第15話 &千冬ちゃん・2

 試合開始から加速していく熱気、気迫に空気の唸り。盛り上がる箇所の理由も分からずに、ただ両チームの点数は王者四つ葉高校に分があるのだろう、か。この何とも妙な競技、ドラバスのルールとは一体何なのか。

 ウィン太にも置いてけぼりにされて頭を抱えた俺は、千冬ちゃんに助けを求めた。


「千冬ちゃん、理解不能な俺に説明してくれるかな」

 やはり恥ずかしいのか、雪だるまの顔は氷が張ったように固まって、霜が降りたみたいな白い頬が紅潮している。ドングリを押しつぶす睫毛がぱちぱちと行き場を無くして氷上を滑っていく。

 俺はいつかのことを頭の中で引っ張り上げた。頼られると嬉しいときもあるんですよ、とサクラの声が聞こえた気がした。今、家に居るはずの彼女は何をして何を考えているんだろうか。また動作が止まっていないだろうか。そのせいで危険な目に合っていないだろうか。階段の途中で停止したら滑り落ちてしまうんじゃないか。もし出掛けた先だったら。

 ほんの少しだけ目の前の後輩に、あの鳥かごの少女の姿と似た佇まいがあった。


「ね、千冬ちゃん詳しくて、凄いと思うんだ!」

 大歓声の中、すぐ隣りの後輩に声を上げて伝える。アンドメイドであるサクラにも、人間の生活の中に居場所があって欲しいと思うように、この千冬ちゃんにもどこかに自分の胸の内を出せる居場所があってもいいじゃないか。千冬ちゃんの囁くような声に耳を寄せて聞き漏らさないように集中する。


「……でも、あたし……馬鹿みたいに、喋ってしまうから……」

「そんなことないよ、好きなことに夢中って、良いことじゃないか!」

 氷が徐々に割れていく。ほんの少しだけど隙間からは、恥じらった梅花のような口元が緩んでいた。

「千冬は、レンに弁当を褒められて夢中で作ってるしな」

 ウィン太が茶々を入れる。

 一瞬だけ、目の前に居たはずの千冬ちゃんがまたもや姿を消した。そして何だ、周りの応援よりも大きい物凄い音が聞こえたぞ。戦車の滑腔砲がキャベツをぶち抜くような、肘内が内臓にめり込むような。まさか千冬ちゃんが何かしたのか。いや、こんな雪の結晶ように可憐な少女にそんな力は出せないはずだ。俺の気のせいか。

「ウィン太、何してるんだよ。試合観てろよ」

「う、お、おう……ごふっ」


 コート上では、熾烈な闘いが繰り広げられ火花が瞬く。ある時は炎のようなシュートが上の句と共に放たれ、ある時はそれを山のように受け止めて下の句を叫びながら投げ返している。

「……句の出来具合で、点数が変わるんです」

「ふむふむ」

「あ、今のが秋津先輩の得意技『シーヅン無礼句』です!」

 しーずんぶれいく。春夏秋冬の句を繋げていく中で、急に時節を飛ばして相手のリズムを崩す。ふむ、何となく分かってきたような。

「季節が飛びすぎると反則なので、デモッサンをうまくゴルケッチョしてからベロンチャッケは難度の高い技です」

「……うん、全く分からなくなった」

 そうこうして千冬ちゃんに、試合のやたら詳しい解説をしてもらいながら観戦した。

 初戦の結果は四つ葉高校の圧勝に終わり、その後も次々と勝ち進んでいく我が校は残る午後からの決勝戦を迎えるだけになった。


 枝葉が逞しく生い茂る樹の根元、眩しい日光を避けてドームの裏にあるこの場所に落ち着いた俺たちは並んで腰を下ろした。ウィン太の広げたレジャーシートに千冬ちゃんの作ってきたお弁当の数々も並ぶ。

 手ぶらで来たことに申し訳なく思ったけど、豪勢なおかずを広げられるとさっそく箸を付けずにいられなかった。よく見るといびつな俵型のおむすび、端のめくれた卵焼き、焦げ目のまばらな唐揚げ。そこまでは前に見たけども、他にもピーマンの肉詰めやアスパラのベーコン巻、あとは玉子そぼろだけが山になっているけど、レパートリーが増えている。

「……お兄ちゃんの隣、やだ……」

「レンに食わせるために嬉しそうに練習してたもんな」

 また一瞬だけ、向こうに座っていた千冬ちゃんが見えなくなった。そして何だ、また物凄い音が聞こえたぞ。鳥たちが樹々から飛び立つ。戦闘機の先端が提灯に突っ込むような、正拳がみぞおちに打ち込まれるような。まさか千冬ちゃんが何かしたのか。いや、こんな妖精のように可憐な少女にそんな力は出せないはずだ。俺の気のせいか。千冬ちゃんは俺の隣りに座っているし。

「ウィン太、何してるんだよ。お前も食えよ」

「ぐ、お、おう……がほっ」


 おむすびは一つの箱いっぱいに敷き詰められていた。緩まった海苔に箸を入れつつ摘まみ上げると、中の具は鮭だ。もう一つを頬張ると次はたらこだった。そしてもう一つ、これはウィンナーか。

「まさか、全部ちがう具を入れたの?」

 千冬ちゃんは黙って頷く。

「……いろいろ入ってると、嬉しい……から」

「うん、そうだよね。俺もだ」

 箸が踊るように進む。これだけの料理を作るなんて相当に頑張ったのだろう。晴れやかな空気と落ち着く家庭の匂いを腹いっぱいにすると決めた。

「レンの働いている店にも行ってみたいよな」

「ああ、連休明けにでも来いよ」

「千冬も、レンに料理を教えて貰ったらいいぞ」

「教えることなんてないよ、十分に美味しいから」

 その千冬ちゃんは胸ポケットに納まりそうなくらい小さな箸で気恥ずかしそうに卵焼きをつつきながら、口をもぞもぞと動かしている。何かを言いたがっているのかと思って間を置いてみた。少しだけ仕草や姿勢がサクラに似ているけど、こういう部分は違うなと何となく微笑ましくも感じた。

「……上手に焼けなくて……」

「うん」

「卵焼き……焼き色も……」

「うん」

「……綺麗にしたい。今度、教えて……」

 精一杯に震えながら言葉を振り絞ったのだろう。伝わったかどうかを不安気に、真っ黒に焦げたミートボールみたいな瞳が訴えてくる。

「うん、お店にも来てよ。甘夏さんも優しい人だから教えてくれると思うよ」

 この後輩を、朗らかに笑っている面倒見のいい甘夏さんに会わせたいと思った。ウィン太みたいにたくさんの他人と上手に付き合えなくても、一人ずつでいい。気まぐれに盛り付けられていくサラダのように関係を築いていけたらと、自分のことのように思った。

 ああ、もしかしたらウィン太は俺にも、同じことを思って話しかけてきたのかも知れないな。新学期のあの日にウィン太に突然にも話しかけられなかったら、今ここにいることはなかったんだろうな。

 そのウィン太の胸の内と、素直すぎるサクラの心の声、どちらも正直で俺の耳に残る。

「好きなことは、もっと自信を持っていいと思うよ」

 千冬ちゃんのお弁当はしっくりと俺の胃に収まった。何回目かの美味しかったの声に、小さな料理人はリスのしっぽみたいに丸く頷いた。


 ピクニックにでも来たかのような昼食を終えて、同じようにドームに戻っていく観客の姿が増えている。そろそろ決勝戦の始まる時間だ。

 俺たちの行く先に、建物の裏側から出て来る一行があった。黒のユニフォームに身を包み胸には『四つ葉』の文字。控室から戦場へと向かう筋骨隆々とした我が校の選手一団だ。

 試合前にかかわらず緊張の様子はなく、それぞれ思い思いに談笑しつつ行をなして歩く。しかしながら表情に緩みはなく、寝起きにカーテンを開けながらリンゴを片手で潰すくらいの気迫は潜めている。さながら王者の風格と呼ぶべきか、存在が空気を威厳なものに変えて歩いている。日本一を賭けた試合前でもその闘志の落ち着きに頼もしさを感じた。ルールは分からないけど。

 その先頭を務める秋津先輩が、こちらに気づいた。やはり女豹のように俺を見詰める。

 チームメイトに二、三言を告げると列を離れて屈伸運動をし始める。そしてふと吹いた風に目を瞬くと、秋津先輩が目の前に居た。あの距離を一瞬で走ってきたのだ。

 にやりと口端を歪め、目を細める。赤いジェットコースターのような唇を舌が滑る。陽光にきらめく褐色の頬に指をぬらりと撫で下げて恍惚の瞳が俺を、そして千冬ちゃんを捉える。

「少年少女。君たちの声援、心に届いたぞ」

 秋津先輩は力強く詩を読むように言葉を発する。胸の奥に喝が入る声量だけど、決して耳を塞ぎたくなることはない。どこか狩人が星座の神話を語るような旅愁を覚える声質でもあって人を惹き付ける魅力があった。しかしながら向けられた相手は狙われた獲物であることは間違いない。

「これが魂だ」

「は?」

 秋津先輩は、俺に掌を見せる。何なんだ。ハイタッチをすればいいのか。

 俺の掌もそれに合わせてみる。俺の指よりも長く細い。

 その指がプレス機のように俺の手を挟み込み、ぎしぎしと骨が悲鳴を上げる。

「これが魂の声だ!」

「痛い!」

 秋津先輩は握り潰した手を離すと、颯爽と振り返り歩き出した。何なんだ、意味が分からない。ひょっとしてドラバスの選手はみんなこうなのだろうか。


「千冬、行ってこいよ」

 秋津先輩の後ろ姿を見詰める千冬ちゃんが、兄から背中をぽんと叩かれる。

「今しかチャンスはないぞ?」

 兄の声に、小枝みたいな手でトートバッグの持ち手を握りしめて色の薄い瞼を震わせる。

「……自信……」

 悲痛を奏でるような瞼から新しく生まれた瞳が俺を見据えた。

「……持つ」

 少女は走り出した。初めて走るようにたどたどしく、積雪を踏むようにしっかりとその背の名前を呼ぶ。秋津先輩は、ビーズの一粒が落ちたくらいの、聞こえないはずの細い声をしっかりと受け止めた。


「憧れの先輩なんだとよ」

 勇気を振り絞った千冬ちゃんはバッグから出した紙袋を破り、タオルだろうか、手渡そうとしている。雰囲気を壊すことを言えば、豹柄のタオルをどこで見つけたのだろうか思ったけど。

 秋津先輩はそれを受け取ると勢いよく広げて勇まし気に首に掛けた。もはや勝利者のように、英雄のように。そして褐色の長い指で、十姉妹のような小さい頭を包み込み、唇を寄せて何かを小さな耳に囁いた。

 再び凛々しく格調高く、野生の風を切るように歩き出す。

 その跡に残した少女は、腰が砕けてへなへなとその場に尻をつかした。

 四つ葉高校の選手たちは全員がドームに入り、俺たちは千冬ちゃんに駆け寄った。

「……るって言われた……」


「……君のために優勝するって言われた……」

 千冬ちゃんは、睫毛に留まることのない涙を落とし、零れる頬を支えるように細い指を震わせる。表情に一切の曇りはなく、冬空の晴天を思わせる笑顔だった。

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