第48話 正義
「ぎゃあああ! な、なんじゃこりゃぁぁ!」
ある朝鏡を見たら額から触角が生えていた。しかもね、無駄に長いの。ナニコレ、カミキリムシ? けっしてGではない。それは認めない。
なんだなんだと妻たちが集まってくる。人の移動する空気の動きが触角に感じられた。
「あっ!」
「あら」
「あははっ」
三者三様の反応である。ヴァレリアは驚き、メルフィは普通。そしてジュリアは嬉しそう。
「……ふむ、これは」
「いいじゃん、ゼフィロス、似合ってるぜその触角」
「ですね。素敵」
「だけどさぁ、こーんな長くなる必要ってなくね?」
「あんたは蜂の王でアリの大佐なんだ。誰が見ても偉い人ってわかるからいいじゃねえか」
「そうですよ。鎧も素敵でしたし」
二人はそう言ってきゃっきゃと騒ぎ出す。だがその中でヴァレリアだけが難しい顔をしていた。
「――ゼフィロス」
「ん?」
「あなたはこれでよかったのか? トゥルーブラッド、いや、人であることをやめて」
「何言ってんだ姉貴! 自分の夫がアタシたちと同じインセクトになったんだぞ? 目出度いことじゃねえか!」
「そうですよ、ヴァレリア。何か問題が?」
そう言いながらメルフィがコーヒーを入れてくれた。俺の左右にはメルフィとジュリアが、正面にヴァレリアが座った。
「……確かに、私たちにとっては都合がいいし、嬉しいことでもある。だが、ゼフィロスの立場になれば。妹の子孫、エルフとはこれで完全に」
「んなことはあったりまえだろ? 元々アタシたちを選ぶか、エルフを選ぶかって話だ。んで、ゼフィロスはアタシたちを選んだ。だから体だって。何もおかしいことなんかねえだろ? なあ、メルフィ?」
「そうですよ。ほら、ゼフィロス? 早く口をつけねば冷めてしまいますよ?」
メルフィの勧められコーヒーを口にする。ちょうどいい甘さでちょっと嬉しくなった。
「ゼフィロス、あなたはどうなんだ? これでいいのか?」
「んー、ちょっとびっくりしたけど、別にいいんじゃない? 俺はエルフが嫌いだし」
「しかし、」
「姉貴、いい加減にしろよ? んじゃ何か? ゼフィロスがここを去って、アタシたちを捨てて、エルフとよろしくやれとでも言うつもりか?」
「そうではない! だが、何となく心苦しいのだ。同族と切り離される痛みを考えると」
「あら、そんなものはその分わたくしがゼフィロスを愛して差し上げればいいのです。ね、ゼフィロス?」
「そうだな。アタシたちがその分幸せにしてやればいい。姉貴がそうじゃねえっていうならどこへでも消えろ。ここにはアタシとメルフィがいればいい」
「そうですわね」
ジュリアとメルフィが自分の肩を俺に抱かせるとヴァレリアはギリギリと歯を噛み鳴らす。
「お前たち、夫の心情も思いやれぬのか!」
「へへ、姉貴はただ妬いてるだけだろ? アイリスに。だからそんなことを言い出しやがる」
「違う!」
「違かねえよ。やだねえ、嫉妬深い女ってのは」
「ですよねぇ」
みんなが喧嘩している間俺は触角をいろいろ動かしたりしてみていた。思ったよりも自在に動く。手の指のように感触も感じられた。
「ふざけるな!」
そう言ってヴァレリアが立ち上がった時、俺は長い触角をひゅるっとその顔に巻き付けてみた。
「えっ、なんだこれは?」
驚くヴァレリアの首元からもう一本の触角を服の中に忍び込ませる。やわらかい感触が俺に伝わった。
「あっ、だめだ、こんなの」
そう言うヴァレリアの口に顔に巻き付けた触角の一本を差し入れる。
「あひゃ、らめ、らめら、」
うむ、これはいける! 触角は触手となりうるのだ! 新たな発見、素晴らしい機能。俺は感動に涙した。触手は正義である!
「なあ、あれはちょっとどうかと思うぞ?」
「ですね。少し下品では?」
触角でヴァレリアをマッサージしつつ、開いた手でジュリアとメルフィをマッサージ。サービス精神にあふれる俺はみんなの体を癒してやることに決めた。
三人が体を揉み解される心地よさに声を上げ、満足して動かなくなる。俺は廊下に出て窓を開け、葉巻を咥えた。ふうっと吐き出される紫煙。最高の達成感。何と言う素晴らしい体に改造されたのだろうか。
「あー、父様に変な毛が生えてる!」
「ほんとだぁ!」
「なにこれ、すっごいかっこいい!」
そんなことを言いながら娘たちが俺の触角を力いっぱい引っ張った。
「痛い痛い痛いやめて!」
「あはは、おもしろーい! ねえ、メロ。そこにぶら下がってみなさいよ」
「うん」
「あ、ならあたしはこっち!」
子供たちに飽きるまで俺は触角をもてあそばれる。もうね、すっごい痛いの。この触角は細かい動きができるが力がない。それを学習した。そして子供たちが残酷だと言う事も。
さて、と。気を取り直した俺は新たな境地を開拓するべく地下のジュウちゃんたちの所に行く。冬はまとまって過ごしているはずだからあそこは何気に温かくもあるのだ。あれこれするとジュウちゃんたちはいろんな匂いを発するのだ。それがまた楽しい。うひゃひゃひゃと下品な笑いを漏らし、いざ地下へ! と思ったとき、頭の中に声がした。
『どこにいる。すぐに戻ってこい』
ヴァレリアの声だった。あ、そっか触角は通信機能も付いているんだっけ。俺は返答するため、ヴァレリアを思い浮かべながら強く念じた。
『ちょっと今から地下に』
『いいから戻れ! あれだけの事をしておいて放置? 許されるはずもない! 』
なにやらオカンムリのようだ。戻らねば命に関わる、そう判断した俺はしぶしぶと階段を上がった。部屋に戻るとむっつり顔のヴァレリアと対照的にすっきりした顔のジュリアとメルフィ。
「ま、今日は姉貴の日だからな。行こうぜメルフィ?」
「そうですね。それじゃ、ゼフィロス。また明日」
そう言って二人は出て行ってしまった。そして俺は野獣のようにぎらついた目をするヴァレリアに部屋に連れ込まれる。すわ、睦言である。ここで新たな新発見。どちらかと言えば清楚な感じのヴァレリアは言葉では恥ずかしいだのなんだの言うが念の交信ではすっごく大胆であった。
そして翌日はメルフィ。メルフィは言葉も念もM系である。触角であんなことをしてほしい、なんていうイメージが流れ込んでくるのだ。何のって? 無論マッサージについてですが、何か?
ジュリアはジュリアで念の中では可憐な少女。ま、いろいろあるものだ。
そして季節は春になり、また、巡業の季節を迎える。ヴァレリアたちはまた卵を産むらしく、みんな留守番。生まれた卵は娘たちに世話をさせるらしい。大丈夫かなあ?
ま、それはそれとして今の俺は最強であり、空も飛べる。守ってもらう必要もないのだ。だから一人で、そう言ったがジュウちゃんが一緒にくると言って聞かなかった。
それにしても空を飛べるというのはいいものだ。鎧姿に変身し、ジュウちゃんと二人、戯れるように空を飛んだ。ちなみに鎧姿の間は俺のフェロモンは漏れないようだ。とはいえ変身を解けば匂うので、マフラーは常備している。
『抱えて飛ぶのもいいけど、こういうのもいいわね』
「うんうん、一緒に飛べるのって最高」
『だったら競争しましょっか?』
「いいねえ」
『インセクトになんか負けないんだから!』
そう言ってジュウちゃんは全力で飛び出した。俺もそれを追っていくがまったく追いつかない。基本、羽の大きさが違いすぎるのだ。
『待ってぇぇ!』
言葉が届かないほど引き離されたので念を送った。
『ほら、おっそいわよ、最強のインセクト』
いつも休憩する沢に着いた時にはジュウちゃんは真っ赤な果実を抱えて待っていた。
「あ、イチゴじゃん」
『今は季節だものね。ちょっと酸っぱいけどおいしいわよ?』
俺は剣を作り出し、そのイチゴを四つに割った。もちろんサイズはビックサイズだ。その一つの汁をジュウちゃんが吸い、俺はさらに小さく切った物を口にした。うん、甘酸っぱくて瑞々しい。
「ねえ、ジュウちゃん、ここにちょっと蜜をかけてよ」
『もう、わがままなんだから。自然の物はそのままが一番おいしいのよ? 』
そう言いながらも俺のイチゴにちょっとだけ蜜を出してくれた。濃い蜜が酸っぱいイチゴをさらにおいしくしてくれる。俺は湧き水で手を洗い、喉を潤した。鎧を解いてしまえばそこに着いた汚れも取れるのだがすっごく疲れるのだ。
『うーん、やっぱりここかしらね』
「なにが?」
『あんたの娘の巣分けよ。アリサは今のところの後を継ぐとして、メロとミカは外に出なけりゃならないでしょ? 』
「あー、そっか」
『ま、まだ先の話だけど準備をしてやるのも親の務めよ? 』
「けど、婿はどうするのさ」
『そうねえ、山を越えた先には勇者グランの育ったコロニーがあるし、南に行けばアエラの夫が育ったところがあるわ。アエラの子、って言うのもありかもね。メロのほうはクロアリに聞いてみないとわからないけど』
「うーん、何か複雑」
『必要な事よ、これは』
「そうなんだろうけどさ」
『うちのコロニーは人手があるからもうセカンドも産めるの。普通はあと十年、いや、十五年はかかるわよ?』
「そうなんだ」
『普通は女王と夫だけでコロニー作りを始めるの。けどこれからは変わるかもね。あたしたちもいるし、セカンドや、その下の子たちも数が居れば最初から。ユリみたいにつけてあげることもできる。少しずついろんなことが変わっていくのよ。それが良いことかどうかはわからないけど』
「普通にいいことだと思うけど?」
『そうね、あの子たちに限って言えば、だけど』
「どういうこと?」
『女王は一人で夫を守り、子を育て、そして食べ物を用意する。だからこそ周りは女王を敬うのよ。何もかも用意された女王、そんなのは誰からも認められないわ』
「そっか、それじゃヴァレリアは?」
『あれは出来損ないだもの。だからみんなもあたしたちもヴァレリアじゃなくてあんたに従ってるの。ジュリアもそうだし、メルフィもそう。あたしたちから見ればあんたの妻、それだけよ? 女王としては認めてないわ。イザベラとはそこが違うの』
「なるほどねえ。安全に巣を分けたい、そう思えば今度は敬意を得られない、か。けどキイロスズメバチは?」
『あれはまた別よ。すでにプリンセスが育ちすぎて子を産んでるじゃない。自分と自分の子でコロニーを作るのは当り前よ』
「ああ、そういう事か」
『その辺も考えておかなきゃね。過保護にすればみんなは認めてくれない。けど一人で出せば危険が伴うのよ』
「自然の通りに、それが一番なのかもしれないけど、親としちゃ心配だね」
『そうね。けど一つ言わせてもらえばあの子たちはあんたの子。強さに関しちゃ心配いらないわよ。鳥であろうが熊であろうが戦えるようになるわ』
「そうだね、けど、まだ先の事さ」
『そう、先の事。けれどゼフィロス。わが子がかわいいのは誰も同じ。けどね、弱肉強食は自然の掟。それを破るとエルフのようになるのよ。自分の力で立てないから機甲兵を使い他の種族を奴隷にする。自分でできないことを人にやらせて生きていくのは自然じゃないのよ』
何となく感じていたエルフに対する嫌悪感、それがジュウちゃんの言葉でくっきりと浮かび上がった。自らは変わらずに他者を変え、その力を利用して生きていく。少数による多数の支配、そんなことをしなくても自然の恵みは十分にあるというのに。
同族の中ですら階級をつけ、誰かを見下す。人と言うのはそうしなければ生きていけないのだろうか? 少なくとも俺のいた時代には人権と言うものがあり、その権利は保証されていた。だがそこにたどり着くためにはたくさんの血が流れ、争ってきたのだ。足りない食料や資源を奪い合いながら。
思えばこの世界の先人たちは実に賢い。発展、と言う一事をすて、利便、快適の追求をやめた。人が生きるために必要なものはすべて自然の中にある。そして世界が自らに合わないとわかると自らを世界に合わせ、変化した。その考えは実に尊いものに感じる。
だが、エルフ、いや、トゥルーブラッドと呼ばれた人たちはその考えに至ることはなく、ただ前と同じ世界を求め、自らを変えることを拒否した。若さもあったのだろう。自分に都合の良い世界を作るため、彼らはアンドロイドを使い、世界と対決する。
そう、なじむのではなく、対決したのだ。だからエルフはすべての種族の敵となり、その力を支配に用いる。始祖アイリス、あの優しかった妹はそういう道を選んだ。辛いことがあったのだろう、苦しかったのだろう、だけど、俺はその妹の過ちを正さねばならない。
わが身、そして家族、それらが生きるこの世界。それが自分の中で一つにつながり、正義と言う理屈を産んだ。
「そうだね、ジュウちゃん。エルフは自然じゃない」
『ええ、だから戦ってるのよ。あたしたちだけじゃない、エルフと言葉の通じるインセクトもミュータントもね』
昼過ぎにイザベラのコロニーに着いた。ジュウちゃんがいたから特に疑われることもなく、中に通される。
「まあ、ゼフィロス。ずいぶんと凛々しい姿に」
「うん、いろいろあってこんな姿に」
「赤アリから連絡があって、ずっと心配していたのですよ? エルフに捕らわれひどい目にあわされているのではないかと」
そう言って俺に抱き着くイザベラ。その肩の向こうでは勇者グランがニヤリと笑う。どうせまたよからぬことを企んでいるに違いないのだ。
俺の春の巡業はこうして始まった。
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