第10話 森のくまさん(60m級)
「んもう、ひでえじゃねえか、姉貴も、ゼフィロスも!」
食堂で朝飯を食っていると頭を掻きながら、苦々しい顔でジュリアが入ってくる。
「ゼフィロス、コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
「あ、コーヒーがいいかな。甘いの」
「ふふ、判った。持って来よう」
「聞いてんのかよ! 二人とも」
「で、ジュリア、どうしたんんだよ。ヴァレリアは何度も起こしてたよ?」
テーブルの上に朝飯を乗せたトレイを置くと、ジュリアはそれを食いながら不満げに話し出す。
「たっくよお。箒で引っ叩かれたと思ったら、鬼のような顔したワーカーたちがいて、こんなに散らかして、ってずっとお説教だぜ?」
「それはお前が酔って散らかすのが悪い。ほら、コーヒーだ」
「あ、ありがとう」
自然に俺の横に座るヴァレリアを、面白くなさそうな顔で見ながらジュリアは飯を食った。
「んで、今日は何か予定があんのか?」
「私はお母様たちと打ち合わせだ。それ以外は特には」
ああ、それでちゃんとした格好をしてるのか。
「ゼフィロスは?」
「俺は予定も何もないよ」
「だったらアタシと外に行こうぜ? うっまいもん食わせてやるよ」
「ジュリア、外に出て何かあったらどうする」
「うっせーな、姉貴は。アタシがついてるんだぜ? 何かあっても余裕だろ?」
「それはいいがここの警備はどうする?」
「んなもん妹たちがいるだろ? 姉貴、アタシはこいつに、ここがどんなに良い所かって教えてやりたいだけだ。な? いいだろ?」
ヴァレリアはしばらく考えたあと、仕方ないな、と言った。
「よし、決まりだ。ほら、ちんたらそんなもん飲んでんじゃねえよ!」
ジュリアは俺の腕を引っ張りながら走って外に出た。
「もう、そんなに焦らなくてもいいだろ? まだ飯食ったばっかりだし」
「いいから」
俺を背中から中肢で抱えたジュリアは羽を広げて空に飛び立った。俺に気を使ってくれているのか速度はゆっくりだ。
「どうだ、いい景色だろ?」
中肢でしっかりつかまれている安心感もあり、俺は景色を堪能する。どこまでも広がる森、それに青い空。ここがかつては一分の隙もなく、人工物で埋め尽くされていたとはとても思えない。
「すごく、綺麗だ」
「この森にはいろんな奴らが住んでる。動物、虫、それにアタシたちの仲間。川には魚がいて、それを下ると海ってのがあるらしい」
「うん」
「あんたがどんなところに住んでたかは知らねえが、ここはここで悪くない。そうだろ?」
「うん。なんか涙出てきた」
「あはは、泣く奴があるか。それにな、森にはうまいもんがたっくさんある。それを今から教えてやるよ」
ゆっくりと高度を下げてジュリアは森の中を飛んでいく。そしてちょっと渋い木の樹液を舐めたり。水の湧き出る泉でのどを潤したり、びっくりするほど大きなイチジクを取ってきて、それを槍で割って食べたりした。
「どうだ、コロニーにいるよかよっぽど楽しいだろ?」
「うん、すっごく楽しいよ。どれもこれも初めて見る。なんせ、俺のいた頃はこんな自然なんかなかったし」
べたべたになった手と顔を泉で洗い、再びジュリアに抱えられて飛び立った。そして木の枝に腰かけるとそこで葉巻に火をつける。
「下にいて、動物やらなんやらに見つかると面倒だからな」
「あー、そっか。ネズミとかもでっかいんだもんね」
「そうそう、奴らは木の上の方までは登ってこねえからここなら安全だ」
「うわぁぁ!」
安全、そうジュリアが言ったそばから俺たちの前にでっかい蜂がぶんぶんと羽音を響かせて現れた。やっべー、超怖え!
「あはは、こいつはアタシたちの眷属のオオスズメバチさ。あんたの匂いが嗅ぎなれないんで見に来たんだと」
オオスズメバチ、全身が危険ですよ、と言わんばかりのカラーリング。ジュリアたちも鎧姿になれば同じ色だ。暗めのオレンジと黒。そしてその顔は凶悪で、大きな顎は一瞬で俺を両断できそうだった。
「こいつもアンタの事を覚えたって。巣の連中にも伝えたってよ。だからもう大丈夫。こいつらはアタシたちと同じくあんたの味方さ」
そのでかいスズメバチは俺の横に止まると、じっと俺の顔を覗き込んだ。
「ははっ、よろしくね」
そう言ってやるとスズメバチは俺に体を擦り付けた。
「こいつもアンタが気に入ったらしいぜ、なんかいい匂いがするんだとさ」
そう言われるとなんとなーく、この生き物が可愛く思えてきて、腕をぽんの体の上に置いてみた。表情は全く分からないがぴこぴこと触角が動いている。警戒してるって感じじゃなさそうだ。しばらくするとそのスズメバチは羽を広げて飛び去った。
「あいつもアタシとおんなじさ、巣の周りを見張ってんだ。あんましサボってるわけにもいかねえとさ」
「蜂は働き者だものね」
葉巻をもう一服つけたところで空からぽつりと雨が落ちてきた。
「あちゃあ、降らねえと思ったんだけどな。ま、仕方ねえか」
ジュリアは俺を抱えて飛び立つと、そのまま雨を避けるように木の下を飛んでいく。
「ちょっと飛ばすぞ」
ぐんぐんスピードが上がり、顔に当たる雨が痛かった。ジュリアが向かったのは大きな木に空いた小さな洞。小さいと言っても木のサイズに比べてと言う話で、俺たち二人が入っても全然問題ない大きさだ。
「もうびしょびしょだな。ほら、服を脱ぎな。風邪でもひかれたら姉貴がうるせえ」
「いや、でも」
「いいから!」
ジュリアは強引に俺の服を脱がせ、それをぎゅっと絞って洞の中に広げておく。下着一枚になった俺は隅でじっと膝を抱えて座っていた。すると今度はジュリアが服を脱ぎ始め、小さな下着一枚の姿になると、やはり着ていたものを絞って広げた。
「こうしとけばそのうち乾くさ。なっ?」
腰に手を置いてそう語るジュリア。だけど俺はその姿をまともに見れない。だっていろいろ見えちゃってるから。
「ま、雨が止むまではこのままだな。昼寝でもしとくか」
ジュリアはそう言って俺を抱きかかえて横になる。うぉぉぉ! 生おっぱいがぁぁぁ!
「なんだ? 照れてるのか? ちょうどいいだろ、お前はアタシのおっぱいが好きなんだし。なっ?」
「あ、あ、あ、うん」
「それにこうしてればあったかい。体を冷やしちゃ毒だからな」
別の意味ですっごく毒だ。当然昼寝などできるはずもなく、俺はこの感触を、体験を記憶に刻み付ける作業に没頭する。判ってる、ジュリアのこれは家族愛。決して性愛ではないのだ。そこを読み間違えれば追放されてしまうかもしれない。いくら家族とはいえ性犯罪は許されない。当然の事だ。ここは何があっても我慢しなければ。
雨がやんで、天国であり、そして地獄でもあった時間が終わる。だめだ、このままでは俺のコスモが爆発してしまう。そうなる前にグランさんに何とかしてもらわねば。
「服はまだ湿ってるが飛んでるうちに乾くだろ。さ、行こうか」
そう言ってジュリアが俺を抱えようとした時、さっきの、と同じかどうかは判らないがスズメバチが再び俺たちの前にやってきて、顎をカチッ、カチッと鳴らし始めた。
「ちっと敵が来たようだ。助太刀してやらなきゃな」
「俺、武器持ってきてない」
「あんたはいいさ。アタシがやる。こいつと一緒に後から来な。『メタモルフォーゼ』」
ジュリアの体はみるみるうちに鎧に覆われ、あっという間に戦士の姿に。
「んじゃ、ゼフィロスの事頼んだぜ」
そう言って羽を広げてジュリアは飛び立ってしまう。俺はスズメバチとその場に取り残された。ねえ、どうしろって言うの? そんな事を思っているとスズメバチが洞に入ってきて、俺を中肢で抱え、飛び立った。えっ? と思ったが、これが案外悪くない。見た目は捕獲された生き物のようなんだろうけど、スズメバチはジュリアよりも大きいのでなんか安心感があった。
ただ、羽音がむっちゃうるせえ。
スズメバチに連れていかれたのは大きな木の根元にある巣。そこをでっかいクマのような生き物が前肢で掘り返している。大きさは60mはありそうで、最早動物と言うよりは怪獣だ。巣から飛び出したスズメバチたちがぶんぶんうなりながらそのクマっぽい生き物に攻撃を開始する。だがクマは刺されてもかみつかれても平気な顔で巣を掘り返していた。
ジュリアも作り出した槍を何本も突き刺しているが効果が薄い。まずい、このままじゃ!
「ジュリア―、目、目を狙え!」
「ああ、判ってる!」
ジュリアの槍がクマの目に突き刺さる。クマは急に立ち上がり、その前脚をぶんぶん振り回す。スズメバチたちはそれを華麗に避け、耳や鼻、クマの皮の薄い所を集中して刺していく。そしてジュリアの槍がもう片方の目を潰すと、クマはズシンと地響きを引き起こして倒れ、痙攣した。そしてしばらくすると動きを止めた。
「ったく、手こずらせやがって。どうだゼフィロス。アタシもやるもんだろ?」
「ああ、すごかったよ。ジュリアが目を潰さなきゃ巣が掘り起こされてたかもしれない」
ジュリアは空中で俺を受け取ると、スズメバチと何か話し始めた。
「ん? ああ、それでいいぜ。気にすんな、お互い様だろ?」
「なんて?」
「あのクマはもらっていいかって。アタシはあんなもん要らねえし。さ、帰るか。遅くなって文句言われちゃかなわねえ」
「そうだね」
何匹かのスズメバチが俺たちを見送るように空を舞っている。俺はジュリアに抱えられながら手を振った。
「なんかかわいいね、ああして意思が通じると」
「そうだろ? あいつらはみんな良い奴なんだ。『キャストオフ』」
パンとジュリアの鎧が空中に溶け、ごつごつとした感触はぷにぷにに変わった。
「――ずいぶん、遅かったのだな」
コロニーの前では腕組みしたヴァレリアが待っていた。
「あはは、姉貴、ちょっと雨に降られちまってさ。な? ゼフィロス?」
「うん。でも楽しかったよ」
「そうか、だが濡れたのであれば風邪をひいてはいかん。お前は風呂に。ジュリア?」
「あ、アタシも風呂に行ってくるよ!」
「いいや、お前には話がある」
「あっれー? アタシは全然話なんか」
「昼からはお前が警備の責任者だったな」
「だ、だから雨が!」
「いいから来い! バカ者が!」
ジュリアはヴァレリアに耳を引っ張られて連行されていく。俺は逃げるように男風呂に走っていった。
まだ湿り気の残る服をかごに入れ、風呂場に行く。体を流して湯に浸かると、先客が二人いた。
「よお、おめえが例の人間って奴か」
「あ、どうも」
残念ながらグランさんではなく、初めて見る人。髪は金髪で、どことなく不良っぽい感じだ。
「はっはっは、堅苦しいのは抜きだ。俺はシュウ。んで、こいつがカシムだ」
「ど、どうも、僕はカシムって言います」
こっちの人はショタ系。女王様もいろんなタイプを揃えてるねぇ。
「俺はゼフィロスって言います」
「ああ、話は聞いてる。で、どうだ? ここの住み心地は」
「そりゃもう、最高ですよ。みんな優しいし」
「そっか、文献を見るとおめえらのいた頃は今よりもっと便利だったんだろ? いろいろと不都合があるんじゃねえかって心配してた」
「確かに、便利さって意味ではそうですね。けど、今日、ジュリアに外に連れ出してもらったんですよ。そしたら自然がこんなに。便利さを上回るものがここにはありました」
「外か、羨ましいな。ま、俺たちも始めて外に出た時は感動したぜ。な、カシム?」
「ええ、僕なんか思わず泣いちゃいました」
「あ、俺もです。俺のいた頃は人工物で埋め尽くされていた大地があんなにも森で覆われて。生き物としてはこっちが自然なんだろうなって」
気さくな二人とはすぐに打ち解けて、俺は今日の出来事を二人に語った。
「ほう、クマか。でけえのになると100mはあるっていうからな」
「ジュリアは流石ですね。スズメバチたちだけなら危うかったかもしれない」
「だな。ま、でも俺はそういうのは見るのも勘弁だ。なにしろすっげー弱えからな、俺たちは」
「ですよね、戦うなんてするのも見るのも御免です」
見た目は超強そうなシュウさんはそんなヘタレな事を言う。カシムさんは見た目通りだけど。
「んで、そんなことより、どうだ? うちの女は」
「あ、それが」
俺が最も相談したかった事、それを二人に話してみる。男同士ってこういう話ができるからいいよね。
「あはは、そいつは俺たちも通ってきた道だ」
「ですね、やり場のない欲望、よくわかりますよ」
「でも、このままじゃいつか過ちを犯しそうで」
「すきなようにやってみりゃいいさ。おっぱいを揉もうが吸おうが別に怒ったりはしねえさ」
「ですね、ただ反応がないだけで。ま、面白くはないですけどね。まして僕らの場合姉でしたし」
「だな。他所の女ならまた違うんだろうけど。姉にそこまでの欲は持てねえ。ま、グランのような勇者もいるにはいるけどな」
「あれはないですよねえ」
「えっ? グランさん何かしたの?」
「我慢できずにやっちゃったんですよ。自らの姉と」
「ま、俺にしてもまったくそう言う気がなかった、とは言えねえけど流石に実行できる勇気はねえな」
「それでその事をイザベラに今でもグチグチと」
「娘のヴァレリアたちにもだ。もう、80年近くたつのにだぜ?」
「マジっすか」
「やったところで碌に反応もねえだろうに。女王以外は女じゃないからな」
「ですね、ついてるものは一緒でも孕む事もありませんし」
「いや、それも重要ですけど、80年って」
「ああ、僕たちは人間だったころに比べて長生きなんですよ。女王なら300年、僕たちでも200年は生きますからね」
「そうだな、イザベラはまだ若い女王だけどそれでも100は軽く超えてる。グランはほとんど同じ年だ。なんせ女王の最初の夫だからな」
「だから上の世代の娘たちはみんなグランさんの子なんです」
「そうなんだ」
「さってカシム、そろそろ行かねえとな。イザベラの機嫌が悪くなる」
「ですね」
「じゃ、お先に」
「あ、ゼフィロスさん、ユリを助けて頂いてありがとうございます。あの子は僕の娘なんですよ」
「あ、そうなんですか」
「僕と同じ亜麻色の髪でしょ? それじゃ」
なるほどねえ、グランさんには比べる対象があった。そう言う事か。美人で優しい姉とムフフ、かあ。妹しかいない俺には姉と言うのは永遠の憧れ。シスコン? それもいいじゃない。但し、美人に限る。
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