第94話、その名を以津真天と申す。

 俺の右手に注がれた全身全霊の力は、血流の流れを急激に向上させ、筋力の瞬発的なパワーを爆発的に増大させる。

 俺の約60kgの体重からは想像のつかない重圧が、右手の先から放たれる。恐らく、10tや100tなぞゆうに超えているだろう。俺にこの力を与えてくれた人は、隕石衝突時のエネルギーにも匹敵すると教えてくれた。

 それが俺のパワー。それが俺の持つ最強の武器。


「ぶっ壊れろッ!」


 熱を帯びた右腕から発せられた俺の必殺技、オリオンパンチ。本日二発目の貴重な技がもの見事に炸裂し、エレベーターの壁が瞬時に吹き飛ぶ。


「どうだ!」


 やはり火力は最強だ。力こそパワーだ。俺が放った最高火力は、エレベーターを完全に破壊し、近代アートのようなカオス空間を一瞬に駆け抜けた。


「これで、結界も破壊されたはず……。後は外に出るだけ……」


 のはずなのだが、何かおかしい。


「……体が、上昇してる!?」


 ふと、斜め上から声が聞こえてきた。


『上へ参ります。いつまでも、いつまでも』


「まさかっ!?」


 慌てて声のした方を向くと、人の顔がそこにあった。羽毛のようなものが無数に生えた顔から、2つの真っ黒な瞳がこちらを見つめてくる。まつ毛は無い。眉毛もない。人の顔と瞬時に判断したものの、その作りは鳥に近かった。鶏の顔を平たく潰した上に、くちばしを取り外して分厚い唇を取り付けたような顔だ。

 目ヤニの代わりに、シラミが眼球の上を蠢いているのが見えた。


「な、なんだお前……ッ!」


 顔中から黄色い羽毛が生えており、その体は毛の生えた蛇のようだった。


『わたくしは以津真天』


 唇を小さく震わせてそう答えた女の声は、明らかにエレベーターのアナウンスと同じものだった。


「お、お前が以津真天か……! お前がこの結界を作り出した張本人か!」


 再び拳を構える俺の前に、エレベーターの階数を示すモニターが落ちてきた。


『5003980階』


 まだ上昇を続けている。


「……500万階!?」


 想定を遥かに超える膨大な数字に、思わず絶句した俺。それを憐れむように泣きそうな声を投げかける以津真天。


『これは結界に在らず。これはルートです』


「な、何を訳の分からんことを言ってるんだ」


 足元にある金属板の下では、どんどんと景色が落ちていく。様々な文明や数字や言語が詰め合わせにされたチラシを一面に張りつけたかのような空間が下へ吸い込まれていき、頭上から全く異なるカオスが落ちてくる。


「……なんなんだよ、ルートって」


 訳が分からず困惑したままの俺をじっと見つめた鳥顔の女は、酷く悲しそうな声を発した。


『もうそろそろ終わりなのです。わたくしはただ、道案内するだけの魑魅魍魎ちみもうりょう


「道案内……? どういう事だ?」


『簡単な話です。ただあなたを、ただあなたを上へ案内するだけ』


 上ってどういう事だ。階層ではなく階級と言っていた。いや、よく考えろ松本ヒロシ。よく思い出せ鬼龍院刹那きりゅういんせつな。俺は最強のヒーローだろう。


 窮鼠きゅうそが言っていた言葉と、以津真天の言っていた言葉を重ね合わせろ。

 考えて、考えて、考え尽くせ……。


「まさかっ!?」


 ふと、脳裏にひとつの可用性が過ぎった。その途端俺の背中を冷や汗が伝う。


「以津真天、お前の能力を問いたい」


『……上へ参ります。いつまでも、いつまでも』


「お前の能力は、ナビゲートのようなものか?」


 その問いに対し、返答はない。だが、彼女の表情が正解を物語っていた。


「お前たちは俺を罠にハメようとしていた訳じゃない、そうだな?」


 同様に返答はない。しかし、表情から、瞳の動きから、図星だと直ぐにわかった。目は口ほどに物を言う。俺は大きな勘違いをしていたのかもしれない。


「以津真天、謝らせてくれ」


 彼女は何も答えない。ただ俺をじっと見つめているだけだ。


「窮鼠は罠じゃなかった。ただ俺が途中で怖気付いて逃げようとしたら、帰り道を塞ぐだけの役割だった」


『上へ参ります。いつまでも、いつまでも』


「だが俺はそれを罠だと勘違いして戦闘を仕掛けてしまった。そしてあいつは死んでしまった……。そうだろう? だから、申し訳ない」


『いえ、彼は上様の命に従わず客人を襲いました。いずれにせよ死を受ける運命でした』


 上様……確かに以津真天はそう言った。


「上へ参りますってのも、上様のもとへ参りますってことか?」


 以津真天の表情は肯定の意を示している。


「ここは……魑魅魍魎の世界か」


 そう問いかけた瞬間だった。


『扉が開きます』


 以津真天はそう口にした。


 モニターには、あと数百ほど進めば八百万に到達するであろう数字が示されている。


『わたくしの役割はこれにて終了となります。お話出来て嬉しかったですよ、客人。いつまでも、いつまでもこうしていたいと思いました。ご安心ください。あなたは客人です。何もあなたを苦しめません』


「以津真天、お前は一体……!」


 以津真天の体が灰のように崩れていく。それと同時に、周囲の景色も消えていく。


『わたくしは正しい道を案内するだけの能力でございます。その為だけに生まれ、それを終えれば命を失う。そのためだけの魑魅魍魎。怖い思いをさせてしまい申し訳ございません』


 以津真天が消えたと同時に、アスファルトの部屋が目前に広がった。

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