夏男
物理室で春子を待つ。手持無沙汰のあまり、乳鉢でゴリゴリとパイプロケット用の黒色火薬を混ぜ合わせていた。もう実験をすることはないが、何かをしていないと落ち着かない。なにせ、これから人生初の告白をするのだ。正直なところ、告白するのは今日でなくても構わない。物理的にはいつだってできる。だが、心情としては違う。俺は、学食でカレーうどんを注文するのと同じように気軽に好きだと言えるタイプではない。なにかきっかけが、言い訳が、背中を押してくれる着火材が必要だ。この日を逃したらヤバい。思い立って春子にメッセージを送ったのは今朝の事だった。
―――――――
ナツオ:卒業式が終わったら、思い出の教室で待ってる
ハルコ:k
―――――――
簡潔で無駄のない返信を再確認する。「k」は「OK」の「k」だそうだ。同じ短縮するなら、「了解」の「りょ」とかの方が可愛いのに。そう思うが、そんなことを思いつきもしないのが春子の春子たるゆえんなのだろう。
入り口の扉がカラカラと開いた。
「思い出の教室って、ここだったんだ」
「春子」
「てっきり学園祭で、水槽の中でエンジンの燃焼を実演しているときに、爆発を起こして水槽を粉々に破壊して水浸しにした3-Cかと思った」
「酸化剤があれば空気はいらないっていう説明をしたかっただけなんだ。まさか蝋の密閉があんなに強力だとは……」
「それか、火薬使用禁止処分のせいでペットボトルロケットしか作れなかった時期に、窓からロケットを打ち込んだ音楽室かと」
「ウィングと発射台の角度がまずかった。ちゃんと測っておけば……」
「でも実際は、『コケコッ号』とかいうふざけた名前のロケットを作るために、
「バケツの中の水に突っ込んで事なきを得たアレな。火薬は湿ってニワトリの目は滲んだけど、いい思い出だ。ニワトリってのはやっぱり飛べない運命だったんだよ」
春子は俺を一瞥すると、テーブルの上に行儀悪く腰掛け、ぺたりと両手を後ろについた。
「それで、何の用? 同じ電車の、しかも同じ車両の目と鼻の先にいたのに、わざわざ卒業式後に呼び出すほどの用事って、何」
「好きです」
「えっ」
緊張のあまり敬語になってしまったが、たちまち春子のぱっと顔が赤くなる。俺は勢い込んで続けた。
「俺と付き合ってくれ」
「それは無理」
「返答はえーよ。嬉しそうな顔してたくせに」
「べっ……別にそんな顔してないし」
「じゃあなんでだよ。理由を教えてくれ」
俺が食い下がると、春子は咳払いをして立ち上がり、ホワイトボードになにやら書き始めた。
――――――
1.地理的理由
2.誠実さの強度に対する疑問
3.権利の有無
――――――
そこまで書くと、ペンを置いて人差し指を立てる。
「その1。私は明日から海外で暮らすことになってる。だから、日本に住んでる人と付き合うのは無理」
「は? なんだそれ聞いてないぞ」
「その2」
春子は有無を言わせず指を2本立てて続ける。
「その2。『卒業式という締め切りが来たから、駆け込みで告白しておこう。好きです』。私は、そんな場当たり的な『好き』なんて欲しくない」
痛いところを突かれた俺は、何も言い返せなかった。
「その3。私は夏男を縛りたくないし、縛る権利も無い。そういうわけだから」
春子は、告知を読み上げるように一方的に宣言すると、出口へと向かう。俺は慌ててその背を追って肩に手をかける。
「ちょっと待てよ。そんな簡単に言われても納得いかねーよ」
「夏男が納得するかしないかで、結果が変わるの?」
「結果ってなんだよ」
「私が海外に行くこと」
「それは……」
「いつもそうだったよね。場当たり的で、無計画で、切羽詰まらないと動かなくて、そのくせ動くときは人のこと考えないで、自分勝手で、突拍子もない事ばかり」
肩にかけていた手を降ろされる。俺が黙っていると、春子がふっと笑った。
「今日だってそう。『想い出の教室』なんて言われても夏男以外にわからないでしょ。曖昧で自分勝手」
「でも来てくれたじゃねーか。やっぱ考えること一緒なんだよ。うまく行くって」
「少なくとも、私の思い出の教室は、ここじゃない。私たち、やっぱり合わないみたいね。それじゃあ」
そう言うと、春子は物理室を出て行ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます