第12話 恋といふ(小学生並み)

 女王様の部屋を出るとヴァレリアが壁に寄りかかった姿で待っていてくれた。彼女は俺を見つけると嬉しそうに駆け寄り、腕を組む。


「話は終わったのか?」


「うん。とりあえず一服つけたいな。重い話だったし」


 そう、重い話。俺はどうやらアリの一族とも接触せねばならないらしい。見たこともないインセクト。興味よりも当然恐怖が上回る。


 外に出てベンチに座り葉巻に火をつける。ふううっと紫煙を吐くと、ヴァレリアが心配そうな顔で俺を覗き込んだ。


「何があった? また、あの父が余計な事でも言ったのか?」


「いや、ヴァレリア、クロアリってどんな種族?」


「うむ、そうだな。堅物で面白味のない連中だな。ただ、」


「ただ?」


「奴らは鉱物を加工できる。私たちに無くてはならぬ物、と言う訳ではないがあった方が便利な物をな。ガラスの窓もそうだし、グラスに瓶。木や皮で作れぬこともないが。それに布だ」


「布はこっちじゃ作れないの?」


「木綿であれば作れるが、絹となるとな。奴らはかいこを飼育している。あいつらはな、他の生き物を飼う事が得意なんだ」


「いなきゃ困るって事か」


「まあな、他の種族もそうだがそれぞれ得意な事が違う。何でも自分のところで、とは中々にな。それでも私たちやアリは大抵のことがこなせるが。で、そのアリがどうした?」


「うん、俺は特別な存在だから、他はともかくクロアリには紹介するべきだって。向こうが俺を要らないって言えばそれでいいけど」


「けど?」


「いるとなったらあっちにも。そうじゃないと戦争になりかねないって」


 ヴァレリアはうーんと腕を組んで考え込む。


「わからぬでもないな。その話も。お前の種で生まれる子は能力が高いらしい。どの種族でも欲しがるのは無理もない話だ」


 あれっ? そこは素直に受け入れるわけ? 俺的には「お前は渡さない!」的な言葉を期待してたんですが。


「ま、全ては評議会でのことだ。奴らが要らぬ、そう言えばお前は今まで通りここにいればいい。大丈夫、私がいる」


「うん」


「それとね、俺の妹がどうやらエルフの始祖らしいんだ」


「……」


「……」


 ついでにさらっと、そんな感じで行ってみたが、ヴァレリアは固まったまま動かなくなってしまった。


「えっ?」


「えっ」


「言っていることがよくわからないな」


 そう言いながらヴァレリアはその手に槍を生成した。


「まった! 落ち着こう、ねっ?」


「ああ、私は落ち着いている。何か問題でも?」


「その槍! それをどうするつもり!」


「気に、するな。それより詳しく聞かせてもらおうか? ゼフィロス」


 ヴァレリアは恐ろしい顔を俺に近づけ、額を押し付ける。その眼には優しさのかけらもなかった。誰か、助けて!


「あ、いや、俺も詳しい事は判らないんだよ。ほんと、まいっちゃうよねぇ」


「いいから言え! お前が、あの、アイリス、憎きエルフの始祖の兄?」


「どうもそんな感じみたいで」


「ほう、ならば私にとっても憎むべき相手、そう言う事だな?」


「違う! 違うからね! 俺は全く関係ないから!」


「冷たい事を言うな、妹なのだろう?」


「い、妹ですけど、ずっと前に目を覚ましてる。うん、よくない、兄として良くないと思うよ? ああいう事はね!」


 ヴァレリアは額を俺に押し付けたまま恐ろしい顔で睨む。


「信用できんな。血のつながりは強固な物。人間だってそうだろう? エルフはいわばアイリスの子孫。お前が素性を明かせばそれなりの地位につけよう? そうなった時、お前は、私たちを捨てる!」


「な、なんでそう考えるかな。ほら、一緒に戦ったエルフだって問答無用で撃ってきたじゃないか!」


「それはお前を知らなかったからだ。――それに、お前だって、形の近い、エルフの女の方がいいに決まってる!」


 一言一言が石をぶつけられるかのように重い。ヴァレリアの金色の瞳からは俺に対する猜疑、怒り、そして憎しみの感情が溢れ出していた。


「本当に違うから、ねっ?」


「違わない。だからお前は私に心を許さない。違う生き物、心のどこかでそう思っているのだ。エルフと交われば私たちの事など下等な虫けら、そう思うに決まっている!」


「そんなことない、全然そんなこと思ってない!」


「ならばなぜだ! なぜ私が! 私がこれほど側にいるのに、男としての感情を一切見せない! 私とて知っている。心を通じた男女は口づけを交わし、体を交えるものだと! お前は口では綺麗だのなんだの言うが、それだけだ!」


 ヴァレリアは奥歯をぎりぎりと噛みしめ、俺に槍の先を向けた。


「私は苦しい。お前の事を愛しく思う、弟たちとは違う感情だ! なのにお前にとっては私も、ジュリアも、そしてお母様も、他の妹たちも皆同じなのだろう!? それはお前にとって私たちがどうでもいい存在だからだ! エルフが、あいつらの女がお前に触れればお前はたちまちそっちに!」


 目に涙を浮かべてそう言い募るヴァレリア。俺はどうしようもなくなって彼女をぎゅっと抱きしめキスをした。


「あっ」


 ヴァレリアは持っていた槍を取り落し、その手を俺の背中に回す。そして自ら唇を押し付けた。


「そんなことない。俺はエルフは好きじゃない。ヴァレリア、お前の事を愛しく思ってる」


「うん」


「けどね、その、グランさんからお前たちにはそう言う感情がないって聞いて。どうしていいかわからなくて」


「うん」


「なんかごめん。自分勝手で。こういう事してここを追い出されたら、とかそんな事ばっかり考えてて」


 ヴァレリアは俺の顔を両手でつかみ、じっと目を合わせた。


「私の事、好き?」


「ああ、大好きだ」


 そう答えるとにんまりと笑い、ぼろぼろっと涙をこぼした。


「――判らない、判らないけどすごく幸せだ」


 そう言いながら再び口づけを交わした。そして服の隙間から出した中肢で俺を抱きかかえると羽を広げて空へと飛び立った。


「今は、今だけは誰にも邪魔されたくない。私はお前と、ゼフィロスと二人でいたい。だいしゅき」


 俺を抱きかかえたままヴァレリアは踊るように飛び、ぐんぐん高度を上げていく。もうすぐ低い雲に届くかと言う高さで、近くの木の枝に降り立った。っていうか木もここまで高いのがすげえ。


 落ちたらきっと跡形も残らない。そんな恐怖に震える俺を、ヴァレリアは6本の手足でしっかり絡めとり、上気した顔で唇を俺の顔一面に押し当てる。


「だいしゅき、だいしゅき、もっと、もっとちゅっちゅする」


 そう言いながら再び羽を広げ、俺に抱き着いたままふらふらと飛んでいく。俺は恐怖が九割、嬉しさが一割で、やましい気持ちの入り込む余地はなかった。


 ゆっくりと高度を下げて森の中をふらふらと飛んでいく。途中で大きなブドウがなっていたのでその房から一粒むしった。それでもメロンくらいの大きさがあるのだ。


 小川の側に着地して、そのブドウをヴァレリアが川で洗ってくれる。そしてブドウの皮をほんの少しめくった。


「ほら、此処からちゅうっと吸うんだ。ここのブドウは甘いんだぞ?」


 言われた通りに吸ってみる。みずみずしい果汁が口の中いっぱいにあふれ出した。その皮をもう少しめくり、ヴァレリアが俺に頬をくっつけながら一緒に吸った。なんとなくおかしくて、二人でふふふっと笑ってしまう。汁を吸ったら今度は果肉。ぶるんとした歯ごたえで凄くおいしい。二人でそれを食べつくし、べたべたになった手と口を川で洗った。

 石の上で二人で座り、葉巻に火をつけた。なんという満足感、これ、これですよ、俺が求めていたものは! 



 しばらくそうしてちゅっちゅしていると、少し距離を置いたところに鎧姿の蜂族の女が舞い降りた。その女の鎧はカラーリングがやや明るめ。鮮やかな黄色と黒だった。


「ねえ、うちの人?」


「ああ、あれは近しい種族、キイロスズメバチだな」


 そのキイロスズメバチは俺たちの前に歩いてくるとやや緊張した感じで口を開いた。


「オオスズメバチのヴァレリア。少し話がある」


「なんだ、手短にしろ。見ての通り忙しい」


 いかにも不機嫌、そう言った表情でヴァレリアは答えた。


「その男についてだ。数日前から我が眷属がその男を見たと。うちの男たちが言うにはトゥルーブラッドではないかとの事だ。一度我がコロニーに彼をお招きしたい。同族のよしみで頼めぬか?」


「断る」


「そちらの権益を犯すつもりはない、ただ母上が一度挨拶をと」


「必要ない」


「ヴァレリア。私は礼節を持って話しているのだがな」


「何度言われようが一緒だ。くどい!」


「ほぉーん、上等じゃないか、あんた、あたした」


 キイロスズメバチは話の途中でヴァレリアにぶん殴られた。さすがスズメバチ同士。すぐに手が出る足が出る。


「くどいと言った!」


「いつまでも下に見てんじゃないよ!」


 その女が殴り掛かるもそれはいとも簡単にヴァレリアの手のひらに受け止められてしまう。


「怪我をしたく無ければさっさと帰れ。これ以上私の大切な時間を邪魔するなら容赦はしない。殺さないのは同族のよしみ。判るな?」


「くっ、判った、今は引こう。だがその男が真にトゥルーブラッドであればオオスズメバチとて独り占めは許さない!」


「許す許さぬは我らが決める。今までも、そしてこれからもな」


 キイロスズメバチはちっ、と舌打ちして飛んでいった。


「まったくつまらぬことを。ほら、ゼフィロス。ちゅっちゅしよ?」


 再び抱きかかえられ、あちこちにキスされる。俺とヴァレリアの関係は家族愛から小学生の恋愛レベルまで進化した。



 さて、コロニーに戻ってからが大騒動。事の始まりは外のベンチに目を覚ましたジュリアが来た事だ。ヴァレリアはジュリアの前でもお構いなしにちゅっちゅする。それを見たジュリアが「アタシも!」と、言って寄ってきたのが始まりだ。


「寄るな!」と蹴り飛ばされたジュリアは怒り心頭。ああん? と顔を斜めにしてヴァレリアをにらみつけた。


 そこからは互いに鎧を装着し、槍を作り出しての乱闘騒ぎ。非力な俺に出来る事などあるはずもなく、その爆心地を這い出るのが精一杯。慌てて駆けつけたソルジャーたちが二人を引きはがした。


「ふっざけんな、姉貴! 自分だけ!」


「お前こそ! ゼフィロスの面倒は私が見る!」


「んな事絶対許さねえ! アタシだってあいつが!」


「認めん! お前はいらん!」


「んなことは姉貴が決める事じゃねえ! だろ? ゼフィロス」


 いやな予感がしてダッシュでその場を離れようとしたが二人の腕がそれを許さなかった。周りのソルジャーたちも何とかしろ、そう言う目で俺を見ている。


「あの、」


「「何?」」


 うん、うかつな事口にしたら間違いなく死ぬね。二人とも武装してるし。


「えっと、女王様は言いました。二人の事を俺に頼むと」


「ほうれみろ、姉貴、母様の言いつけだぜ?」


「――認めん。だから何だ!」


「そのね、俺も二人に仲良くしてもらった方が嬉しいかなって」


「ゼフィロス、お前は私に言った。好きだと、愛していると。そうだな?」


「あ、うん」


「な、な、ゼフィロス、ならアタシの事は?」


「もちろんジュリアも好きさ」


「どういう事だ! そんなことは許されない! あっちも好き、こっちも好き、それでは最低なあの父と同じではないか!」


「アタシはそれでいいさ。姉貴が嫌だっていうならゼフィロスはアタシが面倒見る」


「ジュリア! そんな事私が許すとでも?」


「ほう、許さなきゃどうだって言うんだ?」


 またしてもにらみ合い。これをどうにかしなければ、俺が周りのソルジャーたちに殺されそうだ。


「コホン、ヴァレリア」


「なんだ」


「これが種族の違いなのかもね」


「どういう意味だ! わかるように言え!」


 ヴァレリアは恐ろしい顔で俺の襟首を掴んだ。


「あ、あのね、ほら、女王様は5人の夫がいるじゃん?」


「それがどうした」


「俺たちは逆? 複数の妻がいてもいい、みたいな?」


 嘘じゃない。多分そう言う地方もあったはずだ。俺のいたところは違ったけれど。


「なるほどな。種族の違いか。そう言う事もあるのかもしれぬな」


 そう言ってヴァレリアは鎧を空に散らした。


「だが面白くはない! 私が一番、そうだな?」


「もちろんだよ。ね? ジュリア?」


「ふっ、アタシは順番なんかどうだっていいさ。ゼフィロスの側にいたいだけだからね」


「な、ならばいい。今回だけだ。いいな?」


「へへっ、じゃ、アタシもちゅっちゅする!」


 ジュリアは俺に抱き着いてキスをした。ヴァレリアは腕を組んでそっぽむいたし、ソルジャーの皆さんは心底ばからしい、と言った顔で帰っていった。中には「爆発しろ」なんてひどい事を言う人もいた。

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