年の瀬の過ごし方

「路銀が尽きたんだ」

 賑やかな神社の片隅で、光を避けるように木陰へと腰を下ろし、飛鳥井秋人はそうぼやいた。見た目はそこそこ端正な顔立ちで、この男にしては珍しく新調の服装に身を包んでいる。

 その新しい服を恨めしげに見ながら、秋人は死んだ魚のような目で嘆く。

「買うんじゃなかった。こんなものなくたって人は生きていける」

「数時間前まで『こんなボロい上着で冬なんか越せない。僕に死ねというのか』とか言っていたのはどこの誰だ」

 呆れたような声を上げたのは人ならざる旅の同行者。

 秋人の側でふわふわと宙に浮いているのは、無名の魔道書。

 ナナシと呼ばれるその書物は自我を持ち言葉を発する。ただ、出てくるのは秋人へのツッコミが大半である。

「そもそも普段からしっかりと資金管理をしない貴様が悪い」

「ナナシ。正論というのは正しい論だけどね。正論を言うのが必ずしも正しいとは限らないんだよ」

「適当に意味ありげなことを言って煙にまこうとしても貴様を取り巻く状況は変わらんからな」

「うう……」

 がっくりと項垂れる。何が悲しくて年末年始のこの時期にこんな侘しい思いをしなければならないのか。

「年越し蕎麦も食べれない。宿も取れない。見よ、この百円玉三つと十円玉八つ、一円玉……ええと十五枚! これが今の僕の全財産だ!」

「なんでそんな小銭多いんだ。買い物するとき何も考えずに出してるだろう貴様」

「考えてるよ失敬な。小銭多いと財布が膨らんで微妙に金持ち気分に浸れるだろう」

「ああ……すまん。貴様が馬鹿だということを忘れていた」

「あのう」

 そんな応酬を繰り返す二人のところに、同行者の一人が戻って来た。線の細い美しい女性だ。あまりそうは見えないが、八百万の神々の一柱だ。秋人たちからは夏名と呼ばれている。

「ああ夏名さん、どうだった。何か手っ取り早くお金稼げそうなバイトとかありそうだった?」

「ないですねー。巫女さん不足でバイト急募というのはありましたけど」

「……女装か」

「そこそこ似合いそうではありますけど秋人さん接客とか出来ますか? 多分売り場のサポートとかいろいろやると思うんですけど」

「無理だね! なんか胡散臭いと言われるのがオチさ!」

 実際過去何回かやってみたが総じて評価は悪かった。ミステリー小説に出てきたら絶対犯人候補に上げるとまで言われるくらいだ。住所不定無職というのも良くないのかもしれない。

「かと言って体力仕事もな……。コイツ歩くことだけは得意だが基本非力だし」

「悪かったね。ああまったく、世の中には楽して信じ難い金を手に入れる輩がいるというのに、なぜ僕のところには金が来ないのか」

「働いてないからだろう。あと貯めるということをしないせいだ」

「はあ……僕もデザイナーとかになろうかな」

「貴様は今、全国の真面目にやってるデザイナーを敵に回したぞ」

 無為なやり取りに秋人は改めて嘆息した。

 こんなことをしていても腹が減るだけで何の意味もない。

 さりとて何が出来るかと言われても何も出来ぬとしか言えぬ。

 嗚呼嘆かわしや――。

「あの」

 下を向いていても気が滅入るので天を仰いで嘆いていたとき、ふと声をかけられた。ナナシの声でも夏名の声でもない。二人はいつの間にか姿を消していた。

 正面にいるのは中学生くらいの少女だ。闇夜と完全に同化してるように見える黒髪が肩の辺りで切り揃えられている。色白ということもあって日本人形のようだ。正直ちょっと怖い。

「……僕かな?」

「はい。あの」

 少女は何を言おうか少し考えているようだったが――途中でどうでもいいと思ったのか、やや投げやりな口調になって言った。

「――貴方、飛鳥井秋人さんですよね」


 貴方を連れて来いと頼まれました。

 そう言った少女に連れられて、秋人は古い日本家屋へとやって来た。

 移動は黒塗りベンツ。勿論少女が運転するわけではなく、運転手がついていた。

 移動中、助手席から少女がこちらをちらちら見てきたのが引っかかったが、寒空の下で嘆き続けるよりはましだと思い、大人しくしていた次第である。

 ……しかしなんだ。極道のお嬢さん?

 だとしたら怖いなあと思いつつ、少女の後に続く形で門をくぐる。

 運転手は屋敷には入らず、こちらに一礼してそのまま車で走り去っていった。

「ただいま戻りました」

 玄関の戸を開けて、少女が中にいる誰かに声をかける。

「おかえりなさい。寒かったでしょう。すぐに入りなさい」

 玄関から伸びる廊下に顔を出したのは割烹着姿の女性だった。こちらより少し年上のように見える。美人だが怒らせると少し怖そうだ、という印象を持った。

 そのまま入って良いか分からず立ち尽くす秋人だったが、二人に促される形でお邪魔することにした。女性は「まだ準備がありますので少し待っていなさい」と言い残して顔を引っ込めた。

 少女に居間らしきところへ案内されて腰を落ち着ける。状況はまだよく見えないが、暖かい屋内へ入れたというだけでありがたい。

 少女も秋人と同じようにテーブルの一角へと腰を下ろした。

 じっとこちらを見てくる。

「……ええと。なにかな?」

「いえ。あまり似ていないなと思いまして。ああ、でも鼻の形はそっくりかもしれません」

「ごめん、話が見えないんだけど」

「あら深冬。きちんと説明しなかったの?」

 女性が戻って来た。手には箸を持っている。四組の箸をそれぞれテーブルに並べていく。まるでこれから食事でも行われるかのようだ。

 深冬と呼ばれた少女は特に悪びれる風でもなく女性に向かって頷いた。

「特に説明しろとは言われなかったもの」

「……ああ、そうでしたね。貴方はそういう子でした」

 女性は眉間にしわを寄せながら一旦姿を消したが、今度はすぐに戻って来た。

「失礼しました。火をつけたままにしていたので」

「はあ」

「……ええと。今回貴方を呼んだのは私です」

「なるほど」

 他にそれっぽい人もいないのでそうだろうとは思っていた。

 しかし、それに続く言葉はさすがに予想外だった。

「私は飛鳥井冷夏といいます。こちらの子は妹の深冬。端的にいうと、私は貴方の姉になります」

「……」

 思考がフリーズする。

 これは新手の詐欺か何かだろうか。

 自分の経緯を振り返ってみる。

 旅に出る前は魔術師の師匠に引き取られて簡単な訓練を受けたりしていた。

 その前は普通の家庭で育てられていた。ただ、物心ついた頃の実の両親は別にいるということを教えてもらった。父親は飛鳥井という魔術の家の出身だということも。

 飛鳥井家は日本における魔術の最大勢力らしく、旅先でそこに属する魔術師と会う機会もあった。ただ、さすがに自分の身内だと名乗る人に会うのはこれが初めてだ。

 深冬の方を見る。彼女は何を勘違いしたのか、否定するように手を振った。

「いえ、私は姉ではありません。貴方からすると妹です」

「違う聴きたいのはそこじゃない」

 深冬では話にならなさそうだ。妙な空気感を持っていて噛み合わない。

「……ううん、そう。証拠。証拠はあるのですか!」

「私と深冬の父親は旅人でした。私たちを育てるつもりはなかったらしく知人に預けてそのままどこかへ行ってしまったそうです」

「ろくでなしですな」

 深冬が同調する。

 自分が聞いていた父親に関する話と一致する。よく見てみるとこの冷夏という女性、深冬の言うように自分と鼻の辺りが妙に似ているような気がしてきた。

「はっきり言ってしまうと貴方の動向は飛鳥井家の方でだいたい把握していたのです。私は学生の頃、深冬はつい最近になって飛鳥井家に属するようになったので、貴方のことは聞き知っていました」

「す、ストーキングなんて最低ではありませんかね?」

「言っておきますがしてるのは飛鳥井本家の意向ですし、私たちが直接貴方をつけているわけではありません。文句を言うのであれば本家へお願いします」

「えー……」

 飛鳥井家が自分の動向をチェックする理由はなんとなく察しがつく。自分が持つ『時間逆転』という世界のルールを覆す魔法のせいだ。この手の通常起こり得ないことを起こしてしまう魔法の使い手はいろいろと注目の的になりやすい。

 だからと言って、つけまわされる身として良い気はしないのだが。

 無論、本家に直談判しに行くつもりなど毛頭ない。ろくなことにならないのは目に見えている。

「まだ疑問が残るようでしたら血縁を証明するための魔術を行使する準備もあります。魔術師は血統を重んじるので、そういうことを調べるための魔術もあるのですよ。DNA鑑定を依頼するよりも手短に済みますよ」

「へえ。どんなことするんですか?」

「互いの血を別々の器に入れて、その器を別の機器で繋ぐのです。その状態で検査するための装置に繋いで――」

「……血を抜くんですか?」

「抜きます」

「……いいです。検査。採血苦手なので」

 注射は別に良いのだが、自分の身体から血をどんどん抜かれていくのを見るのがどうにも気持ち悪い。どことなく深冬から馬鹿にしたような目で見られている気もするが、今は無視しておく。

「ええと。では姉さんとお呼びしましょうか。今日はいったい如何なるご用件で?」

「大晦日も近いですしこの屋敷の大掃除をしたいのです。しかし今屋敷の人々は皆実家に戻ってしまっていて人手不足。そこで応援を呼んだというわけです」

「飛鳥井家って結構良い家柄じゃありませんでしたっけ」

「ここは本家ではなく支部みたいなものなので。私も今年はいろいろと立てこんでいて大掃除の計画を十分に練ることが出来なかったのです」

「……私も呼ばれたクチ。面倒臭い」

 嫌そうな表情を浮かべる深冬。初めて意見があったような気がする。

「大掃除する暇があるなら妖怪集めしてる方が有意義」

 前言撤回。どうもこの妹は妙な趣味をしているようだ。

「別段強制はしません。手伝わないのであればこのまま帰っていただいても構いませんよ」

「うっ」

 路銀が尽きた状態で寒空の下放り出されるのはきつい。

 ここにいれば食事と部屋は確保出来そうだし、秋人にとってはなんだかんだでありがたい話だ。

「や、やります。やりましょう。その代わり……」

「働く者にはきちんと衣食住は提供します」

 冷夏は言った。こちらの動向を把握しているというのは本当のようだ。

「ですので、ビシバシ働いてください」


「し、死ぬ……」

 普段旅をしているため掃除慣れしていないこともあり、秋人は大掃除に苦戦しっ放しだった。唯一の男手ということもあって力仕事を振られることも多く、大晦日を迎える頃には疲労困憊となっていた。

「はい、水」

「ああ……生き返るねえ」

 深冬に差し出された水を飲み干して、こたつに入り込む。手が真っ赤だ。温めておきたい。

「兄さん、へぼい」

「悪かったね。そういう君こそあまり要領よくないみたいじゃないか。一人暮らししてるって聞いたけど、部屋大丈夫なの?」

「……」

「ああ、駄目なんだね」

「妖怪が増える一方で場所がなくなる……」

 どうもここ数日で聴いた話だと、深冬は現代の都市伝説が妖怪化したものを絵に封じ込めて回っているらしい。どうもただの趣味というわけではなさそうだが、詳しい理由はまだ教えてもらっていない。

 妖怪が増えるというのは、妖怪が描かれた紙が次々と増えていくという意味合いらしい。深冬の部屋は百鬼夜行の様相を呈しているに違いない。

「お疲れ様です。無事大掃除も終わって年を越せそうですね」

 冷夏が年越し蕎麦の入った丼を持って来た。

 この姉は第一印象の通りかなり厳しく怒らせると怖いが、こちらの働きはよく見ているようで、褒めるところはしっかりと褒める人のようだった。この年で褒められるというのもむず痒いものだが、悪い気はしない。

「すみませんでした、秋人。兄上が戻られなかったので力仕事の大半を任せることになってしまいました」

「……ああ、そういえば僕らには兄さんがいるんだっけ」

「私も会ったことない。冷夏姉さんは会ったのよね。どんな人?」

「私も二回だけしか会っていないので人となりについて理解できているか自信はないのですが……。春武兄さんは、厳格・公平・剛胆といった言葉の似合いそうな人でした」

「うわ、絶対に気が合わなさそう」

 秋人はどちらかというと、適当・臆病・面倒臭がりな方である。

 だが、そうぼやく秋人を見て冷夏は少し笑った。

「私は結構仲良くなりそうだと見ています。あの人は何より自由を好む方でもありますから。今回も吸血鬼の貴族間抗争に巻き込まれて戻られなかったようですし。フリーダムな方です。いろいろと」

「ええー……」

 面白そうではあるが、別の意味でお近づきになりたくなさそうな人だ。

 他愛ない話をしながら夜が更けていく。

 二十三時を過ぎた頃、冷夏はすっと立ち上がった。

「秋人。深冬。そろそろ初詣に行きませんか?」

「初詣?」

「ええ。この近くの小山に神社があるのです。初詣のときはこの町の人々が集まって賑わうのですよ」

「ほう。それじゃあ行ってみようか」

「異議なーし」

 深冬はてっきり反対すると思っていたが、意外にも満場一致で初詣に行くこととなった。いつもは旅先でナナシや夏名と行くことが多かったので、何か新鮮な気持ちだ。

 神社に向かう山道には人の姿がちらほらと見えた。確かにそれなりに賑わっているようだ。

「こうやって誰かと初詣行くのは久々」

 マフラーに手袋、ダッフルコートを着込んだ深冬がぽつりと呟いた。

「悪くはないでしょう?」

「……うん、まあ」

 冷夏に手を引かれながら小さく頷く。もしかすると照れているのかもしれない。

 思わずにやけてしまっていたらしい。姿を消したままの夏名がクスクス笑う声が聞こえた。


 参拝自体は滞りなく終わった。

 願い事はシンプルに、知人の健康と旅の安全祈願。そしてついでに世界平和。

 鳥居のところまで戻って来た辺りで零時を迎えた。旧い年が去って、新しい年が来たのだ。

「あけましておめでとうございます」

 三人で改めて向き合い挨拶を交わす。

「秋人」

「うん?」

「これを」

 冷夏が着物の袂から封筒を取り出して差し出してきた。

 中身を見なくてもなんとなくこれが何かは分かる。

「お年玉? もう貰うような年ではないけど」

「お年玉が嫌なのでしたら大掃除の報酬と思って、受け取ってください。……このまま行くのでしょう?」

 少しどきりとした。

 もうあの屋敷に戻るつもりはなかった。大掃除という目的も達成したのだし、理由もなく同じところに滞在し続けるというのはポリシーに反する。

 だから、目立たないよう旅立ちに必要なものを持って来ていたのだ。

「本家としては貴方が飛鳥井家に腰を落ち着けてくれることを望んでいるようです。ただ、私としては――兄弟には好きなように生きていて欲しいので、止めることはしません。そこは安心してください」

「ははは。それは助かります」

 正直この姉に勝てる気はしなかった。最悪の場合『時間逆転』でこの二人と出会う前まで戻ってしまえば良いのだが――この二人と過ごした時間をなかったことにするのは気が進まない。

 だから、反対せずに見送ってくれるというのはありがたかった。

「妖怪絡みで困ったことがあれば連絡ちょうだい。兄さんのピンチなら、それなりの優先度で対応するから」

「……もし嫌でなければ、あの屋敷にはいつ来ても良いですよ。今度は春武兄さんも交えて、兄弟四人で集まりたいですね」

「ええ。それは……僕としても楽しみです」

 では、行ってきます。

 行ってらっしゃい。

 そういう別れの仕方を、久しぶりにした。


「あのまま飛鳥井家に留まるというのもありだったんじゃないのか?」

 陽が上る頃。ナナシがぽつりと呟いた。

「いやあ、そういうのは僕の性に合わないよ。けどまあ」

 ああいう年の瀬の過ごし方も悪くはない。

 そう思いながら、秋人は足を動かし続けた。

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