六十一 木曽義仲
怒る政子、止める藤九郎、困惑しながらも、政子を守れるよう、さりげなく移動する門番。
油断なく目を配って、
「なるほど。あんたはたしかに北条政子みてーだな!」
「納得したか?」
「まあな……しかし、ちょっとがっかりだぜ。坂東武者を従えて平家の大軍をぶっ潰した女魔王だってんだから、もっと、こう」
「いちいちわしの容姿にケチをつけるな!」
両手を胸の下に置き、なにか大きいものを掴むしぐさをする木曽義仲に、政子は怒鳴りつける。
規格外の
「だがよぉ、困ったぜ」
政子を見やりながら、木曽の若武者は頭をかく。
「なにがじゃ」
「どうもな。おれっちは中原のオヤジや信濃の
「供もなしにか?」
「撒いてきた。うわさの女魔王がつまんね―ヤツだったら、ケツまくって帰ってやろうと思ってよ」
「ほう、それで?」
「困った」
木曽義仲はふたたび頭をかく。
「女棟梁としての
木曽義仲の気質が変わった。
殺気と誤解しかねない攻撃的な
「坂東の尼将軍さまよ。おれっちと戦ってくれ。どっちが上か、はっきりさせてから、すっきりと従いてえ」
「ほう? さんざんわしを愚弄しておいてその言い草……死にたいらしいな」
言葉とは逆に、政子はこの男を殺す気が失せている。
豪傑肌の、あきれるほど単純な戦馬鹿。まさしく政子の好みだった。
「はっはぁ!
その、言葉に。政子は口の端をつり上げて叫ぶ。
「よく言った! 藤九郎! 鉄砲と
「御台様、酔狂はほどほどに……」
「藤九郎、興ざめな事を申すな」
諌める藤九郎に、政子は首を左右に振る。
「木曽義仲と損得抜きの関係を結べるならば、危険を侵す価値は十分よ!」
要るのだ。
木曽義仲のような、あるいは為朝や義経のような男が。
政子の表情を見て、藤九郎は深いため息をついてから、命令に従った。
ややあって。
藤九郎が政子の薙刀と鉄砲を持ってきた。
「おっ、なんだなんだ。その煙臭い鉄の棍棒が“てっぽ”ってやつか?」
「……信濃にもうわさは広まっておると思っておったんじゃがな……まあよい。馬から降りよ。でなくば一瞬で終わるぞ」
「おもしれぇ! 馬上がむしろ不利ってのはどういうことか、見せてみやがれえっ!」
木曽義仲は馬腹に結わえていた大太刀を引き払いながら、その場で器用に馬を反転させる。
距離を取って突撃するためだったが、それが災いした。彼我の距離は2間(3.6m)と離れていない。
「たわけが!」
言いながら、政子は鉄砲を撃つ。
爆発音とともに発射された鉛玉は、風切り音とともに義仲の脇をすり抜けていく。
突然の音に、馬はいななき棹立ちになるが、よほどの
だが、敵に背を向けた棹立ちの馬上など、斬ってくれと言っているようなものだ。
「くっ!」
義仲は素早く御すことをあきらめ、馬から飛び降りる。
その、着地を、政子は狙った。
「んにゃっ!」
いかな義仲とて、空中で足元を狙われてはたまらない。
転ばされたところを、喉元に薙刀を当てられ、勝敗は決した。
「わしの勝ちよ」
「ああ。そしておれっちの負けだぜ」
地面の上にあぐらをかいて、木曽義仲はあっさりと敗北を認めた。
「やることなす事先回りされて、なんにも出来なかったぜ。馬から飛び降りる時も、ヤベエって思ったんだが、そうするしかなかった……完敗だぜ。女魔王――いやさ姉御。あんたが上だ。あらためて、おれっちを舎弟にしてくれ」
「よし」
政子は義仲の首元から薙刀を引くと、肩に担いで胸を反らす。
「ならば、貴様は
平賀義信は義光流の源氏で、頼朝の父、義朝のころからの郎党である。
義朝の死後は信濃国に住んでおり、政子の旗揚げに応じて、義兼の信濃での活動を支援していた。
「いいのかよ。おれっちは姉御に無礼を働いた狼藉もんだぜ?」
「かまわんさ。まあ、すこし残念なのはわかったから、平賀をつけた。言う事をよく聞くように」
足利義兼でもよいのだが、いつまでも信濃に貼り付けておくわけにもいかない。
というか使い勝手がよすぎるので、ぜひとも手元に置いておきたい人材なのだ。
「ともあれ、伊豆へよく来た。歓迎するぞ、木曽義仲」
政子は上機嫌で笑うと、義仲の事を藤九郎に任せて、館へと歩き出す。
そのとき、撒いたという従者だろう。遠くから義仲の名を呼ぶ声が聞こえてきたのだが、政子はかまわず門をくぐる。
「――北条のぉ、それが富士川で火を噴いたってえ」
と、門の内から様子を見ていたのだろう。武田信義が声をかけてきた。
「ああ、鉄砲……と呼ぶのも恥ずかしいがな。
火槍は原始的な仕組みの鉄砲だ。
中国ではすでに存在するが、日本に入って来るのは応仁の乱のころ。鉄砲伝来よりすこしばかり前になる。
冶金技術や職人の技量の問題から、信長の知る鉄砲そのままを再現というわけにはいかず、小型の大砲を柄の先につけたような格好になってしまった。
「大宋の……?」
「うむ」
「それを作ったって? 無敵じゃねえか。なんで数揃えて
問われて、政子は眉をひそめる。
「阿呆。これを使わせれば民でも武士を殺せるのだぞ。むざむざ武士の価値を落としてどうする」
武士が尊重されるのは、隔絶した武力を背景にした徴税能力ゆえだ。
それが一般人でも代替可能となれば……どうなるかは目に見えている。だれが得をするのかも。
――ゆえに、それをやるのはまだまだ後のことよ。
政子は腹の中でつけ足した。
政子の言いようが、よほど気に入ったのか。
「がははは、いいじゃねえか! 賢いヤツは好きだぜ。頼もしい限りじゃ! よろしくのう、我らが大将!」
「くっくっく、こっちこそな!」
二人は、ともに笑う。
笑いながら、両者、目だけはどこか冷めている。
――今後は、こやつとの連絡は
腹の中で、政子は考える。
田舎者ながら、どこか上品な兄、宗時より、欲得づくの北条時政のほうが、むしろ話が円滑に進むに違いない。
門の向こうでは、木曽義仲が誰かに説教を食らっているような声が聞こえたが、政子は聞き流した。
◆
武田信義、さらには木曽義仲の臣従が、よほど衝撃を与えたのだろう。
年が変わるころ、常陸の
木曽義仲の父とは兄弟仲がよく、それゆえ兄の仇、悪源太義平に繋がる坂東勢に悪感情を抱いていたようだが、当の義仲がこだわりなく臣従してしまったので、坂東と敵対することに意味を見いだせなくなったのだろう。
親平家、反平家で内訌を起こしていた藤姓足利や佐竹も、情勢の変化と周辺の介入圧力から反平家側が勝利、政子に頭を垂れるに至って、関東平定は成った。
政子は戦略を練るため、伊豆に首脳部を集める。
同じころ、都では、正常の混乱に拍車をかける事態が起こっていた。
ひとつの時代が、終わりを告げようとしている。
◆
新宮行家「わしもわしも」
※
新宮行家……源義朝、源為朝らの弟。出負け。
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