2-08.

「やっと来たか……」


 教官は世にもつまらなそうな表情でつまみあげていたページを離し、今店にやってきたばかりの制服姿の男子学生のテーブル席に大股で歩いていった。


 ムーウはおもいだした。一昨日初めてこの珈琲店に入ったときも奥にいた二人組だ。


 男子学生はよく見ると瓜二つの顔をしていた。あっ、双子だ、とすぐにおもった。同じ茶色の髪が同じように耳上を刈りあげたツーブロックのショートヘアになっている。片方はだぼっとしたパーカーを着こんでいてもう一方は半袖だった。


 おい双子、と教官の呼びかけに対しパーカーのほうが「お客さま、またも我々に依頼かな?」横柄な態度でそれに応じるので、よりにもよってクォルフォア教官におおきな態度をとるとは、いったいどんな学生なんだろうとつい気になって成り行きを見守った。


「その通りだ。依頼をしたい。この新入生のグリクトだ」


「えっと――ちょっと待ってください教官」


 おもわず声をあげていた。


 ムーウはもう庶務課へ装置の手続きをしに行くつもりがなかった。それに今さらこんなかたちでグリクトを手にしたいともおもっていなかった。一日中殺風景な応接室で父親を待っていた日のことが脳裏をかすめる。


 構わず教官は双子と話を進めていく。いつ作業を始められるか。受け渡しや支払いはどうするか。


 ムーウは言いさしたまま黙りこくって会話を聞いていた。


 双子の半袖のほうがムーウにちらっと視線を向けて、隣のパーカーを引っ張った。


「ヤズー、それからクォルフォア先生、本人の意見を聞くべきじゃないか」


「必要無い」


 にべもない教官に続いて、


「やれやれ。トーガはせっかくの商談を壊す気かい? ぼくは儲かればなんでもいいけどね」


 若干芝居がかった口調で片割れも答えた。ムーウにはなんだか状況が分からなくなってきた。


「あの、教官に装置の手続きをしていただかなくとも自分で庶務課へ行きますから」


「――いや」


 教官が落ち着いた様子でこちらに振り向りむきもせず言う。


「私がおもうに、貴方は、グリクトを発行しようとは考えていない。終えるつもりだからだ」


 店内にフルートのヴィブラートがしみこむようにゆき渡る。静かだった店内にはいつのまにかマスターのお気に入りのCDが流れていて、トランペット、サックス、トロンボーン、クラリネット、フルート、ピアノなどが即興の音楽を奏でている。


 エプロンをつけ髪を結んだシャノンがカウンター内で再び本日の自分のファッションについてああだこうだと騒いでいるのをマスターが乱暴だがあたたかい言葉で相槌を打ってあげていた。


 水の音がした。珈琲を淹れる準備をしているようでカップやミルクピッチャー、タンパーなどをカウンターへ置いている。手伝おうとしたシャノンをとめてそのままカウンター内の椅子に座らせ、電動ミルに豆をざっと流しこむ。エスプレッソマシンに電源を入れる。


 サックスの悲鳴みたいな高音とそこに混ざりこむかすかな雨音。


 ――終えるつもりだからだ。


 感情の見えない声で平然と教官が断言したのを、ムーウはどこか遠くの世界で起きている台風のようだとおもった。


「……教官はそういうことに口出しをしないタイプのかたかとおもっていました。とめようとしたりなさるんですね。なんだか、わたしがおもっていたより普通のかたです」


「そうだな。教員にあるまじきことかもしれんが今日まではとめる気が無かった。何故ならこういうことは本人が決めるものであり外野がとめても無駄だからだ。しかし、」


 豆を挽く音が響いてくる。ガガガガと小気味よいリズミカルな機械音だ。おもいだす。


 ミルから手のなかに伝わってきたここちよい振動と、豆の深い香ばしさと、お湯が沈みこんでふっくらと盛りあがった珈琲粉と、ほどよくコクのあるすっきりとした味わいと、五感を刺激するコリコリという音と。


 美味しい珈琲を淹れさせてもらって、飲んだ、ほっとしたしこんな時間もいいなとおもったけれど、でもそんなことくらいでは生きようとなんておもえない。


 教官、小説みたいにはいかないのです。


「言っておくが、先に口を出してきたのは貴方だ」


「口を出した――あの、名乗りのことですか。わたしは後悔してません。名を名乗るのはばかのすることです。教官が悪いです。大勢にあのようにフルネームを言ってしまって……ああもう、殺されたいのですか」


「私が自分自身をどう扱おうが貴方には関係無いが、他人に怒るということは同様に他人から叱責されたいという感情表現でもある。ので今回は口を出すことにした。あとのことは知らん。おい、双子、グリクトは最短でいつできる」


「やれやれせっかちな客だ。そうだね、お客さん、急げば一週間で作れるよ。ただしその分料金上乗せするけどね。いいわけ?」


「ああ。――では八十二番、罰則を言い渡す。一週間後必ずこの珈琲店で双子からグリクトを受け取ること。私がする『口出し』は以上だ」


 言い切って教官は踵を返した。かつっ、かつっ、かつっ、杖を響かせながら樫のドア横に設置されたスチールの傘立てから黒い傘を一本引き抜き「借りる」低く言ってドアを開け放つ。


 激しく地面を打つ雨音が店内に飽和した。


「おう、クォル、またな」


「グレインせんせ明日までに紅茶買っておくからね!」


 教官が溜め息をついてカウンターを見やる。


「二十九番、今日は出掛けるな」


「でもグレインせんせ」


「出掛けるな」


「うー」


 最後にムーウを一瞥し、


「では、さよならだ」


 無感動に言い置いて教官はドアを閉めた。

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