第58話 残された者の責務

「…あんちゃん。私は全てを見届けたよ。アイリスは、最後に思いを遂げられた。彼女とはたくさんの確執があった。…だけどあの子は僕の幼馴染、ずっと一緒にあんちゃんに怒られながら過ごしてきたんだ。だからね、僕は彼女を憎まない」


 そう言いながらカルロスは一枚の電磁ディスクを差し出した。


「これを託されたのはもう、ずいぶん昔のことだ。あんちゃんに渡そうと思っていても再生機材のあったあの施設は崩壊した。だけどここなら」


 カルロスからそれを受け取り部屋の中央にあったコンピューターにそれを差し込む。しばらくすると埃でかすんだモニターにアイリスの映像が映し出される。


『じゃーん! 兄さん、ここが新しい世界よ。ほら、カルロス、恥ずかしがってる場合じゃないでしょ?』


『えへへ、あんちゃん、僕たちは無事に目覚める事が出来たよ。早く目覚めないとアイリスと僕の結婚式に間に合わないよ?』


『ばっかじゃないの! あんたとなんか結ばれないわよ! 私はね、兄さんと、そう決めてるんだから! ふふ、兄さんが目覚める頃にはこの施設から出て、うんと色っぽい女になって待ってるんだからね!』


『うっわ、千年越しの失恋とかありえないんだけど!』


 ざざっとノイズが走り、次の場面に。白衣を着て、少し大人っぽくなったアイリスの顔が映し出された。背景はどうやらこの部屋のようだ。


『兄さん、見て、私もう、大人になったわ。いっぱい聞いてほしい話があるのよ。私たちは色々あったけどとりあえず定住に成功したわ。大丈夫、兄さんが目覚めた時、私が幸せにしてあげられる。それだけの力はあるのよ。…だから私に老いの影が迫る前に目覚めて欲しい。女として愛してもらえるうちに』


 再びノイズが走り次のシーン。今度は中世の女王様みたいな恰好をした、やや年増のアイリスの姿。


『どう? 似合う? ふふ、歳の事は言いっこなしよ? 兄さんがいつまでも寝てるから私だけ歳を、でもね、私はこの地の女王、兄さんが目覚めれば王さまよ。…流石に百年も生きるとアンチエイジングも難しいわね。カルロスのようにサイボーグ化した方が良かったかしら? お願い、兄さん、アイリスは、あなたを愛する妹はここに居るの。だから早く、私の命が尽きる前に目を覚まして!』


 次に現れたのは白髪の老婆。それでも化粧を施し女としての矜持は保ったままだった。


『…兄さん。今の姿を残すかは相当迷ったわ。兄さんには若さを残した私だけを記憶に留めて欲しいから。でもその一方で私がどんな女だったか、どういう風に年老いたか知っておいてほしかった。私は狂ってる、自覚はあるわ。だけど兄さんを愛することは止められない。この体が朽ちても私の遺伝子を引き継いだ子たちがいる。私はもう兄さんを、そう言う歳ではなくなったわ。だからそれは子孫たちに。悔しい! 私が、なぜ、あんな偽物たちに兄さんを委ねなければならないの! 兄さん、聞いてる? 私、あなただけを愛して、ずっと愛して生きて来た! もう、体は持たないののよ。…ふふ、二百年の遅刻、いくら何でも遅れ過ぎよ。兄さん、愛してる』


 それが最後の場面だった。


「あんちゃん、アイリスはあんちゃんだけを」


「うん、そうだね。あいつ、頑固だったから。アイスクリームはバニラだけ、食事は野菜から食べなさいってうるさくて、俺の着替えはいつもあいつが用意して。貧乏で碌な服も持ってないのに。孤児で、行く当てもなくて二人きりで、」


「僕もそうだった。他人とのかかわりはあんちゃんたちだけ。貧しくて、下水のような地下に住んでて」


「そうだったね。楽しみと言えば給料が出た時の外食だけで。カエデを手に入れた時はさ、もう嬉しくて」


「うん、覚えてる。僕も一緒にパーツ探しをしたからね。カエデが居れば、パーツが見つかれば女に不自由しないって。やっと見つけたそのパーツをアイリスに捨てられて」


「そうそう、そうなんだよ、あいつさ、妹のくせに俺を愛してるとか真剣な顔で」


「僕なんかフラれたんだよ?」


「あは、あはは、なんで、なんでこうなっちゃったのかな、俺が頼りない兄貴だったから? それともあいつが間違ってた?」


「…そうじゃないよ、あんちゃん。勇者グランが言っていたようにこれは生存競争。その中に僕たちの都合、関係がほんの少し混じってただけ。世界の行く末を決めたのは適者生存の論理だよ。そこにエルフもアイリスも含まれていなかった。だから誰も悪くない」


「あいつは、あいつはやきもち焼きで口うるさくて! けど大切な妹で!」


 そう言いながら俺はカルロスの機械の体に縋りつき大声で泣いた。



「…あんちゃん、僕のなすべきこともすべて、この体ももう限界だ。眠りにつくならここがいい。フラれた女の側で、そう思ってる」


「お前! 何言ってんだよ! バカか! ここの地下はアンドロイド工場なんだろ! だったらアンドロイドの腕や脚ぐらいあるだろ! それに人工皮膚だって。カエデはちゃんとメンテナンスされてたんだ。お前だって」


「僕はね、アイリスと同じ、適者生存の論理から外れたんだ。だから」


「ふざけんな! お前、母ちゃんどうすんだよ! あんなにがっつりハメちゃって。お前が死んだら絶対俺に八つ当たりするね。娘に手を付けた責任ってのがあるだろ!」


「もう、それはさ、若さゆえの過ちって事で、」


「とにかく俺は許さない。ほら、地下に行くぞ」


 そこからカルロスと二人で地下に潜った。アンドロイドのパーツの在庫を検索すると必要な部材は全部そろった。


「男性用が一揃いか、アイリスはきっとあんちゃんの為にこれを」


「だけど俺には必要ない。そしてお前が使うべきものだ」


「…うん、何百年かぶりにアイリスにフラれたトラウマを思い出したし、あんちゃんは恋敵、そのあんちゃんのために用意されたパーツを使うのはお下がりみたいで気に入らないけど」


「お前、昔から俺の服のおさがり着てただろ、今更何言ってんだ」


「あはは、そうだったね。加工器具も生きてる。このパーツの寿命が尽きるまでは僕も生きる事にするよ。シルフだけは僕が授かり、僕が育てた僕だけの家族だから。彼女と最後まで」


「うん、若返って夜の相手もしっかり努めてやらなきゃ」


 カルロスはパーツをセットし、機械に入力、そして古いパーツを新しいものに変えていく。手足、顔、そして声帯に内蔵、必要な部品はすべて交換出来た。


「どうだい? この体は」


「いいんじゃない? 今だから言うけど人工皮膚の削げ落ちたお前の顔ってホラーだったし」


「ひどいね、相変わらず、あはは」


「…アイリスはね、最後にお前って言う友達を俺に残してくれた。あいつは本当に兄貴想いの優しい妹だった。だからもう」


「そうだね、僕たちは新しい時代を、エルフのいない世界を生きていく。彼女の事は歴史の一ページ」


「そう、だからもう、思い出す必要もない。ただ忘れなければいい。心のどこかにあいつの優しさを」


「…さあ、行こうかあんちゃん。僕たちの新しい世界に」


「ああ、行こう。俺たちの世界に」


 アイリスの部屋のコンピューターを操ってアンドロイド工場の自壊プログラムを作動させる。そしてここも。

 その時、ふと目覚めた時の記憶を思い出す。あの時、画面の中の白衣の女は言った。「素晴らしき人生を」と。新しい世界、そこで幸せに、素晴らしい人生を送る事が残された俺たちの責務。滅びた人類、たくさんの種族、そして、アイリスに対しての。


「自壊プログラム作動、崩壊まであと120秒」


 最後にチラリと水槽に浮かぶアイリスのなれの果て、その姿を見て聖堂を後にした。


「ゼフィロス!」


「お父ちゃん!」


 外で待っていてくれたヴァレリアが俺に抱き着き、カルロスはシルフの大きな体をしっかり受け止めた。


「ヴァレリア、もう一度だけ言う」


「…うん」


「俺はお前を選んだ。アイリスよりもお前を愛すると決めた。そしてその事に迷いはないし、後悔もない。ずっとずっとお前を愛して生きていく」


「…はい、私はあなたの妻、そうなれてうれしい。そして、幸せだ」


 聖堂は瓦礫に変わり、アイリスシティの根幹たるアンドロイド工場は土に変わった。この世に必要のないものは消え去り、今日と同じ明日が続く。春が来て、夏が来て、何の進歩もなく同じような年月を。シンプルな生き方、それが俺には何より幸せだった。


 赤アリのソフィアによるエルフ討伐も完了し、この世界からエルフと言う種族は消え去った。アイリスシティの跡地にはキイロスズメバチのジュンが婿を迎え新たにコロニーを建設するという。そのアイリスシティから東に進んだ城塞都市の跡には数年の後、アエラの娘に婿を取り、そこに巣分けをするらしい。

 俺たちは戦後処理を終え、久しぶりに我が家であるコロニーに帰り着く。娘たちの出迎えを受け、いつも通りの日常が始まった。


 変わった事と言えばカルロスは正式に評議会議長を引退。クロアリの女王シルフのコロニーで暮らすという。そして二代目の議長閣下に選ばれたのはエルフ討伐の戦役で抜群の功績を立てた赤アリの女王、ソフィア。彼女は卵を産むことをやめ、女王アリを引退、巣を娘とネロスさんに託し、晴れて独身となってセントラルシティにいくらかの娘と眷属を連れて移り住んだ。


「げっ! なんで赤アリのババアがうちに来るのよ!」


「バカ、アリサ、逃げるんだよ!」


「そうよ、ここは逃げるべきところ!」


「ほう、口の訊き方を知らぬようだな」


「「「ぎゃああああ!」」」


 三人の娘はソフィアに鉄拳教育を受けていた。


「もう、ママ寂しいからこっちに住んじゃおっかな」


「私は別に構わぬが」


「ああ、あたしも良いぜ」


「ちょっと! 良いわけないでしょ! 帰ってくださいよ!」


「ほう、メルフィ、いつからお前はこの私にそれだけの口を訊けるようになった?」


「だって、ぎゃあああ!」


「バカだな、メルフィは」


「そうだ、逆らう方がおかしい」


 晴れた日はジュリアやジュウちゃんたちと狩に出かけ、雨の日はメルフィとしっとり過ごした。そしてソフィアにたっぷり甘え、ヴァレリアと愛を交わし合う。娘たちと遊びにでたり、ジュウちゃんたちの巣で過ごしたり、アイちゃんと遠乗りに出かけたり。

 季節ごとにイザベラのコロニーを訪ね、勇者グランとハニー・ナイツたちと酒を酌み交わし、エロテクに関しての討論をかわす。そしてイザベラに破廉恥ないたずらを仕掛け発見されてお説教&鉄拳制裁。

 クロアリのコロニーでは母ちゃんに急かされながらカルロスと競うように仕事をこなし、夜はごちそうを頂いた。


 今日の続きが明日、そう実感できる日々、それがとても幸せだった。


「いやん、もっと優しくっていつも言ってるのにぃ!」


「嘘つけ、こうされるのが好きなくせに」


「ひゃん! ペロペロしちゃだめ! あっ、あっ、らめ、変になっちゃう! 吸われちゃう、はひぃ! ひぐっ!」


 今日もメルフィの誘い受けは完璧。そして蜜の味も最高だった。


「もう、意地悪ばっかりして」


「それはね、お前を愛してるから。大好きだよ、メルフィ」


「…あっ、わたくしも大好き、愛してる! いっぱい、いっぱい虐めて!」


 そう、俺は毎日幸せだった。

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