第22話 &コハル・1
「明日から期末テストなんですよね?」
「あ、うん」
「そうは見えませんよ?(そうは見えませんよ?)」
全くその通りで耳が痛い。最近、というか前からもそうだったか。サクラの心の声が意味をなさないようになっている気がする。良く言えば打ち解けた、悪く勘ぐるならどうせ聞かれてしまうからと諦めて本音をぶっちゃけてきているのか。
どちらにしてもまあ、おだてたからといって良いことのない俺だという自覚はある。実際にテーブルに広げた問題集たちを退屈そうにさせている。
「お茶でも淹れますね(何とかわたしが勉強をさせないと……!)」
「あ、うん、ありがとう」
さっきまでは二階の自室にいた。この仲間とも敵ともいえる期末試験の対策と一緒に。けれども見えない向日葵に見られているような、風に乗ったどこからのラベンダーの香りにさえも何となく落ち着かなくなって一階に、ちょっと前までは一人でいる方法を選んでいたのになと思いながら、サクラの居る場所に移動していた。
琥珀色の広がるフロアにカステラみたいな洒落たキッチン台が湯気を立てる。
ガラス板に文字盤だけのシンプルな掛け時計が焦らすように夏の暑さを誘ってくる。
生成りのソファーにはサクラの好みそうな淡いパステルカラーのクッションが増えていた。
この情けない格好で怠けている背中の向こうではきっと、俺を見たまんまの通りに頼りなく思っているサクラが、それでも俺のための香りを選んでいるんだろう。
いつもの空間に身を投げて、それでも集中できない。
理由は分かっていた。
「サクラ」
「はい?(もうすぐ出来ますよ)」
サクラはおそらく花畑の妖精なのだ。この少女に心の声を持たせたのは何の悪戯なのか。
「あ、えっとね」
「はい(お茶が待ちきれない?)」
何の悪戯でも、いいんだな。だってサクラとも、他の知り合いともだって、心が知れることとは関係なく付き合っている。
もしも心の声が聞こえる理由があるとしたらそれはきっと些細なこと、例えば俺の口下手の手助けだとか、こっそり好みのプレゼントを用意できるとか、そういう程度なんだ。
「うーんとね」
「はい(勉強を手伝って……とか?)」
心の声があったからってサクラの全ては分からない。
心の声の聞こえないウィン太や甘夏さんや秋津先輩や千冬ちゃんとも、気持ちを交わすことが出来るじゃないか。
心の声はきっと少しの、サクラからのプレゼントみたいなものなんだろうな。
「レン君、勉強は手伝えませんよ(わたし実は勉強はできません)」
「いや、え、そうなのか?」
「自慢じゃありませんが、今は中学生くらいの知識です(それもさっぱりです)」
中学生じゃ……期待できないな。いや、そういうことじゃないけど。
そうじゃなくて、ああ、そうか。サクラと居るから、このほわほわした安らぎに気持ちを奪われるんだ。
今ある糸を辿っていこう。この考えを纏めないといけない。
「ベルベーヌとレモンバームを足してみました(ええ、本当に落ち込んでる)」
「あ、ありがとう」
「これでリフレッシュして、頑張ってくださいね(やっぱりわたしを頼ってたのか……)」
「よし、頑張ろう」
「はい!(応援だけはしますよ!)」
俺は膝を叩いて勢いよく立ち上がった。
「出掛けてくる」
「え、ちょっと、レン君いま頑張るって(ええ、怠けものすぎるよ)」
「サクラ」
「成績も上げないと、ご両親に叱られるんでしょう?(そうしたら、わたしだって居られるかどうか……)」
「サクラ、大好きだよ」
「一人暮らしだってレン君がしたいから勉強をべべ勉強え?(え?)」
「悪い、戻れたら戻るよ……また、会いたいから」
足早に玄関を出ると、サクラのええええという悲鳴を背に、ちょっと驚きすぎだろうと笑ってしまった。自分の気持ちに正直になれば、心の声はいつでも出せるもんだ。
とはいってもやはり、恥ずかしさに沸いたマグマで耳が痛いくらいに熱い。心臓がバクバク踊り出している。心と体を合わせるように思いっきり走り出した。
やはり向日葵は並んで俺を見ている。絹のような青空からは透明な六花が降り注いで、刈り取られたツユクサは蘇る。桜木は雲を招いて街を揺らし、その並木の反対側には庭先のナスやトマトも火照ったようにたわわに生っていた。
もしかしたら間違っているのかも知れない。そうならそれでもいい。
ひょっとしたら見当違いの考えなのかも知れない。それでも走らずにはいられない。
もう一度サクラに、ちゃんと会うために、確かめないといけない。
インターフォンを鳴らすと口達者なウィン太が現れた。何だお前かと、憎まれ口をしても陽気だ。
「オレと千冬、どっちが目当てだ?」
顔一番ににやけながらウィン太は中に手を招く。
「いや、ちょっと聞きたいことがあるだけなんだ」
「聞きたいこと?オレに?」
本当は千冬ちゃんに聞くのが手っ取り早くて正確なんだけど、直接に尋ねるのは怖かった。もし俺の考えや記憶が違っていたら、それで終わりだ。もしかするとそれを避けたくて、少しばかりの遠回りを試してみたかったのかもしれない。
「前に言ってただろ。千冬ちゃんと昔、仲良くしていた人」
「ああ。妹みたいにって、言ったっけな」
「名前とか知ってるか?」
ウィン太は腕を組んで思い出そうと首を揺らしている。
「確か……コハル。まあ千冬に聞けば分かるだろ」
「いや、十分だ、ありがとな」
千冬ちゃんは、姉のように慕っていた人が居なくなった後のことは知らない。ウィン太に手を交わすと再び走り出した。よく分からんけどまた来いよな、と背中からウィン太らしい声が聞こえた。
そう。コハルだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます