第34話、それはおはようで。

「松本さん、松本ヒロシさん、朝ですよ」


 カーテンが開かれる音と同時に、朝の穏やかな日差しが差し込む。まるで天使の迎えかと、そう勘違いしてしまうそうな優しい声に揺すられる。夢すら見てない深い眠りから、ゆっくりと現実に引き戻されるようにして俺は目を覚ました。

 しばらく、見慣れない天井に瞬きを繰り返し、頬に当たる太陽光の温かさを感じながら首を動かす。


「あ、起きました? おはようございます」


 そこには、俺の顔を覗き込むように微笑む佐藤亜月の姿があった。ハリのある白い肌が朝日に輝き、透き通った黒い瞳は俺の寝顔を反射させている。銀に輝く長い髪は、開いた窓から入り込んだ風に揺れてキラキラと光って見えた。俺と目が合った瞬間、彼女は聖母マリアを彷彿とさせる笑みを浮かべた。そこにあるのは天使。この世の美を一点に集めたかのような、究極の幸福があった。


「……綺麗だ」


 俺は無意識の内にそう口にし、慌てて目が覚めた。


「あっ! いや、あの、その、こ、言葉のあやと言いますかなんというか、む、無意識でッ!」


 あぁ、俺は朝から何を口走ってるんだ。俺は今、凄まじい程に佐藤亜月が好きで、人生初の恋というものをしている。だからってそうポンポンと恥ずかしいことを口にするんじゃない! 俺の馬鹿馬鹿馬鹿ッ!


 真っ赤になる自分の顔を毛布で隠しながら、ゆっくりと佐藤亜月の方を盗み見る。頼む、怪訝な表情で俺を見ないでくれ……と。

 しかし、俺の予想と反し、彼女の表情はむしろ、恥ずかしさと嬉しさを詰め込んで真っ赤になっているように見えた。赤く染まる頬を必死に隠そうと両手で顔を覆い、俺の方を直視しないように視線を泳がせてはいる。が、どこか口元はにやけている様に見えるし、心做しか幸せそうに見えた。まるで100点を褒められた子供のように、どこか無邪気な笑顔。


 可愛い。


 ふと、昨日の戦いでガトーショコラが口にした言葉が脳裏を過る。俺が初恋の人だとか、佐藤亜月の恋がどうだとか……。ガトーショコラと佐藤亜月は別人格。とはいえ、根本は繋がっている風なことを言っていた。もしかしたら、ガトーショコラが俺をダーリンと呼んだように、佐藤亜月も俺の事をそういう目で見ているのだろうか。

 か、仮にそうだとしたら。仮にだ、仮にそうだとしたら。そ、相思相愛アツアツカップルがひとつ屋根の下でラララランデブゥーかっ!? いや、まさか、そんなこと、あって欲しい!!! そうだとしたら最高の高校生活じゃないか。初恋の一目惚れした相手とイチャイチャカップルしながら高校に通ったりデートしたり家でまったりしたりヒーロー活動したり……って、ダメだ。よく考えたら佐藤亜月の中には俺が倒すべきガトーショコラが居るんだった。油断はできない。ガトーショコラが居なくなるまでは、付き合ったり出来ないのかな……。


「そ、そんな見つめないでください……ッ」


 突如佐藤亜月は真っ赤に染った頬を両手で隠した。おっと、考え事が多すぎて無意識に見つめていたらしい。

 彼女は心底恥ずかしそうに両手で顔を覆い、体をモジモジとくねらせる。そんな彼女の思いがけない表情に、行動に、思わず胸が高鳴るのを感じる。これじゃまるで新婚さんじゃないか……ってまた俺は何を調子に乗っているんだ。そもそも、俺と佐藤亜月が釣り合うはずもない。こっちは白髪混じりの貧乏高校生、向こうはルームシェアが出来るほどの豪邸に一人で住めるお嬢様。金銭面も外見もまるっきり異なるわけで、そんな彼女と同棲……もといルームシェアしているだけでも奇跡なんだ。新婚は愚か交際なんて考えたらダメだ。うん、俺デートに連れて行ける場所近所の公園くらいだし。

 しかし、よくよく見てみればまぁなんと美しいことか。学校指定の制服の上から純白のエプロンを身につけ……ん、エプロン?


「えっと、佐藤亜月さん……お、おはようございます」


 エプロンって、まさか。と思いつつ上体を起こして挨拶をする。ここは成る可く自然に、だ。思わず彼女に『綺麗だ』なんて言ってしまったが、それを意識してはいけない。そう、寝言だったのだ。俺は意識的に何も言っていない。だから何も恥ずかしいことは無い。そんな態度を示すのだ。


「あっ、えっと、お、おはようございます」


 なんでそんなによそよそしいの!? え、なんでまた顔赤くしてんの? まさかっ!

 慌てて自らの頬に手を当てて理解した。

 俺も俺で、顔真っ赤じゃないか。


「あ、いや、その、亜月さん、その、深い意味は無くてですね、ただ、あの、き、綺麗だなーって、その」


「あわあわあわ、あ、あの、その、ま、待ってください松本さん、えっと、その、あ、朝ごはん、朝ごはん食べましょ!」


「えっ、あっ、はい! はいもちろん! お腹ペコペコのぺーちゃんです!」


「ぺ、え? いや、え?」


 もう頭が真っ白だ。朝からなんでこんなにドキドキしているんだ俺はッ!


「ぺーちゃんです!!!!」


「はい!!!!!」


 何が『はい』なのか、恐らくお互いに分かってはいないが、とにかく勢いに任せて俺と佐藤亜月の二人はリビングへ向かった。

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