九十一(終) 夢幻の、続きの続き


 鎌倉と寺社の争い――文治の乱は、三年にわたって続いた。

 日ノ本にあまねく根づき、土地の豪族たちとも深く繋がった寺社勢力の排除は、それほど困難であった。


 争いが続く、その過程で。

 政子は寺社荘園の実効支配を進めてゆく。


 戦いが、全国規模に及んだがゆえに。

 寺社が、全国に深く根を張るがゆえに。

 鎌倉の、武士の影響力は、日本全土に深く深く浸透してゆく。


 そして、三年の歳月が過ぎる。

 南都を、高野山を制圧し、熊野を、熱田を従え、宗像むなかたと、伊勢と結ぶ……乱はしだいに収まっていった。



「鎌倉が御家人を派遣し、諸国の寺社とその荘園を守護する。ただし、税を私する御家人が居たならば、我が手で斬る! 心得よ! 寺社が武装を放棄した以上、これを守る義務は、わしらにあるのだ!」



 全国に御家人を派遣して、政子は都に凱旋する。

 院と朝廷は、歓呼の声をあげて政子たちを迎えた。


 あの強大な専制君主、白河院をも悩ませた、寺社勢力。

 そのことごとくを打ち破り、彼らに武装を放棄させた。

 国家の内にある国家とも言える寺社勢力は、その発言力を著しく減じ、ようやく日ノ本は十全の形を取り戻すのだ。



 ――たったひとつ、鎌倉を除いて、な。



 もはや日ノ本唯一となった巨大武装勢力、鎌倉。

 その鎌倉も、やがては皇室によって管理されることが決まっている。



「未曽有の功に報いるに、鎌倉殿を二品に進める。二年後、元服と同時に大将軍となり、おぬしの後を継ぐ尊成たかひら親王の、よき後見人となってくれ」


「うむ」



 むろん政子は、そう簡単に、鎌倉政権を譲り渡すつもりはない。

 この三年で確立させた、執権北条義時を中心とした体制は、まだ若い親王の専制を許さぬ程度には、強固なものになっている。



 ――将来、親王と義時の争いが起こるとすれば、見ものであるが。



 北条義時と、尊成親王――後鳥羽ごとば上皇。

 政子の知る歴史において、承久じょうきゅうの乱を勃発させ、争った両者である。

 親王が鎌倉将軍となる以上、未来はまた違ったものになるはずだが、立場を変えて二人が争うとすれば、面白い。


 もっとも、政子の目の黒いうちは、そんな争いを起こさせるつもりはないが。



「あとは、鎌倉の世の六波羅探題ろくはらたんだい――京の近郊にあって、朝廷をけん制する組織が欲しいが……」



 名目は、用意できる。

 延暦寺や南都の再武装化を防ぎ、監視するための組織。

 十分な名目だが、当の六波羅には、政子の知る歴史と違って平家の連中がまだ住んでいる。


 追い出すのも理不尽だ。

 いっそ平家に、六波羅探題の役職を与えるのも手か、とも思う。

 しかし、西の幕府とも言える六波羅探題を平家に与えてしまえば、ふたたび天下を割ることになりかねない。



 ――やはり、この要職は宗時兄者に任せたい……となれば、六波羅をあきらめ、別の地を探すしかあるまい。



 考え、ふと、思いついて。

 政子は子供じみた笑みを浮かべた。







 近江国、琵琶湖東岸。

 思いついたが吉日とばかり、単騎で馬を走らせて――政子はたどり着いた。

 延暦寺を、南都を、そして京の都をにらみ、有事には即応可能な、この要地に。


 政子の眼前に、小高い山がある。

 かつて織田信長であったころ、空前絶後の城を築いた、山が。



安土山あづちやま。ここに城を建てるのも……うむ、悪くない」



 賑やかな城下街も、壮麗な城も、いまはまだ存在しない。

 もはや朧になった記憶をたどるように、政子は山に分け入った。


 どんどんと山を登っていく、途中。

 その草庵は、まるで政子を待ちかまえるかのように、ひっそりと建っていた。


 表に立つ、壮年の野人の姿を見て。

 政子は驚いたように目を見開き――不敵な笑顔を、野人に向けた。



「こんなところに居ったのか、頼朝よ」


「政子殿。ここに居れば、いつかお会いできると信じておりました」



 野人――源頼朝は、憑き物が落ちたような、すっきりとした笑顔で、政子を歓迎した。



「さすがよな……しかしおぬし、本当に頼朝か? わしの知る頼朝は、もっと暗くて粘着質で執念深い男ぞ」


「おっと、いきなりご褒美をいただけるとは……」


「ご褒美などではないっ! ええい、やはり頼朝じゃわ! ……もういい、ついて参れ!」


「どちらにです?」


「山頂ぞ! わしにとっては懐かしきながめよ! ともに見せてやるからつべこべ言わずに参れっ!」



 肩を怒らせて、政子はどんどんと山を登っていく。

 源頼朝は、苦笑を浮かべて、それにつき従う。


 ほどなく、ふたりは山頂にたどり着いた。

 山の頂からは、琵琶湖の全貌が見通せる。


 その、風景に。

 ふたりはしばし見入って。



「――政子殿、ありがとうございます」



 ふいに、頼朝が感謝の言葉を口にした。



「なんじゃ、藪から棒に」


「日ノ本を救う。私の無茶な夢を、叶えていただいて」


「まだまだ。安心するには早いわ……それに、わし一人の力ではない。ぬしにも、ずいぶんと助けられた」



 もし、頼朝の協力がなければ。

 鎌倉を現在の形に持っていくのに、あと20年はかかっただろう。

 それほどの働きを、頼朝は闇から闇へと渡り歩いて、成し遂げている。



「当然でしょう。私は政子殿の、夫なのですから」


「……くっくっく。なるほど」



 頼朝の、言葉に。

 政子は不意を打たれて驚き、そして――やさしく、微笑む。



「押しつけられた時は厄介だと思っておったが、こんな夫婦も、悪くない」


「結婚してください」


「もうしておろう!?」


「――おっと、すみません。あまりにも笑顔が素敵すぎて……雑記帳に記さなくては……」


「おぬし、まだそれやっておるのか……」



 雑記帳になにやら記している頼朝に、政子は目を眇める。

 つき合ってられんと、山頂からの風景に目を移して、しばし。



「……頼朝よ」



 はるか彼方を見すえながら、政子は横に立つ頼朝に語りかける。



「……いまより九十年近く後。海の向こうを統一した巨大な帝国の軍が、この日ノ本をも平らげんと、押し寄せて来る」


「……真ですか?」


「うむ。かろうじて退けるが、日ノ本の負う傷も、深い。天下大乱の種となるほどにはな……ゆえに、だ、頼朝」



 政子はそこで言葉を切り。

 それから、話を続ける。



「わしは鎌倉を、より強くあらしめたい。持てる知恵を、技術を、惜しみなく使って、かの大帝国をも滅ぼせるほどに、な……そこでだ、頼朝よ、その、だな……」


「なんです、政子殿?」



 言い淀む政子の顔を、頼朝が覗き込む。

 政子は、ふい、と顔をそむけて。



「……これからも、おぬしの力を借りるぞ! 手伝えいっ!!」



 その、不器用な誘いに。



「もちろんですとも」



 頼朝は、笑顔でうなずいた。





 文治6年(1190)1月、鎌倉幕府は成立する。

 栄光の時代が、始まろうとしていた。



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