六十一 木曽義仲



 怒る政子、止める藤九郎、困惑しながらも、政子を守れるよう、さりげなく移動する門番。

 油断なく目を配って、木曽義仲きそよしなかはからりと笑った。



「なるほど。あんたはたしかに北条政子みてーだな!」


「納得したか?」


「まあな……しかし、ちょっとがっかりだぜ。坂東武者を従えて平家の大軍をぶっ潰した女魔王だってんだから、もっと、こう」


「いちいちわしの容姿にケチをつけるな!」



 両手を胸の下に置き、なにか大きいものを掴むしぐさをする木曽義仲に、政子は怒鳴りつける。

 規格外の気格オーラと堂々たる様で誤魔化されているが、政子の容姿はお世辞にもハッタリのきくものではない。

 源為朝みなもとのためともか、せめて目の前の木曽義仲のような威丈夫。最大限譲歩して魔性を感じさせる妖艶な美女であれば、と思うが、政子の容姿は贔屓目に見ても少女の域を出ない。剃髪の折、尼削ぎおかっぱにしているので、余計幼さが際立つ。



「だがよぉ、困ったぜ」



 政子を見やりながら、木曽の若武者は頭をかく。



「なにがじゃ」


「どうもな。おれっちは中原のオヤジや信濃の舎弟ごうぞくどもがよ。坂東に従った方がいいってんで、伊豆まで来たわけよ」


「供もなしにか?」


「撒いてきた。うわさの女魔王がつまんね―ヤツだったら、ケツまくって帰ってやろうと思ってよ」


「ほう、それで?」


「困った」



 木曽義仲はふたたび頭をかく。



「女棟梁としての技量うでは、みんなスゲエスゲエ言ってたし、実際スゲエんだろ。気に入ったかどうかで言やあ、まあ気に入ったさ……だけどよ、思いもしなかったぜ。身の内にそんな化物飼ってる女武者だったとはなぁ!」



 木曽義仲の気質が変わった。

 殺気と誤解しかねない攻撃的な気格オーラに、藤九郎の顔色が変わる。



「坂東の尼将軍さまよ。おれっちと戦ってくれ。どっちが上か、はっきりさせてから、すっきりと従いてえ」


「ほう? さんざんわしを愚弄しておいてその言い草……死にたいらしいな」



 言葉とは逆に、政子はこの男を殺す気が失せている。

 豪傑肌の、あきれるほど単純な戦馬鹿。まさしく政子の好みだった。



「はっはぁ! 一騎打ちタイマンで死ぬるなら、そりゃあ本望ってもんだぜ!」



 その、言葉に。政子は口の端をつり上げて叫ぶ。



「よく言った! 藤九郎! 鉄砲と薙刀なぎなた持ってこい!」


「御台様、酔狂はほどほどに……」


「藤九郎、興ざめな事を申すな」



 諌める藤九郎に、政子は首を左右に振る。



「木曽義仲と損得抜きの関係を結べるならば、危険を侵す価値は十分よ!」



 要るのだ。

 木曽義仲のような、あるいは為朝や義経のような男が。そのさき・・・・を見据えるならば。


 政子の表情を見て、藤九郎は深いため息をついてから、命令に従った。


 ややあって。

 藤九郎が政子の薙刀と鉄砲を持ってきた。



「おっ、なんだなんだ。その煙臭い鉄の棍棒が“てっぽ”ってやつか?」


「……信濃にもうわさは広まっておると思っておったんじゃがな……まあよい。馬から降りよ。でなくば一瞬で終わるぞ」


「おもしれぇ! 馬上がむしろ不利ってのはどういうことか、見せてみやがれえっ!」



 木曽義仲は馬腹に結わえていた大太刀を引き払いながら、その場で器用に馬を反転させる。

 距離を取って突撃するためだったが、それが災いした。彼我の距離は2間(3.6m)と離れていない。



「たわけが!」



 言いながら、政子は鉄砲を撃つ。

 爆発音とともに発射された鉛玉は、風切り音とともに義仲の脇をすり抜けていく。


 突然の音に、馬はいななき棹立ちになるが、よほどの駻馬かんばなのだろう。狂奔パニックとまではいかない。

 だが、敵に背を向けた棹立ちの馬上など、斬ってくれと言っているようなものだ。



「くっ!」



 義仲は素早く御すことをあきらめ、馬から飛び降りる。

 その、着地を、政子は狙った。



「んにゃっ!」



 いかな義仲とて、空中で足元を狙われてはたまらない。

 転ばされたところを、喉元に薙刀を当てられ、勝敗は決した。



「わしの勝ちよ」


「ああ。そしておれっちの負けだぜ」



 地面の上にあぐらをかいて、木曽義仲はあっさりと敗北を認めた。



「やることなす事先回りされて、なんにも出来なかったぜ。馬から飛び降りる時も、ヤベエって思ったんだが、そうするしかなかった……完敗だぜ。女魔王――いやさ姉御。あんたが上だ。あらためて、おれっちを舎弟にしてくれ」


「よし」



 政子は義仲の首元から薙刀を引くと、肩に担いで胸を反らす。



「ならば、貴様は平賀義信ひらがよしのぶとともに信濃を抑えよ」



 平賀義信は義光流の源氏で、頼朝の父、義朝のころからの郎党である。

 義朝の死後は信濃国に住んでおり、政子の旗揚げに応じて、義兼の信濃での活動を支援していた。



「いいのかよ。おれっちは姉御に無礼を働いた狼藉もんだぜ?」


「かまわんさ。まあ、すこし残念なのはわかったから、平賀をつけた。言う事をよく聞くように」



 足利義兼でもよいのだが、いつまでも信濃に貼り付けておくわけにもいかない。

 というか使い勝手がよすぎるので、ぜひとも手元に置いておきたい人材なのだ。



「ともあれ、伊豆へよく来た。歓迎するぞ、木曽義仲」



 政子は上機嫌で笑うと、義仲の事を藤九郎に任せて、館へと歩き出す。

 そのとき、撒いたという従者だろう。遠くから義仲の名を呼ぶ声が聞こえてきたのだが、政子はかまわず門をくぐる。



「――北条のぉ、それが富士川で火を噴いたってえ」



 と、門の内から様子を見ていたのだろう。武田信義が声をかけてきた。



「ああ、鉄砲……と呼ぶのも恥ずかしいがな。大宋帝国ちゅうごくの火槍に近きものよ」



 火槍は原始的な仕組みの鉄砲だ。

 中国ではすでに存在するが、日本に入って来るのは応仁の乱のころ。鉄砲伝来よりすこしばかり前になる。

 冶金技術や職人の技量の問題から、信長の知る鉄砲そのままを再現というわけにはいかず、小型の大砲を柄の先につけたような格好になってしまった。



「大宋の……?」


「うむ」


「それを作ったって? 無敵じゃねえか。なんで数揃えて武士ヘイタイに持たさんのじゃ?」



 問われて、政子は眉をひそめる。



「阿呆。これを使わせれば民でも武士を殺せるのだぞ。むざむざ武士の価値を落としてどうする」



 武士が尊重されるのは、隔絶した武力を背景にした徴税能力ゆえだ。

 それが一般人でも代替可能となれば……どうなるかは目に見えている。だれが得をするのかも。



 ――ゆえに、それをやるのはまだまだ後のことよ。



 政子は腹の中でつけ足した。


 政子の言いようが、よほど気に入ったのか。



「がははは、いいじゃねえか! 賢いヤツは好きだぜ。頼もしい限りじゃ! よろしくのう、我らが大将!」


「くっくっく、こっちこそな!」



 二人は、ともに笑う。

 笑いながら、両者、目だけはどこか冷めている。



 ――今後は、こやつとの連絡は親父殿ときまさに任すか。



 腹の中で、政子は考える。

 田舎者ながら、どこか上品な兄、宗時より、欲得づくの北条時政のほうが、むしろ話が円滑に進むに違いない。


 門の向こうでは、木曽義仲が誰かに説教を食らっているような声が聞こえたが、政子は聞き流した。







 武田信義、さらには木曽義仲の臣従が、よほど衝撃を与えたのだろう。

 年が変わるころ、常陸の志田義広しだよしひろが政子に従う旨、申し出てきた。

 木曽義仲の父とは兄弟仲がよく、それゆえ兄の仇、悪源太義平に繋がる坂東勢に悪感情を抱いていたようだが、当の義仲がこだわりなく臣従してしまったので、坂東と敵対することに意味を見いだせなくなったのだろう。


 親平家、反平家で内訌を起こしていた藤姓足利や佐竹も、情勢の変化と周辺の介入圧力から反平家側が勝利、政子に頭を垂れるに至って、関東平定は成った。


 政子は戦略を練るため、伊豆に首脳部を集める。

 同じころ、都では、正常の混乱に拍車をかける事態が起こっていた。


 ひとつの時代が、終わりを告げようとしている。






新宮行家「わしもわしも」



新宮行家……源義朝、源為朝らの弟。出負け。

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