第15話

 神社に戻ると、当然のことながら通夜祭の準備は万端という様子だった。

 通夜祭は、言うまでもなく仏教でいう通夜のことである。

 通夜や葬儀が寺で行われることは多いが、神式の通夜祭・神葬祭は自宅や公共の施設で催されるのが普通だという。神道では死は〈けがれ〉であるとされており、神社という神の領域に穢れを持ち込むことはよくないという理由だそうだ。

 ただ今回の場合、故人が巫女で、しかもその自宅は神社と同じ敷地にあるから話がややこしい。とはいえ、さすがに社殿を使うのはまずいということで、参集殿が通夜祭と神葬祭の祭場となった。

 素人の俺の目から見れば、通夜のセッティングは神式も仏式もあまり変わらないように見えたが、細かいところに注意を払ってみると、いくつかの差異が目にとまった。

 多くの人が参列できるようにと、参集殿の正面出入口の引き戸は広く開放されているが、その両脇に掲げられた提灯に〈御神燈〉とあるように、祭場の随所に〈神〉の文字が散りばめられている。参集殿広間奥の祭壇の意匠も、遠目ながら仏式とは少し異なっているようだ。

 ところで原塚巡査はというと、その言葉どおり、神社に着くなり遺族への挨拶のためにさっさと参集殿の中に姿を消してしまった。

 結局、二十年前の失踪疑惑については、躊躇しているうちに話を切り出すタイミングを逸してしまった。明日、改めて駐在所を訪問するしかないだろう。

 残された部外者の俺たち──俺、翔吾、風早青年──は、参集殿の入口から十メートルあまり離れたところにある石造りのベンチ──墓地でよく見かける物置石のようなやつ──に腰を下ろして、通夜祭の様子を見守ることにした。そこからは、参集殿の土間から上り框はもちろん、さらにその奥の座敷や祭壇まで見渡せる。

「それで……学校に行ってヤマガミ様の由来だっけ、話聞いたんでしょ。帰ってくるの、ずいぶん遅かったけど」

 神社に居残っていた梨夏とも合流し、彼女にせがまれるまま、日中の出来事──怪談の部分は概要のみ──を俺と翔吾が代わる代わる説明を始めた。時折り、風早青年が絶妙の補足を差し挟む。そうしならがらも、俺は絶えず参集殿の方に視線を走らせていた。

 本来であれば、故人の娘であり、姉妹の母である美津が喪主を務めるところだが、諸般の事情から孫娘の舞依が代行するという。

「諸般の事情」とぼかしてはいるが、村人にとっては、美津の健康状態が良くないことや舞依が神社の後継者であることは周知の事実なので、当然のこととして受け止められているようだ。

 また従来、村で行われる葬儀はお祖母さんが取り仕切っていたのだろうが、今回はその本人の弔いということで、祭祀を司ったのは成隆氏の兄だという、六条神社宮司の清隆氏だった。ちなみに、通夜や葬儀を司る神職は「斎主」と呼ばれる。

「そっか。やっぱり……ねえ」

 経緯を聞き終えた梨夏がため息を漏らす。ただ、大した期待は抱いていなかったらしく、さほど落胆の色も見えなかった。

 聞き込みを楽観視していなかった点では俺たちも同様だが、実際に村を駆けずり回った身としては、自分たちの行動を振り返りつつ己の口で説明したことで、改めて「ほぼ収穫なし」という現実を突きつけられ、脱力感に襲われたのは間違いない。

 そして……問題というか微妙なのが、風早青年の存在である。

 今日は長時間にわたって彼と行動を共にし、情報収集に関してはサポート……というか、結果的にはリードしてもらう形になった。

 そもそも風早青年は、昨年この村で起きた友人の事故死に不審を抱き、独自調査をするためにこの村にやって来たとのことだから、関連情報の収集には余念がないはずで、その対象は、昨日偶然(?)にも突発したお祖母さんの不審死についても例外ではあるまい。

 だが、その件に関して風早青年が入手している情報は、最も重要なピースが欠落しているはず。それは俺たちだけが知っている事実、すなわち、お祖母さんの死は他殺であること、そして死体を遺棄したのは舞依・結依姉妹であること、だ。

 ただ、そのことを打ち明けるわけにはいかないので、風早青年を交えて意見を交わすとしても、奥歯にものの挟まったような消化不良の考察で終わるのは目に見えている。

 しかし……今日一日の努力がほとんど実を結んでいないことから、正直なところ、俺には事件解明への自信がなくなってきていた。どうせ、自分たちの思考と行動が手詰まりに陥っているのなら、いっそのこと、すべての情報を晒して助力を願うのも一つの手段かもしれない。

 そんなことを考えながら、思考はふと現実に引き戻された。

 参集殿入口に屯した会葬者は徐々に増え、人垣に遮られて座敷の中はほとんど見えなくなっている。加えて、境内のそこかしこに少人数の喪服の塊が散在して、沈鬱な空気を漂わせていた。車中での原塚巡査の話によると、村人だけではなく、赤菜町や咲宮市内から足を運んでいる関係者もいるらしい。

 記憶にある顔がいくつか目に触れる。遺体発見現場にいた老爺や朝食を摂った喫茶店のマスターたちに雑じって、驚いたことに細萱警部補の姿もあった。

 こういう時って、警察関係者は顔を出すものなんだろうか。お義理ならともかく、何か魂胆がありそうで俺は心中穏やかではない。

 結依によると、事故死としてひとまず決着したという話だったが、実はそう吹聴して関係者を安心させておき、油断して何か尻尾を出すところを押さえようなどと目論んでいるんじゃないだろうか。どうも彼の動きは不気味だ。


 そうこうするうちに午後七時を迎え、通夜祭が始まる。

 儀式が進むにつれ、仏式との違いが顕著になってきた。

 まず参列者は、式の前に手水で手を洗い口をすすいでいる。風早青年によると、それは「手水ちょうずの儀」といい、参列者自身の身を清めるためのものだという。

 儀式本体は、斎主による「祭詞奏上さいしそうじょう」で始まり、仏式の焼香にあたる「玉串奉奠たまぐしほうてん」、故人の霊を霊璽れいじに移す「遷霊祭せんれいさい」へと続く。霊璽は仏式の位牌にあたるもので、遷霊祭を経て故人の霊は一家の守護神になるとされている。

 そこで通夜祭は終了だが、その後は仏式の通夜ぶるまいにあたる「直会なおらい」が設けられる。

 朗々とした、しかし意味のわからない祝詞が響く中、儀式は進む。

 参集殿の入口は相変わらず人だかりに覆われていて、内部、特に遺族の姿を窺い知ることはできない。

 ただ、お祖母さんの遺体が見つかって以来、栞梛家の面々が悲嘆に暮れている様子はほとんど見られなかった。

 舞依・結依姉妹がお祖母さんの死を悼む気持ちになれないのは、至極もっともだろう。姉妹のお兄さんである勇人氏に至っては、未だに家に戻ってきていないようだし、そもそも亡くなったことすら知らないのかもしれない。

 それは、家族のみならず君枝さんや美弥子さん、それから親しい付き合いをしているという六条家の面々も同様だった。

 式を司る清隆宮司は淡々と務めをこなしているようだし、通夜祭の始まる前に見かけた例の警察医・六条正隆氏も、相変わらず不謹慎なほどの薄笑いを浮かべていた。

 縁者にとってお祖母さんがどういう存在だったのか、裏事情が察せられる。むしろ、村人が喪失感に打ちひしがれている様子だ。


 変事が発生したのは、通夜祭が始まって三十分を過ぎた頃、参列者による玉串奉奠の最中だった。

 徐々に単調さを増し、近くに遠くに聞こえ始めた祝詞をつんざいて、時ならぬ怒号が鼓膜を震わせた。

「ヤマガミ様のお怒りじゃあぁぁ!」

 突然の大音声に眠気を吹き飛ばされた俺は、怒号が聞こえてきた方向──境内入口──に目を向けて、唖然とした。

 声の主は……落ち武者だった。

 その中年男の額はやけに縦に長く、頭頂付近に至るまで青々とした地肌が覗いていた。おまけに頭頂部からは両側の耳を完全に覆うように、かなり長い髪の毛が首筋の辺りまで垂れ下がっている。いわゆる「落ち武者ヘア」という髪型だが、それよりも服装の方がもっと異様だった。

 灰色の着物の上に、袖の先と襟だけが白い黒地の羽織をまとい、緩い下衣に脛に脚絆、履物は草鞋という……そう、映画やドラマで有名な『忠臣蔵』に登場する赤穂浪士の討ち入り装束そのものだ。おまけに、腰に巻いた白い帯には何と日本刀を差しているという念の入れ様である。

 落ち武者は再び吠えた。

「巫女様の死は凶事の前触れじゃ! 村に大きな災いが訪れるんじゃあぁぁ!」

 絶叫と同時に、落ち武者はあろうことか腰の日本刀を抜き放った。刀身が灯りを反射してギラギラと鈍い光を放つ。

「危ない!」

 事態の悪化に参列者がどよめいた。こいつはやばい、やば過ぎる。

 それでも、屈強そうな壮年の村人が距離を保ったまま落ち武者を取り囲んだ。いつの間にか祝詞も途切れ、その場の全員が固唾を呑んで事の成り行きを見守る中、男たちは口々に声をかける。

「落ち着きんさい! カンさん」

「とにかく、その物騒なモノはしまって……」

「カンさんがここで暴れても、ヤマガミ様はお喜びにならんぞ!」

 カンさん──幹さん? ということは……頼富氏の話に出てきた、隠れ館の怪異体験者にしてヤマガミ様の狂信者というのが、この人なのか。

 ただ、男衆の呼びかけも幹さんの耳にはあまり届いていないようだった。彼は虚ろな目つきで周囲を睨め回し、

「ヤマガミ様は生贄を求めておられるんぞ!」

と喚いて、両手で抜き身を二度ばかり振り回した。そしておぼつかない足取りで、よろよろと参集殿の入口に近づいていく。

 まさか、幹さんはこの場でヤマガミ様に生贄を捧げようとしているのか。

 その時、参列者をかき分けるようにして参集殿の奥から姿を現したのは、烏帽子狩衣姿の斎主・六条清隆宮司だった。恰幅の良い初老の宮司で、想定外の事態にさして動じるでもなく、堂々とした態度である。

 彼は状況を一瞬で把握するなり、幹さんに向かって一喝を食らわした。

「神事の最中、しかも大勢の会葬者の眼前で何たる醜態。無礼が過ぎますぞ!」

 大音声というわけではないが、凛とした響きを伴い、聞く者の脳髄に突き刺さるような声音だった。だが、精神を病んでいるという幹さんに、叱責が通用するのか大いに疑問だ。

 宮司の一喝で幹さんはひるんだかに見えたが、案の定それはわずかな時間だった。焦点の定まらない不安定な視線を宮司から外して居並ぶ人々に泳がせ、わなわなと唇を震わせながら彼は四たび咆哮した。

「二十年前と同じじゃ。ヤマガミ様が生贄を欲しておられるんじゃあ!」

 割れ鐘のような声を張り上げつつ、今度は抜き身を大上段に振りかぶり、しかし誰に向かって斬りかかるでもなく、そのまま思い切り振り下ろす。その拍子に、幹さんの両手から勢いよく抜き身が飛び出し、鈍い音とともに地面に激突した。

 それを見るや、すかさず数人の男衆が幹さんのもとに殺到し、宥めすかしつつ巧みに身体の自由を奪いながら、参集殿と本殿の間の暗がりに引きずっていった。一人の男が思い出したように戻ってきて、地面に横たわる抜き身を拾い上げ小走りに連中の後を追う。

 緊張が緩み、その途端にどっと冷や汗が噴き出すのを自覚した。

 頼富氏の言うとおり、幹さんのあの状態ではまともな話など聞けはしないだろう。下手すると、ぶった斬られる危険すらある。

 それにしても、あの男衆、素手で抜き身に立ち向かうとは剛胆だな。

 どうにか騒ぎが収まり、場も平静を取り戻した。再び祝詞が朗々とした響きを奏で始める。

 玉串奉奠を終えて参集殿から出てきた村人たち数人が、俺たちの近くに集まって立ち話を始めた。

「幹さんにも困ったもんじゃのう。普段はおとなしいのに、ヤマガミ様が絡むと手がつけられんようになる」

「そもそも、あんな物騒なもんを持たせとくちゅうのは、いかがなもんかい」

「いくら模造刀じゃというても、打ち所が悪かったら死ぬか大ケガするわ。警察の方で没収とかできんのかの?」

 どうやら、幹さんが振り回していた日本刀は真剣ではなく模造刀らしい。

「ま、それにしても、さすがは清隆宮司じゃ。あの騒動を一喝で鎭めるんじゃけん」

「緋劔神社は舞依ちゃんが跡継いでも、しばらくは清隆宮司に後見してもらうようになるじゃろう。成隆さんの縁もあるし」

「その成隆さんじゃが、最近ますます影が薄い感じがするわ。元気がないし、実際、顔色も良くないしのう」

「どっか身体が悪いんじゃないか? 正隆さんの病院で診てもろうた方が……」

「六条さんとこも、長男と次男はそれぞれ神社と病院を仕切ってバリバリやっとられるが、成隆さんはどうにも目立たんな」

「でも聞いたところじゃ、最近は病院も苦しいらしい。咲宮の方はともかくA市に造った分院の経営がよくないとか……」

 そんな他愛のない会話が五分ばかり続いた頃だった。

 不意に足元が揺れたような気がした。

 参列者が急に落ち着きをなくし、ややうろたえた顔で周囲を見回す。

 少し遅れて身体がふわっと浮き上がり、ほぼ同時に左右に揺さぶられるような感覚に襲われた。

 社殿や参集殿の方から建物全体がきしむような音が沸き起こり、再び人々の口から言葉にならないどよめきが発せられる。これは……地震だ。

 しかし張り詰めた時間も長くは続かなかった。数秒間の震動の後、不気味な余韻を残しながら、揺れは収まっていく。左右に揺らいでいた提灯の振幅も、徐々に小さくなっていった。

 良かった。せいぜい震度二か三くらいの弱震だろう。

「おっ、奇遇だな。兄さんたちも巫女様の通夜祭に参列か?」

 ほっと胸を撫で下ろしたところで、聞き覚えのある声が耳に届いた。その方向に目を向けると、見覚えのある顔が微笑んでいる。昨日、遠沢駅で出会った山伏姿の男であった。

「それにしても、荒れ模様の通夜祭だな。狂信者は暴れるわ、地震には見舞われるわ……」

 昨日と同じ山伏装束に身を固めた男は、印象的なかなつぼ眼を見開いて、呆れたように言う。

「ところで、兄さんたちは神社や巫女様と一体どういう関係なんだ?」

 俺と翔吾は代わるがわる、緋劔神社──おもに結依──との関係を簡単に説明した。

「そうか、双子姉妹の友人か。それにしても神社もこれから大変だな。跡取りの姉妹も苦労することだろう」

 山伏男は参集殿の方を見やりながら嘆息した。

「話は違うが、兄さんたちも気をつけたほうがいいぞ。去年の夏と今年と二年続けて事故死が発生しているからな。さっきの幹さんとやらが叫んでいたが、ヤマガミ様のお怒りというのも、まったくの的外れとは言えぬかもしれん。二十年前の神隠しの噂もあることだしな……」

 意外なことに、山伏男の口から例の失踪疑惑の一件が飛び出し、思わず俺たちは顔を見合わせた。

「その神隠しについてなんですが、何かご存知のことってありますか?」

 勢い込んだ口調で風早青年が問い質す。

「わしも詳しいことを知っているわけじゃないが……」

 山伏男はやや言葉を濁しながらも、

「二十年前に失踪騒ぎがあったのは事実で、行方不明になっているのは男ばかり三人だということだ」

「三人も!?」

 俺たちは揃って驚きの声を漏らしたが、山伏男はその反応を鎮めるように両手をかざして、

「だが、この村で消息を絶ったことがはっきりしているわけではないらしい。ことに巫女様は『知らぬ存ぜぬ』の一点張りで、『万一、村で消えたとしても、それは何らかの不埒な行いがヤマガミ様の怒りにふれた結果じゃろう』と、半ば強引にヤマガミ様の祟りで片付けてしまったとか……」

 確か去年の事件の際も、お祖母さんはヤマガミ様にかこつけてけんもほろろの対応だった、と原塚巡査は述懐していた。

 俺たちが何か不利益を被ったわけではないが、話を聞けば聞くほど、故人に対する苦々しさが募るのを感じずにはいられない。

 風早青年は、と見ると、ついさっきの気勢とは裏腹に口をつぐんで何やら沈思黙考している。しばらく経って、彼はポツリと口にした。

「二十年前……どう考えても引っかかるな」


 そうこうするうちに通夜祭は終わり、山伏男も含めてかなりの数の参列者が境内から姿を消していった。参集殿の座敷にまだ残っているのは、氏子総代や村の主だった人なのだろう。

 時刻は午後八時半。昼間に投げ捨てた草履の行方とか、二十年前の男三人の失踪疑惑とか、気になることは多いが、さすがに今日はもうこれ以上の進展は望めまい。

 そう思った途端、一日の疲れが全身にどっとのしかかってきた。タイムリミットの十一日夕方まで、あと一日と二十時間足らず……。

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