8 森に生きるもの(2)

 ドニスを先頭にイサム達は森の中を進んだ。


 ドニスの後ろにはオルモルが続き、その背中に虫の息の豚が背負われている。イサムはそれを後ろから支え、最後尾に付いたユーラが辺りを警戒していた。


 向かう先は豚を捌くための水場だ。


 オルモルの体格はがっしりとしており、身長もイサムより頭一つ分高い。だが背中の豚は重いようで、時折つらそうな荒い呼吸が聞こえてくる。只、それでも背負えて歩けているのだから、やはりその身体能力は格別だった。

 イサムの知る豚と比べて、その豚の大きさは見た目にも三倍以上ある。

 それを背負えるということは、人と根本的に身体能力が違うのだろう。もしかしたら魔力で増幅されているのかもしれない。

 改めて自分の常識が通じないことを見せ付けられて、イサムはこの世界に恐ろしさを感じていた。


「お前は俺のことを恐がらないんだな」

 イサムへそう声が掛かったのは、休憩の時だった。


 オルモルがどれだけ怪力でも疲れ知らずではないようで、しばらく歩くと必ず休憩が入った。

 そして何度目かとなる休憩の時に、イサムが疲労で座り込んでいるところへオルモルが近付いてきたのだ。


「……ふ、フシギにミエル」

 突然を声を掛けられて、イサムは咄嗟に不慣れな言葉をひねり出した。

 イサムの言葉に、「確かに不思議だ」とオルモルは笑う。

「あなたの姿なんて、そう珍しいものじゃないわよ」

 そんな二人のやり取りを見て、ユーラが口を挟んでくる。

「私のいた開拓地のプレダにはあなたみたいな、獣化病って言うんだけど、犬みたいな顔をした人もいれば、猫や狐、いろんな動物に似た人がいるわ。私みたいに、体の一部だけ変わった人もいるし」

 自分の耳を示しながら、ユーラは続ける。

「皆、あなたみたいに力が強かったり、私みたいに魔力が多かったり。それで集まった皆で周りの開拓義務を引き受けて、森を拓いて生活してるのよ」

「そうなのか……」

 ユーラの説明を聞いて、オルモルはそれだけ言うと黙ってしまった。


 只、オルモルの目は一瞬驚きに見開かれ、動揺しているのがイサムには見て取れた。


「俺は自分と同じような人に、今まで会ったことがないんだ」

 オルモルがそう語ったのは、次の休憩の時だった。

「子供の頃に姿が変わって、それからずっと森で暮らしている。こんな体じゃ人の中では暮らせないからな。人のように集まらなくても生活できる力があった。だからかもしれない。同類がいたとしても集まって暮らしているなんて、想像したことすらなかったんだ」


 それ以後の休憩では、オルモルは話し掛けてこなかった。

 ユーラの話はオルモルにとって大きな衝撃だったのか、休憩に入ると一人遠い目をして考え込んでいるようだった。




 運ぶものが重いため、移動速度はなかなか上がらない。

 結局大した距離でもなかったのに、イサム達は二時間ほど掛けてようやく水場まで辿り着いた。


 水は小高い崖のような急斜面、そこの石の間からちょろちょろと湧き出ていた。水の量はあまりなく、ちょっとした水溜まりが出来ているが、川になるまでは至っていない。


 水場ならば血の臭いや汚れを落とせると、イサムはそんな期待を抱いていた。その分、目にした水量に落胆は大きく、それはユーラも同様だった。只、ここ数日の水分補給は木からのものばかり。青臭くない水は久々で、二人は夢中になって湧き水を飲んだ。


 オルモルは水を飲み続ける二人から距離を置くと、短剣を取り出して豚に止めを刺した。そのまま腹を割き、内臓を抜くとドニスに与え、血抜きを始める。


 オルモルが豚を捌き始めると、イサムは水を飲むのを止めて、その手捌きをじっと観察した。


 食べられればいいとイサムの自己流でやっていた獲物の解体は、ユーラのみならず蛇にまで不評だった。イサム自身も決してそれが上手い出来だとは思っておらず、改善する方法があれば知りたいと常々思っていた。


 イサムの視線に気付いてか、オルモルは手を動かす速度を緩めて、イサムにも見えやすいように動かしていく。


「さっきは狩りをしてたんだ。捌き方ぐらい知っているんだろう?」

「イヤ、テキトウに、ニクをキッてヤいたダケで……」

「水の飲みっぷりからもわかるが、ちょっと準備不足なんじゃないか? 余計なお世話かもしれないが」


 イサムに尋ねてきたオルモルは、イサムの言葉を聞いて呆れた様子だった。


 しばらくしてオルモルは血抜きを終えたが、肉は死後硬直の関係ですぐに食べるものではないらしい。

 肉のための重労働だったのに、目的の肉にありつけない。そのことへ不満がなくもなかったが、イサムはまともな水を飲めたことで取り敢えず満足した。


「それで、この後どうする気だ?」

 ドニスの言葉に、イサムとユーラは顔を見合わせる。


 まるでもう用無しと言わんばかりの態度で、ここまで手伝ったのは何だったのかと問いたくなる。

 仮にドニスやオルモルの用が済んだとしていても、イサム達に森を知る者との出会いを生かさないという選択肢はなかった。


「よかったら、俺達の家に来ないか?」

「おい!」

 イサム達の算段を知ってか知らでか、オルモルがそう声を掛けてきて、ドニスがそれに反発する。

「何処を目指してるか知らないが、村や道へ向かうならどのみち通り道だ」

「こちらこそお願いしたいわ。見ての通り、森に不慣れなのよ」

 ドニスがそれ以上何か言う前に、ユーラは早々とオルモルの誘いを受けた。


 自分の頭越しに話が進んだからか、ドニスはイサムとユーラを睨んで不満げに喉を鳴らす。だがオルモルから言い出したことだからだろう、最後には渋々といった態度で了承して、話は決まった。


 内臓と血が抜けて、荷物の豚は軽くなる。

 荷が軽くなれば、イサム達の移動や伴う疲労は先ほどと比べられないほど楽になった。

 しかしそれでも夜間も移動することになるとは、イサムは思ってもいなかった。


 移動している間に、森は夜の闇に包まれた。

 だが暗い中を進む三人と二匹の集団に、休憩以外で歩みを止める気配は一切ない。

 そしてその集団の中にあって、イサムだけが夜目が利かなかった。道中、何かにつまずきそうになる度に全員の足を止めさせて、不甲斐なさを覚えたが、こればかりはどうしようもなかった。


 どうしてこんなに強行軍なのか。自分が足手まといになっている状況が惨めで、イサムは文句を言いたくなった。けれどやはり異界語で上手く喋れる自信はなく、黙って付いていくことしかできなかった。

 もやもやとした気持ちを抱えながらも、イサムは皆の足を止めないように、オルモルの背負う荷物を後ろから支えることや暗い森を進む足元に意識を集中した。

 その内に胸の中の不満は意識の外へ追いやられ、イサムの集中に比例して移動速度は上がっていった。


 夜の森を進んで二時間ほど経った頃、先頭のオルモルの足が止まり、背負っていた豚の肉塊を地面に下ろした。

 目の前の荷物がなくなると、イサムの目にも夜の闇の中に木造だろう掘っ立て小屋がぼんやりと見えた。


「ちょっと待っていてくれ」

 そう言うと、オルモルは小屋の中へ入っていく。


 ドニスはオルモルに付いて行かず、こちらを見張るように座っていた。

 すぐには戻って来ないオルモルに、手持ち無沙汰になったイサムとユーラはリュックサックを下ろして、大きく伸びをした。

 普段ならばもう寝ている時間帯だった。既に蛇は寝ているようでじっと動かず、ユーラも眠いのか口数が少ない。

 イサムも若干の眠気を感じるが、空腹がそれを邪魔してくる。何か食べられるものを探して荷物へ手を伸ばすと、オルモルがちょうど小屋から出てきた。


「入ってくれ」


 地面に置いてある肉塊を抱えて、オルモルは再び小屋へ入っていく。

 イサム達はそれに続いた。


 小屋の中は明かりがなく、星明りがないため外より暗い。

 薄ぼんやりとしか見えないオルモルの背中を、イサムは見失わないように歩いた。


 間取りは三部屋ほどに分かれており、オルモルは入口脇の一番手狭な部屋に持ってきた肉塊を置いて、奥の部屋へ進んでいく。

 奥の部屋はぼんやりと明るい。机の上にはランプだろう灯りがあった。この部屋が一番広く、他の部屋は土間であったが、床は板張りになっていた。食堂と寝室が一緒になっているようで、机に椅子代わりの丸太、部屋の端に積み重なった毛皮で拵えられた寝台がある。


 そしてその寝台の上には横になりながら上体を起こし、イサム達を見ている者がいた。


「いらっしゃい」


 女だ。歳は五十代ぐらいだろうか。髪はくたびれ、黒い中に白髪が混ざっている。健康状態が悪いのか、やつれていて上半身だけを見ても線が細い。ランプの頼りない明かりがよりそれを強調していて、実際の年齢よりも老けて見えているのかもしれない。


 声を掛けてきた女はそのまま起き上がろうとすると、オルモルが慌てて駆け寄り、止めに掛かった。


「初めてお客さんが来たのに……」

 オルモルが手で横になるように促すも、女は不満そうにそう言って動かない。


 弱々しいが、気さくな印象を与えてくる人だった。この人が家にいるからオルモルは帰り道を急いだのだろうと思うと、イサムの道中に感じた不満が霧散していく。


「ユーラです。この人はイサム。オルモルさんに招待されました」

 ユーラが女に向かって簡単に名乗り、イサムは頭を下げる。

「キキョウです。息子と仲良くしてやってください」

 女はそう言うと、穏やかな笑みを浮かべて頭を下げた。


 キキョウは健康状態を除けば、日本でもそこらでいくらでも見掛ける、黒髪黒目の日本人と同じ容姿だった。オルモルの母だと言ってはいるが、その姿に親子らしい共通点を見つけ出すことは不可能だった。


 義理の親子関係かと思いつつも、ドニスの存在が想像を変な方向へ持っていこうとするので、イサムはそのことを考えるのを止めた。

 またキキョウという和風の響きがこれまで聞いてきた名前とは一線を画し、その名前が珍しいものなのかが気になった。

 そして何よりキキョウの見た目から窺い知れる健康状態の悪さに、他人ながらも心配になったのだった。



 挨拶もそこそこに食事をすることになり、机の上には料理が並んだ。

 遅くなった夕食は雑穀の粥と干し肉を炙ったもの、それに果物だった。果物はイサムが荷物から提供した。


 皆が丸太の椅子に腰掛ける中、キキョウだけは寝台の上で食事を取った。食が細いようで干し肉は食べなかったが、果物はいくつか口に運び、「美味しい」と喜んでいた。


「豚を片付けてくる。その間、母さんの相手を頼む」

 食事を終えると、オルモルはそう言って部屋を出ていく。


 ドニスもイサム達に危険がないと判断したのか、オルモルと一緒に部屋を出た。

 そうして部屋に残されたイサムとユーラ。

 イサムは相変わらず上手く話せる気がしないので、キキョウの話し相手をユーラに任せ、二人の会話を黙って見ていることにした。


「あの子がここに人を連れてくるなんて初めてだわ。前から付き合いがあったわけではなさそうね」

「今日、森で迷っていたところを助けてくれたんです」

 不思議そうに問うキキョウに、ユーラは聞かれることを想定してたかのようにすらすらと答えていく。


 会話の相手を楽しそうに務めているが、ユーラの顔には何処か緊張感があるように見える。

 そう見えてしまうのも、イサムには異界から来たという特殊な事情、心当たりがあるからだ。

 知られても問題ない気はするが、面倒に繋がる可能性はある。またオルモル達の細かい事情もわからず、不用意な言葉で気に障ることを言ってしまう可能性もあった。


「お二人はずっと昔からこちらに?」

 イサムと同じことを考えているのか、ユーラは質問を始めてキキョウに話をさせていく。

「いえ、もう十年以上前かしら。村からドニスとあの子を連れて、こっちに移ったの」

 昔を懐かしむように、キキョウは話しながら遠い目をする。

「それじゃあ息子さんは二十後半ぐらいですか」

「よくわかったわね。あの子、今じゃ年齢見てもわからないのに」


 談笑する二人。


 その後も会話は続いているが、途中までは聞いていたイサムも段々と眠気で頭に入ってこず、欠伸を噛み殺していた。

 そこへ豚の解体を終えたのだろうオルモルが戻ってきた。


「母さん、そろそろ寝ないと」

「そうね。お二人とも疲れているみたいだし、付き合わせちゃ悪いわね」


 オルモルに促されて、今度はキキョウも素直に寝台へ横になる。


「悪いな」

「いえ、私も楽しかったわ」

 オルモルの言葉に、ユーラは軽く返した。


 今日は一日いろいろあった。豚の運搬の疲れがあるのか、オルモルとドニスももう寝るらしい。

 イサムとユーラも別室の隅を借りて、そこで寝袋に入った。

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