25 出立

 聖教会の者の姿が見えなくなると、バゴが村人を率いて村の周辺を探索した。

 そして何処にも潜む者はなく、完全に聖教会の者が去ったことを確認すると、村はようやく歓喜に包まれた。それは再び宴を始めそうなほどの活気だった。


 荷物を背負い、蛇を連れたイサムとユーラ、そしてナリアはガフの家を出て、そんな村の様子を尻目に歩き始めた。

 騒動を終えて、三人はすぐに出立することを決めたのだ。


 イサム達を見送る者はいない。

 ガフとバゴは隠れている獣化病の者を呼び戻しに行った。集会場である森の小屋に避難させていたらしい。


 村を出ていくイサム達に気が付くと、陽気に笑っていた村人達が途端に沈黙する。

 その静けさに、イサムは気まずさを感じながら先を急いた。イサム達の姿が見えなくなると活気が戻るらしく、背中に村人の沸き立つ声が聞こえてくる。


 どうしてこうなったのか。イサムに胸に憤りは既になく、只々空しさがあった。


「感謝されたかったんですか?」

 イサムとユーラの後ろを歩くナリアが、そんな言葉を掛けてきた。

「そういうわけじゃないわ」

「それなら肩を落とすのは止めてください。この村は危機から救われたんですよ。エビチリさんの力もあって」

「……私は何もしていないわよ」

 黙るイサムに代わってユーラが答えるも、そう返すのが精一杯のようでそれきり口を閉ざした。


 危機から救われたというのに、イサム達を見る村人の顔は暗い。それが伝染するように、イサムとユーラの顔も暗く沈んだ。

 感謝されたいわけではない。見返りを求めているわけでもない。只、村人に自分達がそんな顔をさせていると思うと、イサムは最良の結果を得たという自信が揺らぐのを感じていた。


「あれを見てください」

 そう言うと、ナリアは足を止める。


 ナリアの視線の先にあるのは村の入口に程近い空き地。そこでは四、五歳ぐらいの幼い子供達が集まり、遊んでいた。

 子供達は村を襲った危機など理解していないのだろう。周りの活気にあてられて駆け回り、はしゃぐ声が聞こえてくる。そして自分達を見ているイサム達に気が付くと、無邪気に手を振ってきた。


「あれも私達の行ったことの結果ですよ」


 ナリアが小さく手を振り返すと、子供達は一際大きなはしゃぎ声を上げて、村の中へ競走するように去っていった。


 その光景に、思わずイサムとユーラの顔はほころんだ。

 そして一度暗い顔を崩すと、イサムは再びそうするのが馬鹿馬鹿しくなってしまい、それはユーラも同じようだった。


「さすが聖職者ね。口の達者なことで」

「褒め言葉として受け取っておきます」


 面白くなさそうに悪態をつくユーラと、それに言葉を返すナリア。言い合いながらも笑みを浮かべる二人を見て、イサムもまた笑う。


 その時、三人を呼ぶ声が遠くから聞こえた。


「おい! 待ってくれ!」


 聞き覚えのある声に、三人は再び歩き出そうとしていた足を止めた。声のする方へと顔を向ければ、村の中から慌てて走ってくるガフの姿が見えてくる。


「何も言わずに行くことはないだろう……」

 イサム達に追いつくと、ガフは荒い呼吸を整えながら話し始めた。

「お前達は村を救ってくれた。いろいろ俺も言ったが感謝しているのは本当だ。これを受け取って欲しい」


 ガフの両手がイサムへと突き出される。その手に握られているのは小脇に抱えるほどの革袋と、手の平に収まるほどの小さな巾着袋だ。


 イサムは突然向けられた好意に、困ったようにユーラとナリアを見た。


「お礼なんて結構ですよ」

 ユーラの言葉に、ガフは即座に首を振る。

「エビチリさん、あんたには迷惑を掛けた。だがそれだけじゃない。救われたのは俺の娘だ。俺は父として何もできなかった。村長としてではなく、シーナの父として礼をしたい。いや、させてくれ」

 そう言われて、ユーラもイサムと同じ顔をする。

「ありがたく頂きましょう」

 戸惑う二人に見兼ねたのか、ナリアが口を挟んでくる。

「この村の出れば、すぐに森を抜けるはずです。森を出たら、これまでのようにはいかないですよ」

 そんなナリアの言葉に、ガフも頷いた。


 そうなると納得せざるを得ず、イサムはガフから袋を受け取った。


 革袋のどっしりとした重さは想像通りだったが、見た目に反して巾着袋もまたずしりとした重さがあった。


「革袋の方は干し肉と、小さい袋の方にはわずかばかりだが金が入ってる。上手く使ってくれ」


 二つの袋をリュックサックにしまうと、イサムとユーラは深々と、ナリアは軽く頭を下げる。


「旅の無事を祈る」


 遠くに喧騒の声が聞こえる中、イサムの耳にはガフの言葉だけが深く響いた。

 イサムの胸の内からは、既に空しさは消えていた。




 ガフとの別れを済ませて、イサムは歩き出そうとする。

 しかしその足が、視界の隅にガフの向こうに立つ人の姿を見つけて、動きを止めた。


 いつから立っていたのだろうか。ガフから十メートルばかり後ろで言葉を発さず、じっと静かに立つ者が二人いた。

 小さな体格と恰好から、少年と少女の二人組だとわかる。だが腰を折って頭を下げ続ける姿勢のために、その顔を見ることはできない。


 ユーラとナリアもそちらに視線を向けて、気付いた様子を見せた。

 誰かはわからない。しかし誰なのかは三人ともに予想が付く。


 三人は顔を見合わせると、ガフを見た。

 ガフは初めから二人の存在を知っていたようで、イサム達に困ったような、許しを請うような顔をした。


 意を決したように二人に歩み寄ろうと、ユーラが一歩踏み出した。しかしイサムはユーラの手首を素早く掴んで、次の一歩を止めに掛かる。


 イサムの行動にユーラが驚いている内に、示し合わせたかのようにナリアが口を開いた。


「この村の今後の繁栄を祈っています」


 ナリアに似合わない声を張ったそれは、ガフだけでなくその後ろにいる二人にも届いただろう。


 そのまま戸惑うユーラの手を引いて、イサムはナリアと共に歩き出した。


 別れは終わった。イサムはその背中に強い視線を感じていた。それはきっとガフのものだけではない。けれど決して振り返ることはしなかった。

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