第84話、魑魅魍魎の一人、彼の名は。

「上へ参ります、ねぇ。随分ご丁寧にもてなしてくれるじゃん」


「ま、松本ヒロシくん……帰りましょう? 我、ヤバい気がしてならないです!」


 先程までの意気揚々とした元気はどこへやら。出部太田でぶふとたは臆病風に吹かれて自動ドアまで後ずさる。


「せっかくここまで来たんだ。向こうも歓迎してくれてるんなら、行くのがヒーローだろ。帰りたきゃ帰れ!」


 俺には今一万円があるんだ。この大金の重みが分からない人のために説明するが、一万円は俺がこの街にやって来る前に戦っていた宇宙塵エイリアンの幹部と互角に渡り合えるだけの金額だ。そんじょそこらの怪人フラワーやら、雑魚な魑魅魍魎など相手にもならないだろう。


 いや、魑魅魍魎と戦ったことは無いので確証はないのだが。


「あとは俺に任せてな!」


「松本くん!」


「どうした出部!」


「いや、我の名前は細柳小枝ほそやなぎこえだですと何度申したら覚えてくれますか……?」


「……」


 そういえばそうだった。

 いや、いつ見ても首を捻りたくなってしまう。やっぱりこいつは『細柳小枝』と言うよりは『出部太田』って顔だよなぁ。

 まぁ、これ以上言いすぎると『ヒーローのくせに虐めてる』なんて言われかねないので言葉を飲み込もう。


「それでどうしたんだよ、細柳小枝!」


「いや、別にフルネームで呼ばなくても」


 なんだよ、いちいち面倒くさいな。


「んで、どうしたんだよ細柳くん。俺ぶっちゃけ今久々に本気で戦える気分でテンション上がっていたんだけど」


 急になんだか冷めてしまった。チカチカと点滅を続ける蛍光灯も、今となっては鬱陶しいだけだ。


『上へ参ります』


 早く入れよと言いたげなエレベーターに一瞥くれてから、細柳小枝に歩み寄る。


「さっきからなにやってんの?」


「それが、開かないのです! この自動ドア!」


 彼は必死にドアを開けようと力を込めてはいるが、一方のガラス製ドアはビクともしない。


「……割ればよくね?」


「良いんですかね?」


「どうせ廃ビルだろ?」


 ため息混じりにそう呟くと、俺は腰に手を当てて腹部に力を込めた。

 突如、全身からアドレナリンがドバドバと溢れ出す。呼吸の度に体内に蓄積されたATPがエネルギーへと変換され、血管が熱を帯びる。


「行くぞ……ッ!」


 腰にベルトが浮かび上がる。それと同時に、空中へ星を散りばめた。その点を、線で結び星座を描く。力の象徴、俺のパワーのみなもと、冬の星座『オリオン座』を。


「来いっ!」


 ベルト中央部から吐き出されたアーマーは、空に描かれたオリオン座と同期し、変形し、俺の体に合わせて姿を変える。


「変態ッ!」


 俺の叫び声に合わせて、アーマーに散りばめられた星々は輝き、夜空を思わせる。そして俺は、極限にまで上昇したハイテンションな拳をガラスへと叩きつけた。


「っ!?」


「なんですと!」


 拳は見事に自動ドアへと打ち込まれたはずだった。それなのに、壊れない。ヒビ一つ入らない。というより……。


「何だこの感覚」


 拳がガラスに触れるよりも前に、何かに攻撃を阻止されたような気がする。


「なんていうか……バリア? シールド? なんか、ゲームであるよな、こんなの」


 絶対に破壊できない扉的な何かだ。どう表現するのが適切なのかは分からないが、そのガラスは硬いわけでも柔らかいわけでもなかった。唐突に『ここから先へは進めません』と言われて動きを止めるゲームキャラクターのような感覚だ。


「なんと言ったらいいのか……」


 もっと明確に例えるなら、拳ではなく、体全体が固定されたかのような。殴り抜けるというモーションそのものを一時停止されたような。そんな奇妙な感覚。


「細柳小枝、この部屋に何かいるぞ!」


 結論は無論こうなる。俺の動きを阻止する何者かがここにいる。そういうことになる。


「ふふふふふ、流石は自称ヒーロー。そういうことに気がつくのは素敵だなぁ」


 突如、しゃがれた男の声がした。声だけで判断するならば老人だ。その男の声は、天井から聞こえてきた。


「誰だっ!」


 慌てて上を向いた俺は思わず目を疑った。そこには無数の人の腕が生えたネズミがいたのだ。それも大鼠。


「わしの名は窮鼠キュウソよ。魑魅魍魎の魍魎が一人。齢2000の窮鼠様よ。わしはこのビルの入口の管理を任されておる。貴様の事は知っておるぞ松本ヒロシ。いや、鬼龍院刹那きりゅういんせつなとでもお呼びしようか?」


「よく喋るネズミだなぁ」


 極力目を逸らしたいところだ。毛の抜けたネズミからは、毛の代わりに無数の腕が生え、ニョロニョロと蠢いている。


 どうやら、こいつの能力かなにからしい。


「我の仕事はただ一つ。この扉の開閉。それだけのことよ。それ以上でもなければそれ以下でもない。もし仮にここを出たくば、我を倒すより他はないが、活力を無駄にするくらいならば先へゆくが良い。我はそれを推奨する」


 俺はこのネズミの言うことに小さく頷くと、エレベーターへと足を向ける。どうやら戦うつもりは無いらしいし、何より気持ち悪い。人より少し大きいネズミだ。むしろ今まで気づかなかったことが奇跡とも言えるだろう。いや、気づきたくなかった。


 変態を解除するために腰に手を当てつつ、俺は外に出たがる細柳小枝の惨めな嘆きを耳にした。


「気持ち悪いっ! こんな化け物が居るだなんて、我聞いてませぬ!」


「気持ち悪いとは失礼だぞ!」


 そう言い返す窮鼠の額を、俺の拳が押し潰す。骸骨が折れる音が響き、汚い悲鳴と同時にネズミから血が吹き出た。そして──。


「ほら、ドアが空いたぞ」


 自動ドアは正常に作動した。


「早く帰れ」


「……いや、我は最後までお供します!」


 なんなんだよ。突然目を輝かせるな。

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