10. 夜半の嵐

「明日の夜、愛しい彼が貴女のせいで、破防班に捕まるわ」

 夜の11時を回った苺薫の部屋に楽しげな女の声が流れる。女侯爵は学習机の椅子に、形の良い足を組んで座り、自分の前で正座してうなだれている苺薫を眺めていた。

「ふうん、本当に病院とやらの薬も止めたのね。……良い顔になってきたじゃない」

 褐色の指をついと上に上げて、苺薫の顔を上げさせる。一月前に比べて、彼女は明らかに痩せ、肌の色も白く褪せたようになっていた。

「健気ねぇ……」

 満足の息を吐く。この娘を、あのバカなインキュバスの捕縛現場に連れて行く。そして、捕らえられたところで、娘と合わせ、彼女の嘘をあばく。

 両方の顔に浮かぶ悲壮な表情を思い浮かべ、女侯爵はうっとりと息を吐いた。

 冥界にまで死んだ恋人の魂を探しに行ったのは上手くいかなかったが、これでも十分楽しめる。

『あ、はいっ! 班長! 捕縛は明後日の夜の11時ですね! 解りましたっ!』

 昨日、破防班の動きを探っていたとき、庭掃除の途中、スマホでザリガニ少年が言っていた時刻を苺薫に告げる。

 少し前に迎えに来るから、部屋で待っているように言い渡すと、ふと思いついて付け加えた。

「そうだわ。貴女の友達、優香だっけ? あの子も一緒に来るように誘いなさい」

 同じような恋心を抱える少女に、友人の恋が無惨に破れる様を見せつけるのも一興だ。牛男をドン底の落とす前の良い前菜になる。

「え? どうして?」

「質問は許さないっていったでしょ? 貴女は私の言うとおりにやれば良いの。そうすれば、ちゃんとあのインキュバスとの仲を取り持ってあげるから」

 思ってもないことを口にして婉然と笑う。

「……解りました。優香ちゃんに頼んでみます」

「ちゃんと連れてくるのよ」

 明日は楽しい夜になりそうだ。女侯爵は、ほくそ笑むとふわりと舞う風と共に消えた。


 * * * * *


「良かったぁ……。上手く引っ掛かってくれたんだぁ……」

 女侯爵が明日のライアスの捕縛現場に現れる。皐月家の居間で、苺薫からビーズのバラを通して、もたらされた情報に、わざと彼女の前で日時をもらしたシオンがほっと息をつく。

「あんな大根演技でも引っ掛かるとは、やはりお嬢様育ちなのかの?」

 首を捻る玄庵の横で、苦笑しながらアッシュが魔界から届いた書類を封筒から出した。

 しっかりとミュー家のサインが入っていることを、もう一度確認して、班長に渡す。

 苺薫が女侯爵に出会い、選択を迫られた日に彼女の部屋を訪れ、それ以来、苺薫と一ヶ月間、密に連絡を取っていたエルゼが、話の続きに眉を潜めた。

「女侯爵が優香も連れて来いと言っているようです」

 書類をチェックしていたモウンが顔を上げ、渋い顔で頷く。

「仕方ない。捕縛前に彼女の機嫌を損ねることは避けた方が良いからな。それに念の為に魔法の使える者が苺薫の側にいた方が良いかもしれん。優香には俺の方から、事件の経過と明日の夜について話をして、苺薫の家に行くように頼もう」

 手をかざし、書類をしまうと、モウンは班員達を見回した。

「いよいよ、明日だ。俺がライアスと対峙する。アッシュ、シオン、玄庵は隠れて待機を。エルゼも隠れて苺薫と優香の守りを頼む」

「はい!」

「御意」

 モウンが携帯電話を開く。電話帳を開くとライアスのスマホの番号を押した。


 * * * * *


 日が沈む少し前に姿を現した、円に近い十四夜の月が、空の天辺に掛かっている。

 真夜中近い、関山市の小さな公園。流れる雲に時折遮られる月の光が数少ない遊具を照らす中、黒い軍服を着たモウンが湿った風にマントを煽られながら立っていた。

「あの人が優香ちゃんの好きな人なんだ」

 苺薫が自分同じく、隣で息を潜めている優香の耳元に囁く。

 モウンに頼まれ、二人でお泊まり会をする、ということにして苺薫の家を泊まった優香は、11時少し前にやってきた女侯爵に、彼女と一緒に公園に飛ばされた。ジャングルジムの脇で見えないように術を掛けられ、身を潜まされている。

「うん」

 頷いて周囲を見る。

 ……アッシュもエルゼ姉さんも、シオンも玄さんもどこにいったんだろう?

 公園には先程からモウンが一人で、呼び出したライアスを待っているだけだ。

『すまんが、今夜の捕縛にどうしても優香の助けがいる。協力してくれ』

 今朝、モウンからざっと事件の経過と予定を聞いたものの、肝心な捕縛方法については知らされていない。

 優香は苺薫が女侯爵に操られないように、モウンから頼まれた精神防御の術を彼女に掛けた。

「でも優香ちゃんが魔女で、エルゼさんやモウンさんの家族だったなんてね」

 苺薫が礼を言って小さく笑う。彼女の顔色は月の光の下、昼間よりも更に青く痩せこけて見える。

「モウンさん、見た目はアレだけど、とても良い人だね」

 苺薫の言葉に思わず頬を赤らむ。

「優香ちゃんは私みたいにならないでね……」

 苺薫が月を見上げた後、独り言を呟くように話し出した。

「私ね、叔母さんが亡くなって、ライアスさんがあの家からいなくなってから、毎年、お彼岸とお盆に叔母さんのお墓参りをしていたんだ」

 祖父母と母から彼と思われる男がその日に墓参りをしていると聞いたから。

「もう一度、一目会いたかった。一度だけで良いから私だけを見て欲しかった」

 それはようやく七年後の春の彼岸に叶った。

『……どうしたんだ! 苺薫ちゃん!』

 叔母と同じ病を発症して、一年。ライアスは痩せた顔色の悪い自分に驚いて、優しく話を聞き、家まで送ってくれた。

 そして……。

『元の元気な身体に戻りたい。お母さんが言っていたの。今度、病院に来る先生がこの病気の治療で有名な先生で新薬を推奨しているって』

 それで治療を続けていくまで、少しでも体力を残したい……。

 泣く苺薫にライアスはそれまでの間なら、と叔母に渡していたのと、そっくりの薬を渡してくれた。

「それで満足して、やめておけば良かった……」

 苺薫に瞳が潤む。

『しっ! 静かになさい!』

 突然、女侯爵の声が遮る。

 モウンのマントが更に高くあおられ、蝙蝠の翼を広げた男が風と共に現れた。


『ライアス』

『お久しぶりです。班長』

 女侯爵が聞かせているのだろう。離れた苺薫と優香の耳にも二人の会話がはっきりと聞こえてくる。

 ライアスは以前、苺薫のスマホの写真で見たように、穏やかな顔立ちの誠実そうな男だった。

 ……エルゼ姉さんやジゼルさんに雰囲気が似ているな。

 アッシュの話だと、魔界のインキュバス、サキュバスというのは、全員がこの世界の伝説にある淫魔であるわけではないという。

『エルゼを見てるから解ると思うけど、目を引く美貌と、魅惑の魔法が生まれつき使えるというだけで、性格は当たり前だけど人様々なんだ』

 ライアスもエルゼ同様、淫魔の名には相応しくない清潔な雰囲気を漂わせていた。

 ……苺薫ちゃんが好きになってしまったのも解るな。

 その上に、どこか憂いを帯びた影があり、そこがまた人を引きつけてしまうのだろう。彼は深々とモウンに頭を下げた。

『どうもすみませんでした』

『お前とこういう形で再会はしたくなかったぞ』

『私もです』

 ライアスが顔を上げて、申し訳なさそうに目を伏せる。

 どうやらライアスには抵抗する気も、逃げる気もないらしい。モウンが手をかざし、一枚の書状を渡す。

『これがお前の罪状だ』

 それに目を通して、彼は少し驚いたような顔をした後、また頭を下げて書状を返した。

『しかし、どうして、また自分から自首するような手紙を送った?』

『……苺薫の為です』

 ライアスの憂いの影が更に濃くなる。

『苺薫の身体が新薬で健康を取り戻すまで、そう自分に言い聞かせて私は彼女に薫と同じ薬を与えてきました。でも苺薫は新薬では治らなかった。しかし、このままズルズルと薬を渡し続ければ、私は苺薫も薫のようにしてしまうと思って……』

「ライアスさん……」

 隣の苺薫の肩が震える。

『班長は覚えていますか? 薫の最後は本当に悲惨だった』

『忘れられるか、俺も班員達もな』

 実は薫は告発の手紙を出す、ずっと前から、ライアスの薬の正体に気付いていた。しかし、健康な人から少し元気を分けて貰うだけだと自分に言い聞かせて、薬を飲み続けていたのだ。

 そして、生気を取られ続けた同僚が、本来なら数日で治るはずの風邪で長期に渡り休んで、やっと気付いた。自分は他人の命を奪っているのだと。

 彼女の苦悩が始まった。罪悪感と嫌悪感、これ以上、他人の命では生きられないという良心。なまじ、薬でほぼ健康な状態が保てていただけに、手放すことへの恐怖も大きかった。

 薫は事件を知った破防班と遥香の説得により、何とかライアスにこれ以上薬を作らせることをやめさせたが、死の間際まで、自己嫌悪と生と健康への執着に、彼を罵りながら亡くなったのだ。

『覚えていて。貴方のせいで私はここまで苦しんで死ぬの』

 ライアスの話を聞いている苺薫の頬を涙が伝う。

「苺薫ちゃん……」

 優香がそっと腕を取ると、彼女はすすりあげながら泣き出した。

『苺薫は、そんな目に合わせたくなかった。班長、彼女は薫と違い、まだ薬の正体については何も知らないんです。だから、彼女をこの事件の被害者として扱ってくれますね』

『ああ』

 切々と訴えるライアスにモウンが頷く。

 そのとき、甲高い女の笑い声が公園に響く。と同時に優香の隣から苺薫が消え、モウンとライアスの間に移動する。

「茶番はここまでよ」

 楽しげな声が響く。空に白い上品なスーツ姿の褐色の肌の女性が現れ、ふわりと彼女の隣に降りる。

「本当におバカなインキュバス」


「苺薫!! その姿は!?」

 目の前に現れた、青白く痩せた苺薫にライアスが目を剥く。

 両手で顔を隠すように覆った苺薫に横で、女侯爵がニヤニヤと笑った。

「班長! どういうことですか!? 貴方が苺薫はもう新薬で健康を取り戻しているというから、それを確かめる為に効き目の無い薬を渡したのに……!」

 悲痛な声を上げるライアスに、モウンが赤い目を見張って苺薫を見る。

「そんな……バカな……」

「苺薫! 苺薫、大丈夫なのか!?」

 慌てて彼女に駆け寄り、ライアスが顔をのぞき込む。苺薫は見られまいと顔を覆ったまま「ごめんなさい……」と謝った。

「班長! やっぱり苺薫は私の薬で健康を保っていたのではありませんか!?」

 ライアスが苺薫の肩を抱き、唖然としているモウンをなじる。

 それを見ていた女侯爵が我慢出来ないという体で腹を抱えて笑い出した。

「あ~、おかしいっ!」

 身をよじり、目尻に浮かんだ涙を拭く。

「その子が新薬とやらで既に元気になっていたのは本当よ」

 にんまりと笑い、ふわりと浮くとライアスを見下げて言い放つ。

「え!?」

「その子はね、それでいながら貴方を騙して薬を作らせていたの」

 楽しげに告げる女侯爵に苺薫がぎゅっと身を堅くした。


 優香が遠くから手を握り、エールを送る

 ……頑張って、苺薫ちゃん! 苺薫ちゃんのこれからの為にも!

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