第53話 悪いお姉さんにたぶらかされた僕はすごく強いぞ?(ラストバトル)

 後方の竜骸戦車が咆哮を上げ、砲塔にブレスの光が生まれた。

 その背からメアリが身を乗り出して叫ぶ。


「シド、駄目よ! ブレスを撃つのは最初の一度だけって言ってたじゃない……っ」

「状況が変わった。クソ神官に一撃ぶち込んでやらなきゃ気が済まねえ!」

「馬鹿言わないで! このブレスの源は――あなたの魂なのよ!?」


 空の上、ルカが眉を顰める。


「シドの魂だって?」

「だからなんだ!?」


 俺は聖剣を振りかざして、天を睨む。

 竜骸戦車の素体のダークドラゴンはすでに死んでいる。ブレスを撃つには死骸を魔術で活性化しなければならない。

 大規模な魔術には大きな代価が必要だ。それが勇者の魂ならば申し分ない。

 悪魔憑きの騎士団デモン・クラウンの要、竜骸戦車のブレスは俺の寿命と引き換えだ。


「犠牲を厭わないなら、まずは自分の身から削るのが筋だ。俺の魂なんざ、いくらでもくれてやる!」

「いいの? そこまでしたって、世界が君を褒めてくれるわけじゃないだろ?」

「見返りを求めて正義が成せるか!」


 聖剣の切っ先を空へ突きつける。

 竜骸戦車が呼応し、唸り声と共にブレスを吐き出した。その圧倒的な光量によって景色は反転、草原に暗闇が訪れる。

 勇者の命を噛み潰し、黒い太陽が解き放たれる。


「どうだ、クソ神官! このブレスは勇者と悪魔とドラゴンの力の混合体だ。たとえ第二形態だろうと阻めるもんじゃねえぞ!?」


 ルカはすぐには返事をしなかった。

 迫りくる黒い太陽を見つめ、細く息をはく。


「あのさ、シド。今思ったんだけど……なんだかんだ、僕より君の方が優等生じゃないかな?」


 ……なんだ? なんの話だ?

 俺は眉を顰める。その間にもブレスは突き進む。けれど空の上の神官は平然としている。


「だってそうだろ? 君はずっと使命に固執している。魔王に負けようが、悪魔に魂を売ろうが、何がなんでも世界を救うって意思を崩さない。これが優等生じゃなくてなんなのさ?」

「だからなんだ!? 何が言いたいんだ、てめえは!?」

「元・優等生としての忠告だ」

 ローブが翻り、聖杖が構えられる。




「悪いお姉さんにたぶらかされた僕は――すごく強いぞ?」




 次の瞬間、聖杖がかつてないほどの輝きを放った。

 宝石部分が変化し、赤い結晶体に姿を変える。その光は鋭く、熱く、草原を覆う闇を切り裂いた。


 聖杖が内包している、幾何学的な結晶体。

 その正体に思い当たり、俺は愕然とする。


「嘘だろ、まさかあれは……っ!?」


 心に隙ができ、アモンが聖剣を通して叫んだ。


「『終幕の力だ! やべえぞ、シド様! 逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ、今すぐ逃げろ! オレらが聖女を喰うより早く、あの神官が機械仕掛けの神の力を手に入れやがったんだ……っ!』」


 赤の光が一条の矢となり、黒い太陽を貫いた。

 同時、神官の声が朗々と響く。


「神聖結術! 詠唱、新説の一巻第一説『僕はオリビアさんにもらった力を放ち、この草原から悪魔共を一掃する』」


 赤の光が獰猛な力で黒い太陽を叩き割った。

 行き場を失った熱と炎が空中で爆発し、草原の大気を震わせる。


 神聖術の知識は俺にもある。

 結術は神聖術において起承転結の『結』に位置し、『事象すべてを結末に導く』という術だ。

 本来は悪魔祓いで悪魔の存在そのものを抹消するために使われるのが結術のはずだ。

 だが考えみれば……その本質は機械仕掛けの神の『終幕の力』と非常に近い。

 ルカは結術と重ね合わせることで、『終幕の力』を完全に制御下に置いたらしい。


「クソッ、天才様の本領発揮ってことかよ……っ」


 黒い太陽を砕き、赤の光は真紅のカーテンのように草原すべてを覆い尽くす。

 響いたのは悪魔たちの絶叫。騎士や兵士たちから闇が祓われていく。

 ルカの唱えた言葉が現実という物語を上書きしていた。『終幕の力』はすべてを神官の望み通りの結末へ導こうとしている。


「『ああ、滅びる……っ。このオレがこの世から抹消されちまう……っ!』」

「耐えろ、アモン! てめえも高位悪魔の端くれだろうが!」

「『無駄だよぉ。相手は伝承の神官だぜ。最初からオレたち悪魔が敵うわけがなかったんだ……っ!』」


 とうとう黒い太陽が爆発し、悪魔を失った騎士や兵士たちは皆、木の葉のように吹き飛ばされた。

 一万人の軍勢は崩れ去る。たった一人の少年の手によって。


「終わりだ、シド。僕は覚醒した。もう君は敵わない。諦めろ」


 風のなかでルカが言う。

 もう軍勢はいない。アモンの力が弱まったことで竜骸戦車も骸に戻りかけている。

 メアリは魔王に負けた時、恐怖から攻撃魔術を使えなくなっている。

 勝敗はすでに決していた。それでも。


「まだだ!」


 俺は聖剣を振り上げる。


「諦められるか! こんなところで俺は終われねえんだよ!」


 搾りカスのようなアモンの力をかき集め、魔術を展開。

 聖剣に闇をまとわせて大地を蹴る。黒い炎のような尾を引き、斬撃を放った。


「俺は勇者だ! 勇者シドは二度と負けられねえんだ!」

「なら神官として相手になるよ。掛かってこい、優等生! 伝承の神官ルカ・グランドールが君に敗北を与えてやる!」


 トライデントの刃に赤の光が宿る。

 聖杖と聖剣は再び空で激突した。無数の衝撃波が空を踊る。

 だが触れた端から魔術の力が失われていく。聖杖が一振りされる度、大人と子供のような力の差で弾かれる。


「ちくしょう……なぜだ!? 何が違う!? 俺とてめえの一体、何が違うっていうんだよ!?」 

「分からないのか? 僕と君の違いなんて一目瞭然だ!」


 聖杖の末端で胸を打撃された。魔王戦からずっと装備していたブレスト・プレートが派手に砕け散る。

 衝撃で呼吸が一瞬止まった。歯を喰い縛って耐え、聖剣を斬り下ろすが、三つ又の刃が絡みつくように斬撃を封じた。


「よく見ろ、シド。僕たちの背中を見守っている人たちを」


 風に揺れるローブの向こうには、聖シルト大神殿があった。

 そのテラスの手すりには王女が座っている。

 その目は穏やかに細められ、どこか楽しそうにこの戦いを見ていた。


「なんで笑ってるんだ、あの女は? こっちは命懸けで殺し合ってるんだぞ……っ」

「そっか、やっぱりオリビアさんは笑ってるんだな。僕の思った通りだ」


 ルカは照れくさそうに笑った。背中越しの王女と同じように。

 そして滑るように聖杖を傾ける。


「シド」


 半円を描き、トライデントに挟まれている聖剣が軋みを上げた。


「君の背中を見守っている人は――泣いてるぞ」

「……っ」


 なぜか。

 その一言が胸に突き刺さった。

 魔王に負けようが、人々に罵倒されようが、勇者に付き従ってくれた魔法使い。

 彼女の泣き顔はあまりに容易に想像できた。


「君の敗因はたった一つだ」


 ルカは静かに拳を掲げた。

 そこへ凄まじい勢いで星の光が集まっていく。無詠唱の神聖術だ。とっさに「アモン! 力を振り絞れ、アモン!」と怒鳴るが、もう返事すら聞こえない。

 聖剣はトライデントに挟まれて軋みを上げている。魔術もアモンを失って打ち止めだ。――逃げられねえ。


「君が弱いわけじゃない。軍勢を率いた作戦も悪くはなかった。悪魔を利用したことだって、この際いいさ。君が負ける理由はただ一つ。それは――」


 神官は光の拳撃を振り抜く。


「――自分の大事な女【ひと】を泣かせたことだッ!」


 顔面に直撃し、衝撃波で跳ね飛ばされた。


「『ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!』」


 響いたのはアモンの声。悪魔が消失していく。

 それでも聖剣は離さない。死んでも離さない。

 俺は吹っ飛ばされていく。

 空と草原が反転した視界で、竜骸戦車の背のメアリが見えた。


「シド……っ!」

「ああ、ちくしょう……」


 本当だ。

 泣いている。

 命を削たブレスを撃ち、撤退の進言にも耳を貸さず、挙句、無様にぶっ飛ばされた勇者を見て、魔法使いが泣いている。

 こんなはずじゃなかった。

 こんなはずじゃなかったんだよ……っ。


「嫌だ……っ」


 地面が近づくなか、聖剣を握り締める。

 構えはメチャクチャで、たぶんもう魔術も展開できない。それでも天を振り仰いだ。


「俺はまだやれる! まだ終わらない、終わりたくないんだ……っ!」

「もう終わってるんだよ。悪魔に魂を売った、その時に」


 追撃は赤い光と共にもたらされた。世界に終わりをもたらす、『終幕の力』。

 赤き聖杖の一撃が刀身に直撃し、そして――聖剣はへし折れた。


「あ、ああ……っ」


 真っ二つに折られ、ついに剣が手から離れた。

 聖剣だったモノが宙へ舞うのを見つめ、呆然と呟く。


「負けるのか、俺は……」


 悪魔の力を宿した勇者。

 神の力を宿した神官。

 両者の勝敗はここに決した。


 俺は地面に激突し、大量の土砂が巻き上がった。クレーター状の穴に倒れた勇者へ、砂の雨が降り注ぐ。

 その横へ、ルカがふわりと降り立った。


「僕の勝ちだ」


 ルカは聖杖でトンッと地面を叩き、髪を揺らした。

 倒れた俺を見下ろし、告げる。


「帝国に戻って世界中に伝えろ。聖女の皆さんにはこの僕がついている。悪魔だろうと人間だろうと手出しはさせない。文句がある奴は掛かってこい。一人残らずぶっ飛ばてやる」

「……は、そりゃ恐ろしいこった」


 すでにアモンの力は消えていた。

 俺ももう指一本動かない。


「……てめえは機械仕掛けの神の力を手に入れた。もうどんな強国だろうと、てめえを敵にまわそうなんざ思わねえだろうさ。……だが代わりに祝福もされない。これで天才神官として世界中からもてはやされることもなくなったぞ。それでもいいのか……?」

「いいよ、別に」


 ひどくあっさりとした頷きだった。

 ルカはローブをはためかせ、背中を向ける。



「世界からの祝福なんてどうでもいい。僕は――オリビアさんに格好良いところを見せたいだけなんだ」



 笑顔と共に風が吹いた。

 それは何物にもとらわれず、地平の果てから果てへと駆ける、とても自由な風だった。

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