第9話 蛇の道は青


 迂闊だった。

 俺はユメミのことを、『制服を着ているから女子高生だ』と思い込んでいた。

 自己紹介を省略しておきながら、外見で相手の素性を決めつけていたのだ。


 今は多様性の時代だ。

 コスプレなんて珍しくもない。

 聖書をくり抜いて拳銃を隠すように、高校の制服を身に纏えば連続殺人鬼シリアルキラーとて素性を偽ることはできる。


「……ユメミさん」


 俺は干からびかけた喉から声を絞り出した。


「何ですか?」


 一瞬見えた鬼気迫る形相は消えている。

 目の前にあるのは糸目の、どこかおっとりした女の顔だ。


「年……なんだけどさ」糸目が再び薄く開く。「……いくつだったっけ?」


「どうしたんです? 藪から棒に」


「や、何となく。……」


 間近でユメミの顔を見ていると、海馬をくすぐるような感覚があった。

 気のせいだろうか。

 彼女の顔に見覚えがあるような気がする。


 既視感デジャヴュの正体を見極めようと俺も目を細め、はたと思い当たる。

 能面だ。

 瞳を薄く開いたユメミの顔は、能で使われる『女面』に似ているのだ。

 あの底知れない淀みを含んだ、畏れを呼び起こす女の顔に。


「……」


「っ」


 ユメミに無言で見返され、呼吸が僅かに乱れる。


 マムシやカガチの放つ『殺気』とは違う。

 ユメミは害意を隠し、敵意を押し殺したまま、俺を射殺さんばかりにねめつけている。

 湿り気と粘り気のある異様な圧迫感。

 蛇に睨まれた蛙、というフレーズが脳裏を過ぎる。


「……ぁ。……」


 やっぱり何でもない、という言葉が喉の辺りまでせり上がる。

 他人と感情をぶつけ合ったり、真剣に心を通わせたことのない俺にとって、この緊張した空気は毒だ。

 まして今俺が投げかけようとしているのは、「あなたは殺人鬼ですか?」という非常識な問いかけ。


 見えている地雷をわざわざ踏み抜くこともない。

 ユメミとの関係が悪化するおそれがあるのなら、この話は無かったことにすべきだ。


 流そう。

 そして一刻も早く、次のヤツマタ様を迎え撃つ準備を始めよう。

 そう考えて息を吸う。


(――――)


 違う。

 違うだろう。


 ここは灯籠廻船だ。

 死よりも恐ろしい闇を往く船の上で、一体何に怯えるのか。

 関係が悪化するから何だ。

 臆病風に吹かれてユメミの素性を曖昧なままにして、後で襲われたらどうするんだ。


 俺だけの話ではない。

 もしユメミが『香草聖人ハーバルキラー』なら、本当に危険なのはロッコとシュウだ。

 あの殺人鬼は子供ばかりを狙っている。


 尻穴に力を込め、ユメミを見返す。


「……で、幾つなんだ?」


 俺が問い返したことが意外だったのか、ユメミは僅かに眉を動かした。


「17ですけ「干支えとは?」」


 重ねた問いにもユメミは動じない。


巳年みどしです」


(……)


 巳年。つまり蛇。

 それが十七歳の干支として正しいのかどうか、すぐには分からない。

 年齢を偽っているのなら干支を即答できないはず。そう考えて投げかけた問いだ。


(即答したってことは本当に十七歳……?)


 いや、まだ安心はできない。


「もう一つ」


 ユメミの唇が開きかけるのを見、俺は手で制した。

 考える暇は与えない。

 逃げる暇も。

 

「……スカート、さ」


「スカート?」


「そんな風にだらーっと着るモンかな?」


「……」


 一瞬、苛立ちらしきものを見せたユメミが自分のスカートを見下ろす。

 藤紫が特徴的な商業高校の制服。


「俺、女子の着こなしにはあんまり詳しくないんだけどさ。普通、スカートって腰のところ折りたたまない?」


「……」


 ユメミのスカートは膝丈だ。

 ごく健全で、普通の長さだと言える。


 だがおかしい。

 俺の記憶が正しければ、新茶市に来ていた女子高生のスカートはもっと短かった。

 良し悪しはさて置き、今の流行りに照らしてみるとユメミのスカート丈は健全『過ぎる』。


 ――例えば、だが。

 21歳の女が女子高生を装う場合、スカート丈は過剰に長くなってしまうのではないだろうか。


 高校を卒業して数年も経てば、羞恥心の目盛りも変わる。

 女子高生に化けるために制服を着て、スカート丈を調整しようとする時、「これでは少し短すぎる」と21歳相応の自制心が働く。

 結果、スカート丈は健全過ぎる長さに落ち着く。

 そんなことはないだろうか。


「そんなことですか」


 ユメミは唇を歪めた。

 浮かんでいるのは明かな嘲笑だった。


「元々この長さで設計されているのに、わざわざ折りたたむ必要がありますか?」


 模範解答だ。

 ――模範解答過ぎる。


「……。丈、長すぎるって思わない?」


「いえ? これが普通ですよ」


「友達から何か言われない? そういうの、女の子って敏感でしょ?」


「言われませんよ。第一、これ以上短くするのは不健全です」


(……)


 多少浮世離れしているが、これもまた模範解答。


 設定なのか真実なのかは分からないが、ユメミは『苗字を出せば地元の人間に一発で特定されてしまうほどのお嬢様』だ。

 今のは確かに金持ちの娘らしい、貞淑な発言だった。

 怪しいと言えば怪しいが、一応の筋は通っている。


 気取った返答にも関わらず、取り繕う様子もなかった。

 21歳の殺人鬼が無理やり女子高生を演じているにしては、綻びが無さすぎる。

 自然で、一貫性のある言動。

 信じて良いのかも知れない。


(いや。いや、いや、いや……)


 逆だ。ユメミの言動は自然すぎる。

 自然すぎるものは疑ってかかるべきだ。


 ヒトの思考は電気信号が創る曖昧な織物タペストリーに過ぎない。

 短気な者が寛容さを示すこともあるし、昨日慎重さを重んじていた者が今日になって大胆さを持て囃すこともある。

 俺もユメミも、A4用紙に性格設定を列挙されたキャラクターなどではない。

 お嬢様設定だから言動のすべてがお嬢様で、思考様式も徹底的にお嬢様、なんてことはありえないのだ。


 演じられたものでもない限り、人間の言動が終始一貫するなんてことはない。

 必ずどこかでブレや揺らぎが出る。

 言動にその『揺らぎ』がないということは、嘘で塗り固められているからと見るべきだ。


「……学生証とか、持ってない?」


「持っていません。これがあるから要らないでしょう?」


 ユメミは制服を示した。

 確かにこの特徴的な制服を着ていれば学生証など無くとも身元は分かる。

 俺も高校の頃は学生証を机の引き出しに入れっぱなしにしていたし、それで特に不自由は感じなかった。


 だが――――


(……。……何か……)


 気のせいか。

 制服に違和感がある。

 色味が藤紫なのは間違いないが、何かが俺の記憶と違っているような。


「商業の制服って、そんなだっけ?」


 ぴくり、と。

 ユメミの目元の筋肉が痙攣した。


「……イタチさん、私と同じ高校だったんですか?」


「いや、違う。俺は×××東だから」


 商業高校とは縁もゆかりもない、市内東部の進学校。

 それが俺の母校だ。


「違う高校のご出身なのに、どうしてこの制服のことが分かるんですか?」


「う……」


 ユメミが口を裂いた。

 嗤っているようにも見える顔。


「そもそもイタチさん、卒業されてから結構経っているんじゃありません? その間に制服の『型』が変わった可能性はありませんか?」


「いや、それはまあ……」


「結論ありきで話されていませんか? 何の話なのかは皆目見当もつきませんが」


 そう話すユメミの口元にはうっすら笑みが浮かんでいる。

 皆目見当もつかない、なんてよく言えたものだ。

 この女、俺の抱く疑念に薄々気付いている。


 探りを入れるのはやめだ。

 こうなったら真正面から聞き出すしかない。


「シュウの荷物を処分したって話、本当か?」


「ええ」


「……」


「言いませんでした? ロッコちゃんとシュウくんも地元では有名なんですよ」


「それは聞いた。けど……」


 カナヅチ。教科書。

 武器や防具としてそれなりに役に立つ道具だ。

 俺に身元を知られることを恐れるあまり、そんなものまで捨てるだろうか。


「あの状況で捨てるって、普通ありえないだろ」


「……」


「理由を教えてくれ」


 薄く目を開いたユメミが再び無言で俺を見返す。

 心なしか、先ほどより害意が増したように思える。

 スプーン一杯ほどではあるが、確かに俺の肌を刺すものがある。


 十秒。

 二十秒。

 ユメミは答えない。


「理ゆ――」


 業を煮やした俺が口を開きかけたところで、ふう、と彼女は軽く溜息をついた。


「『普通』ありえないのなら、普通ではない状況だった、とは考えられませんか?」


「は……?」


「思い当たるフシがありませんか?」


 普通ではない状況。

 普通ではない状況だったから、普通捨てない道具も捨てた。

 普通ではない状況とは何だ。


 あって然るべきものがない状況。

 もしくはその逆。

 俺たちの間にあるはずで、実は無かったもの。


 ――――信頼。


(! まさか……)


 ぎょっとすると同時に、腑に落ちる。


 もしやユメミは俺を疑っているのではないか。

 俺がユメミを疑っているように、ユメミも俺を『ハーバルキラー』だと思っているのか。


(え。待て。そんなことって……)


 いや、あり得る。

 確かにその可能性はある。


 ニュースの記述を見る限り、倉庫をレンタルしていた女性は初めから疑われていたわけではないようだった。

 無理もない。やり口があまりにも猟奇的過ぎる。

 おそらくは倉庫をレンタルしていた「雪代恵」も被害者の可能性ありと報道されていたのだろう

 事件が報道された当初は、犯人の人物像が男性だったのかもしれない。


 俺が先ほど見たニュースは『速報』だ。

 つまり殺人鬼と思しき人物の名前と性別が確定し、それが公開されたのは、灯籠廻船に迷い込む直前。

 ユメミはニュースをチェックすることなく船に乗り込んだため、何らかの理由で俺のことを殺人鬼だと思い違えたのだ。

 だからカナヅチを隠し、教科書を捨てた。

 なぜなら――


(……。待て)


 俺は再び疑念を抱く。


「ユメミさん」


「はい」


「……スマホは?」


 返事、なし。

 俺は自分の黒い端末を指で叩く。


「スマホ。持ってるだろ?」


「いえ。持っていません」


「……マジかよ。それで女子高生やれるの?」


「逆に聞きたいのですが、やれないと思います?」


 まあ、やれなくはない。

 著しく不便ではあるが。


 あるいは、親の意向であえて持たされていないのかもしれない。

 未成年がSNSの使い方を間違えて騒ぎになるのは珍しくない。

 ユメミがうっかり自宅の住所を晒したり変な男に騙されないよう、親の方が気を配っている可能性はある。


「じゃあ、話を戻しますね」


 今度はユメミが口を開いた。


「シュウくんのカナヅチと教科書については――――お察しの通りです」


「!」


「それ以上、言わせますか?」


「……」


 俺が彼女を疑っているように、彼女も俺を疑っている。

 だから教科書とカナヅチを廃棄した。


 なぜなら――そうだ。教科書にはおそらくシュウのフルネームが書かれているのだ。そこから身元を割り出せてしまう。

 カナヅチも同様で、こちらは万が一俺に奪取されたら武器にされてしまう。

 確かにそう考えると筋は通る。


(いや。待て待て。それはユメミが『ハーバルキラー』じゃなかったら、だ)


 もしもユメミが殺人鬼なら、今の話すべてがただの嘘ということになる。

 整合性も筋道も関係ない。

 ユメミは俺を妨害するために教科書の中身を捨て、カナヅチは自分の武器とするために奪ったことになる。


(クソ。ごちゃごちゃして来たな……)


 重要なのは一点。

 ユメミが連続殺人鬼なのか、そうではないのか。


 彼女がシリアルキラーなら、俺はヤツマタ様と戦いつつこいつも御さなければならない。

 あるいは、今の内に命を「イタチさん」


 顔を上げる。

 ユメミは冷ややかな表情を浮かべていた。

 笑みを押し殺したかのような、どこか歪な無表情。


「今考えていること、一旦、脇に置いてくれますか」


「……何?」


「私の素性が何であれ、今はここを出るのが先決のはずです」


「――――」


「イタチさんの疑問は、この状況を打破する上で有意義なものですか?」


 ユメミの全身から嫌な圧迫感が放たれる。

 同時に、僅かな嘲りの気配も。


(……)


 ユメミの女子高生離れした決断力と行動力は、今の俺に必要だ。

 彼女を欠いた状態、あるいは彼女と仲違いした状態で、ロッコやシュウを護ることは難しい。


 そうだ。

 何ということはない。

 ユメミの素性を見破ることに意味などなかったのだ。

 彼女が何者であれ、俺は協力関係を結ぶしかない。

 連続殺人鬼だからと言って信頼関係を築かなければ、待っているのは死。もしくはそれ以下の何か。


「私とイタチさんがいがみ合っていると、ロッコちゃんとシュウくんに悪い影響が出ます」


「……」


「何も聞かなかったことにします。イタチさんも、行儀よくなさってください」


 ユメミの目と口が薄く開き、能面じみた表情が浮かぶ。

 背信の聖職者を思わせる、暗い笑み。


 俺は唇を噛むしかなかった。

 ただ、最後っ屁のようにひと言呟く。


「俺は――」


「?」


「俺は『ハーバルキラー』じゃない」


「……」


 ユメミは一拍置いて、呟いた。


「私も違いますよ」


 浮かんでいた笑みが消える。

 話はそれで終わった。


「……仕掛けを用意します。落ち着いたら甲板に来てください」


 立ち去ろうとするユメミの背を見つめていた俺は、ふと気づく。


(名札……)


 そうだ。彼女は名札をつけていない。

 制服の違和感の正体はこれだ。

 商業高校の名札は刺繍の色で学科が分かるのだが、ユメミはそれすらつけていないのだ。


「ユメミさん」


「はい?」


 鬱陶しがるような声と共に、ユメミが顔の半分だけをこちらに向ける。


「ちなみに何科?」


「ナニカ?」


「学科。商業の――」


「被服科です」


「……。……そっか。被服科か」


 ユメミが立ち去り、俺は静けさの中に取り残される。


 再び天を仰ぐ。


(婆ちゃん……)


 祖母がいる。

 文武に秀で、茶道や華道もたしなむ凛とした人。

 あの父親の産みの親なので親バカではあるのだろうが――その存在を今日ほどありがたく思ったことはない。


 祖母は毎年、商業高校にマナー講座の講師として招かれる。

 年始には在学生から大量の年賀状が、就職の時期になると卒業生から大量の御礼状が届く。

 どの学生も氏名と学科を手書きで記していて、俺はその仕分けを手伝っていたことがある。


 だから、知っている。

 あの高校にあるのは『会計科』『情報科学科』『国際教養科』。


 ――『被服科』は無い。











 夜が姿を変える。

 斜陽に照らされた赤い田園風景から、一転して蒼黒の夜へ。


 周囲に広がる景色は大小の小屋が連なる山々。

 どの屋根も白く厚い雪に覆われており、時折見える木々の枝も雪でたわんでいる。

 気温の変化は感じないが、俺たちは時折ぶるりと身を震わせた。


 天には煌々と輝く赤星が六つ。

 



「……来た」


 ロッコの声で顔を上げる。

 夜空の向こうから、二匹の大蛇が迫るところだった。


 何度見てもおぞましい、ビルに巻き付くほど巨大な蛇。

 ビー玉じみた目をこちらに向け、舌を出し入れしている。


 色は青。それに白。


(ヒバカリは来ないか……)


 実は、それを期待していた。

 あのやる気のない女がいれば、敵は実質一人になる。


『ヒバカリ様はいらっしゃいませんねぇ』


 にゅっとノヅチが首を伸ばす。


『残念ですねぇ、ヒゲさん』


「うるさい。どっか行ってろ」


「兄ちゃん! しゅうちゅう!」


 ランドセルを背負ったシュウも腕組みしている。

 役割は変わらず囮だが、佇まいだけは戦士のそれだ。


「ああ。分かってる」


 ちらと横を見る。

 ユメミが静かに夜空を睨んでいる。


(……)


 敵はヤツマタ様だけではない。

 それを忘れてはならない。

 彼女はおそらく――――


「イタチさん。来ますよ」


 ユメミが俺を見る。

 薄く、目が開く。

 唇も。


 浮かぶのは、笑みに似たもの。


「緊張してください」


「……分かってる」


 寒空を泳ぐ青と白の蛇が、船尾へ。

 ぐぱあ、と口が開く。

 駆け出そうとするシュウを目で制する。


(まだだ……!)


 前回はここで走り出した。

 結果、赤い蛇が逃げ、カガチが予想外の場所に出現した。

 今度はそうは行かない。

 確実に出鼻をくじく。


 開いた蛇の口から、一人ずつ人間が転がり出る。

 粘液まみれの女が二人。


 その瞬間、俺は地を蹴る。


「今だっっ!!」


 声すら置き去りに駆ける。

 ユメミ、ロッコ、シュウが駆け出す音。


 びゅお、と速度に乗る。

 視界は歪み、左半身を覆う布団マントがばたばたと暴れる。

 走りながら、マムシの手を開閉させる。

 

(先手必勝……!!)


 並走するユメミが叫んだ。


「気を付けて!」


「!」



 ヤツマタ様の片方が立ち上がる。



 体躯は――――まるで2メートル大のたるだ。

 パンダを思わせる丸っこい身体から、丸太のような手足が伸びている。

 もしゃもしゃした髪は天然パーマで、しわの入り始めた顔は四十そこそこのようだ。

 

 でっぷりした肉体を包む忍び装束は青。

 肩から腰にかけて様々な道具を収納したベルトが一本走る。


 履き物は下駄。

 背中には戦国時代の足軽を思わせるのぼりが三つ。

 書かれているのは『青』『大』『将』の三文字。


 女は両手両脚を大きく開き、首をぐりんと動かした。

 手の中から飛び出す太い舌。かっと見開かれた目。

 歌舞伎役者が見得を切るがごとき構えだ。


 イヨオオ、と。

 俺の脳内で勝手に効果音が再生される。


『ヒゲさーん。そちらはアオダイショウ様でーす!』


「見りゃ分かるっつのっ!! 何だよこの見た目がうるさい奴はっ!!」


 叫びながらも緊張は解かない。

 カガチの時は彼女の振る舞いに騙された。

 今度はそうは行かない。


 アオダイショウの十メートルほど手前で急停止し、玉砂利に手を突っ込む。

 硬く薄いものを掴み、引きずりだす。


 俺が掲げたのは――――本殿に飾られていた『鏡』。


『あ、ええっ?!』


 ノヅチが頓狂な声を上げた。


 聞きかじった話だが、古代の日本では『鏡に神が宿る』という思想があったらしい。

 三種の神器の一つは鏡だ。それに卑弥呼も鏡を尊んだと聞く。

 本殿に堂々と飾られたこの鏡、何の意味もないとは思えない。


『ひ、ヒゲさんあんたいつの間に――――』


「これ、大事な道具じゃないのか? お前らにとって、よぉっ……!!」


 鏡を掴み、走り出す。


 ポーズを決めていたアオダイショウが、上半身をのけ反らせて驚いた。

 分かりやすい反応。

 だが、油断はしない。

 言動のすべてに嘘と演技を疑う。


(!)


 アオダイショウの傍で、もう一人の女が立ち上がる。


 それは白髪の老婆だった。

 艶を失った長い蓬髪ほうはつを束ね、真っ赤な鬼灯ほおずきかんざしを差した老婆。


 装束は白。

 袖の広い鈴懸すずかけに、マリモに似た毛玉が八つ。

 脚に脚絆きゃはん、手に手甲。腰には扇子。


 忍者と言うより修験者――『山伏やまぶし』だ。


 顔の右半分は焼け爛れ、目も潰れていた。

 小柄で、肌は日に焼けている。

 目には猛禽の鋭さ。


(――――)


 直感的に、悟る。

 こいつはかなり危険だ。

 うまく言葉にできないが、今までのヤツとは何かが違う。

 だが――――


『シ、シロマダラ様! か、鏡っ! 主様の鏡がっ!!』


 ノヅチは甲高い声で叫んだ。

 どうやらこの鏡、やはり大事なものらしい。


 誰もいない場所で投げ捨てれば、俺が一方的に悪者扱いされるだろう。

 主様とやらが船をひっくり返すかも知れない。


 だが、ヤツマタ様がいる状況ならどうだ。

 こいつらが『鏡を回収できる状況』なら。

 特殊能力を持つ化け物女が二人だ。

 鏡を見過ごすわけがない。見過ごして俺を討ったとして、咎められないわけがない。


「先手は!!」


 二人までほんの数メートルのところで、鏡をふりかぶる。

 見た目ほど重くはない。

 ぐるんと一回転し、二回転。

 円盤投げの選手のように。


「いただくっッッ!!」


 ぶおん、と。

 フリスビーのように飛んだ鏡が船べりを越える。


 ばっと青と白のヤツマタ様が振り返り、互いの顔を見る。


「さあ拾え! できるだろう? 『能力』を使えばっっ!!」


 言いながら、俺とユメミは子供二人を残して駆け出す。


(!)


 老婆が跳んだ。

 船の外へ、ではない。

 俺の方に、でもない。

 アオダイショウの方へ跳ぶ。


 がつっとアオダイショウが老婆の足首を掴んだ。

 次の瞬間、シロマダラは巨躯を蹴って船の外へダイブする。




 みょりょおお、と。

 脚絆に包まれた脚がゴムのように『伸びた』。




「うっ?!」

「!?」


 伸びた。

 脚が。

 消防ホースのようにどこまでも。

 老婆の本体は船べりを越え、既に見えない。


(掴んだものを『伸ばす』……いや、『軟らかくする』能力……!?)


 思考する間も足は止めない。

 俺とユメミは砂利を踏み散らし、アオダイショウへ襲い掛かる。


 ぶおん、と青い忍者が手を振る。

 そこにあるのは『空気』。

 ヤツマタ様の能力対象。


「かわせ!」

「かわして!」

 

 まっすぐ飛びかかろうとしていた俺とユメミは横っ飛びし、二手に別れた。

 片手が塞がっているアオダイショウを左右から挟む形。


「好きな方を選べ! 溶けるか! 失くすか!」


 布団マントの下からマムシの腕を出す。

 スイッチ、オン。

 触れた空気が溶け、流れ、滴る。

 びじゃじゃじゃ、と溶けた空気が砂利を打つ。


「行くぞ!」


 ユメミと俺は同時に駆け出す。

 アオダイショウは慌ただしく頭を左右に動かしていたが、やがて俺を見た。

 マムシの腕の恐ろしさはよく知っているのだろう。


 青い片手が地面に突き込まれる。

 砂利のその下。

 甲板それ自体に。


「!」


 ぐにょお、と地面が弾力を持つ。

 踏み込んだ脚が沈んだかと思えば、跳ね返る力で弾き飛ばされる。


「くっ!」


 自分を掴まないよう、マムシの手を解除。

 砂利の上を転がる。

 顔を上げると、ユメミがアオダイショウへ飛びかかるところだった。


 太い腕が振られるも、ユメミは花びらの軽やかさで回避した。

 そして左右の脚で太い腕を挟み、残された片腕を絡める。


「いただきます」


 ぐん、とユメミが身を反らす。

 めぢん、と青い腕がもげた。


 アオダイショウは痛みを表現しなかった。

 その場でかかっ、かかかっと足踏みし、体勢を崩す。


「ロッコちゃんっっ!!!」


 ユメミは奪った青腕をロッコの方へ蹴り飛ばした。

 ラグビーボールのように転がる腕を、ロッコとシュウが拾いに駆ける。


 まず一手、先んじた。


「……まだだ!!」


 アオダイショウにはもう一本腕がある。

 好都合なことに、シロマダラの脚を掴んだままの腕。

 シロマダラを手放さない限り、攻撃はできない。

 防御すらできない。

 がら空き。


「そいつも寄こせ!」

「覚悟っ!!」


 俺とユメミが再びアオダイショウに飛びかかった瞬間。


 とん、と。

 何かが船尾に着地する。


(!)


 それは鏡を抱えたシロマダラだった。

 片足はアオダイショウの方に伸びており、形の崩れたフィギュアのようにも見える。


(こいつ、戻って来) 




 とん、と。

 その『手』が船尾付近を叩いた。




「――――」


 一瞬の間。

 そして――――


「?!」


 ぐぐぐ、と。

 船が傾き始める。

 船尾を上に、船首を下に。 


 ざざああ、と。

 砂利が小豆のごとく甲板を流れてゆく。

 俺とユメミはその場で踏ん張ろうとしたが、傾く方が速い。


 傾斜はあっという間に10度、20度、30度と急になっていく。

 堀の水が飛び出し、砂利を巻き込んで船首へ流れ込む。


「兄ちゃん!」

「ひ、ヒゲ!」 


 ロッコとシュウ。

 俺は舌打ちしつつ甲板を滑り降り、二人と合流する。


 顔を上げる。

 シロマダラがいない。


 いや、いる。

 左舷の船べりを滑り降りている。


(あいつ、何を――――)


 その『手』が。

 今度は左舷の船べりに触れる。


 とん、と。


 今度は左舷を上に、船が横に傾き始める。

 そこで俺はようやく、奴の能力に気付く。


(掴んだものを『軽くする』能力……!)


 いや、違う。

 それだと砂利や畳の重量で船体が動かないはず。


 分かった。

 これは『掴んだものを浮かび上がらせる』能力だ。


 船尾を掴めば船尾が浮き、左舷を掴めば左舷が浮かび上がる。

 結果、船体が大きく傾く。

 生者を叩き落とすのに、これ以上ないほど適した能力。


(だが……!!)


 傾く速度は遅い。

 本殿だ。本殿に駆け込めば、安全な客室へ逃げ込める。

 それに奴ら自身も傾斜で




 とん、と。

 シロマダラがもう一度船べりに触れるのが見えた。




「え」




 傾斜が一瞬で45度を超える。

 立つこともままならず、俺たちは石のように甲板を転がり落ちる。

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