25. 遠き日の約束

 魔界の新年が明けて一ヶ月。年末に起きた、次期『土の王』候補のディギオン・ベイリアルの捕縛と彼の後見人である『土の老王』の引退の衝撃がようやく落ち着いてきた頃、特別部隊他世界監視室の室長室のドアが鳴った。

「……兄さん、こんにちは……」

 中折れ帽の下に黒いのっぺりとした顔。茶色のスーツ、ループタイを着けた水棲動物に似た水妖、ニュート族の男がズボンの尻から出た尻尾をぬらりと振りながら、石造りの底冷えする部屋に入ってくる。

 この一ヶ月、魔界を震撼させた事件の始末をする為、筆頭軍師として執務室でいくつもの裁定を下してきた弟弟子ユルグに

「やっとデスクから離れられたのか?」

 彼の兄弟子である室長は立ち上がり、温かいコーヒーを淹れた。

「……いや、まだ片づけないといけない書類が満載で……。でも魔王様がいい加減少し休めと……」

 応接セットのソファに座った後、ユルグは室長に深く頭を下げた。

「兄さんにも迷惑を掛けて……。の世界の修復で忙しかったでしょう?」

 ディギオン捕縛の知らせを受け、他世界監視室はすぐさま、特別部隊に所属する全ての破壊修復班をハーモン班が守り抜いた世界に投入した。しかし、『神』であったディギオンのあまりの破壊ぶりにまるで手が足りない。そこで自分や室員達のあらゆる伝手を使って、他の部隊の術士や貴族の私設部隊の術士にまで頼んで、なんとか街を復元したのだ。

「そちらは後は彼の世界の人々の記憶と記録の処理だけになった。お前の方は?」

 すまなそうに身を縮める弟弟子にコーヒーカップを渡しながら訊く。

「僕の方は……」

 まず『土の老王』と癒着し、ハーモン班に捕縛命令を出した懲罰委員会は

「委員会内の老王の関係者については、ほぼ除隊が決まりました」

 ただ、最後にハーモン班に協力してディギオン捕縛に尽力した捕縛隊については、班全員の嘆願もあって、隊長が責任を取り除隊、他の隊員はそのまま留まるという形になった。

「彼等なら今回の経験を生かして、懲罰委員会を立て直してくれるでしょう」

「そうだな」

 温情ある処分に室長が頷く。

「ディギオンについては……」

 今、ディギオンは魔力を完全に失った状態で、キースや明玄と共に魔界で大罪を犯したものが送られる第九監獄にいる。魔憲章九十九条違反の他に、事件の真相を知った冥界が速やかに彼を『三界不干渉の掟』破りの罪で再度、訴えたのだ。

「その処罰については、ボリス様のお考えとおり、冥界に余計な混乱を与えないよう、魔界で執行することになりました」

 冥界から魔導師のトップ、魔将を呼び、ディギオンが二度と術も土の力も使えないよう念入りに封印をした上で『島の別荘』に閉じ込める。

「『島の別荘』か……」

 『島の別荘』は彼が老王に貰った、断崖絶壁の孤島に建つ館。彼が多数の無辜なる者達に残虐非道を行った場所でもある。

「はい。その館で、身の回りの世話をする人形と共に、生涯を過ごして貰います」

 ベヒモス族の誇りの象徴である角も、全ての力も失い、彼は自分が殺した者達の亡霊に怯えながら、命が尽きるまで、そこで暮らすことになる。

「……これ以上の報いはないな……」

 引退を決めた老王は長男の城にある隠居所を出て、『島の別荘』が見える対岸の小さな館に移るらしい。

「セルジオスもついて行くようです」

 沖に、老王は愛する孫が監禁された館を、セルジオスは愛する息子を失った館を見ながら残りの生涯を過ごすという。

「……そうか……」

 重い息をつく室長の前でユルグがずびずびとコーヒーを啜った。

「これでかたきが取れました……」

 ループタイを止めるアグレットに手をやる。それは老王の策謀で殺された、二人の師、デュオスの幼い息子の形見だ。

「……ああ」

 老王には死ぬよりも辛い余生になるだろう。

「それと、一月後にボリス様の『土の王』就任披露式典が行われることが決まりました」

 ボリスは今、ハーモン元大佐と共に、ディギオンにより拉致され殺害された被害者達の家族の救済と補償を行っている。これで土の一族も実直な王の下、落ち着くことになる。

「ところでハーモン班はこれからどうするのだ?」

 あのディギオンを捕縛した班だ。もう彼等の守る世界を『破壊』しようという魔族は現れないだろう。

「他の世界に異動させるのか?」

「実は今回の働きに魔王様が直々に彼等に褒賞を与えたいとおっしゃられまして……」

 その問い合わせをしたところ、班長と班員、皆揃って、自分達を助けてくれた魔女の少女と魔術師達のいる、この世界に留まらせて欲しいと願い出た。

「……そうか」

 室長が楽しげに肩を揺らす。ユルグもふふと笑みをこぼした。

「彼等には彼の世界に留まったまま、他の破防班のサポートをして貰うことにします」

 下手に彼等を異動させるより、各破防班の後ろにはハーモン班という凄腕の班が控えている、という形にした方が、他世界を狙う魔族の牽制になる。

「それが良いな」

「はい」

 穏やかに笑い合う二人に室長室のドアの向こうから声が掛かる。

「奥様がお子様とお迎えに来られました」

「あ! はい! 今、行きます!」

 ユルグが慌ててコーヒーを飲み干す。

「久しぶりに僕と何がしたいかと子供に尋ねましたら、近くの森に冒険に行きたいと言いまして……」

 空になったコーヒーカップをテーブルに置いて「御馳走様でした」と立つ。

「ユルグ」

 帽子を被り直しドアに向かう彼に室長は声を掛けた。 「はい? なんですか、兄さん」

 振り向く首元で形見のアグレットが冬の透明な日差しに光る。

『ボク、三人なら、きっとどんなことでも可能に出来ると思うんだ!』

 魔の森を冒険しようと誘った彼の声が聞こえる。

 ええ、やり遂げましたよ。坊ちゃん。

「気をつけて行って来いよ」

 弟弟子が「はい」と返す。あの悲劇から彼をずっと覆っていた陰が薄くなっている。いそいそと妻と子の元に向かう後ろ姿に、師一家の幸せだった頃の姿を重ね、室長はほっと丸い肩を下ろした。

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