遊興費の割合が著しく増大した。それは程なくして、彼の給料の枠内では収まらなくなってしまい、ついにはサラ金で借金することも覚えた。いい所に勤めているので、金融業者も沢山貸してくれる。彼が寂しさや空虚感に囚われの身となっている限り、バカは治らない。借金は拡大再生産の一途をたどっていった。やがて彼は多重債務者となった。そうして生活はだんだんと荒んでいった。それと同時に彼の精神も病んでいった。そうやって灰色の孤独は、暗黒の頽廃デカダンへと深刻化していった。


 寂しさを通り越して、激しい虚しさが彼にたびたび襲いかかって来る。一人きりのワンルームの部屋の中で、彼はそのような感情にすっかり支配されてしまい、そして薬物中毒患者のごとく禁断症状でも起きたかのように苦しみもがいたあげく、ついには耐え切れなくなって部屋を飛び出してしまう。そうして、また夜の歓楽街をひとり徘徊するのだった。――陽気にして悲惨な日々。――それは、悪夢のようだった。


 「キスは英語でkissと書きます。では、kssは何でしょう? 

       これもキスです。しかし、これはi(アイ)のないキスです。」


 中学生の時のある日のことだった。英語の先生が授業中にこのようなジョークを飛ばしていたのだが、クラスの生徒たちはまだ童貞と処女がほとんどで、その意味内容を理解できるほどの人生経験は積んでいなくて、それで、その先生のジョークは結局スベってしまったのだった。

 しかし、今やあのしょうもないジョークは、もやし君にとっては、彼の空虚で殺伐とした現実を象徴しているかのようなリアリティーを以って感じられた。

 

 「果たして自分は、孤独になるために、これまで努力してきたのだろうか?

     自分がこれまで耐え忍んできた努力は一体、何のためだったのだろう?」


 今やまったく「ダメ人間」と化してしまった、もやし君。職場の上司や先輩の中には、そんな彼を救い出そうと手を貸してくれる親切な人たちもいた。両親や友人たちは彼に慰めと励ましを与えようと力になってくれた。それにもかかわらず、もやし君のポンコツの状態が度を越して予想以上に酷かったためか、結局、どれもうまくいかなかった。彼がこれまでやってきた努力に相当する分だけ、彼は愚か者になった。


 もやし君は、いつしか神経症を患うようになって精神科のクリニックのお世話になっていた。うつ病とは予想以上の長期戦となり、数年たっても病状回復の目途は一向に立たなかった。一方、仕事の方では病休・休職を繰り返すようになって、その間に職場には大変に迷惑をかけてしまった。

 当然のことではあるが、このことは彼が自ら望んでそうなったわけではなかった。しかし、この時の彼は、すっかり人生に倦み疲れてしまって、彼に与えられた状況を覆せるほどの力はもはや彼には無く、ほとんど心神耗弱しんしんこうじゃくと呼んでもいいくらいの状態にまで心身ともに疲弊しきっていたので、彼は、もはやこの状況を甘受するより仕方がないと思った。

 結局、彼は10年ほど勤めていたその会社を退職した。


 * * * * * * * * * * * * * * * * * * 


 さて、ここで話が多少前後することになって恐縮ではあるが、これから語っていくことは、もやし君が精神的に病み始めてから病休・休職の期間を経て退職するまでの数年間のことについてである。


 この間、激しい虚しさの感情は、かつてないほどに彼を慢性的に苦しめた。

「こんな思いをして生きているくらいなら、死んでしまった方が、いっそ楽になれるかもしれない。」

 度々こんなことを真剣になって考えてみたが、しかしこれは彼の本心からの声ではなかっただろう。

「この虚しさをどうにかしたい!」――この思いが彼にとっていよいよ本当に切実なものとなった時、何もなす術もないままこの虚しさから逃げ出してしまえば、きっと無念の情だけが残るだろう。「だったら、せめてこいつの正体だけでも、はっきりとさせてやりたい!」――彼はそのようなことを考えだした。


 精神的にすっかり病んでしまって、ポンコツダメ人間の半ば廃人となりかけてしまった彼であったが、これも「窮鼠きゅうそ猫を嚙む」くらいのレベルにまで達すると、意外と負けず嫌いなところがあったのだろうか?――しかしその時、彼の魂は痛ましいほどの叫び声を上げていたことだろう。そして、それは同時に「存在の根源」とでも呼び得るような名状しがたい神秘的な何者かによって、彼の内面の奥のさらに底の方から、彼を「深きいのちの目覚め」へと導いている声ではなかったか?――これはずっと後になってから彼が考えたことではあるが、彼にはそのように思えてならないのだった。


 * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 1990年代も終わり頃のことだった。デスクトップ型パソコンのiMacが爆発的に売れて、これを機にしてかどうなのかは定かではないが、それ以来、インターネットが一般家庭にも普及するようになった。

 2000年の早春、ある冬の日、日曜日の深夜のことだった。よみうりテレビでは、毎週この時間帯に、1時間枠のドキュメンタリー番組をやっていた。もやし君は時々この番組を視聴していた。


 その日の番組の内容はこういうものだった。――東京で、とある若い女性が青酸カリを服用して自殺した。その後、その青酸カリをネットを通じて密売していたという札幌市在住の青年が後を追うようにして自殺した。番組は、主にこの青年の経緯について特集しながら、それとともに、インターネットのチャットを通じて、人生の困難に苦悩している人たちがお互いに相談し合い、精神的に支え合っているような事例を紹介していた。

 番組によれば、青酸カリを密売していた青年は、ネットで知り合いとなった顧客に対して、絶えず次のようなメッセージを発していたのだという――「これがあれば、いつでも死ぬことができるのだから、これをお守り代わりにして生きてください。」


 このドキュメンタリー番組が取り上げていた主な話題は、悲しい出来事であった。しかし、この番組が語っている内容は、これから本格的に到来することとなるネット社会における、肯定的な意味での可能性を示唆するものであった。――もやし君は、ここに何か彼自身を救い出す手掛かりを見つけたような気がした。


 この番組を視聴してから数週間が経った後、彼は思い切ってタンジェリンカラーのiMacを購入した。それからネット環境を自宅に導入した。この当時における最新のネット環境はISDNだった。NTT西日本では「天才バカボン」のキャラを起用して「ISDNはじめちゃん」キャンペーンを実施しているところだった。

 もやし君は、NTT西日本のとある支店でターミナルアダプタを購入し、プロバイダ会社はSo-netと契約した。それらの手続きを経た後、パソコンをネットに繋いだ。


 彼が生まれて初めて、パソコンの「ネット環境」というものに触れて、そこで第一発目に検索したキーワードは――「孤独」。


 もやし君がいくつかのサイトを覗いて、いわゆる「ネットサーフィン」なるものをやっている間に気付いたことなのだが、「孤独」という事象については、ある一つの傾向があるように思った。――「これはどうも、哲学や宗教に関わる問題らしい。」


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 この発見(?)からさらに数日が経ったある日のこと、彼は、市の中心街に立地する大きな書店の哲学書のコーナーに訪れていた。 

 もやし君は、子供の頃から本屋には割合に足繁く通うタイプの人種ではあったが、哲学書のコーナーに立ち寄るのは、これが生れて初めてのことだった。

 

 未来に素朴な憧れを抱く夢見がちだった少年は、やがて未来を手に入れようと行動を起こす青年となったのだが、その過程において、いつの間にか彼は、自らを「プラグマティスト」だと標榜して憚らない、バリバリの現実主義者となっていた。

 そのような彼にとっては、「哲学は役に立たないもの」であり、「宗教はアブないもの」としか映らなかった。しかし彼は今や、現代社会の都会の片隅に埋もれては、ひとり逼塞ひっそくの生活を送ることを余儀なくされてしまったロビンソン・クルーソー。

 もしかして、これは神の計画だったのだろうか!? 彼はこの時になって初めて、聖書にある次の言葉について、その意味を本当に知るべき時がやって来たのだった。――「人はパンのみにて生きるにあらず。」 


 平積みに陳列されていた、ある書物のタイトルが、彼の目に留まった。

――『〈生きる意味〉を求めて』

 もやし君は、直観した。

――「自分が今ここで陥っている状態、すなわち孤独の問題というのは、それはつまるところ、”生きる意味”に関わる問題なのかもしれない。」

 彼はその本を手に取ると、パラパラとページをめくって、どのようなことが書かれてあるのか、少しだけ内容に目を通してみた。


 ……また、ニューヨーク行動療法センターの所長、レナード・ベイチェリスの次のような趣旨の言葉が引用されている。彼によると、このセンターで治療を受けている人たちの多くは、いい仕事に就き、社会的にも成功している人たちでありながら、自殺したいという。その理由は、彼らが人生のむなしさに苦しんでいること、つまり社会的に成功してはいるが、みずからの人生に意味を見出すことに成功していないことにあるというのである。

                (中略)

 こうしたことのすべてを、私は以前教えた一人の学生が送ってくれたレポートを通して確信した。そのレポートによると、あるアメリカの大学で自殺を試みた60人の学生のうち85%が、自殺を試みた理由として挙げていたのは、「人生が無意味に思えたから」であった。しかし、はるかに重要なことは、明らかに人生の無意味感に苦しんでいるこの学生たちの93%が、「社会的には積極的に活動し、学習面でもかなりの成績をとり、そして家族との関係においてもうまくやっている」学生たちだったことである。

                (中略)

 最後になったけれども決して軽んずべきでないものとして、社会因性(sociogenic)の神経症もまた存在するという事実を銘記しておかなければならない。

                (中略)

 この名称は、特に今日の大衆神経症、いわゆる現代をおおう無意味感、むなしさの感情にぴったり当てはまる。患者たちは、もはやアドラーやフロイトの時代のような劣等感や性的な悩みを語りはしない。患者たちが今私たち精神科医のもとへ訪れる理由は、むしろ、むなしさの感情をなんとかしたいということなのである。

 つまり今日精神科のクリニックに人々が殺到するその問題とは、実存的な欲求不満の問題、1955年から使っている私の言葉で言えば「実存的空虚(existential vacuum)」にある。

           V.E.フランクル 監訳:諸富祥彦 訳:上嶋洋一・松岡世利子

                  『〈生きる意味〉を求めて』(春秋社)


 そこには、もやし君のことが――これまでの彼によっては、あるいは彼の身近な人たちにからよっては、決して知り得ることがなかった視点から――書かれてあった。

 また、彼に身に付いた嗜癖に対して、これまでモルヒネを投与してやるような行為でごまかす以外には特になす術もなく、ひたすら「虚しい、虚しい」と苦しみ喘いでいたあの状況についても、「実存的空虚」という名称が与えられていて、対象化・概念化されていた。これまで姿を現わさなかった敵の姿が見えたような気がした。

 この時、もやし君は、暗夜行路の途上にありながら微かに曙光の兆しを見たような気持ちになった。――嗚呼、「悦ばしき知識」が彼を呼んでいる!?

 

 3月も下旬のある日曜日のことだった。時刻は午後7時を回っていた。彼が立っている哲学書のコーナーは人影もまばらで静かだった。これまで世俗の価値観を自明のものとして見てきた彼であったが、しかし今やここに来て、彼の人生にとって革命的となるような出来事が、静かではあるが確実に起こっていた。

 この期に及んで、彼は求めずして、不本意にも人生の新たなステージに立たされる羽目になってしまったのかもしれない。


 この頃、もやし君はすでに30歳になっていた。今ここに、彼の「没落の旅」が始まった。彼はおそらく、ここで「覚醒」の原点に立っていたのではなかったか!?――新しい夜明けの地平を目指して、力なくではあったが、とにかく彼は無明の闇を抜け出すべく、ひとり未知の小径こみちを歩き始めたのだった。

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