七 北条時政
「政子殿、今日はあなたのお父上に用があって参ったのです」
騒ぎ終わって。
涼しい顔に戻った頼朝は、政子に向けてそう言った。
例によって恨み
「父に用? ――ふむ、兄上」
「ああ、知らせてくる」
迅速なやりとりに、頼朝はほう、と感心の声をあげた。
「時政殿を見くびっておりましたか。息子の教育が行き届いている」
「ふむ? まあ、そういうことにしておこう」
産ませっぱなしで放置気味な時政よりも、政子の影響が強いのだが、あえて訂正するようなことでもない。
「そういえば、父になに用だ?」
「ふふ、政子殿。あなたに触発されましてね……お父上にすこしお願いをしたくなったのです」
「デアルカ」
軽く挑むような口調の頼朝。
独特のイントネーションで応じると、政子は笑う。
魔王の笑みだ。触発されて魔王オーラも全力全開だ。
腹の据わった従者も、これにはさすがに固唾をのんだ。
一方、頼朝は動じない。
微笑みに、じめっとしたものがあるのは、まったくの素である。
「時に政子殿、あなたの目から見て、お父上はどんなお方ですか?」
「ふむ?」
政子はすこしだけ、首をひねってから。
まっすぐに頼朝の目を見て、返した。
「強引、剛腕、強欲」
同意です、と、頼朝はにこやかにうなずいた。
◆
「ぐふふ、これは頼朝様、このようなむさくるしい所にようこそいらっしゃいました!」
二十半ばの
「うむ。時政殿も壮健そうでなによりです」
頼朝も返したが、こちらもどこか表情に粘性がある。
“にちゃにちゃ”と“じめじめ”。たがいに笑顔で挨拶を交わしながら、頼朝は屋敷の広間へと案内された。
「頼朝様、本日はどのような御用で」
設けられた席の上座に頼朝を座らせると、時政はややせっかちに要件を尋ねてきた。
「じつは、時政殿。折り入って頼みがあるのです」
「ふむ。どのような……」
「すこし、関東を歩きたいのです」
「うむむ、それは難しい」
時政は難色を示した。
その理由を、頼朝は理解している。
流人だから、ではない。
流人と言っても貴人だ。自由な振る舞いも、ある程度は黙認される。
それを難しくさせているのは。
「叔父上――
自体の元凶の名を、頼朝はさらりと挙げた。
源為朝。
頼朝の叔父であり、無双の弓の名手。
九州鎮定を名目にかの地で暴れまわり、
その為朝は、平治の乱に先立つこと三年、
「まさに」
時政が膝を打った。
「――伊豆大島に流された為朝殿は、かの地で我がままに振るまい、伊豆の諸島を支配せんとしておる。今はまだ見逃されておるが、あの御仁のことだ。このままでは済むまい。いずれ京より為朝殿討伐の命が下る。その折、頼朝様、あなたが関東を動き回っておれば、為朝殿と連動した不審な動きと咎められるやもしれぬ。悪いことは言わぬ。いまは止めておくが吉ですぞ」
時政の忠告に、頼朝はうなずかない。
じとっ、と、まっすぐに視線を返して、言葉を紡ぐ。
「もはや私に二心などありません。ただ、父が育った関東の地を見て回りたいのです。むろん、常時監視をつけてもらって構いません。都のやんごとなき筋にも、私からお便りさせていただきます」
「うむむ……」
頼朝の配慮にも、時政は二の足を踏む。
危険ばかり大きくてメリットのない話に聞こえているのだろう。
「ときに時政殿」
それを承知の頼朝は、だから水を向ける。
「流罪にはなったものの、私の京への
「ぐふふ、やりましょう! なーに、伊東殿にはわしが上手く話しておきますわい!」
あまりの変わり身の早さに、さすがに頼朝もあきれた。
◆
旅について、ふたりが話を進めようとした、矢先。
突然、ばんっ、と広間の扉が勢いよく開いた。
「――頼朝の監視役、わしがやろうぞ! ちょうど見聞しようと思っていたところだ!」
「あねうえやめてー!」「やめてー!」
乱入してきたのは、もちろん第六天魔王、北条政子だ。
腰には姉を必死で止めようと、妹や弟がしがみついている。
その向こうで兄がひっくりかえっているのは、さておくとして。
「政子っ! お主は頼朝様になんて口を!」
「ああ、よいのです。こういう
もはや慣れた様子で、頼朝は政子を庇った。
時政は、ぐほう、と一息ついて、それから頭痛をこらえるように頭を押さえた。
「……政子、お前は、いずれワシの出世のために嫁がねばならぬのだ。ただでさえ北条の修羅姫などと呼ばれておるのに、頼朝殿と同道などして、これ以上悪いうわさを広げてどうする」
「笑止! その程度のうわさで腰が引けるような男など御免よ! わしはわしが成したいように成す! 口出しは無用ぞ!」
「政子! すこしは父の言うことも聞かぬか!」
「聞かせるような言葉を吐いて見せよ!」
喧嘩を始めた親娘を、頼朝はなにやら納得の様子で見ていた。
「ぐぬぬ……ええい、好きにせいっ!」
「デアルカ! 好きにするぞ!」
最終的にそうなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます