第12話 星屑の夜

「う~~い、帰ったぞぅ……」

「ちょっとアナタ、そんな大声出して! エリックが寝ていたらどうするのよ、もう!」


 父の陽気な声と、それを諌める母の声が聞こえて、エリックは慌てて頬を無理遣り崩す。

 父はすっかり酒が回ってしまっているらしく、顔は真っ赤で、ふらつく足を母に支えられて歩いている。


「お、お帰り、父さん、母さん」

「おう、ただいまだぁ。エリック~」

「ただいま。エリック、父さんにお水を汲んであげて頂戴」

「うん」


 母に言われて、エリックは竈の側に置いてある素焼きの水瓶から柄杓で木製のコップで水を移す。コップを狙った水の幾らかが、音を立てて元の場所へと還っていった。



 少し手間取っていた間に椅子へ座らされた父へ、エリックはコップを渡す。母は、小瓶の光だけでは心許無いため、ロウソクへ火を点けて回っていた。


「おう、ありがとうなぁ。エリック~」

「もう、いくらなんでも飲みすぎよ。まったく」


 明かりを灯しながら母が呟く。その表情は、どこか仕方なさそうな顔をしていた。エリックはコップが空になる度に水瓶と父との間を往復だ。


「父さんがこんなに酔っ払ってるのも、なんだか珍しいね」


 父の珍しい姿に、エリックは努めて普段通りを装って目を瞬せる。


「んぐんぐ……ぷはぁ!

 だってなぁ、父さんはなぁ、嬉しいんだ。エリックがこんなに大きくなってなぁ」

「ふふ……、そうね。エリックはわたしの、わたし達のたった一人の子どもだもの。

 母さんも、とっても嬉しいわ!」


 母はそう言うと、エリックを後ろから抱き上げて膝に載せ、ぎゅっと抱き締めた。


「ちょっと、母さん! 僕、もうそんな年じゃないよ!?」

「うふふ、駄目駄目。エリックは、母さんのものなんだから。今日はもうこのままね!」


 エリックは突然な母の行動に抗議の声を上げながらも、しかし密かに感謝していた。母の柔らかな感触に包まれて強張った心が雪解けていく。鋭い針を頭に捩じ込まれるような痛みも、スッと消える。暖かな愛情がもたらしてくれる安心感は、この世界で手に入れた何にも代えがたい宝物である。代償は、込み上げる羞恥心だ。

 なかなか開放してくれそうにない母にエリックはもう一度抗議しようとして、そこで気付いた。母の顔にもほんのりと朱が差している。どうやら父だけでなく、母もしっかり酔っ払っているようだった。


「もう、あとニ年、か」

「そうね……」


 しみじみと言葉を交わす両親を見比べながら、エリックは母の腕の中から逃れようと藻掻く。が、しっかりと抱きしめられているエリックは失敗に終わってしまった。観念して母の顎置きに徹することにする。


「それって、僕の成人の儀のことだよね? アリーは『鍛冶士』、クーンは『剣士』なんだって。

 僕はどんなタスクを得るのかなぁ?」

「……それは、今はまだ秘密だな」

「今は、まだ? 父さんと母さんは知ってるの?」

「ああ、勿論知っている。タスクっていうのは生まれつき決まっているからな。

 子どものタスクに合わせて色々と準備も要るから、生まれた時に調べられるんだよ」

「そう、だったんだ……」


 父と母は、エリックのタスクの事を知っている。何とかヒントだけでも聞き出すことは出来ないだろうか。エリックがそう、必死に頭を捻っていると、


「ねえ、エリック」


 母がエリックの頭から顎を離し、代わりにゆっくりと撫でながら言った。


「父さんと母さんはエリックの味方だからね。何があっても、どんな時でも」

「母さん……?」


 頭を撫でられているエリックからは、背中の母の表情がよく見えなかった。目の前の父は静かに微笑みながらコップをチビチビと傾けている。


「さ、そろそろ子どもは寝る時間よ」


 母はエリックを撫でるのに満足したのか、そう言って膝からエリックを降ろした。

 そのまま肩を押されるままにエリックはベッドに導かれる。


「母さん、あのさ……」

「なあに?」


 ベッドに腰掛け、エリックは母を見上げた。母は柔らかく微笑んでいる。いつもと何も変わらない、大好きな表情。



「……ううん、やっぱり何でもない」


 エリックは問いかけようとした言葉を飲み込み、ベッドへ横になった。両親と話す機会はこれからも幾らでもある。

 それに、上手く言葉にできないが、早くベッドの中へ潜り込まなければならない。そんな気がしたのだ。

 ベッドへ横になると静かに目を閉じた。


(色々と、準備しなきゃ、な……)

「おやすみなさい、エリック」


 優しい暗闇の中、母が上掛けを掛けてくれる感触が伝わってくる。





 その時、ゴウ、と強い風が吹いた。





 風に吹かれてロウソクの火が消えたのか、瞼の向こうがふっと暗くなった。

 母が二度、三度と優しく撫でてくれた後、暗くなった室内に眠気を誘われたのか、トサリ、とその場へ横になる音が聞こえた。

 何か温かいものが頬へ降り積もる感触にエリックがゆっくりと瞼を開く。

 目の前一杯に満天の星空が広がっていた。

 秋の祭りの喧騒も今は遠く、星空から零れ落ちた無数の星屑がキラキラと星影に煌めきながらやんわりと降りてくる景色に、まるで天に昇っているかのような錯覚を覚える。



 エリックはすぐ横の優しい母の寝顔を暫し眺めた後、ゆっくりと上体を起こした。

 母の寝顔の向こう、見通しのよくなった家の壁の向こうに、蒼い月の光に照らされた村の広場が見える。

 中央で焚かれていた篝火は既に役目を終えしまっているが、代わりに月明かりでも分かる程の華紅はなくれないの絨毯が敷かれ、舞台が誂えられていた。

 その舞台の上に女が一人いた。



 女は舞台と調和の取れた茜色の装具に身を包み、ヒラリ、ヒラリ、と流れるように舞踊っている。

 彼女の動き合わせて艶やかな長髪がふわりふわりと翻り、しなやかな腕が振るわれる度に村の家々からパッ、パッ、と星屑の花が咲く。

 舞台の周囲にはたくさんの人影があり、銘々好きな格好で彼女の舞に魅入っているようだった。



 エリックはその光景に惹かれて、そっとベッドから起き抜けた。

 ベッドに置かれていた丸いものを小脇に抱え、眠りこける、少し背の低くなった両親を起こさぬよう、そろ、そろ、と裸足で通り抜けた。

 玄関のドアを踏み越え、夜露に濡れた村の道を行く。気が付くと、エリックの足は自然と駆け出していた。



 広場への道すがら、左右に流れる家々からまた星の花が綻んだ。キラキラと輝くそれをを横目に見ながら、エリックはその耳に誰かの叫び声を聞いた。

 その声はひどく遠く聞こえるのに、肌に伝わる感触が、その声の出所がとても近い事をエリックに教える。

 エリックが走り目指す先、広場の中央で舞を終えた女がチラリとエリックへ流し目を送った。女の腕が撫でやかに振るわれる。

 エリックはその動きに合わせて二歩、三歩と道の端へと寄った。



 ゴウ、と、再び強い風が今度はエリックのすぐ横を通り抜けて行く。



 風紋残る道を駆け抜け、エリックは広場へ躍り込んだ。

 女の金色の目が大きく開かれていて、まるで地上に降りた月のようだった。

 エリックは駆ける勢いそのままに、大きく右腕を引き絞り――



「がふっ!?」



 直後、強い衝撃がエリックを貫いた。肺腑から息という息全てが吐き出され、エリックは空気を求めて色鮮やかな絨毯の上へバシャリと倒れ込む。

 視界が徐々に暗くなる中、エリックはそれまで聞こえていた声が止んでいるのに気が付いた。叫んでいたのは、どうやらエリック自身だったらしい。



 世界から光が失われていくのと入れ替わりに、匂いと、音とが戻って来る。



 赤錆の臭いに満ちた世界が完全な闇に呑まれる間際、エリックは誰かが高く笑う声をその耳に聞いた気がした。

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