五十八 未来のために
これに先立つ11月4日、京西八条第に入っていた清盛は、すぐさま屋敷に両名を呼び寄せた。
「この、馬鹿どもがっ!!」
清盛を前に、震怒し、屋敷を揺るがすほどの叱責を叩きつけたのは、惟盛の父、平重盛だった。
「貴様ら、なぜおめおめと帰って来た! 討伐軍の大将に任じられたからには、命を捨てても任を果たすべきではないか! 負けてなぜ生きている! なんのために帰って来た! 言えっ! 言ってみろ!!」
「ち、父上……」
「惟盛! 貴様なぜ死ななかった! それでも武士か! 生きて帰ることを恥とも思わぬか! この重盛は、貴様をそれほど恥知らずに育てたか!」
「――
平重盛の罵声に割って入るように、平重衡が床に頭を打ちつけた。
「敗北の責はこの重衡にあります! 惟盛殿は後陣に在って我が敗走に巻き込まれたのみで――」
「重衡! 貴様他人を庇える立場かっ! 貴様もなぜ死ななかった! なぜ天下に平家の恥をさらしたっ!!」
「兄上、まあ、兄上っ!」
二人を蹴倒さんばかりの
「兄上、まずは落ちつかれませい。なにはともあれ、二人の命が無事だったのですから、あまり責めずともよいではございませんか」
「宗盛殿! 平家の惣領なれば、己と
「ち、父上」
「近寄るな!」
平重盛は口元を押さえながら、近づこうとした息子を睨みつける。
「
「父上!」
「
平重盛は肩を怒らせて出ていった。
その背中を、絶望の面持ちで見送る平惟盛に向かって。
「重盛も父か……やさしいね」
皆の会話を静かに見守っていた清盛が、口を開いた。
「お、おじいさま……」
戸惑う平惟盛に、清盛はやさしく語りかける。
「惟盛、きみは父を恨んではいけないよ。あれは重盛なりのやさしさだ」
「え?」
「キミは、反乱軍討伐の大将を担った。担いながら、おめおめと逃げ帰ってしまった。一族郎党、それに各国の勇者たちの屍を、関東に残して、ね」
「……万死に、値します」
うなだれる若武者を、清盛は諭す。
「考えてみなさい。諸国に不満を持っている者は、ここぞと反乱を起こすだろう。考えてみなさい。京や福原で、平家に不満を持っている者は、ここぞと非難することだろう。そして考えてみなさい。家族を失った
すべての非難は、恨みは、平家に、討伐軍の大将に向けられる。
「だから、重盛は誰よりもキミを怒らねばならなかった。過酷な罰をキミに下さざるを得なかった。怒声を聞いた屋敷の者たちが、話を聞いた都の者たちが、思わず同情してしまうほどに」
「父上が……」
平惟盛が声を落とす。
孫に諭してから、清盛は視線を息子に転じた。
「さて、重衡」
「はっ!」
声をかけられて、平重衡は頭を下げる。
「北条政子を見たかい?」
「……はっ! この目で、しかと!」
非難の言葉を覚悟していたのだろう。
平重衡は一瞬、戸惑ってから、よく通る声で答える。
「彼女をどう見た?」
清盛の短い問いに、平重衡はしばし黙考し。
「……化物です」
ただ、それのみを声にして発した。
「幼い少女の身で第六天魔王を自称し、それにふさわしい異様な気配を備え、通力を備え、坂東の荒武者どもを統率する。とてもではないが人とは思えませぬ」
「ふむ。通力?」
「戦の前に言葉を戦わせた折、突如雷のごとき轟音が四方に響き渡りました。人は怯え馬は狂い、そこを突かれました」
「ふむ……それは轟音だけかい?」
「光を見た、と申すものもありますが、なにぶん皆混乱しており……ただ、焼け死んだものは居りませぬ」
潰走しながらも、平重衡は状況把握に努めていたらしい。即座に答えが返ってきた。
その事に、満足したように。清盛は「うん」とうなずいた。
「わかった。つぎは、そういうものがあると思って戦いなさい。たとえ神をも欺く通力でも、起こるとわかっていれば備えられるだろう。そもそも武士とは
「つぎ、ですか……」
つぎ、という言葉に、平重衡は戸惑いを見せる。
「戦の恥を、戦でそそぐ。その機会を、キミたちに与えようじゃないか。どのみち西国より募った兵は、地方に返さねばならない。京には、もはや万の兵を食わせる余力はないからね。
「は、ははっ!」
「今度こそ、今度こそ、たしかにっ!」
挽回の機会を与えられて。
若武者二人は身を震わせながら、頭を下げた。
◆
「さて……」
若武者たちが退出して、しばし。
清盛は、深いため息をついた。
「……父上?」
「宗盛、戦がわからないキミには、理解しがたい事かもしれない。だけど、惣領として、把握しとかなくちゃいけないことだ。聞いてほしい」
常にない神妙な面持ちだ。
宗盛が戸惑いながら、頭を下げる。
「はっ」
「今回の敗北で、ボクが生きているうちに、天下に平和をもたらすことが出来なくなった」
「……は?」
目を丸くする宗盛に、清盛はため息をついた。
「やっぱりわかってなかったね? ダメだよ? わからない事は、ボクや重盛に聞いとかなくちゃ」
「いや、しかし……そんな」
「大げさだと思うかい? でも、ちっとも大げさじゃないんだ。今現在、平家には――いや、院や帝にだって、関東の北条政子を倒す力はない」
「ですが、対策を練ってふたたび討伐軍を起こせば、今度こそは……」
「宗盛、すでに畿内には、それを許すほどの食料は余っていないんだよ」
清盛が言う。その瞳の奥にある絶望の深淵に、宗盛は身を震わせた。
「それに、それだけの軍勢をまとめられる将が居ない。中核となる精鋭も居ない。みんな富士川で死んだ。ふたたび関東に兵を起こせるのは、早くて10年後だろう」
「10年……」
「関東との戦いは長期戦になる。そのつもりで居なさい。それまでに、重衡や惟盛を鍛えておかなくてはね」
「父上……はっ!」
10年後の話だ。
老齢の清盛にとって、はるか先の話。
おそらくは遺言に等しい忠告に、宗盛は神妙に聞き入る。
「宗盛、都の貴族たちを宥めるのは任せたよ。そういう事は、キミのほうが得意だからね」
「はっ! 殿上こそが我が戦場と心得ております!」
「うん。まかせた」
宗盛の答えに、満足したように微笑んで。
清盛は彼方をあおぐ。
――さて、キミとボクとの勝負は、すでについてしまったけれど。
視線の先に関東がある。
そこに居るであろう、己の敵手に、清盛は心の中で語りかける。
――粘らせてもらうよ。未来の平家の勝利を信じて。しつこく、見苦しく、ね。
数日後、越後失陥の報を受けて。
それでもなお、清盛の不屈の魂は揺るがない。
だが、時間は残酷に流れてゆく。
◆
平重盛……清盛の長男。
平宗盛……平家の惣領、清盛の三男。
平重衡……清盛の五男。関東討伐軍の大将。
平惟盛……清盛の孫。重盛の嫡男。関東討伐軍の大将。
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