3-14.

 カップ一つ選ぶのに何時間もお店を順繰りに覗いていってついでにカップじゃないものも買ったりして二人でへとへとになって帰路についた。


 ムーウはこうやって歩きまわって買いものをするという経験が多くなかったため非常に新鮮に感じていた。実家ではいつも使用人がなんでも買い揃えておいてくれたし勉強を優先しがちで友だちと出掛けなかった。


 先ほどシャノンと色違いのお揃いで買ったアンティーク調のボールペンを、落とさぬようしっかりクリップ部分で固定して手帳へ挟む。学園都市の雑踏は講義を終えた学生たちでにぎわっていて、そのなかではぐれないよう繋いだ手が冷たく陶器人形みたいだから、またムーウは気持ちがひやっとした。シャノンはペンを矯めつ眇めつ目の前にかざして嬉しそうに何度も溜め息をする。


 彼女の歩調にあわせて艶やかなストレートロングの黒髪や、クラシカルで女の子らしいオールドローズのワンピースや、裾にあしらわれたフリル、天然石とか貴金属とかで巧緻な細工のほどこされたアクセサリーなどがいっせいに動いて、しゃららんとささやかに鳴った。


 ペン字、とボールペンを握ったままシャノンが言った。あたしペン字が好きなんだ。知っていたのでムーウは頷いた。日の長くなってきた五月下旬の十九時に、二人で暮れなずむ夜の始まりを歩いている。


 こういうことのために生きているわけじゃないけど生きているからにはこういうことをしたいなとおもえるような十九時だった。


 アナログアンブレラの、とムーウが続ける。アナログアンブレラに置かれた紙のメニューはあなたが書いたんですよね。天井から低い位置にぶらさげられた照明の暖色を、そうっと押し広げたような色あいのメニューがおもいだされる。傘立てにあった貼り紙もそうだ。文字にあわせて紙に浅い溝ができていた。


 物理的に立体感があるということがアンティークの一つの特徴といえた。


 二人が買ったのは三色ボールペンだった。なんとペン先が一色に一つずつ、つまり三つもついていて、ノックパーツも黒、赤、青と三つある。ペン先一つで無数の色を設定できる現代のペンとは違うから、もの珍しくて二人して気に入ってしまった。


 今度マスターにも見せようとシャノンが楽しそうにはしゃいだ。古びた傘とか紙の本とかを好む変わり者ばかり集まってくる珈琲店だから、きっとみんな面白がるだろうと言う。そうやって躊躇なく未来の約束をしようとするところがムーウには羨ましく感じられた。


「ムーウ、楽しかったね! 同年代の人って学園にあんまりいないからこうやって遊べるの嬉しい。あたしと友だちになってくれてありがとうね」


 シャノンは言うなり返事も待たず〈瞬間移動〉していった。あまりに急いでいなくなってしまったのでムーウはちょっと呆れて見送った。耳まで真っ赤だった。実は照れ屋さんなのかもしれない。


 よく考えたら、ムーウはまだシャノンのことをあまり知らないのだ。


 歩き疲れていたからそのまま自室へ帰ることにした。


 校門を越えたあとムーウは首にかかった寮の鍵に左手で触れる。雫型をした大粒のブルートパーズが、複雑にカットされた断面から澄んだひかりをこちらへ投げかける。握ったまま右手の人差し指に魔力を集中させて簡単な魔法陣を書いた。それが寮への帰り方だった。


 目の前に無個性的な白い扉が現れる。ドアノブに手をかけようとしたところにユアンの姿が見えた。実は彼が今日一日中ずっとムーウから距離を置いてついてきていたのだと知っていた。


 昨日をおもいだす。散々泣き叫んでしまって、申し訳なさと情けなさと感謝の感情が混ざってわけが分からなくなる。おもいだすと気まずい。機械を相手に気まずいのは変だろうか。


『――お嬢さま。すべて俺が受けとめます』


 ……いや、やはりどう考えても今この使用人兼護衛人と二人きりで寮に何時間も閉じこもるのはムーウとしては避けたかった。ふとおもいついて小脇にかかえていた古い料理本をユアンに押しつけてみた。機械は抜群の反射神経でしっかり本を受けとめるとムーウが開いたページを丁寧に押さえた。


「あの、ね、このゼリーを作ってみたいの。ゼラチンとかゴムべらとか買い揃えてきてほしい」


「しかし。私はお嬢さまの護衛をさせていただかなければなりません」


「お願い」


 横に出現したまま放っておかれている白い無地の扉を指し示した。


「もう帰るだけだし、ちゃんとおとなしくしてる。明日ゼリーを作ってみたいの」


「しかし私は」


 機械の癖に頑固だ。呆れる。身長差がありすぎてユアンの顔を見あげなければならないことも癪だ。軽く上目づかいで睨みながらムーウは言い放った。


「ゼリーの材料を買ってきてくれたら、昨日あなたの言葉づかいが乱れて一人称とか変わってたことを不問にします」


 その瞬間ユアンの視線が逸れた。


「慌てると『俺』って言い始める設定があったなんて知らなかったな。設定ぜんぶほじくりまわされたい?」


 ヒトロイドグループの機械人類には性格が埋めこまれている。何層も組みこんであるので表面上のつきあいだけでは奥の設定は見えない。持ち主が自由にカスタマイズできる仕様ではあったが、変更されることをあまり好まない頑固者の機械人類も人気商品のうちの一つだ。


 ユアンを見つめる。魔法珈琲を美味しく淹れられること以外ムーウは彼に興味を持たなかった。十年以上一緒にいるのに、彼の記憶を幾度も消して二人の関係を断とうとするばかりで、彼を知ろうとは考えたことがなかった。


 ふむ、人間らしさとは精神の不服従のことであるとおもった。


 彼は渋々といったていで料理本のゼリーのページを読むと本は閉じてムーウに返却した。

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