偽の恋人 4
「な、ななな……」
「ひっ。み、見られない顔のはずじゃあ……」
「だ、誰よ! どういうことなの?」
誰とは失礼な。貴女方が散々バカにしていた、伯爵家のミレディアよ?
取り巻き達は私を見るなり、わなわな震えて驚いている。不器量だという噂を信じ込んでいたらしい。
エルゼも同じように目を丸くしたものの立ち直りは早く、私を憎々しげに見ている。
「どういうこと、とは? みなさま容姿に大層自信がおありのようですけれど。でも、ねえ?」
私は手を口に当て、わざとらしくクスリと笑う。自分でしてても嫌な仕草だ。ただでさえ悪女を演じようと、今日の化粧はいつもの五割……いえ、八割増しで、緑の瞳を強調するためアイラインは濃く口紅も赤く
一歩間違えば下品とも取れる装いだけど、不思議と似合っている。
「な、何よ。ちょっとぐらい綺麗だからって」
「そうよ、エルゼ様も美……可愛いわ!」
「貴女なんて、ただの伯爵家でしょ」
今、美人と言おうとして詰まったわね? それって結構失礼かも。あと、フィリスは同じ伯爵家だけどうちより格下よね? だからといって私は家格で差別などしないわ。
「それが何か。ご存知? 人は容姿も家柄も、選んで生まれることなど出来ませんのよ?」
「まああ貴女、エルゼ様を
ちょっと待って。どうしてそんな
「いいえ。私は今の自分に満足しておりますもの」
ついでに幸せな老後が送れれば最高だ。あの人が無事、王太子になった後で。
「わたくし、気分が悪くなりましたわ……」
分が悪いと悟ったのか、エルゼが額に手を当てて、急によろめく。その顔は青ざめ、唇が震えている。待って、本当に具合が悪いのかしら? 支えようと差し出した私の手を、エルゼがすかさず叩いた。
「触らないで、汚らわしい!」
エルゼの素早い動きに、取り巻き達も少しだけびっくりしているみたい。まあ、それだけ元気なら心配は要らないわね? 立ち去ろうとしたところ、渦中の人物が現れる。
「ディア、待ちくたびれて迎えに来たよ。こんな所でいつまで油を売っているの?」
「殿下!」
「アウロス様」
「王子!」
柔らかな印象のアウロス王子は金髪が陽に透けて輝き、本日も麗しい。だけど、口元は笑っていても、目は笑っていなかった。彼は青い瞳をこちらに向けて、冷静に状況を観察しているようだ。自分で寄って来たくらいだから、実はタイミングを待っていたのかもしれない。
「すみませ……」
「ああアウロス様。わたくし、心無い言葉で急に具合が悪くなって……」
エルゼはすごい役者だ。可愛らしく震えながら、その目にみるみる涙を溢れさせている。両手で首元を押さえると、上目遣いでアウロス王子に訴えかけていた。
何も知らない人からすれば、私の方が悪者ね? アウロス王子、騙されないといいけれど。
「そうか、それは大変だったね」
王子は優しく笑うと、彼女に手を伸ばした。背中を支えて介抱するかと思いきや、こっちに連れて来る。
「君達、医務室の場所わかる? ああ、わからなければこのお嬢さん達に聞けばいいか。じゃあ、後はよろしくね」
あろうことか私の護衛にエルゼを引き渡すと、取り巻き達に頷いた。これにはエルゼ本人も驚いたようで、口をポカンと開けている。
「さあ行こうか、ディア」
「でも、エルゼ様が……」
「ディアは優しいね。こんなに大勢いるんだし、心配ないよ。僕には君しかいないけど?」
よく通る声でそう言うと、私の腰に手を回した。協力するとは言ったけど、いきなりこれはいかがなものかと。
「そんな! アウロス様、わたくしの立場は!」
「うーん。確かに、君の父上に勧められてはいるけどね? だけど僕は今、彼女に夢中なんだ。じゃあね」
アウロス王子は手を振ると、私を促し歩き出す。酷い人だと聞いてはいても、エルゼの恋心を利用しているようで、なんだかとっても心が痛い。
「エ、エルゼ様?」
「扇が……きゃあっ」
「落ち着いて、落ち着いて下さい!」
今、扇の折れる音が聞こえたような……
どうしよう? 怖すぎて後ろを振り向けない。初日にこれだと先が思いやられるわね。
「ありがとうディア。でも、まだまだだ。彼女達がこっちを見ているよ? ほら、もっと寄り添って」
腰に回した腕に力を入れられ、当然のように引き寄せられた。城にいた人達が遠くから私達を見て、何ごとかと囁き合っている。噂は広がり、今日中にアウロス王子の支持者の耳に届くだろう。もちろん、あの人にも……
商談でも使われていた馴染みの部屋に入った私は、アウロス王子から素早く距離を取る。王子は気にしてないようで、お茶でも飲もうと席を勧めた。
「君の好きな銘柄はないけど、他のでいい?」
「ええ……いえ、お構いなく」
「そうはいかないよ。大切な人だもの」
演技の必要がないはずなのに、気軽に手を握るのはやめてほしい。久々の悪女は結構疲れる。
そう思っていると、私の手の甲が彼の唇に触れるか触れないかのところで、不意に扉が開いた。
「アウロス、例の件だが…………まさか、ディアなのか?」
書類を手にしたクラウス王子は、入るなり動きを止めて驚いたような視線を向ける。私も彼を見た瞬間、心臓が掴まれたように苦しくなった。だって彼は、領地に帰ってからもずっと……会いたかった人。
ところが彼は握られたままの手に注目したのか、低い声を出す。
「どういうことだ? アウロス、話が違う」
扉を閉めたクラウス王子が近づき、私の横に立って弟を睨みつけた。一方アウロス王子は平気な顔で、握った手に一層力を込める。こうなっては離すこともできないので、私は途方にくれてため息をつく。
それよりも、話が違うってどういう意味?
「そうは言っても仕方がないよ。だってディアが、わざわざ僕に会いに来たんだから」
今日はそうでも、元々私に協力を頼んで来たのは貴方でしょう? 華美に装えっていうから、その通りにしたのに。
私は自分の手を力いっぱい引き抜くと、胸の前で重ねた。その仕草を目で追っていたクラウス王子が、持っていた書類をテーブルに置き、私に問いかける。
「そうなのか? ディア、自ら望んでここに?」
ここで私が否定すれば、クラウス王子はどう思う? 私の気持ちに気付いて想いが高まり、一気に告白……そうなれば、残念ながら私は終わりだ。何とかごまかさなければ。
「ええ、そう、そうなの。領地に帰ってからも忘れられなくて」
貴方のことが――
私は貴方に会うために、ここに来たの。もちろんそんなこと、悟られてはいけない。
私の想いを知ってか知らずか、アウロス王子も加勢する。
「ディアからは手紙も来たしね? 会いたいと言われれば、断れないだろう?」
言ってない。だけどそのことを、正直に話すわけにはいかなかった。
次の瞬間、クラウス王子が鋭い表情で弟を怒鳴りつける。
「お前、自分の行動がわかっているのかっ。何のために俺が今まで……」
「エルゼには耐えられない! 僕はディアがいいんだ」
「いいとか悪いではない、ディアが危険だろう! お前はエルゼを惹きつけるはずだったな?」
「まあ、違う意味で引きつけられるだろうね?」
肩を竦めるアウロス王子を見て、クラウス王子が苦々しい表情で舌打ちしている。そういえば、初めて会ったあの夜も……いえ、思い出すのはやめましょう。
クラウス王子はさらに近づくと、私の肩を掴んだ。それだけで私の胸の鼓動は、速く大きくなる。
「ディア、どうしてこの時期に戻って来たんだ」
今ならまだ間に合うから、つらくても悪女になりきろう。もちろん、真実を告げるわけにはいかない。
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