最低男の哀歌
篠岡遼佳
最低男の哀歌
何も考えず、部屋の電気も音も消して、深夜番組をぼんやりと見ている。
なにをする気にもなれない。食べたコンビニ弁当の容器すら片付けていない。
仕事の疲れではない。仕事はいまはそんなに忙しくない時期だ。今日だって定時少し過ぎにあがった。
もちろん運動の疲れでもない。運動不足は自覚している。
眠れていないということもない。
ただ、今は眠る気にもなれない。
キッチンの冷蔵庫がそうであるように、自分の中はまるでからっぽだ。
深夜番組は、ずっとこちらに何かを売りつけようとしている。
アクセサリー、掃除機、高圧洗浄機、腕時計……。
そう、アクセサリー。
突き返された指輪の箱も、テーブルの上に載せたままだった。
まさか、ここまできて、と思う。
三年付き合い、半同棲のような暮らしをしてきた。
彼女のことはもちろん好きだった。料理がちょっと下手でも構わなかった。
外見だって、完璧な美人なんてわけはない。それでも、笑った顔はかわいいと思えた。
そばにいればそれでよかったし、それだけでいいだろうと考えていた。
その考えが甘かった。
なにも気付けてなかった。タイミングなんて考えてなかった。
記念日もなかったからそれでいいんだろうと思っていた。
それは、間違いだった。
彼女は我慢してくれていたのだ。こんな不甲斐ない男に。
我慢せずに言えばいいというのは簡単だ。
相手からのうれしいサプライズを期待しない人間がいるだろうか。
きっとそのうちなにかがある、そう希望を持つことを否定できる者はいないだろう。
そのすべてを裏切っていた。
彼女のよろこぶことをすることさえ出来なかった。
今ならわかる。最低だと。
指輪をプレゼントしたのは気まぐれだった。
はい、となんの前置きもなく渡した。
彼女の驚いた顔はよく覚えている。
頬を染めて、うれしそうに微笑んでいた。
これはなに? 彼女は尋ねた。
なにって、なに? そう答えた。
しばらく、彼女は間を置いた。
そうなんだね、やっぱり、変わらないし、変えようとしないといけなかったね。
そう、また微笑んだ。笑うしかない、そんな微笑みだった。
そして、指輪の入った箱を、ぽん、と返してきた。
――じゃあね。もう来ない。
そう言って、彼女はカバンを持って立ち上がり、玄関から出て行った。
それをただ見ていることしか出来なかった。
追いかけることすらしなかった。
連絡手段はすべて断たれていた。
電話さえ通じない。
――そうか、そうだったのか。
そんなにも指輪というものは重要だったんだ、彼女にとって。
やっとそう気付いた。
指輪だけではない、もらうものがあるという事が、重要だったのだ。
恋愛はひとりでは出来ない。
そう当たり前の事実が頭をよぎった。
ひとりで出来ないのは当たり前だ。
誰かと心や生活を分かち合うのが恋愛で、それには言葉が必要だった。
恋愛は無償ではない。考え、思い至り、望み、期待するものだ。
それでもいいと思える相手だから、恋愛をするのだ。
そんなことにも気付いていなかった。
深夜番組はまだ続いている。
携帯はもう鳴らない。メッセージも受け取らない。
反省は遅すぎた。
指輪の箱を開け、華奢でうつくしく輝くそれを見つめる。
なぜ、この指輪を買ったのだろうか?
――俺も期待していたのかも知れない。
何も言わなくてもわかってもらえると、自分勝手なことを。
なぜか視界がぼやける。
悲しいと思うことは、彼女に対してまた更に失礼なことだと知っていながら、やはり、悲しかった。
からっぽの自分に、できることはあるだろうか。
今から追いかけて、間に合うだろうか。
いまさら気付いたと彼女に話しても、答えは変わらないかも知れない。
それでも、好きだった。とても居心地がよかった。そばにいることが自然すぎて、抱きしめることもしなかったけれど、それでも、好きだったんだ。
ふと、窓に目をやると、カーテンの隙間に明るい星が見えた。
もう夜明けだ。
――もう一度、やり直したい。
花束を持って、思っていることを手紙にして、彼女の家を訪ねよう。
手紙はとても長くなりそうだ。
愛してるなんて言葉ではなくて、そこにいてくれることが、生きていることの一部だったのだと、伝えよう。
せめてそのくらい、彼女が必要なのだと。
テレビを消して、便箋を買いにコンビニへ行こう。
どうか、彼女が言葉を受け取ってくれますように。
最低男の哀歌 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka
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