偽の恋人 5

 クラウス王子を見上げた私は、その表情にハッとする。いつになく真剣な様子の彼は、私を食い入るように見つめていた。心臓の音が聞こえてしまわないよう、私は胸の上に置いた両手を一層強く握り締める。


「ディア、そんなにアウロスのことが好きなのか?」


 いいえ、と答えれば彼に期待をさせてしまう。クラウス王子は少なからず、私に好意を抱いている。そして私も彼が好き――


 決して結ばれない以上、この想いは諦めなければならない。命を奪う愛よりも、私は穏やかな老後を望んでいる。それなら答えはたった一つ。


「ええ、もちろん」


 胸の痛みを押し隠し、私は笑った。真っ赤に塗った唇が、悪女っぽくあでやかに見えることだろう。

 私は人を愛せないし、愛されてもいけない。取り返せない罪、過去に犯した過ちのせいで、今なお苦しめられている。


「そう、か……」


 大好きな青い瞳が私かららされ、肩に置かれた大きな手も力なく外された。

 まだ大丈夫、まだお互いにそこまで好きではないでしょう? 芽生えた想いはきっと、すぐに忘れられるはず。


 私はまぶたを閉じて髪に触れた。再び開けて気怠けだるげな表情を作り出すと、アウロス王子に声をかける。


「アウロス……。私、なんだか疲れたわ。忙しいなら帰っていい?」


 軽くまばたきしたアウロス王子が、私に向かって微笑んだ。


「まさか。僕が君を手放すと思うかい? クラウス、仕事の話は後で。久しぶりに会った可愛い人と、親交を深めたい」

「……承服しかねるが、仕方がない。だがアウロス、油断はするな。傷つけたら許さない」


 いつになく低い声。心が揺れてはいけないと、私はクラウス王子の顔をまともに見ないようにする。


「当たり前だ。大切な人だから」


 そこは強調しなくていいような。アウロス王子ったら、自分の兄に対してまで演技するなんて。

 一方、クラウス王子は大きなため息をつくと、再び書類を手にした。


「これは処理しておく。今日だけだからな」

「ありがとう、任せるよ。よろしく~」


 あっさり立ち去ったところを見ると、クラウス王子は私にそこまで想い入れがあったわけではないみたい。ホッとしたのかがっかりしたのか……


 扉を出る彼の背中を見た瞬間、思わず鼻がツンとした。

 クラウス様、元気そうで良かったわ。好きだと言わずに遠くから眺めるだけなら――許されるわよね?


 用意された香り高い紅茶を飲み、私は一息つくことに。

 悪女の演技は気が滅入めいる。他人を傷つける言葉は、口にすると自分の心もすり減るような気がするから。

 沈んでいたら、アウロス王子が話しかけてきた。


「さて、ディア。これからの計画を練ろうか。この後エルゼは父親に訴え、君につらく当たるだろう。僕も気を付けるけど、君も身の回りには十分注意してほしい」

「ええ。そのためにも護衛を……いけない! アウロス殿下が彼らをエルゼに引き渡しましたよね? 二人は無事かしら」

「エルゼに騙されていなければね? まあ、君ほど綺麗な人の側にいて、彼女に従うとは思えないけれど」

「いえ、彼らは大丈夫です。まさか、試すためにわざと付き添わせたのですか?」

「さあ、どうだろう? 案外、君と二人きりになりたかったからかもしれないよ?」

「そういう冗談は結構です」


 人払いをしない以上、部屋には女官が控えている。厳密に二人きり、というのは無理な話だ。


「やれやれ、手厳しいね。でもディア、口調が元に戻っている。恋人だろう? ちゃんとアウロスと呼んでくれなくちゃ」

「ここで演技の必要はないかと」

「つれないな。だけど、誰が聞いているかわからないからね。まったく、ここまで素っ気ないのは君が初めだ。茶畑と僕とどっちが大事?」


 私は首を傾げた。

 当然茶畑ですが、それが何か?


「いや、わかったから答えなくていい。それなら、君に譲る分について話をしようか」

「ええ、是非」


 アウロス王子の嬉しい言葉に口元が緩んでしまう。助ける代わりに見返りを要求するなんて、私は既にかなりの悪女かもしれない。

 遅れてやってきた護衛と合流し、初日は無事に帰宅することができた。




 恋人のフリをして三回目の今日は、赤いドレスで目立つように装った。城に毎日通うエルゼと違い、私は三日に一度。だからなるべく派手にする必要がある。

 地味にひっそりしていた頃とは異なるけれど、念のため顔を帽子に付けたレースで隠す。アウロス王子と噂になればいいだけなので、はっきり言って顔は見えなくても関係ないと思う。


 初日にショックを受けたのか、今日もエルゼ達の登場はなし。姿が見えても向こうが私を避けるので、非常にいい感じ。

 代わりに城にいる人達の視線が痛い。どんな噂を振りかれているのか知らないけれど「アウロス王子をたぶらかしている」との悪評が立てば、こちらの目論見もくろみ通りだ。


 実際はアウロス王子とはなごやかにお茶を飲み、世間話をする程度。部屋付きの女官も信頼できる者達だし、口は堅いという。

 クラウス王子は忙しいのか、初日以降姿が見えない。自分で突き放しておきながら勝手だけれど、会えないと一抹の寂しさを感じてしまう。

 こんなことを言えば、アウロス派のハンナに贅沢だと怒られそうね? クラウス王子びいきのリーゼなら、なんと言うのだろう?


 今回も穏やかに過ごせたので、馬車まで送るというアウロス王子の申し出を断った。私は護衛を引き連れて、悪女っぽく堂々と廊下を歩く。

 すると、恰幅かっぷくの良いきらびやかな衣装の中年男性が、私の行く手をふさいだ。後ろには、同じような年齢の男性を大勢従えている……誰かしら?


「おや、君は誰かね?」


 その男性は今気づいたとでも言うように、私に目を向ける。金色の柔らかそうな髪と口ひげ、上を向いた鼻。わざとらしい態度といい、かもし出すこの偉そうな雰囲気といい……もしかして!


「公爵閣下、ご挨拶もなく大変失礼致しました。私はミレディアと申します」


 エルゼの父親、デリウス公爵だ!

 まさか、直接話しかけてくるとは思わなかった。どうしよう?


「ふむ。君は人と話すのに顔を隠すのか?」

「それは……」


 彼は私の被るレース付きの帽子のことを言っている。エルゼが父親に言いつけたのだろう。「不器量だから隠している」という嘘は、今さら通じない。

 公爵の方が正しいけれど、私は人前で素顔を晒すわけにはいかないのだ。いきなり告白されることはないにしろ、この顔はかなり人目を引く。父親程の年齢でも異性は異性なので、なるべく隠しておきたい。


「まあ、野良猫が礼儀を知らないのは当然か。だが、そのせいで高貴な血筋がおびやかされるのは、いただけないな。君もそう思わないかね?」


 私を野良猫にたとえ、アウロス王子から手を引くようにと宣告してきた。肯定すれば身の安全は守れるけれど、自分を卑下することになる。否定すれば礼儀にのっとり、これから前髪でも顔は隠せない。それなら――


「そうですね。本物の野良猫なら礼儀を知らず、挨拶も満足にできないかと。高貴な血筋が何を示すのかわかり兼ねますが、内面性を指すのなら、該当するものは少ないでしょう」


 そっちこそ挨拶してないし、高貴って身分だけではないわよね? と暗に皮肉ってみた。


「なっ……なんと無礼な!」 


 一拍遅れて公爵が怒り出し、彼の周りがざわつく。


「無礼? あら、今は野良猫の話をしていたのですよね?」


 私はわざとらしく扇を口に当て、考えこむフリをする。意味がわからないとでもいうように。もちろんはっきりわかっているし、猫の方が私よりよほど素直で可愛らしい。一生懸命生きている猫達に、謝ってほしいくらいだ。


「生意気な小娘め! 偉そうなことを言えるのも今のうちだ。いつまでも無事でいられるとは……」


 憎々し気に吐き捨てるデリウス公爵。彼の私へのおどし文句をさえぎったのは、別の人物だった。


「無事でいられるとは? その先を是非聞きたいものだな」

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