七 北条時政

「政子殿、今日はあなたのお父上に用があって参ったのです」



 騒ぎ終わって。

 涼しい顔に戻った頼朝は、政子に向けてそう言った。

 例によって恨み雑記帳ノートにはいろいろと恨み事が書きつづられたのだが、ともかく。



「父に用? ――ふむ、兄上」


「ああ、知らせてくる」



 兄妹きょうだいの意思伝達は何事も早い。

 迅速なやりとりに、頼朝はほう、と感心の声をあげた。



「時政殿を見くびっておりましたか。息子の教育が行き届いている」


「ふむ? まあ、そういうことにしておこう」



 産ませっぱなしで放置気味な時政よりも、政子の影響が強いのだが、あえて訂正するようなことでもない。



「そういえば、父になに用だ?」


「ふふ、政子殿。あなたに触発されましてね……お父上にすこしお願いをしたくなったのです」


「デアルカ」



 軽く挑むような口調の頼朝。

 独特のイントネーションで応じると、政子は笑う。

 魔王の笑みだ。触発されて魔王オーラも全力全開だ。

 腹の据わった従者も、これにはさすがに固唾をのんだ。


 一方、頼朝は動じない。

 微笑みに、じめっとしたものがあるのは、まったくの素である。



「時に政子殿、あなたの目から見て、お父上はどんなお方ですか?」


「ふむ?」



 政子はすこしだけ、首をひねってから。

 まっすぐに頼朝の目を見て、返した。



「強引、剛腕、強欲」



 同意です、と、頼朝はにこやかにうなずいた。







「ぐふふ、これは頼朝様、このようなむさくるしい所にようこそいらっしゃいました!」



 二十半ばのふとじしの男は、粘性のある笑みを浮かべ、頼朝を歓迎した。



「うむ。時政殿も壮健そうでなによりです」



 頼朝も返したが、こちらもどこか表情に粘性がある。

“にちゃにちゃ”と“じめじめ”。たがいに笑顔で挨拶を交わしながら、頼朝は屋敷の広間へと案内された。



「頼朝様、本日はどのような御用で」



 設けられた席の上座に頼朝を座らせると、時政はややせっかちに要件を尋ねてきた。



「じつは、時政殿。折り入って頼みがあるのです」


「ふむ。どのような……」


「すこし、関東を歩きたいのです」


「うむむ、それは難しい」



 時政は難色を示した。

 その理由を、頼朝は理解している。


 流人だから、ではない。

 流人と言っても貴人だ。自由な振る舞いも、ある程度は黙認される。


 それを難しくさせているのは。



「叔父上――源為朝みなもとのためとものことですね」



 自体の元凶の名を、頼朝はさらりと挙げた。


 源為朝。

 頼朝の叔父であり、無双の弓の名手。

 九州鎮定を名目にかの地で暴れまわり、鎮西八郎ちんぜいはちろうを称した大豪傑だ。

 その為朝は、平治の乱に先立つこと三年、保元ほうげんの乱で罪を得て、ここ伊豆国、伊豆大島いずおおしまに流されている。



「まさに」



 時政が膝を打った。



「――伊豆大島に流された為朝殿は、かの地で我がままに振るまい、伊豆の諸島を支配せんとしておる。今はまだ見逃されておるが、あの御仁のことだ。このままでは済むまい。いずれ京より為朝殿討伐の命が下る。その折、頼朝様、あなたが関東を動き回っておれば、為朝殿と連動した不審な動きと咎められるやもしれぬ。悪いことは言わぬ。いまは止めておくが吉ですぞ」



 時政の忠告に、頼朝はうなずかない。

 じとっ、と、まっすぐに視線を返して、言葉を紡ぐ。



「もはや私に二心などありません。ただ、父が育った関東の地を見て回りたいのです。むろん、常時監視をつけてもらって構いません。都のやんごとなき筋にも、私からお便りさせていただきます」


「うむむ……」



 頼朝の配慮にも、時政は二の足を踏む。

 危険ばかり大きくてメリットのない話に聞こえているのだろう。



「ときに時政殿」



 それを承知の頼朝は、だから水を向ける。



「流罪にはなったものの、私の京への伝手つては絶えておりません。あなたが便宜を図ってくれるのなら、こちらも都の方々に、あなたの人柄を語りやすいのですが」


「ぐふふ、やりましょう! なーに、伊東殿にはわしが上手く話しておきますわい!」



 あまりの変わり身の早さに、さすがに頼朝もあきれた。







 旅について、ふたりが話を進めようとした、矢先。

 突然、ばんっ、と広間の扉が勢いよく開いた。



「――頼朝の監視役、わしがやろうぞ! ちょうど見聞しようと思っていたところだ!」


「あねうえやめてー!」「やめてー!」



 乱入してきたのは、もちろん第六天魔王、北条政子だ。

 腰には姉を必死で止めようと、妹や弟がしがみついている。

 その向こうで兄がひっくりかえっているのは、さておくとして。



「政子っ! お主は頼朝様になんて口を!」


「ああ、よいのです。こういうわらべだというのは分かっています」



 もはや慣れた様子で、頼朝は政子を庇った。

 時政は、ぐほう、と一息ついて、それから頭痛をこらえるように頭を押さえた。



「……政子、お前は、いずれワシの出世のために嫁がねばならぬのだ。ただでさえ北条の修羅姫などと呼ばれておるのに、頼朝殿と同道などして、これ以上悪いうわさを広げてどうする」


「笑止! その程度のうわさで腰が引けるような男など御免よ! わしはわしが成したいように成す! 口出しは無用ぞ!」


「政子! すこしは父の言うことも聞かぬか!」


「聞かせるような言葉を吐いて見せよ!」



 喧嘩を始めた親娘を、頼朝はなにやら納得の様子で見ていた。



「ぐぬぬ……ええい、好きにせいっ!」


「デアルカ! 好きにするぞ!」



 最終的にそうなった。


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