第12話 蛇の道は白



 山伏姿のシロマダラと目が合った瞬間、時間が凝縮する感覚に襲われる。



 かき分ける空気はぬるいゼリー。

 鼓動は分針の速度で打つ。


 右腕一本となった老婆の額からは汗の粒が散っている。

 アオダイショウがここまで追い詰められるとは思っていなかったのだろう。

 相方のそれではなく、己の甘さへの怒りが半分爛れた顔を歪めている。


 伸ばされた右手は俺の足元へ向けられている。

 指の骨を包むのは薄く硬い筋肉と、厚く丈夫な皮。

 熟練の大工や鳶職でなければ持ち得ない、匠の指。


 どっ、くん、と。

 心臓が一度打つ間も、皮膚はじりじりと痺れるように痛み続ける。

 すべてをスローに感じる世界の中でも、細胞の発するアラートだけは元の速さで感じられる。


 間合い、五歩。


 夢を夢と理解する瞬間のように、俺は本来の時の流れを思い出す。

 ぱちんと泡が弾けるように。

 時が動く。




「っ!!」


 シロマダラは掬い上げるように右手を動かした。

 俺は後方へ跳びつつ、マムシの左腕で正面を薙ぎ払う。


 手桶一杯分ほどの透明の液体が前触れもなく宙に生まれ、落ちる。

 落ちる途中でシロマダラが『浮かび上がらせた』空気に押され、左右に割れる。

 

 びしゃりと床を叩く液体。

 その音を合図に、老婆がイナゴのごとく跳ねる。

 俺の顔と同じ高さへ。


 白い脚がサイドスローさながらに振られる。


「!」


 溶かせる。掴めば。

 違う。露骨だ。

 罠。


 脚を掴もうとした緑の手を引き、両腕を交差する。

 蹴りが直撃。

 肘が痺れるほど重


(!!)


 跳躍しながら、シロマダラは右手を下方へ向けていた。

 灯籠廻船すら傾ける『浮遊』の力。

 その発動条件は対象を『掴む』こと。


 老婆が空気を掴んだ瞬間、上昇気流に似たものが生まれる。

 ごう、と。

 俺の目の高さにあった矮躯がふわりと浮き、頭上を飛び越える。


(二段ジャンプ……?!)


 後方には子供たち。

 弾かれたように振り返る。


「っ?!」


 いない。

 そんなはずはない。見えないだけだ。


 視線を下ろす。

 白い残像。

 内腿をぱさりと撫でる何か。


 分かった。

 シロマダラは着地と同時に床を蹴ったのだ。

 そして後方へ跳び、俺の股の間を抜――――


(マズ――)


 反射より僅かに速く、思考より遥かに早く、下腹部を強い衝撃が襲う。




 ――殺意ありきの金的。




「ヅァッッ!!!」


 食らった瞬間、天井が見えた。

 反射的に首が反ったのだ。


 睾丸破裂。

 ショック死や失血死を免れても、悶絶は確定だ。


 必殺の一撃。




 ――――に、なるはずだった。




 下着の中にノヅチの布団を丸めて作った緩衝材を仕込んでいなければ、確かにそれは『必殺』だっただろう。

 ユメミのアドバイスがなければ俺は死んでいた。


(――――)


 コンマ一秒の思考停止と衝撃から醒め、吠える。

 吠えながら、頭を戻しながら、思い切り脚を振り上げる。


「らああっっ!!」


 股をくぐったシロマダラ目がけ、ヒールキックを放つ。

 が、靴は空を切った。

 感触で読まれた。あるいは、手ごたえに関わらず攻撃後は即離脱するのか。


 フィギュアスケートのアクセルジャンプさながらに回転しながら振り返る。

 踵蹴りをかわしたシロマダラは既に視界の端。

 側転だ。

 三、四、五回転。

 六回転を終えたところで片膝立ちの停止。


「今っっ!!」


 ユメミが怒鳴ると共に、玉砂利の雨が放たれる。


 シロマダラは立ち上がるどころか顔すら上げず、すぐ傍の畳に触れた。

 ふわりと浮かび上がった畳が老婆の姿を隠す。

 ばららら、と玉砂利が長方形を叩いた。


 畳を押しのけた老婆は俺とユメミに視線を滑らせる。

 葉露ほどの油断も感じられない。


「兄ちゃん! アオダイショウがっ!!」


「!」


 左腕に続き右脚も失ったアオダイショウは傷ついた猪さながらに倒れていた。

 が、その右手には細く白い何かが握られている。

 シロマダラがちぎり捨てた左腕だ。


 太った女は腕の切断面に白い腕をぐりぐりと押し付けていた。


(――……)


 直立すらままならない状況で、腕を接いでどうするのか。


 固定砲台。――無理だ。『浮遊』でその役目は務まらない。

 逃走。――だったら腕を接ぐ必要はない。

 防御。――好都合だが、シロマダラがそのために腕一本捨てたとは思えない。


 なら、攻撃しかない。

 アオダイショウは継戦のために腕を接ごうとしているのだ。


 だが奴は片脚を失っている。浮くことはできても、移動ができない。


(いや……)


 シナジー。乗算。

 青と白の掛け合わせ。


 それが何なのか、咄嗟には思いつかない。

 思いつかないが、見過ごすわけにはいかない。


「させるかよ……!!」


 駆け出そうとし、気づく。

 シロマダラの刺すような視線に。

 

 残心を決め、いつでも動き出せるはずの老婆が不自然に動かない。

 まるで俺がアオダイショウへ向かうのを待っているかのような。


「に、兄ちゃん何やってんだよ!! 腕が繋がっちゃうってっ!!」


 分かっている。

 ヤツマタ様の腕は接合に時間を要する。

 接合を妨害すれば、アオダイショウは完全に無力化できる。シロマダラの捨て身の援護も水の泡だ。

 

 だが、当のシロマダラが俺の動きに反応しない。

 自分の腕を与えなければならないほど傷ついた仲間に近づく敵を放置。

 おかしい。違和感がある。


(もしかして――)


 シロマダラは俺が動くのを待っているのではないか。

 俺がアオダイショウの復帰阻止に動くことすら、奴にとっては計算の内なのでは。

 そうでなければ、ここまで動きが遅いことの説明がつかない。


「ひ、ヒゲっ! 早くっ!! 早くあのデブなんとかしてっ!!」


「……っ」


 僅かに首を動かす。

 数十歩離れた山伏と目が合う。


 片膝をついた老婆は静かに踵を上げた。

 爪先は――――ユメミ達の方を向いている。


 俺の不在を突いて攻撃するつもりだ。子供たちを。


(っ)


 シロマダラは隻腕だが、強い。

 俺が巨大女の接合を妨害し、溶かし殺すまで三人は持ちこたえられるか。

 ユメミなら対応できるかもしれないが、たとえば子供を人質に取られたら。


「っ」


 額を濡らす汗が、窓を伝う雨粒のいやらしさで鼻筋を伝い落ちる。


 どっちだ。

 敵を確実に潰して味方の危機を見過ごすか。

 味方を護って敵に再起のチャンスを許すか。


「――――」


 決まっている。

 俺は戦士じゃない。

 味方を捨ててまで掴むべき勝利はない。


 一歩強く踏み込み、シロマダラへ向けて走る。

 まるで読んでいたかのように、老婆の首がぐりんとこちらを向いた。

 軽く強く、地を蹴る音。


 距離は畳五枚。

 マムシの腕を刀のように構える。


 三枚。

 二枚。

 一枚。


 同時に力強く踏み込む。


 リーチは俺の方が広い。

 鞭のごとくマムシの腕を振るが、僅かに届かない。


「っ!」


 腰だ。腰が引けているせいだ。

 金的に一撃を受けたことで、俺はすべての力を攻撃に注ぐことができなかった。

 防御に割り振った思考と力の分、踏み込みが浅くなった。


 シロマダラは易々と俺の腕をかいくぐり、懐へ潜り込んだ。

 白い手は握りこぶし。殴打が来る。


(こいつ、また――――!)


 金的。

 咄嗟に股を閉じると、老婆はゆらりと己に手を向けた。

 流麗さすら感じるひと噛み。


 ふわりと眼前で老婆が浮かび上がる。

 ゆっくりと、一回転しながら目の高さへ。

 虚を突いた二段ジャンプ。

 白い腕が振り上げられる。


「――――!」


 額。目鼻。喉。胸。

 どこを打たれてもまずい。

 腕を交差して防――


(いや……!)


 こいつの能力は「浮遊」。

 破壊力は本人の膂力に依存する。

  

 額。目鼻。喉。胸。

 どこを打たれても、『溶解』できれば釣りが来る。


 振ったばかりのマムシの腕を戻す。

 自分すら噛みかねない勢いで。


 シロマダラの拳が開く。

 ぶぱっ、と。

 手から木屑が散る。


「ぶっ?!」


 目潰し。

 マムシの腕が止まる。

 脇腹に鈍い衝撃。

 老婆の爪先がめり込んでいる。


「ぐっ、あっ!!」


 とん、たたたっと老婆が走り去る音。

 腕で目を拭う数秒、俺は完全に敵を見失っていた。


「に、兄ちゃんあいつが!!」


 涙で滲む視界。


「アオダイショウがっ!!」


 振り返る。アオダイショウは接合を終えている。

 左に白腕。右に青腕。

 シロマダラの腕は巨体を噛んでおり、既に肉体は宙に浮いている。

 まるで巨大な風船だ。


 奴はそのまま青い腕で空気を掴んだ。

 空気はゴムのように『軟らかく』変じる。

 そこへシロマダラが飛び込み、巨体を蹴った。


(――――……!)


 アオダイショウも気になったが、俺の視線はシロマダラに釘付けになっていた。

 好機に乗じる者の動きではない。

 計画をなぞるような淀みない蹴り。


 ようやく気付く。


(! さっきのはブラフ……!!)


 シロマダラは初めからアオダイショウの復帰を狙っていた。

 だが露骨に援護すれば妨害を受けるので、攻撃する気も無い子供たちを見据え、俺の注意を引いたのだ。


「ク……ソッ!」


 走り出すが、遅すぎた。

 蹴りを受けたアオダイショウは空気を掴んだままぐにょお、と後方へ。

 母胎の中の赤子のごとく、巨躯は丸まっている。


 ゴムじみた空気を掴む女が、手を離す。


 ぼっ、と。

 ほんの数メートルだが、確かにアオダイショウは飛んだ。

 優に150キロはあろうかという巨体が、スリングショットから放たれた石のごとく飛んだ。


 飛んだ先で、再び空気を掴む。

 射出された勢いそのままに突き進み、長く長くゴム状の空気を引っ張る。

 ちょうど、ロープからロープへ走って勢いをつけるプロレスラーのように。


 反動で、元居た方向へ飛ぶ。


 更なる勢いを得た巨体が空気を掴む。

 今度は10メートル近く空気を掴んで飛んでいた。

 向い合わせたトランポリンの間で飛び跳ね続ける石のように、その動きは激しさを増すばかりだった。


 長く、遠くまで空気を掴んだアオダイショウが顔を上げる。

 憤怒に満ちた目。


「イタチさん! 伏せてっっ!!」


 ほとんどうつ伏せに近い格好で伏せる。

 次の瞬間、射出されたアオダイショウの巨体が俺の真上を通過する。

 びょう、と土埃が散る。


 子供たちの悲鳴。

 ぼっ、ぼっ、ぼっと襖が何枚か破られる音。

 幟がへし折れ、破片が飛び散る。


(そんな戦い方が……!!)


 『浮遊』で己の肉体を弾丸に、『ゴム化』で空気を射出機構に使った『人間射出機』。

 あれなら片脚がなくとも戦える。

 青白どちらの腕も備えているため、能力の時間切れを心配する必要もない。


「あ、あんなのどうやって止めるの?!」


「ロッコ姉ちゃんも同じことやるんだよ! 柔らかい網で――」


「ばっ、馬鹿言わないで! あんなの正面に立っただけで死」


 ごう、と。

 飛来する火山弾にも似た速度で巨体が迫る。

 子供たちは散り散りになって逃げ、身を伏せる。


 襖が次々に吹き飛び、巨体が隣の隣のそのまた隣の座敷まで飛ぶ。


「シロマダラッッ!」


 ただ一人、最小限の動きでアオダイショウをかわしたユメミが叫ぶ。

 指摘されるまでもない。

 俺の耳は既に老婆の足音を拾っている。


 とたたた、と駆けた矮躯が俺に飛び蹴りを放つ。

 弧を描き、老婆が跳ぶ。

 焦ったのか、跳ぶ位置が遠い。

 俺はバックステップし、着地点目がけて足払いを「能力っ!」


 ユメミの叫びと共にシロマダラが己を噛む。

 ふわりと浮いて俺を越え、肩を踏む。


 マムシの腕。

 ――届かない。既に老婆は俺を蹴り、ユメミへ突撃している。


「逃がさ「イタチさん!! 来ないで!!」」


 ユメミの怒号に怒号を返す。


「何でだ?!」


「固まったら狙い撃ちにされます! 直線上にも立たないで!!」


 老婆が飛びかかるや、ユメミは一歩二歩三歩と立て続けに退いた。

 シロマダラの手刀、蹴り、頭突きはすべて空を切る。

 

 すっと伏せた老婆が床に手を置く。

 そこには畳。


「ふっ!」


 ユメミが畳を踏みつけ、『浮遊』の力を借りて2メートルほど浮かび、飛ぶ。

 振り下ろされる脚をシロマダラは防ごうとし――すんでのところで回避する。

 正しい判断だ。

 まともに受けていたらユメミは脚を絡め、腕をねじ切っていただろう。


「アオダイショウを何とかしてください! この人は私がっ!!」


「……!」


 舐めるな、と言わんばかりにシロマダラが片手突きを放つ。

 ユメミはするりと回避。

 それも、シロマダラの右側へ。


 老婆が一瞬身を強張らせ、飛び退いた。

 目も含め顔の半分が焼けただれたシロマダラにとって右側は死角だ。


「早く!!」


 思案している場合ではなかった。

 俺ではシロマダラに対処できない。

 なら、ユメミに任せるしかない。


 ピンボールのごとく飛び回る巨大女を見据える。

 シロマダラの能力を繰り返し使用しているので、勢いが落ちる様子はない。


 勢いさえ落とせば奴は自滅する。

 片足では体躯を支えきれないからだ。


 だが、どうやって勢いを削げばいいのか。

 アオダイショウは砲弾並みの速度で飛び回っている。

 こちらにはマムシの腕があるものの、触れることなどできるわけがない。

 ロッコの言う通り、射線上に立って罠を張ることすら死を意味する。


(窓か、穴を開けた壁に誘導……)


 最もシンプルなプランを、俺は首を振って頭から追い出す。

 船外に飛び出したアオダイショウが空気を掴んでゴムのように引けば、逆走して戻って来るだろう。

 そもそも、奴は出鱈目に


「兄ちゃん!!」


 ごう、と。

 伏せる俺の真上を肉弾丸が通過する。


(狙いをつけてやがる……!)


 アオダイショウは出鱈目に飛んでいるわけではない。

 空気のゴムに己を番える間、照準を定めている。

 目に見える罠は通じない。

 

「!」


 再び、アオダイショウが飛翔する。

 ぼっ、ぼっ、ぼっ、と襖が次々に破られ、青い巨体が遠い部屋まで飛んでいく。

 明らかに窓――つまり右舷あるいは左舷向きの攻撃は避けている。

 向こうもこの戦法の弱点を把握しているのだ。


「ヒゲ早く! ユメミさんがもうもたないって!!」


 時間が無い。

 もたもたしていたら負ける。


(考えろ……!)


 射出機構を自力で『創り』、砲弾の速度で行き交うアオダイショウ。

 こちらにあるのはマムシの腕一本。

 溶かすなら――――


「!」


 通路に飛び出す。

 アオダイショウの姿を探す。


 ――いた。


「アオダイショウ!! こっちだっっ!!」


 青い忍者は今まさに己の身を空気のスリングショットに番えるところだった。

 ユメミ達に向いていた顔が、ぎろりとこちらを向く。


 俺は通路の真ん中で大きく手を広げる。

 アオダイショウは今、船首側。

 腿を叩き、両手で煽る。


「来い! 勝負だ……!」


 アオダイショウのゴムの軌道が僅かに変わる。

 10、いや15メートル。

 伸びきったゴムが手を離れ、勢いよく怪女が射出される。


 視認すら許さない極悪速度。

 尾を持たぬ彗星と化したアオダイショウが迫る中、俺は地に臥せる。

 びょぶう、と敵が真上を通過。


 己の能力で生み出した不可視のゴム膜に突っ込んだアオダイショウが、再び15メートルほど宙にめり込む。


 その瞬間、俺は弾かれたように立ち上がる。

 

(ここだ……!!)


 向かう先はアオダイショウではない。

 アオダイショウの軌道上でもない。

 奴が引き延ばした『空気』。その『付け根』。


 奴を弾丸たらしめているのは伸びきったゴム状の空気だ。

 その一部をマムシの腕で溶かせば、射出はできない。


 伸び方で『付け根』のおおよその場所は分かる。

 あと10メートル。

 8メートル。

 6メートル。


 アオダイショウが俺の意図に気付く。

 顔に苦渋。

 奴は今、回避も防御もできない。

 能力を解除すれば再びシロマダラに蹴られない限り再始動できない。

 今射出すれば勢い不足。

 さりとてゴムを伸ばしたままでは射出より先にゴムを溶かされる。


 3メートル。

 跳ぶ。


「終わりだ!」


 緊張しきったゴム目がけてマムシの腕を振るう。

 僅かな抵抗の後、ばしゃりと液体が弾ける感覚。


(勝っ)


 ゴムのスリングショットを辿るように視線を走らせる。

 その先には絶望の表情を浮かべたアオダ




 笑み。




(っ)


 アオダイショウは既に浮遊を止めていた。

 片脚を投げ出した格好で床に座り込み、顔をこちらに向けている。


(能力を解除した……? そんなことしたら自分が)


 五指を伸ばした白腕は肘から曲げられ、天を向いている。

 青腕は『何か』を摘まんだ形で引き絞られている。


 鋭く尖った先端を持ち、赤く濡れた『何か』。

 アオダイショウの肩口では既に赤い血が固まりつつある。


(さっき食らわせた鉛筆――!!)


 軽い所作でアオダイショウが『矢』を放つ。

 白腕で左右の軸を合わせた、必殺の一撃。


「っ!」


 避け切れない。

 ゴムは15メートルほど伸びている。

 15メートルほどしか伸びていない。


 一直線に飛ぶ矢が俺の 



 

「兄ちゃん!!!」




 声と共に何かが飛んでくる。

 マムシの能力で半分にした畳。


 ぼっ、と。

 鉛筆が畳に突き刺さる。


「やったっ!!!」


 少年が歓喜の声を上げた瞬間、アオダイショウの顔に苦渋が浮かぶ。

 奴は再び何かを番えた。

 それは折れた幟だった。


「! シュウ離れてろ!」


 俺は畳を掴んだ。

 ハーフサイズではない。本来の大きさの畳を。


 走り出す。

 ごっ、と衝撃。

 幟が突き刺さった。


 ぼっ、ぼっ、と立て続けに衝撃。

 今度は玉砂利。

 だが――――


(行ける……!)


 防げる。

 奴の弾はすべて。

 勝てる。このまま駆けて、マムシの腕で溶かせば。


 畳を僅かにずらし、目視で位置を確認する。




 その時、俺は見た。

 アオダイショウの目にぎらつく光を。




「!」


 奴は白い左手を引きちぎった。

 そして残る右手で折れた幟を掴み――――己の胸に突き刺す。


「?!」


 赤い血が青い装束を濡らす。

 アオダイショウは右腕を床に添え、自らの腿で押し潰した。

 ぶちん、と。腕がちぎれる。


 両手を失い、片足を失った姿。

 更に胸に致命傷。


(何だ……?! 何でこいつ自滅を――――)


 その瞬間、最も近い障子窓を突き破り、赤く長い舌が現れた。

 青蛇の舌はあっという間にアオダイショウを絡め取り、回収する。


(! こいつ、離脱するためにわざと自分に傷を……!)


 深手を負ったヤツマタ様は大蛇が回収する。

 それを逆手に取り、アオダイショウは自ら深手を負ったのだ。

 だが、なぜだ。

 今このタイミングで戦線離脱する理由が――


「イタチさん! そっちにシロマダラが!!」


「!」


 振り返る。

 一瞬早く加速したシロマダラが、バイクのごとき速度で俺とすれ違う。

 行く先は――アオダイショウが力尽きた場所。


 赤い舌は窓の外へ引っ込み、そこには白い腕と青い腕が残されている。


(……!)


 右腕一本の老婆は瞬く間に血痕残る場所へ到達し、二つの腕を抱え上げた。

 そこで俺は理解する。


 敗北を悟ったアオダイショウは白腕と青腕を奪われないよう、自ら退場したのだ。

 そして仲間にバトンを託した。


 最後に一瞬、赤い舌に巻かれたアオダイショウの顔が見えた。

 そこには怒りを押し殺した笑いが浮かんでいた。


(野郎……!! 土壇場で意地を……!)


 二つの腕を一本腕で抱えたシロマダラが窓の外へ身を躍らせる。


「?!」


「あ、あいつ自殺した!」


「違う。そんなはず――――」


 ユメミの言う通りだった。

 数秒後、船は大きく揺れた。


 間違いない。奴の能力だ。

 『浮遊』で船を傾けている。


 だが、対処法は分かっている。

 窓にさえ落ちないよう注意すれば――――


「に、兄ちゃん!!」


 シュウが青ざめる。


「ふ、襖がもう無いよ!!」


 気付く。

 アオダイショウの猛攻で座敷中の襖が破られ、破壊されていることに。

 僅かに残る襖も裂け、破れ、かろうじて敷居に引っかかっているだけだ。

 もはや廃墟か荒城。


 船が大きく傾く。

 俺たちは船首へ向かって落ちていく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る