緋剣村殺人事件
吉永凌希
第1話
不規則振動に揺られながら、いつの間にか眠ってしまったらしい。
軽く伸びをしつつ、俺は両目をしばたたかせた。車内が乾燥しているせいか、まぶたの裏に少しざらついた感覚が残る。
走行音を反響させながら、列車はトンネル内を疾走していた。真っ暗な車窓には、一定の間隔を空けて前方から照明が現れ、瞬時に後方に飛び去っていく。
腕時計に目を落とすと、時刻は十四時五分。下車駅・遠沢への到着予定は十四時十六分だから、あと十分あまりだ。
(うっかり寝過ごすところだったな)
そこで、はっと思い出した。
あと十分で遠沢着ということは、今通過しているのは扇山ループトンネルで、その手前の絶景ポイント――標高差二百メートルの高所からA県中央部の盆地・咲宮平を一望できる――はもう通り過ぎてしまったらしい。
(やらかしちまった。日本五大車窓の一つというから楽しみにしてたのに……)
全長約八キロメートルのトンネルの闇の中、列車は延々と右にカーブを描きながら急坂を下り、遠沢駅へと近づいている。
(おっと、それより降りる準備をしないと……)
俺は、ボックス席の対面で呑気に船をこいでいる池辺翔吾の左肩に手を伸ばした。
「おい、起きろよ。そろそろ着くぞ」
翔吾の隣で眠り込んでいた園崎梨夏も、その声に反応して身じろぎをする。
「なんだ、早いな。もう着くのか」
「爆睡してたせいで、そう感じるんだ。あと十分目覚めなかったら、乗り過ごすところだぜ」
「おっと、そりゃ一大事だ」
少しくせのある茶髪をかきあげながら、おどけた調子で翔吾は立ち上がり、網棚から荷物を降ろし始めた。
「あっ、せっかく買ったお土産も、降ろすの忘れないでよ」
梨夏が注意を促す。何の予告もなく、しかも初めてのお宅を訪問するのに手ぶらはないよ、と梨夏が気を利かせて準備してくれたのだ。ふだんはあまり細かいところにこだわらない彼女だが、いざという時にこうした気遣いができるのはさすがだな。
新幹線に揺られてA県の県都A市まで三時間あまり。そこから山間部に分け入るJRの支線に乗り換えて一時間半で、目的地である緋剣(ひつるぎ)村への最寄り駅・遠沢駅にたどり着く。そこで鉄道の旅は終わりを迎えるわけだが、緋剣村までは、路線バスで四十分かけて終点の赤菜町まで行き、さらに町営のコミュニティバスに乗り換えて二十分かかるという。
特別な用事でもない限り、生涯足を踏み入れることはないであろう山間の僻村に、今こうして向かっている理由は……その特別な用事ができてしまったのだ。
俺たち――池辺翔吾、園崎梨夏、そして俺・中峰大樹の三人は首都圏の大学に籍を置く大学一年生である。俺と翔吾は同学部同学科。最初の授業で席が隣同士だったことから親しくなった。そこにサークル活動で知り合った園崎梨夏が加わる。
俺たちが加入したのは「BQSビジターズ」という、名称どおりB級(Q)スポット探訪を主活動とするサークルだった。メンバーは幽霊(部員)も含めて全部で三十人あまり。もともとは「神仏研究会」というマニアックで寄りつきがたいサークルだったらしい。
各地の神社仏閣巡りを地道に行っていたのだが、メンバーが増えず先細りの懸念が強まるにつれて、次第にお祭りや縁日などを訪れるのがメインになり、今ではB級スポット探訪と称して気軽にアウトドアを楽しむサークルに変貌した。その結果、長らく一桁で伸び悩んでいたメンバー数が三十人を超えるまでに膨らんだそうだ。
そのBQSビジターズに加入して一月ほど後、園崎梨夏が新メンバーとして連れてきたのが、彼女と同学部同学科の
それはともかく結依は、初対面から俺にとって気になる存在となった。
〈〝和〟の香漂う現代美女〉俺が勝手につけた結依のキャッチコピーである。容貌がきわだって和風というわけではないが、所作や物腰にどことなく神社育ちのしとやかさがうかがえる。でも、ここ一番では積極果断な言動を披露するというギャップも、俺の目には新鮮で魅力的に映った。
幸いなことに、サークルでの活動を通して俺たち四人は親しくなり、大学にいる時はもちろん、それ以外の時間も行動をともにすることが多くなっていった。当然、サークルの男子メンバーの中には結依を意識している者もいるが、今のところ俺が一歩抜け出した形になっている。もちろん、この地位が安泰というわけではないが。
一方、時を前後して翔吾と梨夏が交際を始めたこともあり、とにかく、この夏休み中に結依との親密度を上げて、あわよくば……などと、虫のいい皮算用をしていた。ところが、である。その矢先に、思いもかけない事態が発生したのだ。
二週間の予定で郷里に帰省していた結依から、俺たち四人のLINEグループにメッセージが入ったのは四日前のことである。その内容が波紋を巻き起こした。
〈わたし、もうこのまま大学に戻れないかもしれない〉
最初、読み間違えたかと思って二度見した。間違えていなかった。途端に動悸が激しくなった。
(何なんだ、これ……。どういうことだよ?)
何回読んでも、事情がさっぱりわからない。そもそも「このまま大学に戻れないかもしれない」だけで、何もわかるはずがない。
俺はあわてて詳細を問いただすメッセージを返したが、どういうわけかそれっきり梨のつぶて。前後してメッセージを読んだ翔吾や梨夏も、思いがけない成り行きに驚いて代わる代わる返信を送ったが、それ以降は〝既読〟にすらならないのだ。
俺は居ても立ってもいられなくなった。せっかく〈〝和〟の香漂う現代美女〉と親しくなれて、今後の展開をあれこれ妄想していた矢先に、「大学に戻れないかも」などと事実上の別れを告げられて「そうですか」のひと言で片づけられるわけがない。
俺は大学近くのカフェに翔吾と梨夏を呼び出して告げた。
「あれこれ考えてても仕方ないから、俺、結依の実家を訪ねてみる」
まだ付き合ってもいない女の子の実家をいきなり訪ねるのが不躾であることは承知だが、どうやっても連絡がとれない以上、残された手段はこれしかない。まさか、結依に拒否られているってことはないだろうし……。
すると、外見に似合わず、妙なところで常識論をふりかざす癖のある翔吾が、案の定、
「連絡もとれないまま、いきなり押しかけていくのは、ちょっとな……」
などと、ありふれた慎重論をぶってきた。
「それはわかってるけどよ、このまま待っていても連絡つくかわかんねえし、こうしているうちにも状況が悪化していくような胸騒ぎがするんだよな」
「だからって、実家を訪ねても事態が好転するとは限らんだろ」
翔吾はあくまで慎重姿勢を崩さない。慎重というより、なんだか冷淡にさえ聞こえる。
(こんの野郎~、ああ言えばこう言い、こう言えば……)
俺は小さく舌打ちをして翔吾の顔から視線を外し、不機嫌さを満面にたたえて押し黙ってしまった。
数十秒ののち、思いがけないセリフで、気まずい沈黙を破ったのは梨夏である。
「ね、いっそのことみんなで行ってみない?」
弾かれたように俺は表情を一変させて、梨夏を見つめた。かたわらの翔吾はというと、自分の彼女の想定外の言葉に面食らった様子で、口を半開きにしている。
「突然押しかけて迷惑かもしれないけど……でも、わたしも心配なんだ」
そう言って、梨夏は眉を曇らせる。
「結依に何があったのか気になるし、面と向かって話をして、できることなら今までどおり仲良くやっていきたい。ねえ、翔吾」
「そりゃ、俺だって心配してないわけじゃないぜ。ただ、大樹が勢いに任せて突っ走るのはどうかと……」
とたんに翔吾の慎重論も雲行きが怪しくなってきた。
梨夏の強力な援護射撃に、俺は心の中で手を合わせた。梨夏と翔吾が同行してくれるなら、俺としても心強い。もし、結依に会えたことで俺が暴走しそうな気配でもあれば、その時こそ翔吾が制止役を務めてくれればいいではないか。
それに三人そろっての訪問なら、結依の家族から妙な誤解を受けることはないだろうし、遠距離ストーカーの汚名を着せられることもあるまい。
結局、梨夏の積極論に翔吾も不承不承ながら押し切られ、結依の郷里であるA県緋剣村訪問が決まった。そして今、こうして列車に揺られているというわけなのだ。
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