13 何が為の戦い(2)

 イサムの後方で乾いた破砕音が響く。

 突進の勢いそのままに、猪が無人の家屋に突っ込んだのだ。


 先に起き上がったユーラに手を引かれ、イサムは立ち上がると広場の中央へと走って向かう。

 猪は家屋を破ると、立ち並ぶ家屋の陰に姿を隠した。


 猪の攻撃にイサムの首元で蛇が憤る。しかし不意打ちでなければ踏み潰されるだろうことが想像できているのか、イサムと同じく状況に翻弄されるだけのようだ。

 隠れる猪を見つけようと、ユーラは魔力の気配を探るのに集中していた。だが周りを囲う豚の反応に紛れるようで、難しい顔をするとすぐにそれを止めてしまう。もう視認でしか見つける方法は残されていない。


 広場の中央に引きずり出され、イサムとユーラはオルモルに合流すると三人で猪を警戒する。

 オルモルは四肢で地に立ったまま、隠れていた犬歯を剥き出しにして低く唸った。


 広場へ飛び込んでくる猪に最初に気が付いたのは、そんな野生を露わにしたオルモルだった。

 イサムが猪を視界に収めた時、既にオルモルは猪に向かって駆け、飛び掛からんとするところだった。


 猪はオルモルの飛び付きを紙一重で躱し、イサムとユーラに迫ろうとする。

 しかしオルモルは諦めることなく猛追して、猪の背中に張り付くことに成功した。


 オルモルの姿はまるで巨大な猫に挑む鼠のようだった。


 既に短剣を捨てたオルモルの武器は口に備えた犬歯だけだ。猪の背中にしがみ付きながら、オルモルは必死にその体へ噛み付いている。けれど分厚い毛皮の上からでは、血をにじませるのがやっとのようだ。

 一方でしがみ付かれた猪はオルモルを振り落とそうと必死に暴れ回っている。体を振り、跳ね回り、それでも振り落とせないとなると朽ちた家屋へ突っ込んだ。だがオルモルは食らい付いて離れない。


 振り落そうとする猪と抗うオルモル。その状況はしばらく続くも、やがて変化が起きる。猪が村の外、森へ向かって走り出したのだ。


 この場ではオルモルを振り落せない、またこの状態でイサムとユーラを相手取ることもできないと判断したのだろう。森の中は木々に加え、それらの大きく張り出した枝など障害物が多く、オルモルが振り落とされる可能性は高い。

 そうして一人と一匹がこの場から遠ざかれば、それはイサム達の逃げる機会の到来でもあった。

 オルモルはこの機会を作ろうとしたのかもしれない。そんな思いが一瞬よぎるも、ここに至ってオルモルを見捨てるなんてことはできなかった。自身も狙われたこともあって、イサムから逃げる気はすっかりなくなっていた。


 猪がオルモルを乗せたまま村を出ると、イサムは追い掛けようと走り出し、それにユーラも追随する。

 だが広場を出てすぐに、二人の足は動きを止めることになった。

 突如として二人の前に、それまで静観していた豚達が立ち塞がったのだ。


『なんだよ、こいつらは!?』

 邪魔だと告げるように、イサムは声を張り上げた。


 けれど当然、豚達は一歩もその場から動かない。

 ユーラへ視線を向けて対処できるかをイサムは問うが、ユーラは首を横に振った。


「数が多い……」

 ユーラの呟くような声が空しく響く。


 イサムとユーラの前に立ち塞がる豚の数は総勢五匹。それ以外にも距離を置いてこちらを窺う豚が複数いる。

 豚は立ち塞がるばかりで、積極的に攻撃をしてはこない。だが何があろうと猪の邪魔だけはさせないという、そんな強い意志を感じさせられた。


 ユーラが豚達を睨み付ける。その表情からは、万全の状態ならば物の数ではないのにという苛立ちが透けて見えた。


 強行突破という考えが、イサムの頭をよぎった。けれどそれを思い留まらせるのが一匹の、顔に青あざを付けたあの豚だ。かの豚だけは実際に対峙し、イサム達に対抗手段があることを知っている。だからだろう、立ち塞がりながらこちらを窺うその視線に油断は微塵もない。


 豚達を前に、二人はどうしたものかと頭を悩ませる。


 その時、大きく長い声が村に響いた。悩みを吹き飛ばすかのようなその声は、犬達の猛々しい吠え声だ。その声の中には一際大きく響く、イサム達のよく知る声があった。


 ドニスがずっと機会を窺っていたのだ。

 この機会を逃すまいと、犬達が次々と姿を現してくる。その数は豚の倍以上あった。

 突然の出現、そして折り重なる吠え声とその声の大きさに、イサム達を牽制していた豚達は動揺を隠すことができないでいた。


 犬達はイサムと豚達の間へ飛び込んできた。その数は十匹前後、犬種や色は様々だ。


「こっちだ!」


 豚達の注意が犬へ逸れた瞬間、掛かる声の方へユーラがイサムの手を引いて走り出した。

 途端、豚達はイサム達を止めようと動き出すが、それを今度は犬達が立ち塞がる。立場は逆転していた。


「ありがとう」

「構わない。それより急ぐぞ」

 ユーラが走りながら感謝を伝えると、ドニスは答えながら走る速度を上げた。


 ドニスを追って村を出れば、すぐに森の入口が見えてくる。

 入口にはドニスの仲間だろう犬が待っていて、近付けばその犬がドニスの前で先導を始めた。


 進んだ森の中はオルモル達の暮らす小屋周辺とは様子が違った。村の近くで人の手が入っていただろう、木々の間隔は広く取られて日光もよく差し込んでいる。

 地面には猪の足跡がしっかりと残されていた。足跡は木々の間を縫うように蛇行し、また足跡以外にも猪が自身の巨体を木にぶつけた形跡が木々にはあった。


 痕跡は森の奥まで続いている。そこからはオルモルが今尚猪と戦っていることがわかる。

 地面に落ちている折れた枝や木の幹に残された跡に、イサムはその過酷さを思い、息を切らしつつもオルモルの無事を祈った。


 地響きと唸り声が聞こえてくる。

 視認はできないが猪に大分追い付いたようで、先導する犬は動きを止め、ドニスへ合図をすると離れていく。


「ここからは回り込もう」

「オルモルハ……」

「あの音が続いている限りは、まだ大丈夫ということだ」

 イサムの言葉が終わる前に、ドニスは簡潔に返して先を急ぐ。


 イサム達は音のする方へ慎重に、且つ迅速に近付いていく。


 半ば勢いで追いかけて来てしまった。あの猪を相手にイサムができることなど何もなく、それはここまで走って疲労したことでより確かになった。

 戦いの音が近くなると、イサムの中で考えないようにしていた恐怖が浮き上がり、体は強張った。

 それでも足は目指す方へと進み、止まることはない。向かう意味がないと損得勘定を働かせても、逃げるべきだったと臆病風がぶり返しても、イサムは進むべき道を決めていた。


 唐突に森が途切れ、森の中にぽっかりと開けた場所があった。

 木々がなく、見通しのいいその場所を目にして、イサムは異界へ来たばかりの時に見た白い巨岩を思い出した。

 只、あの巨岩のあった場所とは違い、この場に白い巨岩は存在せず、地面には野草の花畑が一面に広がっていた。


「桔梗……」

 紫色の花畑を見て、足を止めたユーラがぽつりと呟く。


 だがイサムとドニスがユーラの声に反応することはなかった。

 その目に荒ぶる猪が入ったからだ。


 花畑で暴れ回る猪の上にはオルモルが、かろうじてといった体でしがみ付いている。体の至るところを打ち付けたようで、オルモルの着ている服は遠目にもぼろぼろになっていた。

 それでもオルモルは何とか攻撃をしようともがいている。猪に何度も噛み付き、人と大差のない指先で爪を立てていたせいだろう、その口と指はどちらのものかわからない血で赤黒く汚れていた。


 オルモルのそんな姿を視界に入れて、イサムもまた足を止めて立ち尽くす。一匹と一人の争い続ける光景を前に、理解していたはずの自身の無力を改めて感じることしかできずにいる。


「ユーラ」

「無理よ」

 イサムが何か言葉を続ける前に、ユーラがそれを遮った。


 魔術を行使するには、オルモルと猪が近過ぎる。また今のユーラの魔力では猪との距離が遠かった。

 それを理解させられてはもう何も言えない。イサムは無力への苛立ちのままに、手に持つポールのグリップを強く握り込んだ。


 体に血をにじませながらも暴走を続ける猪、その動きはまだまだ止まりそうもない。

 しかしイサムがそう思った矢先、不意に猪は動きを止める。

 それは意図して狙ったものだったのだろう。全速力からの急制動に、疲労したオルモルはしがみ続けることができず、猪の前へと投げ出された。


「オルモル!」

 ドニスが声を上げた。


 オルモルは投げ出されながらも、空中で体勢を整えて両手足で綺麗に着地する。そこへすかさず猪が迫る。遅れて飛び掛かるも、猪の鼻先でオルモルの体は掬い上げられ、無様に地面に転がった。

 猪はそのまま走り抜けると、転回してから足を止めた。


 大きく距離を開けて、オルモルと猪が対峙する。

 静かに佇む猪の姿からは疲労を感じつつも、自分の優位を疑わず勝利を確信しているように見える。

 一方のオルモルは既に疲労困憊といった様相だ。いまだ戦う意志を所作から読み取れるのだが、地面に尻を付けて座り込み、立ち上がることもままならないようだった。


 猪が動き始める。再び繰り出した突進は大分その速度を落としている。しかし鬼気迫るそれからは、猪が勝敗を決めにきたことが伝わってきた。

 オルモルもそれには気付いているのだろう、何とか構えようとしているが、その四肢に力はない。


 このままだとオルモルが死ぬ。猪の突進が迫るごとに増す死の気配に、ユーラやドニスも息を呑む。

 イサムは思わず手に力が入り、そこで自身が握り込むポールの存在を思い出した。

 用意した短剣はこの場になく、オルモルの手と口ももうぼろぼろだ。この際、こんなものでも何もないよりましではないか。


 思うや否や、イサムは手首からストラップを外した。そのまま流れるような動きで助走を取って、手に持つポールをあらん限りの力で投げ込んだ。


 イサムの余力を残さない大投擲は綺麗な放物線を描き、おそらく今後のイサムの人生の中でも一、二を争う飛距離を出す。

 ユーラとドニスは突然のイサムの行動に、飛んでいくポールを目で追うだけだった。


 ポールが宙で回転しながら飛んでいく。

 けれど飛来する先、猪に集中するオルモルはそれに気付かない。


「オルモルーッ!!」


 体裁を一切無視した、出したことのない大きな声でイサムは叫んだ。

 その声はオルモルの耳にもきっと届く。





 呼ばれたと思った瞬間、オルモルの目の前に何かが飛来して地面へ突き刺さった。


 一瞬何が起こったのか、わからなかった。だがそれを目にして、すぐに何が起きたのか理解した。

 それの向こうには、迫ってくる猪の姿が見えている。オルモルは必死に這い寄ると、地面からそれを引き抜いた。


 手にしたのはイサムとユーラの使っていた杖だ。木とは違う硬さに頼もしさを若干感じる。しかし当然そこに刃はない。短剣でも切り裂けなかった皮膚に、これが通用するのだろうか。けれどもう、この状況で選べる何かはなかった。


 オルモルは手にしたそれを支えに両足で立ち上がる。そしてそれを両手に持って構えた。


 猪が眼前へ走り迫る。


 オルモルは残された力を振り絞るように、その石突きを猪に向かって突き出した。

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