15 転機

 夢を見ていると、イサムはすぐに気付いた。


 夕暮れ時、道を歩いていた。服装は詰襟の学生服。隣にはセーラー服を着た幼馴染の野地ツカサが並んでいる。夢の中の自分は懐かしい中学生の頃の姿だった。


『私、あそこ受けてみようと思ってるの』

 そう言うと、ツカサが横を歩く自分に視線を向けてくる。


 その時のことはまだ覚えている。中学三年生の夏、高校受験を控えて皆が進路を、志望校を決めている時期のことだ。

 イサムは既に自宅からの距離、そして自身の学力から無理のない高校の推薦入試を担任教諭から薦められ、素直にそれを受け入れていた。


『そう……』

 イサムの口から気の利いた言葉は出てこなかった。


 進路の話であそこと言えば、皆が共通認識を持っている。県内にある有名な進学校のことだ。この時期の進路の話になると、あの高校は必ず皆の話題に上った。

 ツカサのそんな宣言を聞かされるも、応援するのは何か違う気がした。イサムにはそれが挑戦と呼ぶほどの、大きな目標に思えなかったからだ。なんでそんな面倒な選択をするのかと、そう疑問に思うだけだった。

 ツカサの学力はイサムとさほど変わらない。イサムと同様に推薦の話はツカサにもあったはずだった。進学校と言っても、進学実績が顕著に違うわけではない。大学受験時の苦労を、今ここで買う意味が見出せなかった。


 歩きながら、二人の視線が交わされる。

 目を合わせながらも、お互いに無言のままだった。


 五秒ほど経った頃、ツカサの口が何か言おうと開かれるもすぐに結ばれる。

 そのまましばらく無言で、二人は夕暮れの帰路を歩き続けた。



 イサムがそんな夢から目覚めると、時刻は昼を過ぎた頃だった。


 夜型の生活になって数日、イサムの体はすっかりとそれに順応して、外が明るくなっても簡単に目覚めることはなくなっていた。

 ペルトのこと以外に問題らしいことは何もない村での生活の中、イサム達は旅に備えて英気を十分に養った。出発を控えて、もうすぐその生活も終わりを迎える。次にその機会が訪れるのは一体いつになるのか、期待はできなかった。


 平穏な日々を提供してくれたこの村に改めて感謝しながら、イサムは床から体を起こした。


 意識を戻してまず考えたのは、先ほどまで見ていた夢のことだ。なぜ今になってあの時のことを夢に見たのか。あの夢を見たのは初めてのことではなかった。

 あの夢をイサムが初めて見たのは高校生の頃、ツカサの交際の噂を聞いた時だった。既に振られた身ではあったが、その噂に改めて自分の過去に間違いを探した。いつ、何処で何を間違えたのか、その後悔を抱きながら眠りに就いて、あの夢を見たのだ。

 過去の選択に後悔を探したあの経験を、もしかしたらペルトやナリアと将来の話をしたことで、その頃の気持ちを思い出したのかもしれない。


 ある程度の目処が付いたので、イサムは思考を切り上げる。そして部屋の中を見回して、横になっているユーラの姿が目に入った。その姿を見ながら、ふとユーラならばきっと間違えないのだろうと、そんなことを思った。


 またユーラの姿はあっても、もう一人のナリアの姿はなかった。


 昨晩の会話で顔を合わせづらいと思っていたので、ナリアがいないことにイサムの胸は軽くなってしまう。しかし会わないわけにもいかなかった。ナリアは昨日の話の中で、今日か明日には村を出立すると語っていたのだ。その予定を確認する必要がある。


 軽く感じた胸を途端に重くしながら身支度を整えていると、部屋の隅にいた蛇がイサムに気付いて、にじり寄ってきた。蛇は先に起きていたのだろう。ならばとナリアのことを尋ねてみるがナリアは真っ先に起床したようで、わからないと示すように首を振られた。

 蛇はそのまま定位置を確保しようと足元にまで擦り寄ってくるが、イサムはそれを押し留めて居間を出た。そしてナリアを探して応接間や台所を覗いていくが、そこにはナリアどころかガフやシーナの姿もなかった。


 客人だけ残して皆で出掛けたのだろうか。誰もいないことを不審に思うも、ガフかシーナの自室に集まっている可能性を考えた。しかし静まり返る家の中は居間から聞こえるユーラの寝息以外物音一つ聞こえず、その可能性を否定してくる。どうやら本当に、他に誰もいないらしい。

 もしかしたらナリアが一人、先に旅立ったのだろうか。胸によぎる想像に一瞬どきりしたものの、それはないかとイサムは思い直す。それはガフの家の誰もがいないことの理由にはならない。また旅立ったのならば、誰かしらがイサムとユーラを起こすはずだ。

 また仮にナリアが先に旅立ったとしても、よくよく考えればイサム達に特別困る理由はなかった。


 イサムは外に人の姿を探しに行こうか悩んだが、考えをまとめると慌てる必要はないと結論付け、ユーラのことを考えて居間に引き返した。そろそろ起床してもいい時間ではあるし、万が一何か起きている中でユーラをそのまま寝かしておいたら、後で何を言われるかわかったものではない。


「朝だよ、朝」


 実際にはもう昼過ぎだった。身じろぎするユーラを、イサムは声を掛けながら揺すり続ける。

 しばらくするとユーラは不快そうな顔をイサムに向けながら、上半身を起こした。

 寝起きのユーラに「おはよう」と一声掛けてから、イサムはユーラを待つ間に食事の準備をしようともう一度台所へ向かう。


 台所には誰が作ったのか、朝食が用意されていた。作り置かれていたそれは、ここ数日よく食べているこの村で取れた米を使った薄い粥だ。その中には連日の猟で豊富となった肉の細切れが浮いている。


 既に冷めているそれを二人分、また別に用意されていた蛇の食事の生肉をまとめて居間へ運ぶ。居間の机の上にそれらを並べながら、イサムがユーラの様子を確認すると、ユーラはようやくのろのろと寝床から抜け出すところだった。

 一方の蛇は自分の食事が用意されたとわかると、器用に床から机の上に移動し早々に肉を食べ始める。

 イサムはそんなユーラと蛇の様子を眺めながら、自身も席に着くと朝食に口を付けた。


 食事をするイサムの横目に、ちらちらとユーラが身支度を整える様子が映り込む。

 ユーラは人に起こされたことで寝覚めが悪かったのか、今だ不機嫌そうな顔を隠さない。しかし寝起きで頭は働いていないのか、着替えで無防備に素肌を晒して、イサムが逆に緊張を覚えた。

 そうした中で進める食事では、消化の良し悪しがわからない肉入り粥はその味の良し悪しもわからないものとなっていた。


 ユーラが準備を終えてイサムの向かいに座る頃には、イサムは既に自分の食事を終えて、机の上で肉を貪る蛇の様子だけを眺めていた。


「他の人は?」

 ユーラは食事を進めながら、イサムに尋ねる。

「起きたら誰もいなかった。後で外に見に行こう」

 イサムの言葉にユーラは頷いた。

「それにしても、言葉上手くなったわね」

「そう?」


 お世辞かもしれない。けれど自分でも慣れてきたと思っていたところに褒め言葉を掛けられて、イサムは素直に照れた。


 二人は他愛もない会話を続けた。ここ数日の穏やかな日々の中で、二人の緊張はすっかりと抜けており、ユーラは焦ることなくのんびりと食事を続けて、イサムもそれを急かすことはなかった。


 しかしそんな穏やかな時間は、唐突に終わりを告げた。

 家の中に突然、玄関の扉が乱暴に開かれる音が響いたのだ。


 誰かが帰ってきたのかとイサムは思い、確認しようと席を立とうとする。

 だがイサムが席を立つ間もなく、玄関から入ってきた者はどたどたと大きな足音を立ながら、居間へ近付いてきた。

 そして部屋に飛び込んできた者にイサムとユーラ、蛇の注目が集まった。


「エビチリさん! ラーメンさん!」


 居間に姿を見せたのは、慌てた様子のシーナだった。


「皆、集会場に集まってます! 早く行きましょう!」

 イサムとユーラにそう声を掛けると、シーナは居間の入口から机まで歩み寄って二人を急かす。


 事態が掴めずにイサムはユーラと顔を見合わせるが、先ほどまで寝ていた者が当然知る由もない。促されるままに立ち上がると、シーナの先導で二人と一匹は家を出た。


 ずんずんと迷いなく進むシーナの向かう先は村の奥、森の中の畑に向かう裏口への道だった。


 集会場へ向かっているらしい。しかし数日過ごしたこの村の中で、大勢の人が集まれるような施設を見掛けた覚えがなかった。もしかしたら村の外にあるのだろうか。イサムが予想しながら歩みを進めていると案の定、シーナは村の裏口から森の中へ進路を取った。畑へと向かう道の半ばで方向を変えて、森の中の道なき道を進み始める。すると、すぐにそれが見えてきた。


 それは大きさだけは立派な、粗末な掘っ立て小屋だった。


 シーナと共にイサム達は中へ入る。


 外観に比べて中の作りはしっかりとしたものだった。板張りの床に、隙間風が抜けないように木の板が重ねて打ち付けられた壁。恐らく普段は収穫小屋として使われているのでないだろうか。

 そこに四十人ばかりの人が、ひしめき合いながら床に腰を落ち着けていた。老若男女が集っているが、それでも全体の半数にも届いていない。小屋の広さの関係で村人全員を集めることはできないようだ。

 小屋の最奥には村長であるガフと、この村で最初に出会い顔馴染みになったバゴが立っており、二人は座っている村人の顔を確認しながら、人が集まるのを待っているようだった。


 イサムとユーラは小屋の中を進むと、シーナと一緒に後方の一角に陣取り、座った。そこに先に来ていたナリアとペルトが合流してくる。


「何があったの?」

 ユーラが先に来ていただろう二人に尋ねた。

「いえ、私も村にいたらここに来るように言われて」

 ナリアと一緒に来たペルトも同調するように、知らないと答えた。


 皆の視線は自然と一番事情に精通していそうな村長の娘であるシーナに集まる。


「私も、父さんにここに人を集めるように言われただけで……」


 こうして確認し合っているのはイサム達だけではない。ここにいる誰もが集められた事情を把握していないようだった。

 その結果、小屋の中にはそれぞれの潜めながら話し合う声が重なり、不気味な騒々しさがあった。


 この場に村人全員が集まっているわけではない。それにも関わらず、イサム達三人は欠けることなくこの場に呼び出されている。イサムはそのことに何か嫌な予感がして、これから話し出そうとするガフの姿を目に映しながら、ごくりと息を呑んだ。

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