Dive21
「ケシキの住んでいる家はどれ?」
「あの背の高い茶色っぽいマンション。そろそろ行こう」
公園を通り過ぎて、数軒の家を横目に歩いていくと、15階建てほどのマンションがあらわれた。ユウグレは無言でマンション入口を目指して、ぐんぐん歩いて行った。僕はなんだか不安になり、周りをキョロキョロ覗きながらユウグレのあとに続いた。
マンション入口は二重のオートロックで、入口の左右には2台のカメラが設置されている。ユウグレは入口の中央にあるキーパッドに302と入力した。すぐにユウグレの携帯電話が鳴り始めた。ユウグレが電話を取り出して画面をタップすると同時に二重のドアが開いた。
「ずいぶん簡単に開いたけど、一体どんな魔法を使った?」
「あたしの携帯をケシキの新しい携帯として一時的に登録し直した。問題はこの先」
「それが可能だってことは、まだこのマンションの管理上ではケシキが死んだことになっていないってことか……」
「そうなる。ケシキが死んでまだ48時間経過していないこのタイミングだからできたってわけ」
僕達はエレベーターに乗り込む。ユウグレが03のボタンをパチンと押すと、エレベーターはほぼ無音で上昇をはじめ、すぐに三階に到着した。ユウグレも僕と同じでこのマンションには初めてきたのでキョロキョロと左右を見回す。廊下を右に歩いて行くと目的の302号室が見つかった。
「で? この先はどうする」
「音を出す」
「音?」
ユウグレは携帯電話を取り出し何かのアプリケーションを立ち上げた。ドアに向けて何度もピッいう音を聞かせる。次第にユウグレがしようとしていることがなんとなくわかってきた。大抵どのマンションもドアにある小型カメラが生体認証で一度、あらかじめ登録してある居住者の生体データが本物かどうかを判別し、マッチした時にドアが開くしくみだ。ユウグレがスマートフォンから出している音は、おそらくドアが開く時にだけ鳴る正しい音。それを探しているのだ。やろうとしていることは理解したけど、そんなアナログな方法で他人の家のドアを開けられるとは思えない。廊下一帯にむなしい機会音だけが何度も鳴り響く。
「これも違うか‥‥‥」
「本当にそんなんで開くの?」
「雑音を入れたくないから少し黙ってて」
音は何度聴いても全て同じで僕には違いがわからない。ユウグレの真剣な表情を横目に、僕はその場にしゃがみ込みドアのすぐ横の壁によりかかる。どれぐらい電子音が鳴るのが繰り返されただろう。その音が聞こえなくなりユウグレを見るとドアノブを手にかけながら僕を見てゆっくりと下に下げ手前に引いた。どうやら本当に開けたようだ。
「もし部屋の中にスマートフォンを忘れて家に入れなくなったらユウグレを呼ぶことにするよ」
「そんな緊急セキュリティサービスみたいなことはしないよ」
ユウグレは先に入ろうとせずにドアだけを開き、先にレラージェを入れる。それからユウグレ、僕の順番で中に入る。玄関にはケシキが学校に登校する時に履いていた茶色の革靴が綺麗に並んで置かれていた。たしかケシキは両親とは暮らしておらず一人暮らしだったはず。その理由は聞いていない。
レラージェが廊下にある電気を点けると暗闇だった廊下や奥にあるリビングに明かりが灯る。リビングに入ると大きな窓と外にある傘凪市の街が視界に飛び込んできた。ケシキがきっといつも見ていた風景だ。そう考えるとこの場所から見るなんてことない傘凪市の風景が特別なものに見えてくる。
ケシキの借りた部屋は一般的な2LDKだった。リビングにあまり物は置かれていないにも関わらず、ケシキがついさっきまで使用していたかのように違和感がない。この部屋を引き払う準備をしていた様子もなかった。僕はリビングからベッドが置かれていた寝室に向かう。
入ってみるとその部屋は12畳ほどあり大分広かった。僕の部屋の2倍ほどの広さに少し圧倒される。リビングと同様にケシキの趣味なのか部屋にはほとんど物がなかった。ユウグレは僕とは正反対に一瞬の躊躇いも見せずに、クローゼットを開けて白い五段のチェストを上から順番に次々と開けていく。ベッドの横には部屋の横幅と同じ幅で、ピッタリと収められた白くて巨大なデスクがあり、中央にノートパソコンが一台置かれていた。僕はそのノートパソコンの電源ボタンを押してみた。すぐにパソコンが立ち上がり画面にはユーザーを認証するための暗証番号入力を要求していたが当然暗証番号などわかるはずもなく、再び電源ボタンを押して電源を切った。クローゼットに目を向けると、すでにユウグレの姿はなかった。きっとリビングを調べに行ったのだろう。
結局なにも見つからない。はじめからなんとなくわかっていた。そんな簡単に何かが見つかるはずがない。デスクの前にある少し固い座り心地のパイプ椅子に座りながらそんなことを考えていると、ふと目の前の壁に違和感を感じた。ぱっと見はわからないが、顔を近づけてよく見るとほんの少しだけ凹凸がある。立ち上がり壁全体を視界で捉えられるように後ろの壁まで下がり、デスクの目の前の壁を観察すると、違和感の原因が見えはじめ、少しずつ鼓動が早くなる。もう一度壁に近よって四方を見ると、壁紙の先端が少しだけ剥がれかけていた。きっと近づいてよく観察しないとわからなかっただろう。僕はデスクの前にある椅子を脚立代わりにしてその壁紙を慎重に剥がす。壁紙は想像以上に簡単に剥がれた。
「なんだ‥‥‥これ?」
壁一面には施設や企業、それらの関係者と思われる写真がビッシリと貼り付けられていた。そこにはケシキの手書きと思われる矢印や文字が赤いペンで書かれている。30代の男を正面から捉えた写真の横には12月の天国と赤いペンで書かれ、丸で囲まれている。その人物が何者なのかは書かれていない。ただケシキが徹底的になにかを調べていたということだけはわかった。今はそれだけわかっていれば十分だ。
「ユウグレっ きてくれ」
少し大きめの僕の声にユウグレがすぐに部屋に来る。
「ふはははは‥‥‥本当に最高だよケシキ」
ユウグレは笑いながらスマートフォンを取り出して壁に向けて写真を数枚撮影した。それからしばらく壁にバラバラのパズルのように貼られた写真を無言で眺め続けた。
「ユウグレっ 車のカメラが怪しい黒スーツの男2人を捉えた。今このマンションの入り口に立ってる。今すぐ出た方がいい」
「レンガっ 壁紙を戻すぞ」
「そうした方が良さそうだ」
ユウグレの手を借りて剥がした壁紙を綺麗に元に戻す。それからユウグレはケシキのノートパソコンから電源ケーブルを引き抜いて、本体を僕に手渡した。
「行こう」
「奴らの行動が鈍くて助かったよ」
玄関に向かうとレラージェがドアノブに手をかけながら覗き穴に顔を近づけている。
僕とユウグレの足音を聞いてすぐにドアを開けた。僕とユウグレは急いで靴に足を滑り込ませ、ケシキの家から飛び出した。エレベーターはすでに上昇をはじめている。レラージェはそれを確認してから廊下の左に向かって走り出した。ユウグレと僕もそれに続いて全力で長い廊下を走りはじめる。レラージェは信じられない速さで走り続け、すでに非常扉を開けて僕達を待っていた。僕とユウグレが吸い込まれるようにドアに入ったところでレラージェが勢いよくドアを閉めた。
「さあさあお二人さん。あともう少し走ってもらうからね」
まったく息の上がっていないレラージェは微笑みながらそう言うと、階段を2段普通に降りてから、残りはすべて一度のジャンプで降りて行くという変態的な荒業を披露した。
「エネルギーの無駄使い」
そんなユウグレの冷めた呟きを聞きながら僕はケシキのノートPCを落としてしまわないようにしっかりと抱え、つまづかないように急いで階段を駆け下りた。1階に着くと扉の前でレラージェが待ちくたびれたような顔をして待っていた。
「ここからは普通に出て行くからね」
レラージェがドアノブに手をかけながら言った。かつて体験したことのない入酸素運動のせいで僕の呼吸はすでに残念ながら普通じゃない。ユウグレもこんな状況に慣れているのか、そこまで疲れているようには見えなかった。非常階段の扉を開けてエントランスを出ると、僕達が止めた車のすぐ近くに白の高級車が駐車されている。中は無人のようだった。
「レンガちゃん。中をマジマジと見るのは禁止だよぉ カメラで録画してる可能性があるからね」
「わかってる。ちょっと確認しただけだ」
僕達は一斉に車に乗り込んだ。ユウグレが再びMacBookを開きながらレラージェに告げた。
「とりあえず14番」
「りょ~かいっ」
「なんだよ14番って?」
「ホームの1つ。マンスリーマンション」
「14番ってどれぐらい借りてるんだよ?」
「命を狙われても生きていけるぐらい」
「まぁレラージェ様がいる限り、死ぬことはないけどねぇ」
「いいから前見て運転してろレラージェっ」
「へ〜い」
車は大小様々な明かりを追い抜いて行く。もしあの時、僕達が逃げ遅れて奴らに出会っていたら一体どうなっていたのだろうか?もしかしたら捕まって監禁され、殺されていたかもしれない。そんなことに恐怖を感じても意味はない。真実に近づけばいずれ奴らと対峙することになるのだから。
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