伝統の味、神髄は触れてみないと分からない。

「黒い液体だな…以前に持って来たドレッシングとは違うようだが」

「それとは違いますよ。これは醤油、大豆を発酵させて作る調味料で、動物性原料は一切含まれていません」

 

 友三郎は目の前に立つ村長に対して、不敵な笑みを浮かべます。

 失敗すればナマモノ確定の状況だというのにです。

 それは決して余裕があるからではありません。 

 これは尊敬する伯父の教えを持っているからです。

 異世界に派遣されるよりも遙か以前からずっと、友三郎はその教えを守り続けているからの、不敵の笑みでした。


 最終学歴が高校と言う名門大学を卒業した者ばかりの中で、現場から叩き上げで

一時は支社長にまで上り詰めた伯父の教え。

 窮地に落ちっている時こそ笑え、負けている時こそ笑え、上に上れば上る程に笑え。そして手を抜かず徹底的に備えに備えて挑め。

 それを守っているからです。


「ふむ、それでその醤油とは一体なんだ?見た限りでは…インクにしか見えないが…」


 疑問を口にする村長の目は笑っていません、本気です。

 前任者の仕出かした事の大きさを友三郎は痛感します。

 ですが、それでも友三郎は不敵の笑みを崩さず、冷や汗一つかきません。


「醤油は、日本に古来から親しまれる、日本人の生活に必要不可欠な調味料。大豆、塩、小麦、そして麹と酵母、それらを混ぜ合わせ発酵させて作る物です。魚醤などの子孫のような物ですね」

「魚醤…あれか、言っておくがこれには」

「ご安心を、本日ご用意した物には一切、そう言った物は含まれていません」


 醤油の御先祖様、ひしお

 そのひしおの起源は?という質問はとても難しく、十人十色で様々な事を言いますがこの場では、縄文時代の日本で獣肉や魚を塩蔵し自然発酵させたひしおを作っていた事が分かっています。

 そして醤油のお父さん、それは味噌。

 ご家庭で時々、味噌から液体が出て来る事がありますが、それが

 つまり後の醤油。

 そこから長い年月を経て、明治中期頃に現在の醤油が完成したと言われている。

 

 では何故、友三郎はが、先に来ている醤油を選んだのか?

 答えは簡単です。

 伝統的な製法と、原材料にこだわり、何より歴史だけが生み出す事の出来る倉住み酵母が出す、本当の意味での深い醤油の味わいに確かな可能性を見出したからです。


「ふむ、では味をするが…分かっているな?」

「ええ勿論、気に入らなければそっ首差し上げますよ」


 なおも友三郎は不敵に笑います。

 普通の人なら腰を抜かしてしまう様な、濃度の濃い殺気に当てられても冷や汗をかかずに。


「なっなんだこれは!?」

「どうですか?」


 村長は一舐めして驚きのあまり目を見開き、醤油を見つめます。

 その味は、匂いだけで塩辛いだけだろうと思い込んでいた、村長の舌に、人間の数倍以上の味覚をこれでもかと刺激を与えました。


(塩辛い、それは間違いない…だがそれ以上に旨味と甘味がある。これは、発酵の微生物の働きによるものか、大豆が旨味となり小麦が甘味となる、そして全てが合わさったこの深みは……)


「貴様、いや貴殿は最初からそのつもりでこれを持って来たのか?」

「ええ、それ以外の選択肢が無かったので」


 友三郎の考えは本当に至極単純であり、または何故今までの担当者はその答えが思い付かなかったのか?という物でした。

 豊かなドレッシング文化があるのなら、そこにドレッシングを売り込むのではなく、それを作る為の調味料を売り込めばいい。

 

「今回ご用意したのは、薄口醤油と濃口醤油、そしてこの二つは兵庫県龍野市にある蔵元が作った醤油です。あのメーカーの作る醤油は、旨味が他の醤油より圧倒的に強く…貴方方の舌に適う物だと自負しています」


 大量生産の醤油と昔ながらの製法で作られた醤油。

 その最大の違いは時間です。

 長い時間をかける、麹や酵母の力を最大限に発揮させて作る伝統製法は当然時間が掛かります、ですがそれによって生み出された醤油の味は物によりますが確実に差を生み出します。


 人間がその乏しい舌で感じるその味の僅かな差は、人間よりも遥かに鋭い味覚を持つセントールには大きな違いに感じられる。

 友三郎はそこに目を付け、ドレッシングを作る材料を売り込む事で販路を開拓しようと思い至ったのでした。


「ふむ、素晴らしい。これなら新しいドレッシングを生み出す事が出来る、そのあれだ、醤油以外にもこういった調味料はあるのか?」

「ええ勿論、ただ本日はこれだけしか持って来れなかったので、また後日に。それではこちらの二つは試供品として、本日持って来た残りも差し上げます」

「いいのか?」

「はい、今後ともよいお付き合いをする為に」


 友三郎と村長は握手を交わします。

 いずれは作られるであろう大きな道の、最初の一歩が踏み出された瞬間でした。

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