六十 集う源氏
治承4年11月下旬。
富士川の論功行賞がようやくひと段落をみた、その頃合いを見計らったかのように、伊豆国国府を訪れた者がある。
「……ほう、来たか」
面会を求めてきた、その名を聞いて、政子は口の端をつり上げた。
広間での面会となった。
不思議な男だった。
年のころは50過ぎか。眉根と額に怒り皺を蓄えた、厳つい顔立ち。
中肉中背だが、それに似合わぬ重量感の主で、挙措のしなやかさは老いた巨猿を思わせる。
「ワシが
甲斐源氏の棟梁は、ドスの効いた声で名乗った。
同席する者らがあからさまな不快を示したが、武田信義はふてぶてしく上座の政子を見据える。
「デアルカ。わしが北条政子である!」
政子は気にもかけず、魔王オーラ全開で名乗った。
「おお、おどれが
武田信義は、形だけ、といった風情で頭を下げた。
同座する者たちがぴりぴりしているが、政子はこだわらない。
「しっかし、相変わらず伊豆は景気ええらしいのう」
「まあな! そういえば貴様のとこの若いのが、何度も略奪に来てくれよったな!」
「そりゃもうワビ入れさせたじゃろが! まあ、ともかくじゃ。富士川の合戦、見事じゃのう。わしも
「まあな! なかなかに働いてくれたわ!」
政子が胸を張ると、武田信義は顔を傾けて、にらみつけてくる。
「じゃがのう。おどれ、わしの
「左様か! なにせ貴様が来るのが、あまりにも遅かったのでな! あまり恩賞を待たせるのも悪いと思ったまでよ!」
しれっと言う政子に対し、武田信義の目が、すっと細くなる。
「おどりゃぁナメとんかい。惣領権に手ぇ突っ込んだら戦争じゃろがい」
「舐めておらん。甲斐の武田をわしが舐めるかよ――だがな」
ドスを効かした声でにらみつけて来る信義を、政子は逆ににらみ返す。
「わしらが命を張って戦っておったときに、日和見決め込んでおいて、いまさら来た理由が
「やってみんかい。甲斐
にらみ合い、二人は一歩も譲らない。
そこに。
「やめないかっ!」
と、北条宗時が割って入った。
「御台様、信義殿が喧嘩腰なのは素だ。いちいちつき合わないように――信義殿も、坂東に従いたいとおっしゃったのは空言か」
言われるまでもなく、大人げない口喧嘩だ。
水を差されては、しいて続ける意味もない。
「……すまんかった。甲斐
「許す。貴様に甲斐一国を任せる。坂東のやり方に倣うなら、後は好きにせよ」
「……まったく。一瞬で済む話を、無意味にこじらせないでくれよ」
素早く話をまとめた二人に、宗時が深いため息をついた、ちょうどそのとき。
「おらあっ! 坂東の
彼方から、やたらとでかい声が聞こえてきた。
◆
「なんじゃあ?」
頓狂な声に、武田信義が、半身をずらして外を見やる。
しばらくして、従者の藤九郎が小走りにやって来た。
「藤九郎。どうした」
「いやぁ、
「なるほど。あの頓狂な声の主が、その暴れ馬、というわけか」
「へい」
「デアルカ!」
政子はにやりと笑った。
こんな事をしでかしそうな源氏の武者に、一人、心当たりがあった。
「その顔、見てやろうぞ! 藤九郎、案内せよ!」
「お、おい!」
宗時が止めるのも聞かず、政子は藤九郎を引き連れて、さっさと声のする方に向かった。
◆
門の前で、番の者と押し問答している馬上の武者があった。
年のころは、二十歳半ばか。野卑ではあるが、鼻筋の通った見栄えのする威丈夫だ。
――ほう、なかなかの武者ぶりよ。
政子は笑う。
気配に気づいて、若武者が視線をこちらに向けてきた。
「なんだぁ!? ガキ、ここの侍女――じゃねえな。その気配……尼将軍の護衛と見たぜ!」
尼僧姿の政子を見て、若武者はそんなことを言う。
「ば、馬鹿、このお方は――」
「はっはっは、まあそのようなものだ!」
面白いので、政子は門番の訂正をさえぎって肯定した。
「――おぬしこそ、なかなかの気格。ただ者ではあるまい。名はなんという?」
「わかるか! なら答えなきゃいけねえな!
後の旭将軍・木曽義仲だ。
もっとも、政子が派手に歴史を変えてしまったため、その未来は限りなく怪しくなっているが。
「女、てめえの名も教えやがれ!」
「くっくっく、ならば答えてやろう!」
至極楽しげに、政子は名乗りを上げる。
「八条院・暲子内親王が猶子にして、右中将・源頼朝が妻、第六天魔王の化身、北条政子とは、このわしの事よ!」
「え、まじか? ちっちぇえ」
「よし、斬る!」
木曽義仲がつぶやいた本音の一言に、政子は憤慨して叫んだ。
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