第7話 わたしのたいせつなせかい
わたしと彼との出逢いは突然でした。
半年ほど前のことだったと思います。
その日わたしは母から頼まれたおつかいをすっかり忘れ、大好きな図書館へと足を運んでいました。いつもどおり一階の児童図書のスペースでたくさんの童話に囲まれ、幸せな時間を過ごしていたのです。
ふと時計を見ると、時刻は午後三時。たっぷり読書をして満足したので、あとは何冊か借りてそろそろ帰ろうと腰を上げたとき。
ポケットから一枚のメモが落ちました。そっと拾い上げ見てみます。そこに書いてあったのは、ニンジン、じゃがいも、玉ねぎ、お肉……ああ、なるほど、カレーですね。今日の夕飯の材料でした。
そこでわたしはようやくおつかいの存在を思い出し、慌てて貸出カウンターへ向かい本をレンタルし、図書館の外へと飛び出したのです。
その瞬間、わたしの体はなにかにぶつかり、ものすごい勢いで後ろに弾き飛ばされました。
ああ、いえ、車にはねられたわけではありませんよ。そうしたらこの物語のジャンルは今度こそラブコメではなく異世界ものになってしまいますからね。
とにかく、そのときはなにがなんだかわからなかったのですが、間もなくしてどうやらわたしは誰かと衝突してしまったらしいと気づいたのです。
わたしはしりもちをつきました。あいたたた、とおしりを撫でます。
前に目をやると、そこには一人の男性が立っていました。ひどく驚いたような顔をして、こっちをじっと見ているのです。それから彼ははっとし、慌ててわたしに手を差し伸べました。
そのときに言われた言葉が、確か――。
「ご、ごめんね! きみがあまりに小さいから気がつかなかったよ。大丈夫かな、けがはない? 一人で来てるの? 迷子じゃないよね。お母さんはどこかにいるかな?」
……おうふ。完全に子ども扱いですね。しかも迷子扱いときました。思い出しただけでもはらわたが煮えくり返りそうです。わたしってそんなに幼く見えるのでしょうか。ちょっと背が小さいからってバカにしすぎています。
もちろんわたしは、頬を膨らませながら憤激したのでした。
「初対面でなんてことを言うんですか! ふんっ、結構です、あなたの手を借りなくたって一人で立てます!」
「本当に平気なの? ええと、親御さんは……」
「一人で来ているんです! お気になさらず! べつにわたし迷子じゃありませんから! ……ていうかそもそも子どもじゃありませんしね!」
すっくと立ち上がり、スカートのほこりを払い、彼をキッと睨みつけました。
すると彼は目をまたたき、驚いて、わたしに謝罪してきたのです。
「そ、そうなんだね。ごめん。きみがあまりにも小さ……じゃなくて、きみが借りた本が本だから、てっきり」
今言い直しましたよね? 完全に「小さい」って言いかけていましたよね?
こちらの顔色を伺って訂正した感じは否めませんが、まあ今回は見逃してあげましょう。
……彼が言うように、確かにわたしの借りた本は幼女と間違われても仕方ないものでしたから。
彼の視線の先には、地面に散らばる色とりどりの本がありました。
わたしが落とした本たちです。
そのときに借りたのはたしか、「シンデレラ」「エルマーのぼうけん」「ラプンツェル」「ブレーメンのおんがくたい」「とんでもないおきゃくさま」の五冊だったと思います。見事に童話ばかりの本は、彼にしてみればわたしを子どもだと思ってしまう原因のひとつでした。……まあ、認めたくはないですが、わたしの幼い見た目も手伝っているのだと思います。多少は、ですよ。
本を拾い上げようとしたとき。
わたしはあるものを見て目を見開きました。
そして、そこに落ちていた一冊の本を手にとったのです。
「……これ」
それは鮮やかな赤のずきんをかぶった少女が描かれた表紙の本でした。タイトルはもちろん「赤ずきん」。わたしの大好きな童話でした。
それでも、わたしはそれを借りた憶えはありません。わざわざ借りなくたってすでに自宅の本棚にあるし、なにより幼い頃から何度も何度も読み返して物語のすべてが頭に入っているからです。
ふと彼を見て問いました。
「……これはあなたのですか?」
すると彼は照れくさそうに笑い、静かに頷きました。
わたしの小さな胸の奥からなにやら熱い気持ちが込み上げてきます。
もしかしたら、この人が――。
なにかが芽生えそうになる心を押さえ、わたしたちは歩き出しました。偶然にも向かう方向が一緒だったので、二人並んで仲良くお話しながら行きました。出逢ってまもない人なのに、たくさんのことを話したと思います。
その中で、わたしは気になっていたことを訊きました。どうして童話を借りたのかと言うことです。彼はそういう本を借りるほど幼くは見えませんでしたし、なにより赤ずきんはわたしの大好きな物語でしたから。
問えば、彼は「甥っ子が遊びに来ているから読んであげるんだ」と答えてくれました。そしてそのあと恥ずかしそうに「俺も童話が好きだから」と話してくれたのです。
涙が溢れてしまいそうでした。
とても素敵です。わたしは素直にそう感じました。
彼もまた、わたしにあることを訊いてきました。
「きみも童話ばかりを借りているね。どうして?」と。
わたしは答えるのをためらいました。
――童話が好きだから。
――童話の世界に憧れているから。
――わたしもこんなふうになりたくて。
今までにも同じようなことを訊かれ、そのたびに正直に答えてきたわたしは、そのすべてをバカにされ、笑われ続けてきました。
わたしの世界は、いつでも否定されてきたのです。
いつまでも夢を見ているんじゃない。
夢を語れば、返ってくる言葉はそればかり。
わたしはいつしか自分の世界を口にするのが怖くなりました。
――それでも、もしかしたら、この人ならば。
大きな不安と、小さな期待。
また笑われたらと感じる恐怖もないまぜに。
わたしは恐る恐る口を開き、それに真っ直ぐに答えたのです。
泣いてしまいそうでした。沈黙の時間が、あまりにも長く感じました。
……そして彼は答えてくれました。
「素敵だね」
「え……?」
「俺は好きだよ。――君の、その世界」
――やっと出逢えた。
わたしは確信したのです。
シンデレラのガラスの靴を拾った彼のように。
白雪姫を永遠の眠りからキスで目覚めさせた彼のように。
彼こそがわたしの王子様なのだと。
わたしを茨の城から助け出してくれる――たった一人の”白馬の王子様”なのだと。
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