妖精はもういない
ガイシユウ
園部沙耶が死んでから
『沙耶』の居ない高校の二年三組の教室は、ひどく平穏だった。
まるで、彼女がいたことによって発生していた歪みが取れて、穏やかな教室に戻ったようだ。
昼休み。ボクは図書室でテスト勉強をしている気の早い女子の隣に座って、今朝郵便受けに入っていた手紙を弄んでいた。誰かからのラブレターでないことは確認していた。
『やぁ初めまして。
いや、久しぶり、かな? あぁ、違う、やっぱり初めましてだ。
この度は、園部沙耶ちゃんの不幸、お悔やみ申し上げるよ。
キミにとっては、とても親しい仲だったからね。ずいぶんとショックを受けただろう。それとも、そうではないのかい?
キミも分かっているだろうが、自殺理由だけが空白だ。それも当然なんだよ。
なにせ、彼女は殺されたんだから』
暇をもてあました人間の悪戯の産物だろうか。ボクと沙耶が親しいのは校内でも、よく知られていたことだ。
そのことを快く思わないものの仕業だろうか。
いや、それにしては随分と、内容が妙だ。
彼女は殺された? 何故、そんなことを書く?
◆◆◆
ホームルームも終わり、帰宅しようと思ったとき、甲高い声に呼び止められた。クラスメイトの朝霧陽夜、沙耶の親友だ。
「沙耶に貸してた本を返してもらいに行くの。一緒に行かない?」
「何でボクが………」
「いやまぁ、何となく一人では行きにくいし……」
それに、と陽夜は付け加える。
「あのねアタシ、思うんだけど、あの子が自殺するなんて、ありえないと思わない?」
園部沙耶の自殺は、マンションの屋上からの飛び降りという典型的な方法だ。
しかし、自殺において最も重要な動機だけが、全くの謎なのだ。なにが彼女を自殺へと追いやったのか。
その部分だけが、ぽっかりと空白のまま、謎めいていた。
まぁ、ボクらがあまり彼女のことを、知らないだけかもしれないだけかもしれないけれど。
◆◆◆
放課後、オレンジ色の世界を陽夜と一緒に歩いて、沙耶の家に向かった。
彼女の家は、ワンルームマンションの十二階。玄関でベルを鳴らすと、中から作業着を着たお兄さんが顔を出した。
「どちらさまですか?」
「え、と。沙耶の友達なんですけど―――。あなたは?」
「あぁ。あの子の友達ね。オレは、遺品整理業者の人間だよ。親族さんから、依頼があってね。遺品整理をしてるんだけど。とりあえず上がってよ。オレの家じゃないけど」
ふと何かの鳴き声を聞いた。
鈴の音とともに、白く小さく、フワフワした猫が現れる。
「シャリア?」
確か、一年前に沙耶が親戚から貰ったと話していたのを思い出した。話を聞いたのはずいぶん前だが、シャリアと対面するのは初めてだった。
「沙耶って、猫飼ってたのね」
彼女の主人は、もうこの世にはいない。彼女はそのことを知っているだろうか。陽夜はシャリアの背をなでた。しかし、短い鳴き声を発して、彼女はボクのほうに走ってきた。
「―――なんでよ」明らかに不満そうな表情を、陽夜はボクに向ける。
ボクがシャリアのノドをシゴシゴ指でなでると、ずいぶん満足そうに彼女は目を細めた。そればかりか、小さな舌を出して、ボクの指先を舐め始めた。シャリアと会うのは今日が初めてだというのに、彼女はボクとは旧知の間柄のように甘えてくる。
不意に指先に違和感が走った。ノドの側面に、毛ではない感触があったからだ。それに触れてみると、妙になめらかで湿っていた。
違和感の正体は花びらだった。
紫のようなピンクのような色をしたソレが、シャリアの首の側面についている。
ずいぶんと小さい。どこかで見た気がするが、思い出せない。
「それ、河川敷のやつじゃない?」陽夜の声が耳に届く。
「河川敷?」
ボクの家の近くの河川敷に、確かこんな花が咲いていた『ような』気がする。
あまり近寄らないのでよくは覚えていない。通学路にしても、買い物に出かけるにしても、あの河川敷は通らないからだ。それは沙耶も同じだ。
でも、どうしてそんなものがシャリアの首についているのだろう。彼女が河川敷を通る用事があったのだろうか。
というか、シャリアをつれてあそこに向かう用事とは一体、どんな用事なのだろうか。それに、一軒家ならまだしも、ここはマンションの十二階だ。シャリアだけで、一階に降りて河川敷に向かうことは、不可能だろう。
「なんで、そんなものがシャリアの首に? もしかして、沙耶が河川敷に連れて行った?」
「それはないわよ。だって、あの子、基本的には家の中でじっと読書してるから。シャリアを貰ったのも、部屋の中でヒマしないためって、本人前に言ってたし」
じゃあ、この花びらは何だ、とボクは指先を見つめた。
すると突然、ボクの足元をシャリアが走りぬけてクローゼットの奥の暗闇に紛れ込んだ。彼女を探そうとして、その片隅で黄色くなった紙袋を見つけた。
開封すると紙袋の中には、ジャポニカ学習帳、というなんとも懐かしいフレーズのノートが十二冊。
「それ、読みたいんなら持って帰っても良いよ。どうせ、処分するんだし」
お兄さんのその言葉は暗にここで読むな、と語っていた。
そろそろ潮時か、とボクらが立ち去ろうとすると、シャリアが声を上げる。
『ワタシを無視しないで!』
と言わんばかりに、ボクらの足元に駆け寄って見上げる。
「その子もさぁ、このままだと保健所行きだから、出来れば引き取って欲しいんだけど」
お兄さんは、ボクに懐いているシャリアを見て言った。
◆◆◆
結局、黄ばんだ紙袋とシャリアを連れて、陽夜と一緒にボクは家に帰って来た。
「ありがちな小さい頃の宝物って奴だな」
紙袋の中に入っていたのは日記帳だった。
それも、ただの日記帳ではなく、交換日記。相手の名前は『理沙』。随分と仲がよかったのだろう。だが、六年生の十一月十二日の理沙の日記を最後に、以降は白紙となっていた。相手がどこかへ転校してしまったのだろうか。
「理沙、なんて知らないなぁ。沙耶とは結構仲良かったつもりなんだけど。仲良くなって『初めて出来た親友だ』って喜ばれたのに、先客が居たわけ?」
沙耶の文には、自分の体験したことや、自身のことが書かれているのに対して、理沙の文には、それが一切無く、沙耶に対する応援や、夜空の星の美しさなど。
彼女自身のことはあまり書かれていない。理沙という人物は、この日記帳からはあまり詳しくは分からないのだ。
分かるのは、彼女がとても明るい性格だということのみだ。
猫を風呂に入れたことが無いボクらは、適当に風呂場の洗面器にお湯をため、そこにシャリアを突っ込むことにした。陽夜がつかむと暴れる彼女だったが、ボクだと大人しくなった。
フゥーっと急にシャリアが威嚇した。
明らかに不服そうな目で、ボクらを見上げている。
「あ、これよ、コレ。何かずっと付いてたから、違和感なくそのまま風呂にぶち込んじゃったから気づかなかったけど、ほら」
首輪、と陽夜はシャリアの首に巻かれた皮のそれを指で外す。ベルトのような形状のそれが、いとも簡単に外れると共に開放感からか、シャリアは甘い声で鳴いた。
「何か書いてる」陽夜がベルトの裏に書かれた文字を見つけて呟いた。「理沙と未貴? 誰?」
理沙は先ほど聞いた名だ。
「おいこら、もう忘れたのか。理沙ってのは、さっきの交換日記の相手だろうが」
「じゃあ、未貴ってのは?」
「知らん。でも、これオカシイだろ。シャリアを飼い始めたのは一年前。理沙との交換日記は六年生の十一月十二日に終わっている。なんで、ここに理沙の名前がある?」
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