第51話 王女の景色、少年の空

 オリビアさんを喰らおうとする悪魔、尊厳を汚そうとする男たちへ向けて、僕は叫んだ。

 いつか彼女が望んだ、その言葉を。


「俺の女に手を出すな――ッ!」


 次の瞬間、膨大な星の光が渦を巻き、天を貫いた。

 無数の刃はその光に溶け、聖杖は本来の姿を形成する。


 竜骸戦車ではシドが身を乗り出していた。


「おいおいおい、冗談だろ!? なんなんだ、あの女……っ」


 視線は星の渦よりも、崖下のオリビアさんを見ている。


「たった十秒でクソ神官を――十年分成長させやがった!」


 同時、星の渦から一筋の流星が飛び出した。

 汚れたローブをはためかせ、飛翔するのはルカ・グランドール。魔法使いのホウキのようにその身を運んでいるのは、聖杖フォーガリア。

 草原の空を駆け抜け、僕は崖へと到達する。


「オリビアさん!」

「『くっ!? ルカ・グランドール、またしても貴様か……っ! だが忘れてはおるまい。貴様には欠点が――なっ!?』」


 アッシュブロンドの髪を振り乱し、こちらを向いたルキフェルが驚愕する。


「『その杖は……聖杖の第二形態だと!?』」


 美しい宝石部分から伸びる刃は三つ又のトライデントになっていた。

 言わずと知れた、第二形態。七大悪魔を祓うための姿だ。


「『馬鹿な……貴様の欠点は若過ぎること! その無垢な精神性では聖杖を扱えなかったはず……っ。く、来るな!』」


 オリビアさんを離し、ルキフェルは巨大な手のひらを鞭のように放ってくる。

 でも僕は止まらない。


「邪魔だ! どけえええええッ!」


 トライデントから鋭い光が放たれた。

 光は渦のように回転し、ルキフェルの胸元を直撃する。


「『あああっ!? 馬鹿な馬鹿な馬鹿な、この我がこんなところでぇぇぇぇっ!?』」

「消え失せろーッ!」

「『あああああああああッ!?』」


 ルキフェルの体は渦に抉られるように消し飛んだ。

 七大悪魔の一角を瞬殺し、僕は空中を駆け抜ける。聖杖に跨るのではなく、柄の部分に両足を乗せ、崖に沿うように滑空。


 オリビアさんはルキフェルの手を離れ、再び落下していた。

 その先には目を血走らせた兵士たちがいる。

 美しいブロンドが武骨な手に掴まれる寸前、鋭い風が駆け抜けた。


 僕が一瞬でオリビアさんをさらい、兵士たちはその爆風で吹っ飛ばされる。誰もいなくなった空間に草の葉がはらりと舞った。


「間に合ってくれたね。またキミに守られちゃった」


 あれだけのことをしながらオリビアさんは平然と笑みを浮かべた。


「これ、お姫様だっこだよね? あ、私は王女だから……王女様だっこかな?」

「馬鹿なこと言ってる場合じゃありません!」

「わ、ルカ君が珍しく私に辛辣」

「辛辣にもなります!」


 僕はオリビアさんを抱き、聖杖を方向転換。

 軍勢の魔術攻撃を避けて、崖を上がっていく。


「なんでこんな危険なことしたんですか!? あと少しでどうなってたか分からないんですよ!?」

「でもちゃんと守ってくれたよね? 聖杖もこうしてトライデントになってるよ」

「それは……っ、僕にもどうして出来たか分からないですけど……」

「私には分かるよ。とても簡単なことだもの」


 オリビアさんの手が頬に触れ、慈しむように撫でられた。



「キミはね、世界なんてどうでもよくなっちゃうくらい、私のことが大切なんだよ」



「……っ、だ、だとしたって第二形態を使えるようになった理由には……」

「この杖は悪魔を祓って、世界を平和にするための杖なんでしょう? 世界の醜さを知らない人間に世界を救うことなんてできないわ。人はね、自らの手を汚して初めて、汚れた世界を救うことができるの」


 それは王国の第一王位継承者としての言葉だった。

 同時にちょっと悔しくなるくらい、すっと胸に下りてくる言葉だった。


 世界は醜い。きれいなだけの人間には救うことができない。

 だからこそ、第二形態は戦いを想起させる形をしていたんだ。


 たとえ世界がどんなに醜くても、美しいものを見つけ、そのために戦えるように。

 ……ようやく理解できた。これが善神と聖杖の意思。

 

 思えば、オリビアさんは以前に僕の部屋で聖杖の件を解決できるかもと言っていた。最初から分かっていたんだ。僕に足りないのは、世界の醜さを受け入れる経験だと。

 だから自分の姿に変化させて、兵士たちの前に立たせたのだろう。

 

 すさまじい荒療治だけど、文句は言えない。

 だってきれいなだけが世界の在り方じゃないと、僕はもう知っている。

 僕自身、こうして駆けつけることが出来たのは、『オリビアさんを誰にも奪われたくない』という強烈なエゴがあったからだ。


「世界は、そして人間は……複雑なんですね。正しいだけじゃ何もできないんだ」

「……そうだね。正しさだけをずっと信じていられたら、それは素晴らしいことだと思う。実際、この神殿で育ったキミはそういう正しい良い子だった。だけど……ごめんね」


 風をかき分けるように進み、ついに崖の高さを越えた。

 青空のなか、ブロンドが溶け込むように輝いている。

 オリビアさんは申し訳なさそうな顔で、もう一度「ごめんね」と囁いた。

 そして言う。まるで懺悔のように。




「私は悪いお姉さんだから、キミをたぶらかしたくなっちゃったの。真っ白な雪原を私の色で染め上げて、同じ景色を見てほしくなっちゃったんだ……」




 彼女の瞳にはどこか責めてほしいという気配があった。自分を裁いてほしいという願いがあった。

 以前の僕ならきっとこう言っただろう。

 そんな考え方は冒涜的です、と。


 でも僕は気づいてしまった。

 ドレスの肩が――とてもか細く震えていることに。


 ああ、まったく……。

 胸中にため息がこぼれる。

 この人はどうしてこうなのだろう。

 自分で悪魔を解放したり、崖から飛び下りたり、男たちの欲望に晒されそうになったり……普通に考えて、そんなの怖くないわけがない。

 でもオリビアさんは平気な顔をしようとするのだ。

 最強の王女様の顔を保とうとする。

 本当はこんなに肩が震えるほど、怖かったはずなのに。

 でもそれもこれも……僕のためだ。


「オリビアさん」


 肩を強く抱き寄せる。

 守りたいと思った。

 世界を守る使命なんて、もうどうでもよくなってしまうぐらい、この人を守りたいと思った。


 でも、きっとこれでいいんだ。

 この気持ちがあれば、僕はもう二度と――迷わない。


「ありがとう、オリビアさん。僕をたぶらかしてくれて。おかげで……」


 ローブを翻し、空の上で大きく旋回。



「あなたと同じ景色が見られた!」



 風を巻き上げ、見下ろすのは遥かな草原。

 雲間からは陽の光が差し、地平線の先まで続く緑の大地を照らしている。

 絵画のように美しい景色だった。


 でもきれいなだけじゃない。

 草原には悪魔を宿した者たちがたむろし、炎のような闇を揺らめかせている。

 彼らは他者を傷つけることを厭わず、隙あらばすぐに欲望を吐き出す。でもそんな彼らにさえ、互いを思い合う美しい善性があることを僕はもう知っている。


 美しさと醜さが等価に共存する場所、これを世界と呼ぶのだろう。

 オリビアさんはこんな景色をずっと見続けてきた。

 知らなければよかったなんて思わない。同じ場所に立てたことを嬉しく思う。


「僕、なんだか吹っ切れました」

「良かった。じゃあ、あとは任せたよ?」

「はい、任せて下さい」


 輪舞のように軽やかに下降し、オリビアさんを第一神殿のテラスへ下ろした。


「ここで待っていて下さい。シドのところへいってきます」


 手すりへ腰掛け、彼女は問う。


「話し合いにいくの?」

「いいえ」


 僕は首を振り、爽やかに笑顔を見せる。


「シドをぶっ飛ばしてきます。だってオリビアさんたちを喰らうとか、言ってることがムカつくし」


 オリビアさんが噴き出した。


「変わったね、ルカ君」

「駄目でしょうか?」

「ううん、男の子っぽくって格好良いよ」


 彼女は手をかざす。


「じゃあ、そんな男の子なルカ君には特別にコレをあげる」


 空間が歪むようにして手のひらに現れたのは、幾何学的な結晶体のようなものだった。

 色は赤。ほのかに光っているけど、神聖術の光とは気配が違う。


「え、ひょっとしてこれは……機械仕掛けの神の『終幕の力』!?」

「みたいだね。ルキフェルが消えた途端、頭のなかで声が聞こえたの。『傲慢を退けし、謙虚を司る聖女よ。我が力、汝に託す』って。たぶんルキフェルや勇者の言ってた奴ら・・って、この声のことだね」


 善神によって『終幕の力』には精霊のような意思が備わっている。

 その意思が力をオリビアさんに譲渡したのだろう。


「謙虚な私はこんな力使わないから、キミにあげる。こうやって……ね♪」


 結晶体がさらりと溶けて液状化した。

 オリビアさんはそれをさっと唇に塗ると、僕の額に――キスをした。


「ふえっ!? オ、オリビアさん!?」

「王女様からの祝福のキス。しかも神様の力付きだぞ?」


 その言葉通り、一瞬額が燃えるように熱くなり、強い力が溶け込んだのを感じた。

 なんか僕……世界を滅ぼすような力をもらったっぽい。


「い、いきなり過ぎますよ……っ」

「大丈夫、ルカ君なら使いこなせるはずだよ。だって私に宿った力だもの。ちゃんとキミの役に立ってくれるよ?」

「や、そっちの話じゃなくて、キ……っ」

「いいから、いいから」


 そっと耳を寄せ、オリビアさんは内緒話のように囁く。

 甘い吐息つきで。


「ルカ君の格好良いところ、もっとお姉さんに見せてね? そしたら……お礼にもっとすごいことしてあげる」

「~~~~っ」


 お礼。すごいこと。もしかして――おっぱい!?

 一瞬で色んな想像が駆け巡り、クラッときた。そのまま聖杖から落っこちそうになり、


「頑張ってねー」


 小さく手を振るオリビアを見上げながら、落下した。

 僕は真っ逆さまに落ちていき、使い手のいなくなった聖杖が慌てたように追いついてくる。


 まだクラクラしながらどうにか柄を掴む。

 もう、オリビアさんは……っ。

 そんなことを思いながらも、口から出るのは元気いっぱいの返事だった。


「はい、もう思いっきり頑張りまーすっ!」


 軍勢に衝突しそうなところで危うく方向転換。

 神聖術の光を伴い、流星のように飛んでいく。

 目指すはシド・ソーディンのいる、軍勢中央だ。


 堕ちた勇者と目覚めた神官、両者はついに激突する――。


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