才能のある妹をもった姉の話。

芹意堂 糸由

うたた寝に妹を見る

 みどり姉さん、と呼ぶ声が聞こえた。

 立ち止まって振り返ると、妹のきいが小走りでやってきていた。

 私よりずっと小柄で、華奢で、無邪気な笑顔を見せる妹。私と一緒に、共に働きながら暮らしている妹。私の、かけがえのない妹。

 妹はいつものように、さして重要でもない物事を、ニュースを、私に話す。彼女の着ている服のフラウンスが、ひらひらと揺れる。言い終えてから、いつもの眩しい顔を向けてくる。

 彼女は、妹は。

 ──今頃、なにをしているのだろうか。



 うたた寝をしていた。

 最近ではすっかりあったかくなってきたもので、優しい気温が私の睡魔を煽る。春。いい季節だけれど、しかし大きな危険を孕んでいることを、私は知っている。

「緑、寝不足かい?」

 同僚に訊かれてしまった。

 寝不足ではないのだ。睡眠時間は、これまでとさして変わらない。疲れが溜まっているとか、ストレスだとか、ましては患いなんてことも、ない。

 原因は、ただの季節。

 寝不足なんかじゃないよ、と弁解するも、同僚は心配そうな顔をする。

「無理はいけないよ」

 うん、だから私はなんにも無理はしていない。無理をしていると思っていた時期はあったけれど、でも今は、逆に楽をしていると思っているくらいだ。楽をしすぎて周りに申し訳ないと思えてしまう。

 しかし私は同僚に礼だけを伝えて、でも大丈夫、といった。同僚は私の肩を叩いて笑った。私も笑い返した。

 私がこの仕事を始めたのは、三年前。ちょうどそれと同時期に、妹は家を出て行った。

 別に喧嘩だとか家出だとか、ましてや結婚だとか呼び出しだとか、そんな理由で妹は行ってしまった訳ではない。彼女には、私と血を分け合った彼女には、ちょっとした天賦の才があっただけで、私にはない才能があっただけのことだった。

 私の妹は、はっきり言うと音楽の天才だった。

 楽器を弾かせればみるみる上達し、他人よりも美しい音色を響かせた。曲を作らせれば瞬く間に名曲が誕生し、貴族や京師のお金持ちでさえも聴きにやってきた。歌わせれば最後、村中の人間が陶酔していた。

 かといって人気者だった訳ではない。

 身分も低くて余裕もない私たち姉妹は、正直、村の中で忌み嫌われたりもしたりした。それは妹でも変わらなかった。けれど妹はある日、そんな村から出て行くことに成功したのだった。

 京師に住む貴族たちが妹のことをさかんに噂したせいで、京師では妹について、多くの人間が興味を持っていた。

 その中のひとつ、京師音楽学校。

 その学校は妹を、学費、寮費、その他諸々全額免除で入学させるといった。

 拒否権はないに等しいけれど、逆に断る理由だってほぼなかった。

 私たち姉妹が、離れてしまう、ただそれくらい。

 村の人たちはこういうときになって、村の誇りだの村の希代の神童だの騒ぎたて、そして盛大に門出を祝った。

 妹は、そして出て行った。

 親のいない、私たち二人。

 妹は京師に出て行って、片方は相変わらず貧乏に、働いている。

 三年間、妹とは会っていない。

 もしかすると、もう、会えないのかもしれない。ふとそういったことが脳裏に浮かんで、私はどうしようもなく苦しい思いに駆られてしまう。

 妹のことは心配だけど、長い間会っていないと妹について思いを巡らすのは困難だった。

 もしかすると、もう変わってしまっているのかもしれない。もう忘れてさえ。

 私は今日も、夢に妹を見た。

 昔妹が着ていた、フラウンスつきの服。

 あれ、どうして妹はあれを着ていたのだっけ。たしかあんなもの、とっても高価だったはず。

 そういや。

 妹のピアノを聴いた神父さまが、買ってくれたんだっけ。

 ああ、たしかそうだったかもしれない。

 ああ。

 ああ。

 ああ。

 私は妹に会いたい。

 けれど、どうしてだろう。こんなにも胸が気持ち悪く疼くのは。

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