地味な私を放っといて 8

「いらっしゃいませ」

「ごめんなさい、ちょっと場所をお借りするわね」

「何すんだっ、放せよ」


 とっさに入ったのは香水を扱う店で、薬局も兼ねている。店主への説明を侍女のハンナにお願いした私は、薄汚れた少年を店の一角に引っ張って行く。


「うげ、勘弁してくれ。鼻が曲がる」

「鼻が曲がる? いろんな匂いがするけど、それ程とは……って貴方、どういうつもり?」

「何だよしつけーな。それより、金以外の大事な物って?」

「貴方の物じゃないって認めることになるわよ。いいの?」

「いいも悪いも……返しゃいいんだろ、返しゃ」

「その態度はいただけないわね」

「じゃあ、どーすりゃいいんだよ」


 店のすみで少年がわめく。

 空いている時間帯で良かったわ。


「盗った物を全部返しなさい。それから謝るの」

「はあ? 何でオレがそんなことを」

「悪いことをしていたら、貴方自身がきっと後悔するわ。真面目な生き方をしたらどう?」


 私は目の前の少年に向かって、真剣にさとした。悪いことを続けていたら、きっと罰が当たる。生まれ変わりで永遠に苦しむのは、私一人でたくさんだ。


「貴族でもないくせに、偉そうにしやがって。お前に何がわかる。浮かれている連中から分け前をもらうくらい、どうってことないだろ!」

「ダメよ! 泥棒は良くないわ。貴方のこんな姿を見たら、親御さんだってきっと悲し……」

「ペッ」

「お嬢様っ」


 言い終わらないうちに、顔に向かってつばを吐きかけられた。私は彼をひどく怒らせてしまったみたい。少年は私を睨みつけながら、苦々し気に吐き捨てた。


「あんなのが親? むす……自分の子を売り飛ばそうとするのが?」

「どういうこと?」

「そのまんまだよ。父親はいない。おふくろが、金が欲しくてオレを売ろうとしたから逃げた。生きるためには金が必要で、手っ取り早く稼いだ。はい、おしまい」


 胸が痛い。短い言葉の中に、彼のこれまでの苦労がにじみ出ていたから。毒親はどこの世界にもいるらしい。実の子に愛情を注げない親もいることを、私はよく知っている。盗みは悪いことだけど、そうしなければ生きていけない事情があるというのは、きっと本当のことだ。


「もういいだろ。さっきから臭くて頭が痛い。早く放せ!」

「あと一つ、どうして働かなかったの?」

「はん、働く? お前何にも知らねーのな。ここは結構管理が厳しいんだよ。身寄りがなく紹介もなければ、まともな職にはつけねえ。クズみたいな仕事でも、あるだけありがたいって? そんなんじゃ食えねーよ」

「そうだったの……」

「わかったら、とっとと放せ! お前らどうせ、貴族に雇われているんだろ? あいつらはいいよな。遊んでばかりで」


 父も兄もきちんと働いていて、母は地元の婦人会や催し物に積極的に顔を出している。けれど、引きこもってばかりいた私に関して言えば、その通りだ。

 そうか! 『働く』で思い出した。それならいい考えがある。


「ねえ、働きたいならうちに来ない?」

「お嬢様!」

「さっきからお嬢お嬢って……まさか、お前が?」


 少年が私を上から下までジロジロ眺める。確かにメイドの恰好だし、顔も隠して地味に徹していた。だからって、そんなに呆れた顔をしなくてもいいのに。私は気にせず話を続けた。

 

「ええ。貴方の名前は? 証言は全て本当のことだと誓える?」

「そんなこと、お前に関係あるのかよ」

「あるわ。危険な人は雇えない。目を見て誓えるのなら、私は貴方を信じるわ」


 私は少年を掴んでいた手と反対の手で、眼鏡を外した。次いで前髪をかき上げる。


「は? バッカじゃねーの? 初めて会ったやつを信じるって……」


 素顔をさらした私を見て、少年が息を呑む。彼が目を逸らしたりやましい表情をしたら、この話はなしだ。

 けれど、彼は私の顔を真っ向から見返した。その瞳は綺麗な水色。


「貴方の名前を教えて。そして、もう一度聞くわ。語ったことは全て真実?」

「……そうだよ。オレはリゼル。こんなクソみたいな人生、終わらせるなら何でもしてやる」

「リゼル、だったらうちに来ない? もちろん貴方さえ良ければ、だけど。それと、盗んだ物は全て持ち主に帰すわよ」

「なっ……」

「といっても、まずは警備の兵に届け出なければね? 盗んだ相手の顔もわからないでしょう」

「本気か?」

「もちろん。盗みは悪いことだもの。私も一緒に行くから」

「そうやって騙すんじゃないだろうな? そのまま引き渡そうとしてるとか」

「こればっかりは、私のことを信じてもらうしかないわね。それに引き渡すなら、とっくにそうしていると思わない?」


 黙り込んだ少年――リゼルを見て、私は了承の意と捉えた。きちんと返して謝れば、いきなり牢には入れないはず。この世界にも、保釈金という物は存在している。手持ちで足りなければ、兄に用立ててもらおう。

 ヨルクなら、私の願いは大抵聞いてくれる。まあ、私の方が兄離れできていないような感じがするけれど、そこは都合良く忘れよう。


「で、金より大事な物って何だよ」

「これよ」


 私は巾着の中から、小さなメモを取り出した。一生懸命考えて書いたから、失くしたら困るのだ。


「りょくちゃほうじちゃたくあんせんべいおかきだいふくざいすざぶとんまごのて……。何だ? この長ったらしい呪文は」

「呪文じゃないわ。大事な物よ。王都で探すの」

「こんなのが大事な物?」

「ええ、私にとってはね。憧れの世界だもの」


 全くわからないというように顔をしかめるリゼルを見て、思わず苦笑する。隠居したら、ひなたぼっこをしながらお茶をすすると決めている私。縁側に似合うアイテムは、多ければ多いほどいい。




 さて、それでは店を出ましょうか。

 私は大きな声で店主に話しかけた。

 

「ご主人、長々と場所をお借りしてごめんなさい。ハンナ、どれか一つお勧めの物を購入して」

「ええっと……はい」


 私自身は香水を使わないとはいえ、必要経費だ。ちょうどいいから、母へのお土産にしよう。


「それでしたら、こちらなどいかがでしょうか? あとは、お値段は多少張りますが、これかこれ」


 店主は商売上手のようで、メイド姿の私に疑問を持たず、棚から次々と大きな瓶を出して来た。これを計量し、ガラス細工の小さな容器に移し替えて販売するのだ。


「うえぇ、たくさんあってわからないです~」


 可愛らしいハンナには、残念ながら決断力はない。興味はないけれど、それなら私が選ぶしかないわね。

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