第81話、帰宅まで忘れられた手紙ありけり。
高校生活が始まって一週間以上が経過した。周囲の同級生は、もうこの新生活に慣れてきたらしい。既にいくつかのグループが結成し、部活やら遊びやら勉強やらを勤しむ空間が形成されていた。
そして、それらが顕著に現れるのが放課後である。
放課後、それは本日予定されていた授業という名の学生が背負う義務工程を全て終了させ、各々が帰宅までの猶予ある数時間。我々高校生にとってとても貴重な、自由に活用することができる有意義な時の総称だ。
俺にとっても貴重な時間であることに変わりはない。さて、昼休みから約4時間。かなり待たされはしたが、ようやく例の手紙の封を切り、中に目を通すことが出来る。
そう思って鞄に手を入れた瞬間だった。ふと背後で女子高生たちの気になる噂話が聞こえてきた。
「ねぇ、知ってる? 幽霊ビルの噂」
それは今まで教室中を漂っていた和気あいあいとした雰囲気を瞬時に凍りつかせる。
流石に、その異様な反応には俺も気づいた。まるで教室中の全生徒が突然意識を共有する組織にでもなったかのように、しんと静まり返ったのだ。
俺の隣でライトノベルを熟読していた出部太田……間違えた。細柳小枝も、本を閉じて聞き耳を立てている。
そんな異様な空気が漂っているにも関わらず、注目の人となった当の本人たる女子高生は言葉を続けた。
「最近、K市の北の方にあるビル、無人ビルになったじゃない。それなのに毎晩灯りが点ってるんだって言うのよ」
恐らくクラスの大半がこの話を知っているのだろう、一斉に頷く動きが視界に入る。
「でも、その灯りは蛍光灯や電球なんかの灯りじゃないの。まるでロウソクが揺れるみたいな、弱々しくて儚げな明かりなんだって」
少女は、周囲の反応に全く気づいた様子もなく続けている。
「それでね、さすがに不審に思った昔のビルの所有者が、何人かの警備を雇って調べに行ったんだって。もしかしたら不良の溜まり場になっているかもしれないから」
なぜ、周囲の人々は皆固唾を飲んで彼女の話を聞いているのだろうか。そう不思議に思った俺は、恐る恐る振り返った。背後で噂話を始めた女子高生を視界に入れようと思ったのだ。誰とどんな話をしていたら突然怖い話大会が始まったのか、どうしても気になったのだ。少女はなおも続ける。
「でもね、ビルには誰もいなかったんだって。ただ、一匹の猫の死体が落ちていたそうよ。無惨にも頭だけ引きちぎられた猫の死体。まるで交通事故にあったあと、ビルの中に捨てられたかのような猫の死体。警備員はすぐに思い出したの。このビルを使っていた人達が、よく気に食わない店舗に猫の死体を送り付けるイタズラをしていた人達だったってことを。だからきっと頭のもげ落ちたその猫も、ビルの管理人が捨て忘れたものなのだろうって思った。それを埋葬してやろうと、警備員が近づいた瞬間──」
俺は、振り返って初めて気づいた。なぜ皆がこの話に耳を傾けているのか。
「ビルのあちこちから鳴き声が聞こえてきたの。にゃー、にゃー、って。まるでお腹を空かせた子猫が親に乳を強請るみたいな声」
彼女の話を、みんなが知っているからなどという単純な理由ではない。
「警備員は、辺りを見渡したわ。でも声の主はどこにもいない。だってね──」
彼女の話し方が特別怖かったからとか、引き込まれる物語だからとか、そういう訳でもない。
「その鳴き声の主は、目の前の猫の死体だったから」
噂を流す女子高生の声がするその先には──。
「警備員は驚いたわ。死んでいると思っていた猫が、泣き続けるのだから。にゃー、にゃー、ってずっと鳴くの。お腹を空かせた声で、ずっとずっと泣き続けるの。そして次の瞬間──」
声のする場所には、誰もいなかったのだ。人の気配はない。本当に誰もいなかった。
ただ、誰も居ないはずの空間から、声が聞こえるのだ。
その声は、少し笑いを含ませた声色で続けた。
「警備員の体が炎に包まれたんですって。外から見れば、揺らめく儚げなロウソクのように、ユラユラと燃えたそうよ。でも、ビルの中で男は激しく踊っていたの。灼熱に悶え苦しみながら、踊り続けていたの」
何も無い空間から、最後は甲高い笑い声だけが響いた。
その声の主は、誰にも分からない。
「お、おいおいやめろよ。誰だよテープレコーダー隠してドッキリ仕掛けてるのはよぉ!」
クラスのお調子者が声を上げると、みんながそうだそうだとブーイングを始める。しかし、誰も挙手はしない。仕掛け人などいない。
「ま、全く冗談がきついぜぇ! なぁ!」
「マジで! めっちゃ心臓止まるかと思った!」
「しかも大して話怖くねぇし!」
「大体死んだのになんでその事知ってるよって話」
「ってか何? 結局なんで燃えたわけ?」
「いやそもそもビルの管理人どこに逃げたし」
クラスは先程の恐怖体験を誤魔化すかのようにワイワイと盛り上がりを見せる。
そんな中、細柳小枝が恐る恐るボンレスハムにも似た片手を上げた。
「いやぁ、失敬失敬。我の目覚まし時計が突然ロッカーから鳴ってしまいました! いやはや最近怖い話を聞くと目覚めがいいので設定していたのですが、間違えて夕方の5時に設定してしまったようですな!」
彼はクラスに満ちた安堵感やバッシングの中、汗を滴らせながら頭を掻きつつロッカーへ向かい、携帯端末を取り出しててへへと頭を下げて続ける。
「こいつが間違えて怖い話を始めたようです。いやはや失敬!」
だが、俺は気づいてしまった。
細柳小枝の表情が、恐怖に歪んでいることに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます