第57.5話、終焉の灯開演を灯して。下

「うぬらは思ってたより平和主義なのじゃな」


「然り。余は平和主義なり」


 天照大御神の言葉に返答した月読命を、須佐之男命は半笑いを浮かべて小突いた。


「よく言うぜ吾が兄ツクヨミよ。お前は神殺しであろうに」


「は? 何を言い出すかと思わば、戦の化け物が余の揚げ足取りとな? 女を強引にめとる者が何を威張るか」


「は、はぁ? 強引じゃねぇよ。奇稲田姫クシナダヒメと吾は互いに深く愛し合ってだな……」


「余は汝とその女の成り染めになど全く持って興味など無い」


 耳に指をさしてツーンとそっぽを向いた月読命に対し、須佐之男命は声を荒らげる。


「何言ってんだ! お、お前が変な事言うからだろ!」


「余は間違ったことを言ったつもりは無し。汝、八岐大蛇ヤマタノオロチを倒す報酬にと、一目惚れした姫を娶ったではないか。至って強引な男よ」


「ち、違うわい! い、一応クシナダちゃんも吾のこと好きって言ってくれてるわい。そ、それこそクシナダちゃんも一目惚れだと」


「ちゃんちゃんうるさくて適わぬ。汝、その女に愛称まで付けるか」


 須佐之男命、たいそう恥ずかしそうに顔をおおって、上擦った声で必死に抵抗を見せた。


「う、うるせぇ! こ、こちとら真剣に愛し合った上でけ、けけ、結婚……結婚したんだよッ! 吾が兄ツクヨミには分かるまい! この気持ちは…………ん?」


 突如、顔を真っ赤にしていた大男が、ピタリと動きを止める。


「汝も感じ取ったか、この妖気」


 同じく、中性的な身なりの小柄な神も周囲を冷たい目で睨みつけた。


「あぁ、魑魅魍魎の匂いだ」


「しかし怪し。余と君とで、確かに母を討ち取った。もう魑魅魍魎の方に力は無きはず……」


「確かに。いや、それに吾は不思議だったのだ。黄泉の国の主たる吾らが母イザナミ、その目は虚空こくう貫いていた。魂ここに在らずだ。まるで何者かに操られているような」


「ははは、死者ならではの姿であろうに」


「いいや、吾は思う。あの姿は明らかに面妖であった。まさか吾が兄ツクヨミ、お前が母を操っていたのではあるまいな。お前の名にはツク『黄泉』とあるぞ」


「おい、弟よ。汝はまた余の腸を煮えさせるか。余は無関係なり。それより気を縛れよ。臭気しゅうき、より強くなりき」


「分かっておる。吾が天叢雲剣あまのむらくものつるぎも酷く警戒しておる。吾が姉アマテラスよ。鏡の力使いて隠れたまえ」


 須佐之男命、月読命が戦闘態勢に入る中、天照大御神は穏やかな笑みを浮かべたまま口を開いた。


「うぬら、やはり邪魔であったな」


 表情とは裏腹に、酷く鋭く張りつめた言葉が、雰囲気をピンと緊張させた。


「姉上……何を?」


「妾は母ならばうぬらを始末出来ると踏んだのだが、まさかこれ程までとは思いもしておらんかったぞ」


「まさか……吾が姉アマテラスよッ!」


 慌てて須佐之男命は鋭き八叉の刃を姉へと向ける。


「ま、待てよ弟。何を突然ッ!」


「相も変わらず甘いのぉツクヨミ」


 女は笑う。その背後から、突如として魑魅魍魎が湧き出した。


「ま、まさかっ!」


「そのまさかだ吾が兄よ。この女、この天照大御神こそが全ての元凶にあったのだ! 太陽の神でありながらこいつ、人の魂で遊んでおった!」


「まさかまさか、弟や余を天より遠ざけたのも全て、悪事働くため!?」


 天照大御神は、魑魅魍魎の頭か尾っぽかも知れぬ所を優しく怪しげに撫で回しながら目を赤く灯らせた。


「その通りじゃ。妾も一苦労したぞ。父と母との力を食らうのは」


「お前ッ!」


 須佐之男命、即座に切りこもうと突進するも、突如として膝をつく。


「何をしておるか弟!」


「面目ねぇ、吾が兄よ。しかしいつの間に……吾の身に魑魅魍魎が入り込んだ。これは、これは完全に穢れだ!」


「うふふ、妾を存分に楽しませてくれよ、弟達。妾はかなり耐えたのだからな」


「耐えた? 姉上よ、何に耐えたと言うのだ」


 叫び、勾玉を強く握る月読命に向かって、太陽の光を全身から放つ女は燃える瞳を抑えながら口を開いた。


「怒りに耐えたのじゃ。妾の思い通りにならぬこの世に対する怒りにな! しかし神として生まれた性分は果たさねばならぬ。いやはや、大変であったぞ。人の世を荒らし、信仰を無くし、妾を愛する者だけが存在する世界を作るのは。しかしこれが最後じゃ。唯一妾の邪魔ができるうぬら二人を殺せば、ようやくこの世は光のみが存在する世界になる! うぬらは、今日ここで死ねッ!」


 突如として、彼女の鏡が輝き、太陽の力を解き放つ。その爆炎は、黄泉の国を破壊した。爆煙の中、自らの体に侵入した穢れし魂を破いて須佐之男命は立ち上がる。


「吾が姉アマテラスよ。今宵ここを、最後の決戦場としようぞ」


「弟、余も残されし力全て解き放たん。姉上、御覚悟を」


 三種の神器を扱う二人を見て、天照大御神は笑った。その笑みは、これまで見せてきた彼女の笑みの中で、最大級のものだった。まさに手弱女ぶり。


「そうじゃ。もっと妾を構え。妾を楽しませよ。妾のためにその身を焦がせッ! さぁ、吾が弟よ。最後の戦じゃ。今宵決まるぞ。うぬらの望む平穏なる世界と、妾が支配する死霊の世界とが」





 遥か昔、まだ倭国の生まれるよりもっと昔。人の世を魑魅魍魎が支配した。それは人の持つ怒りの感情を喰らい大きく育つ。それは人の中の魂を穢し仲間を増やす。地上は戦場だった。血を常に流し続け、自然は猛威を振るう。そんな時代。

 世界の平穏を望んだ夜の神と、愛する人との生活を夢見た海の神は、ただ自由にありたいと願い続けた光の神に対峙する。

 そう、人の世の平穏のため戦った三人の神の、最後の戦いが幕を開けたのだ。

 黄泉の国を司るイザナミを操っていた、真のラスボスを倒す戦いが。

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