第3話 蛇の道は蝮(まむし)


 俺の左腕を溶かした瞬間、既にマムシは『二の太刀』を構えていた。


 矛も盾も溶かす腕。

 両手で俺の左腕を噛んだ蛇女は、左手一本をスライドさせるように動かす。

 溶けた肉で濡れた『手の口』。

 向かう先は俺の顔。


(っ!)


 痛みを感じている場合ではない。

 攻撃をかわすため、身を捻る。


 がくんと膝が折れ、転びそうになる。


「なんっ……?!」


 足がもつれたわけではない。マムシが罠を仕込んでいたわけでもない。

 左腕の重量が消失したことで体のバランスが崩れたのだ。


 マムシは奇襲と先制攻撃で十分すぎるほどのアドバンテージを得ていた。

 その状況で俺は姿勢を崩してしまった。


(やば――――)


 びゅっと残像を残しながら迫るマムシの手。

 思わず目を閉じかけ――――俺は見た。


 マムシの怜悧な美貌に浮かぶ驚愕の表情。

 彼女の左腕は俺の顔に触れることなく、後方へぐりんと引っ張られる。


「?!」


 マムシは横に一回転した。

 自分の意思で回転したわけではない。

 何かに引っ張られ、結果として独楽こまのごとく回転している。


 何かとは、女だった。

 藤紫の女子高生。

 彼女は暗殺者のごとくマムシの背後に忍び寄り、苔緑の左腕を絡め取っていた。

 

 更に、手慣れた動きで脚を払う。

 マムシの肢体が一瞬浮き、ずだあん、と大きな音を立てて床板を叩いた。


(武道……!)


 うつ伏せに倒れたマムシの背に足を乗せ、腕を捻り上げた体勢。

 完全な『ロック』が完成した。


「腕を折ります!」女の子が吠える。「頭を踏み砕いて!」


「!」


 好機。

 肉体の均衡を取り戻した俺は痛みも思考も忘れ、一歩踏み込む。

 振り上げた踵に、足裏に、全体重を乗せる。


 頭蓋骨ごと顔面を粉砕する。

 確実に殺す。



 

 めぢん、と。

 捻り上げられたマムシの腕がちぎれた。




「?!」


 腕を捻った女子高生が体勢を崩し、よろめく。

 蛇女を踏む脚が外れ、ロックが解ける。


 マムシは自分の腕がちぎれたことにも、さほど驚いてはいないようだった。

 彼女は冷静に片手を俺の足元へ伸ばし、床に小さな円を描く。


 ぼじゃん、と。

 本殿の床が突如として水溜りに変じ、俺の軸足が沈む。


「っ!」


 俺は再びバランスを崩す。

 マムシは水溜りに突っ込んだ手に力を込め、背中、尻、足の順に身を持ち上げた。

 そして片手を軸に、開いた両脚を振り回す。

 ブレイクダンスで『トーマス』と呼ばれる動きに似ている。


 振り抜かれた脚が女子高生の膝裏に直撃する。


「くっ!」


 足払いを受けた女の子は膝丈のスカートを翻しながら転ぶ。

 受け身。

 弾かれるように立ち上がる。


 その時には既に、マムシの腕が彼女を通り過ぎている。


「――――」


 くっきりした輪郭を持つ藤紫の右腕が、抽象画のごとく歪む。

 どろろろ、と肩から先が液化する。


「くっ?!」


 藤紫の液体が床を叩いた。

 少し離れた位置に、ちぎれたマムシの腕がぼたりと落ちる。


「ユメミおねえちゃん!」

「ユメミさん!」


 ふわふわ髪とランドセルの悲鳴を浴びながら、女の子が膝をつく。

 マムシは振り上げた片腕を中空で止め、再び振り下ろそうとしていた。

 死に至る『二の太刀』。


「させねえっ!!」


 俺はスマホを振りかぶり、マムシの後頭部に投げつけた。

 ごっ、と。石にも勝る一撃。

 忍者の黒髪が蜘蛛の巣状に広がり、まばたき一つを挟んでばさりと垂れる。


(――――)


 倒れてくれ。

 凝縮された時間の中、心の中でそう願う。


 ふわふわ髪とランドセルの男の子は心も体も戦力外だ。

 一番年上のユメミも右腕を失くし、俺も左腕を溶かされた。


 マムシも隻腕だが、動きはむしろ軽快さを増したように思える。

 そして『噛んだものを溶かす』能力は健在。

 ユメミと二人がかりでも、こいつを叩きのめせる未来が見えない。

 まして船から叩き落とすなど。


(いや……)


 俺とユメミの二人で戦いを挑めば、こいつは隙を見て少年少女に襲い掛かるだろう。

 誰も死なせないつもりなら、俺かユメミのどちらかが二人を護衛しなければならない。

 武の心得がない俺に子どもの護衛は務まらない。

 俺にできるのは鉄砲玉になることだけ。


 つまり今の一撃で沈まなければ、マムシと戦うのは俺一人。

 俺一人で、片腕一本で、この化け物をノックアウトさせるしかない。

 

(無理だ。絶対できねえ……!)


 いっそ子供のどちらかを囮にするか。

 ――――浅知恵だ。俺がマムシの立場なら、その程度の策は読む。

 読んだうえで返り討ちにする。


 もう一段深く読まなければマムシは騙せない。

 だがもう時間がない。

 時間が。

 

(……!)


 隻腕のマムシは一瞬よろめいたが、倒れることはなかった。

 そして、ゆらりと。

 憎悪に歪んだ表情で振り返る。


「っお前ら隠れてろ! ユメミさんはそいつら護れ! こいつは俺が!」


 放擲のために伸ばし切った手で、ちょいちょいとマムシを誘う。


「来いよ。お前の『弱点』は分かった……!」


 マムシは目を細めた。

 警戒か、疑問か。


「に、兄ちゃん、そいつの弱点なんか分かるの……?!」


「当たり前だろ! 二十六歳を舐めんな!」


 もちろん、はったりだ。

 俺は心臓にびっしょりと汗をかいていた。


(弱点……こいつに弱点なんかあるのか……?!)


 無い。

 あるわけがない。


 マムシはあらゆるものを溶かす。

 チタン合金も、ダイヤモンドも。

 ナパームの炎も、VXガスすらも。


 すべてをドロドロに溶かすこんな怪物に、俺が勝てるわけがない。

 勝て――――


「……いや、勝てる」


 俺は断じた。


「勝てるぞ……!」


 自己暗示ではない。

 僅かに見えた。光明が。

 俺は人差し指を立て、マムシに向ける。


「お前なんか落とすまでもねえ! この船の上で、俺がこの手でぶっ倒してやるよ!」


 苔緑の女は濡れた手を掲げた。

 しゅるるる、と舌が出入りする。


「来い! 溶かしてみろよ、俺を……!」


 頭部への一撃が効いたのか、マムシは僅かによろめいた。

 またフェイントかも知れない。俺は攻め込まず、後ずさる。


「カカシです!」


 苦悶の表情を浮かべるユメミが気丈にも叫んだ。


「船べりにカカシがありました! あれを折って武器に!」


「――――!」


「素手では――」


 勝てません。

 その声を聞くことなく、俺は背を向けて駆け出す。

 ほぼ同時に、マムシも床を蹴った。






 本殿を飛び出し、玉砂利を踏む。


 赤い月が二つ昇る空は文字通りの漆黒。

 船べりに設置された小さな石灯籠が、白く滲むような燐光を漂わせる。


(カカシ……!)


 どっちだ。

 どっちにあった。

 船尾に向かって右手か、左手か。


 マムシの足音が迫る。

 やむなく、右へ走り出す。

 最高速に乗ったところでマムシが玉砂利を蹴り散らす音。


 じゃじゃ、じゃ、じゃじゃじゃ。

 ががじゃじゃ、と二人分の足音が絡まる。


 この得体の知れない場所にも空気があり、時は経つ。

 俺の心臓はバスドラムばりに高鳴り、全身は発火したように熱くなっていた。

 

 幸い、溶かされた左腕に出血はなかった。

 肘付近の肉が凝固しているらしく、石膏像の腕さながらに断面が硬化している。

 痛みはあった。

 猛烈な痒みと、痺れるような高熱を伴った痛みが。


(畜生……! 痛ぇ……!)


 がじゃじゃじゃじゃ、とマムシの足音が思考をかき乱す。

 片腕を失ったことによる影響は小さくない。

 重心が狂ったことでフォームは崩れ、速度が僅かに落ちている。


 一方、マムシのスピードはまったく落ちていない。


(追いつかれる……!)


 元々情熱的ではない精神が、あっという間に音を上げる。

 死のう、休もう、と。

 どうせ失うもののない人生だ、と。


(まだダメだ……まだ……!)


 俺は何も成し遂げていない。

 何も成し遂げられなかった。


 死ぬ前に成し遂げたい。

 親への報復を。

 俺の子を幸せにすることで。

 立派な親になることで。


 呪詛を吐きたい。

 この胸に黒く淀む憎悪と憤怒をぶちまけてやりたい。

 そのために、俺は生きて帰る。


 ノヅチの言う通り、後ろ向きな情熱なのだろう。

 分かっている。分かっているが、もう俺にはそれしかない。

 夢も、野心も、飢えすらも感じない俺がただ一つ確かに掴んでいるのは、過去への粘ついた執着だけだ。


 だから、勝つ。

 狭い心に怒りを燃やして、俺は勝つ。


(勝つ……!)


 戦いの無い人生は無い。

 凪ぎ続ける海がないように。


 平凡な人生の歩み手である俺ですら、何度となく他人と争い、戦った。

 言葉。態度。あるいは拳で。

 有形の戦いもあれば無形の戦いもあった。無益なものもあったし、不可避なものもあった。


 見出した真理は一つ。


 ――『自滅』。

 それこそがすべての戦いに通じる必勝法。

 

 多弁な者には気持ち良く話させ、語るに落とす。

 力自慢には気持ち良く殴らせ、司法の場へ連れ出す。

 陰湿な者には気持ち良く嫌がらせをさせ、油断を誘う。


 蜂の針。

 鷲の爪。

 人の知恵。

 すべての生き物は強みを活かそうとする。

 否、活かさずにはいられない。


 だから俺は利用する。

 敵の強みを逆手に取り、自滅させる。




 そして俺は辿り着く。




 本殿を背に、右へ右へと走り続けた先。

 逆側から見れば、本殿のある船首に向かって左手。船の左舷。すなわち――――


(堀……!)


 プールよりも広い堀。

 カカシではない。カカシは反対側、つまり右舷に立っている。

 ここに武器は無い。


「っ。……っ」


 俺は走る勢いそのままに、ばしゃばしゃと浅瀬へ入り込む。


 黒く濁った水はぬるい。

 深さは腿まで届くほどで、底には何か丸いごつごつしたものが転がっている。

 

「!」


 じゃりりり、と。

 マムシが堀の縁で急停止する。


 俺はベルトを抜き、振り返る。

 さすがのマムシも呼吸を乱しており、片手の口からひゅーひゅーと息を吐いていた。

 

 ばしゃり、ばしゃりと後ずさる。

 マムシはちらと水を見、俺を見た。


 水中なら、さしものマムシも機動力が落ちる。

 更に俺は硬いバックルのついたベルトを掴んでおり、リーチが広い。

 先手を取るのは俺だ。

 

 だがマムシには『噛んだものを溶かす能力』がある。

 彼女が掴めばベルトは唾液の橋さながらに溶け落ち、丸腰の俺はなすすべなく溶かされ、死ぬ。


 俺の振るうベルトが当たるか当たらないか。

 それが勝負を分ける。


(――――)


 マムシはほんの僅かに躊躇した。

 おそらく背を向けて逃げることを考えているのだろう。


 だが、奴は逃げない。より正確には『逃げられない』。

 片腕を失った俺の走るスピードはマムシより僅かに遅かったが、それが本当なのかどうか、奴には知る術がない。

 マムシは狡猾だ。

 狡猾であるということは、慎重であるということ。

 奴は俺のフェイントを疑っている。

 

 今、マムシは疲弊している。

 もし背を向けて逃げ出し、全力の俺に追いつかれたら。

 ベルトの一撃が後頭部に当たりでもしたら。


 首尾よく本殿へ着いたとして、あの三人が残っているとは限らない。

 万が一どこかに身を潜めていたら、待っているのは俺とユメミによる挟撃。


 物言わぬ怪女が思考する。

 そして――――


(……)


 隻腕の女がざぶんと水に入り、俺はその分後退する。

 堀の深さはほぼ一定。

 彼女の起こした波紋が黒い水面に広がってゆく。


 俺は後退する速度を緩める。

 距離が縮む。

 太刀を構えた武士のごとく、俺たちは息を殺す。


 距離、十歩。


 怪異に満ちた闇の中、鼓動が俺の全身を震わせる。

 目の前には女。

 人を溶かす隻腕の化生。


(!)


 マムシは腕を失った左半身を前に、残された右腕を引く。

 ちょうど、太刀で突きを構えるかのように。


 俺はベルトを軽く振り、同じく右半身を後方へ引く。

 振り抜いてバックル部分をぶつければ、勝負が終わると信じて。

 

 マムシが掴むか、俺が勝つか。


 どっ、どっ、どっ、どっ、と。

 視界が揺れるほどの心拍。

 臨死の興奮は熱く甘く、俺の口角は自然と持ち上がる。


 マムシは笑わない。笑う口が無いからだ。

 だが鼻から細く出る息が熱と湿り気を帯びているのは分かる。

 ふしゅー、ふしゅー、という荒い呼吸。


 どちらからともなく、歩み寄る。

 互いの発した漣が水面を走り、互いの腿に触れる。


 七歩。


 五歩。


 ――三歩。



 振り抜く。

 ベルトは鞭のごとく歪み、黒革が俺の視界を横切る。


 コンマ一秒。

 マムシの方が速い。


 ばちんと掴まれるベルト。

 バックルは彼女の頬を掠め、ぶおんと宙を叩く。

 溶解が始まる。

 マムシの目が細められる。


 どろりと溶け、滴るベルト。

 それを見ながら、片腕で飛びつく。

 ――――マムシの腕に。




 俺はベルトを振り抜いたのではない。

 投げつけたのだ。


 そして奴がベルトを掴んでいる隙に、その腕に飛びついた。




(……!)


 全体重を乗せ、マムシを水中へ引きずり込む。

 だが彼女の全身が沈むことはない。

 マムシは両脚で踏ん張り、前のめりになったところで停止した。

 沈んでいるのは肘から下だけ。

 彼女の手首を掴んだ俺は、縋りつくような前傾姿勢だ。


 鼻先がぶつかるほどの距離。

 マムシが今度こそ俺を嗤う。

 嘲りと侮蔑で眉が垂れ、目が細められる。


「気持ち良かったか? 『強み』を活かすのは」


 俺も笑う。

 歯を剥いて笑う。


「お前の負けだよ」


 瞬間、マムシの顔から笑みが消える。

 だがもう遅い。


「『噛んだものを何でも溶かす』能力」


 片腕同士。

 俺の手はマムシの手首を掴み、水中へ沈めている。


「じゃあ、『水』はどうだ?」


 マムシが一瞬、呆気に取られる。


 そして俺に向けていた目線を滑り落とす。


 俺の肩。

 俺の腕。

 ――俺の手。


 俺の手はマムシの手首を掴み、水の中に引き込んでいる。


「『水』はもうそれ以上『溶かせない』。……ここなら、お前は何もできない」


 だが、溶かせないことは彼女にとってさほど問題ではない。

 マムシの手を掴んでいる間、俺の手も封じられているからだ。


 三秒後、我に返ったマムシは暴れるだろう。

 先ほど見せたブレイクダンスでも良いし、使えるのなら蹴り技でもいい。

 激しく抵抗された俺は手を離し、マムシは俺をひと噛み。

 それですべてが終わる。

 

 ――――だが、そうはならない。


「お前の口、飾りじゃないんだな」


 怜悧な美貌に疑問が浮かぶ。


「『呼吸』できるんだなって意味だよ」


 俺は水底を蹴り、マムシにキスせんばかりに顔を寄せる。

 そして――――鼻を噛む。

 思い切り、噛み千切る。


 めぎい、という軟骨のひしゃげる音。

 赤い血が噴き出し、マムシが声なき悲鳴を上げる。

 そして――――


「鼻は潰したぞ。口はどこだ?」


 ヤツマタ様の口は鼻の下にはない。

 口は手の中。今は水の中。

 水の中では呼吸ができない。

 潰れた鼻でも呼吸はできない。

 

 ごぼぼ、と。

 水に沈んだマムシの手から泡が噴き出した。

 それは黒い水面でぼごぼごと泡立ち、女は全身を狂ったように痙攣させる。


「……!」


 マムシの顔面が歪み、鼻から血が噴き出す。

 どういう仕組みなのかは分からないが、手から入り込んだ黒水も鼻から噴き出した。

 水で薄めた墨汁に似た液体が、砕けた鼻からダブダブと流れ落ちる。


「っっ!!」


 暴れはじめるマムシの腕を押さえ、俺は耐えた。

 腕力は俺の方が上だ。

 耐える。耐えれば勝てる。


「~~~~っっ!!」


 マムシが腰を引き、逃げ出そうとする。

 首を振り、頭突きを食らわせ、体当たりで俺を転ばせようとする。

 

 俺は逃がさない。

 掴んだ手を離さない。

 両脚を開き、重心を低く保って転ばない。


「~~~~~~~!!!」


 今やマムシの鼻からは血の混じる黒い水が滝のごとく流れ出していた。

 充血し切った目からは涙。

 おぼぼぼ、ごぼろろ、と鼻から濁った音。


 やがてマムシの全身が奇怪なダンスを踊り始める。

 腰から上が曲がり、伸び、また曲がる。

 首がぐりんぐりんと不気味に動く。


 転び、水に沈む。

 女が暴れる。毒汁を浴びたタコさながらに水底で暴れ回る。

 

 俺は逃がさない。

 掴んだ手を離さない。

 両脚を開き、重心を低く保って転ばない。




 一分、あるいは十分の後。

 手から吐き出され続けた泡は止まり、マムシが動かなくなった。






 





『いやあ、びっくりしましたねえ……』


 見れば狐面の浴衣姿、ノヅチが歩み寄るところだった。

 びっしょりと汗をかいた俺は、マムシを陸に引き揚げていた。


 俺の勝利条件はあくまでも『マムシを船から落とすこと』だったはず。

 殺しても勝ちではない。

 死んでいるのかは怪しいが。


『まさかマムシ様を……いやあ、びっくりですよこれは』


 ぜえぜえと息を吐いていた俺は、顔の汗をシャツで拭う。


「……こいつ、何なんだ」


『言いましたでしょう? ヤツマタ様ですよぅ。ほら、賽銭箱にも書いてありましたでしょ? なみなり、なみなり、われらなみなり、とね』


 書いてあった。

 確かあそこにはマムシの名前もあった気がする。

 それに名前を呼ばないとどうとかいう文言もあったような。


生人いきびとが船に乗ると、連れて行くためにいらっしゃるのですよ。あるじ様のご命令で』


「……あるじ様?」


『ええ、ええ。アタシの主様でもありますね』


 片腕を千切られ、鼻を潰され、あげく溺れてしまったマムシを前にしてもノヅチは怒る様子がない。

 上司が同じ、別部署ということだろうか。


『ヤツマタ様はどなたも女性でして。彼岸へ向かう七つの夜、毎夜必ず二人組でいらっしゃいます。どなたも手に口をお持ちでねぇ、『噛む』と奇怪なコトが起き「待て」』


 遮ると、ノヅチは首を傾げた。


「い、今、お前何て言った……?」


『どなたも手に口をお持ちで――』


「違う。その前だ。毎夜……」


 ええ、ええ、とノヅチは頷いた。




『ヤツマタ様は、『毎夜必ず二人組で』いらっしゃいます』




「――――!」


 遠い本殿へ目をやる。


 扉は開いている。

 俺とマムシの死闘は見えていたはず。



 ――子どもたちの姿が、無い。


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